第61話 不破と灰谷は事後処理に奔走する②

文字数 3,839文字

 銀機ハルから借り受けた機甲馬車は、童士と彩藍それに華乃を乗せ、馭者は引き続き鈴機直義が務める。
 銀機ハルの根城からは程近い、任部勘七の妓楼『小夜曲(セレナーデ)』ではあるが、歩くことすら億劫な疲れ果てた三人にとっては有難い申し出であった。

「ハル様って…優しい女性やねぇ、アタシあんな女性にメッチャ憧れるわ。
アタシも将来、ハル様みたいに素敵な女の人になりたいなぁ」

 童士と彩藍にとっては『銀ノ魔女』の通り名に相応しい、恐るべき女傑である銀機ハル…彼女を評して「優しい・素敵・憧れる」などと云う台詞を平気な顔で言える華乃に、童士と彩藍は戦慄するような思いを味わう。

「華乃?
ハル様みたいな、機甲の躰になりたいのか?
永遠の若さを求めると云う話なんだろうか?」

 恐る恐る問い掛ける童士に、華乃はコロコロと笑って応える。

「イヤやわぁ、童士さん。
そんな訳あらへんやないの。
ずぅっと若いまま、綺麗なままって云うのも良いんかも知れへんけど…アタシは素敵な旦那さまと一緒に年を取って、お爺ちゃんお婆ちゃんになっても仲良く楽しく過ごすんが理想やなぁ。
ハル様が素敵なんは、やっぱり内面から来るモノやと思うな。
お顔も綺麗やし、機甲の躰もキラキラしてて可愛い銀細工みたいやけどね」

 もし銀機ハルが聞いたならば、高確率で噴飯物の人物評ではあったのだが…初対面の銀機ハルを恐れもせず、懐いてしまう程の天真爛漫さを持つ華乃を好ましく思う童士であった。
 そんな会話を交わしている内に、三人を乗せた機甲馬車は『小夜曲』へと到着する。
 機甲馬車を降りた三人の前には、いつもの如く音羽多吉の姿があった。
 この数日とは違い、音羽多吉の表情は晴れやかで…満面の笑みで三人に歩み寄った。

「彩藍っ!
お前はホンマに大した(やっちゃ)で、良うもやってくれたもんやっ!」

 彩藍を抱擁しかねない勢いで、音羽多吉は彩藍の手を握り…空いたもう片方の手で彩藍の肩をバシバシと叩く。

(イテ)テテテッ!
多吉さん、アカンって!
こちとら一応…怪我人やねんから、あんまり乱暴にされたら傷に響くやんかっ!」

 音羽多吉の勢いに押されながらも、彩藍は本気の抗議で音羽多吉を止める。

「おぉっ!!
済まなんだ、済まなんだ。
ワシは今夜程に、嬉しい夜を迎えたことがないモンでなぁ」

 本当に彩藍を抱擁しようと両腕を開いた音羽多吉を避けつつ、彩藍はその上機嫌の訳を問う。

「ほんなら…紅緒奥様の目ぇが覚めはったんですか?」

 彩藍の問いに、笑顔を一層大きくした音羽多吉が頷いて応える。

「そうなんや!
今夜遅うにパッチリと目を覚まして、この何日のことも嘘みたいに元気になりよったんや…」

 最後には笑い泣きの表情となり、感情を爆発させる音羽多吉は、彩藍の後ろに立つ童士と華乃の姿を見て、今度は二人の方に近付いた。

「不破さんも、今夜は良うやってくれました。
ホンマに、感謝してもし切れんぐらいのことですわ」

 彩藍の時とは違って音羽多吉は、童士に向かって深く頭を下げる。

「いや…俺達が紅緒さんの目を覚ましたのかどうか…俺達にも良く判ってないんだが…」

 音羽多吉の感情の爆発(テンションの高さ)に戸惑う童士は、若干引き気味に音羽多吉の感謝の言葉を聞いている。

「そんなモン、義兄さんが言うとるんやから…お二人のおかげに間違いないですよ!」

 調子の良い勢いのまま音羽多吉は、華乃の方に視線を移す。

「そしたら彩藍、この子が…」

 華乃も勢いだけで話す音羽多吉に、少しの怯えを見せながらも自己紹介をする。

「アタシは、漆原華乃と云います。
初めまして」

 華乃の言葉で更に相好を崩した音羽多吉は、華乃にも握手を求める。

「初めまして、ワシは音羽多吉と云う者です。
華乃ちゃんのお母さんのお姉さんの旦那やねんで、ワシのことは気軽に多吉伯父さんとでも呼んでな」

 ここ数日の鬱屈を全て解放し感情を爆発させる音羽多吉に、彩藍は冷静に釘を刺す。

「多吉さん、夜中にこないな場所で大騒ぎしとったら…警察とか呼ばれますよ。
僕らは任部社長に報告に上がったんやから、(はよ)うに上階(うえ)へ行かんと怒られるんと(ちゃ)います?」

