第27話 灰谷は七ツ眼の悪魔に相談を持ち掛ける

文字数 3,639文字

 福原柳筋にある小夜曲の前では、相変わらず音羽多吉の姿が勤勉に立ち働いているのが見える。
 平時と違うのは俯き加減で無言、平たく云えば愛想も何もない…接客業の最前線に居る人間としては、些か失格の烙印を押されそうな風情を漂わせていることだ。

「多吉さん毎度…紅緒奥様はまだ目覚めへんのやね?」

 さすがの彩藍も、この状態までに憔悴し切った音羽多吉を前に軽口を叩けたものではなかった。

「おぉ、彩藍か…。
紅緒は相変わらずや、医者が言うには…今のところ生命に別状がないのが唯一の救いやな。
それと…社長から聞いとるぞ、紅緒のためにお前さんと不破君が動いてくれとる云うのはな。
迷惑を掛けて申し訳ないが…紅緒のためにこれからも働いてくれ…頼むわ」

 恥も外聞もなく深く頭を下げる音羽多吉に、彩藍は爽やかな笑顔を見せて多吉を労う。

「多吉さん、それは僕らの仕事でもあるんやから…ホンマに気にせんとって下さい。
任部社長からも、ちゃんとした依頼を受けておりますんで。
僕らに出来ることはやらせて貰いますし、僕らの仕事が多吉さんと紅緒奥様の役に立つんやったら…僕らとしても嬉しいですわ」

 断言する彩藍に音羽多吉は、彩藍の両手を握り今にも泣き出さんばかりだ。

「彩藍…ホンマに頼む。
紅緒の目を覚ますよう、二人で頑張ってくれ…。
ワシに手伝えることは、何でもするさかいに」

 音羽多吉の両手をしっかりと握り返し、彩藍は音羽多吉を安心させるべく言葉を続ける。

「調査はまだ始めたばかりやけど、何とはのぉ当たりは付いとるんですわ。
そやから早晩にも解決が出来ると…僕はそう思ってます。
せやから多吉さんは、このお店が繁盛するようにお仕事を頑張ってくださいよ。
お店の売り上げが下がって、シブチンの任部社長から調査費用を値切られてしもたら…それこそおまんまの食い上げですやん」

 眉尻を下げて情けない顔で懇願する彩藍に、音羽多吉は思わずプッと吹き出す。

「判った判った、ワシの辛気臭い顔で接客しとったら…客足も伸びんっちゅうこっちゃな。
お前にまで妓楼の心配を掛けてしもて…申し訳ないにも程があるわ。
済まんのぉ、紅緒のことはお前と不破君に任せて…ワシは気合いを入れ直して妓楼が稼げるように頑張るわ。
義兄さん…いや社長がお前らに、満額以上の銭を払えるぐらいに稼ぎ倒したるわ!
彩藍…これで良いやろ?」