 彩藍の言葉に冷水を掛けられたような顔になった音羽多吉は、小声で続ける。

「ホンマや…こんなことしとったら、社長から大目玉を喰ろうてしまうわ。
ほな…お三人さん、さっさと上階へ上がりましょか」

 飛び跳ねるような歩調で階段を上がる音羽多吉を見ながら、華乃は不思議そうに彩藍へ尋ねる。

「なぁ彩藍、多吉…伯父さんって…いつもこんな調子なん?」

 華乃の問いに、彩藍は呆れ顔で返す。

「いや…いつもの多吉さんは、もっとこう…苦み走ったエエ男やねんけどな。
今日はよっぽど嬉しいことがあったんやろなぁ」

 彩藍の返しにふ〜んと気のない返事をしながら、華乃は童士と彩藍の後ろから階段を上る。
 四人は小夜曲の社長室前に到着し、音羽多吉が来客を告げる。

「社長、多吉です。
灰谷さんと不破さんと…漆原華乃さんがお見えです」

 前回と同様に、任部勘七の応えは今回も早かった。

「多吉、皆様に入って戴きなさい」

 音羽多吉を先頭に、彩藍、童士、華乃の順で入室が行われる。
 社長室に入ると、そこにはいつもの執務机に座っている任部勘七、そして任部勘七の左隣に和服姿の美しい女が立っていた。

「…お母ちゃん…じゃない?」

 童士と彩藍の耳には、華乃が息を飲み呟く声が聞こえる。
 確かに任部勘七の隣に立つ女は、地底洞窟で巨岩の下敷きとなった漆原泉美によく似ていた。

「漆原華乃さん、初めまして。
私は任部勘七と申す者です、宜しくお願いします。
そして私の隣に居るのは…音羽紅緒、私の妹で音羽多吉の妻…つまり貴女にとっては伯母と云うことになりますね」

 紹介された音羽紅緒は、ふんわりとした優しい笑顔を浮かべると、華乃の許へ歩み寄り…そして抱き締める。

「華乃ちゃん、初めまして。
私が、あなたの伯母の音羽紅緒よ。
私に妹が居たなんて、お兄様も教えてくれなかったから…何もしてあげられなくてゴメンなさいね。
泉美さん…いえ妹が、会う前に亡くなってしまったのは哀しいけど、あなただけでも会えて良かったわ。
これからは私を、もう一人のお母さんだと思って甘えて頂戴ね」

 音羽紅緒に抱きすくめられた華乃は、戸惑いながら挨拶をする。

「は…初めまして、紅緒伯母さん。
あの…あ、ありがとうございます」

 そんな音羽紅緒に、任部勘七が注意する。

「紅緒…初対面の人間から、そんな勢いで捲し立てられたら…華乃さんも困っているだろう。
いい加減にしなさい」

 任部勘七の言葉を、敢然と否定してみせる音羽紅緒。

「大体…くっだらない情報ばかり集め回っているお兄様が、私の妹家族の情報を知らなかったのが悪いんでしょう!?
本当なら、もっと前から親戚付き合いも出来てた筈なのに!
華乃ちゃん、こっちの応接室で色々なお話をしましょうね」

 華乃を引き摺るように、隣の応接室へと連れ込む音羽紅緒は、扉を閉める前に任部勘七へ舌を出し『イーッだ!』と口を動かした。

「全く…誰に似たものやら、いつまで経っても子供のような…」

 愚痴る任部勘七だが、その目元は薄く笑っているように見えた。
 実の妹が意識を取り戻したことが、余程に嬉しかったのだろう。

「さて…灰谷君、漆原華乃さんを取り戻したと云うことは、旧き神々(エルダーゴッズ)の眷族は退けられた…との認識で宜しいのですね?」

 微笑みを一瞬で引っ込めた任部勘七は、彩藍へ今回の顛末について報告を求める。
 彩藍は、童士が銀機ハルへ行った報告と齟齬のない内容で任部勘七へ報告した。
 しかし、最後に一点だけ付け加えた。

「…………と、云う訳なんです。
それと任部社長、赤煉瓦倉庫の地下洞窟なんですけど…あそこに大岩の下敷きになったハイドラの亡骸があるんです。
精神寄生体の宿主になっとっただけで、元々はこの辺りで働いてたお姉さんの躰ですやん。
何とかしたって欲しいんです」

 彩藍の願いに、任部勘七は一つ頷いて言った。

「判りました、洞窟内のご遺体については…私が責任を持って回収し供養しましょう。
それに…商工会議所と連携し、当該倉庫については封鎖しなければなりませんね…」

 彩藍は、ありがとうございますと告げて深く頭を下げた。

「ところで、灰谷君と不破君。
這い寄る混沌(ナイアルラトホテップ)は陽ノ本に、いや…この世界に戻って来るんでしょうかね?」

 任部勘七の問いに、二人は力強く頷く。

「でしたら…お二人は旧き神々(エルダーゴッズ)とその眷族に対して、防波堤となるべく動いて戴かないといけませんね。
灰谷君、不破君…その覚悟は出来ていますか?」

 またしても二人は同時に頷いて、覚悟の程を見せる。

「では、私も出来得る限りの協力態勢で、臨ませて戴きますよ」

 その時、応接室の扉がバタンと開き…華乃が走り出て童士に縋り付いた。

「童士さんっ!
紅緒伯母さんがっ!!」

 すわ何事かと四人の男が身構えた瞬間、音羽紅緒が応接室から出て来た。

「華乃ちゃん、あなたはまだ十二歳なのよ。
いずれは結婚するのかも知れないけれど、結婚もしていない男女が一つ屋根の下で暮らすなんて…そんなふしだらな真似は許しませんっ!」

「イヤやっ!
アタシは童士さんと一緒に暮らしたいのっ!」

「いけません、あなたが適齢期になるまで…あなたには我が家で嫁入り修行をしてもらいますからねっ!」

 何のことはない、華乃の今後の生活について…音羽紅緒からの指導が入っていたようだ。

 何となく気性の似通った伯母と姪、この二人の戦闘(バトル)は止める術がないなと…暗澹たる思いで見守る男達であった。
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