 憔悴した風情は変わらぬものの、何処か迷いを吹っ切ったような晴れやかな表情の音羽多吉に、彩藍は優しく微笑みかける。

「そうですっ!
その意気ですよっ!多吉さんっ!
ジャンジャン稼いで、バンバン僕にお金を落として下さいっ!!」

 両瞳を¥の字に変化させる彩藍に、音羽多吉は苦笑いで話し掛ける。

「判ったって言っとるやろ、そないにガツガツせんでも…これまでの遅れを取り戻すぐらいに頑張るさかいに…な?」

 鼻息荒く詰め寄る彩藍を、音羽多吉は優しく宥める。

「ホンマですよっ!
ホンマに気合いで頑張ってくださいよっ!
多吉さん…いや多吉大明神様っ!」

 やれやれと首を振りながら音羽多吉は、彩藍へと声を掛ける。

「そんなことより彩藍よ…社長に会いに行かんで良いんか?
社長も部屋で、じいっと待っとると思うんやけどなぁ」

 音羽多吉の言葉にハッとした表情を浮かべた彩藍は、一瞬で顔を青褪めさせた。

「こらアカンッ!
多吉さん!今から一走り任部社長のとこまで行ってきますわ!
ほな、お仕事は気合いで頑張ってくださいよ〜!」

 砂煙を上げそうな勢いで、店の中へ駆け込む彩藍を見送りながら…音羽多吉は朗らかに笑った。

「ホンマに…どうしようもない奴や。
そやけどアイツのおかげで、ワシも元気が出てきたような気がするわ」

 彩藍と云えば、社長室前まで一気呵成に駆け昇ったことで…大きく肩で息をしていた。

「い…いつも…やったら…息…を整え…る…前に…、任…部社…長…から…部屋に…入…れっ…て言わ…れるん…やけ…どなぁ…」

 何とか息を整え終えた彩藍が、社長室の扉を三度叩くと…任部勘七からの応えが入る。

「灰谷君、入りたまえ」

 彩藍の虚を突くようないつもとは違う遣り取りに彩藍は、小さく首を傾げながら任部勘七の部屋へと入室する。

「灰谷君…ありがとうございます」

 入室した彩藍に浴びせられたのは、想像していたものとは違い任部勘七からの感謝の言葉であった。

「あの〜…任部社長?
僕はまだ何もしてないんですけど…」

 戸惑う彩藍の声に、任部勘七は酷薄とも云える顔に似合わぬ薄い笑顔で続ける。

「階下で多吉を、義弟を励ましてくれたでしょう?
その件についてのお礼ですよ。
私では彼を安心させ、それも彼の笑顔を呼び起こすことなど出来はしませんからね」

 音羽多吉との遣り取りを聞いていたのであろう任部勘七は、彩藍に対して頭を下げてまで礼を述べる。

「いやいや任部社長…僕みたいなモンに頭なんて下げんといて下さいよ。
お調子者のいちびりが、雑談しとっただけですやんかぁ。
多吉さんも『しょーもない奴』やと思って、雑談に付き合ってくれてただけですから…任部社長にお礼なんて言われたら、僕の方が困ってしまいますってば」

 ヘラヘラと笑って自虐的に話す彩藍に、任部勘七は更に言葉を積み重ねる。

「いや…私ではどうしてもあのように、他人の心を解すような話法は使えません。
淡々と事実を積み重ねて、理性的に理解させることは得意なのですがね。
灰谷君、あなたの底抜けの明るさと…無責任にも近しい物言いだからこそ出来る技術だと私は思いますよ」

「あの〜…任部社長?
お言葉ですけど、褒められてる気分が半減してきましたよ?
それはただ単に『アホでテキトーな人間』って、事実認定されてるだけみたいな気ぃがしますけど…」

 反射的に任部勘七に突っ込みを入れる彩藍だったが、任部勘七はそんな突っ込みも無視したように続ける。

「灰谷君、貴方のその天真爛漫な優しさは…弱き者そして傷ついた者を救う長所だと私は思いますよ。
調子に乗った時の馬鹿馬鹿しい姿さえも、気落ちした人間を思わず笑わせられる美点ですしね」

 クックッと喉の奥で笑う任部勘七に、さすがの彩藍も気分を害したようだ。

「やっぱり…褒めてませんやん。
完全にお笑い芸人と同等の扱いですやん、任部社長には敵わんなぁ」

 笑い顔を引っ込めた任部勘七は、真顔で彩藍へと質問を投げ掛ける。

「ところで灰谷君、二つの依頼について何か進展があったか…お聞かせ願えますか?」

 本題に入ったと気付いた彩藍は、襟を正し任部勘七へと向き直る。

「それがですね…未だ確証は得られてはいいないんですが、やはり僕らが追ってる古き神々(エルダーゴッズ)の眷族であるハイドラって女怪と、今回の音羽紅緒さんの昏睡状態については関連性があるんやないかと…僕も童士君も考えていますねぇ。
ハイドラからの精神支配なのか、それとも単なる偶然の事故なのか…全く区別は付いてないんですけど。
取り敢えず僕らの向かう方向性としては、這い寄る混沌(ナイアルラトホテップ)は置いといて…神戸港から水妖ハイドラを追って叩こうかと思てます」

 ふむと頷き眼を閉じて考え込む任部勘七だが、次の瞬間には眼を開いて彩藍を凝視する。

「それでは大輪田芸能興行社におかれましては、港湾関係…特に海外からの流入を疑っておられると?」

 任部勘七の指摘に彩藍は、ニヤリと笑って頷く。

「ま、そう云うことですかね。
やっぱり陽ノ本外の水妖が引き起こしてる事件ですから、第一義に疑うべきは余所者の船からやないかと思ってます。
任部社長にお伺いしたいのは、三業組合の加盟店と海外のお客さんとの揉め事とか起こってないかいなぁ…なんて事なんですけどね」

 成程…と呟き、台帳を捲る任部勘七。
 はたと手を止めると、彩藍に向かってとある(ページ)を指し示す。

「こちらに載ってますね、外国人からの指名が入った後の数日後に…女性が失踪している案件がありますね…。
そうですか、最初は妓楼を通じて女性を派遣させ…その後に個別契約を持ち掛けられた案件も発生していると…。
誘いに乗った女性は失踪の当事者に、乗らないで妓楼へ報告した女性は失踪していないと…その可能性は高まりますね」

 資料を読み解くと後付けで把握出来る概要に、彩藍は肝が冷える思いを隠せない。

「任部社長…童士君に傷を負わされたハイドラは、回復のために更に女性を求める可能性がありますねん。
全部の妓楼の女の子たちに、外国人からの個別契約には乗らんよう通知とか出来ますやろか?
もし出来るんやったら…外国人からの派遣は暫く断るとか、三業組合さんにもご協力をいただきたいんやけれども?」

 彩藍からの依頼に、任部勘七も頷き応える。

「そうですね、通達は早急に出しておきましょう。
しかし…我々のような大店ならまだしも、小規模の店にまで行き届くかどうかは不明ですね。
失踪した女性達は全て、小規模の妓楼の従業員ですから…」

 彩藍と任部勘七は顔を見合わせ、被害が拡大しないことを祈りながらも…留められない可能性について暗澹たる思いに駆られるのだった。
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