第60話 不破と灰谷は事後処理に奔走する①

文字数 3,882文字

 死闘の末に華乃を奪還した童士と彩藍…そして救助された華乃が、地底洞窟を抜け出したのは午前三時を過ぎた頃だった。
 童士は全身に決して浅くはない傷を負い、右胸には這い寄る混沌(ナイアルラトホテップ)の触手により受けた貫通痕からまだ出血が続いている。
 そして彩藍もハイドラから受けた全身の切り傷と、触手による頸部の圧迫および重度の熱傷で息も絶え絶えの状況だった。
 三人の中で唯一の元気者は、囚われの身であった華乃だけなのだが…如何せん小柄な十二歳の少女の体力では、巨大な鬼と大人の半妖を支えることなど出来なかった。

「こら…アカン。
童士君はどないもこないも動かれへんし、僕も絶妙にボロボロやん。
さて…どうやってお家に帰ろうかいなぁ?」

 のんびりとした口調ではあるが、流石の彩藍も焦りは隠し切れない。
 三人三様で、どうしたものかと頭を捻って考えていたが、悲しいかな三人共に解決策を見出せる状況ではなかった。
 そうして疲れ果て、地面にへたり込むの三人の前に、一人の人物が現れて声を掛けて来た。

「不破童士さま、灰谷彩藍さま、そして漆原華乃さま…ですね。
私、新開地商工会議所会頭の銀機ハルより、皆様の身柄を引き受けるよう命じられております…鈴機直義(すずきなおよし)と申します。
御三方におかれましては、ご帰還の足をお求めのご様子。
宜しければ、私共の用意した機甲馬車(おくるま)にて、送迎させて戴きたいのですが」

 鈴機と名乗る機人の男、童士は確かに銀機ハルの居室に侍る機甲執事の一人として、彼の顔を見知っていた。

「アンタ…銀機ハル様の部屋に居た…」

 童士の声に、穏やかな笑顔で鈴機は応える。

「左様でございます、不破さま。
ご無事のご帰還…おめでとうございます。
漆原華乃さまにおかれましても…ご健勝のご様子、我が主人の銀機ハルも喜ぶことでしょう」

 三人は顔を見合わせ、ほぅっと息を吐いて安堵の表情を浮かべる。

「助かるよ、鈴機さん。
送迎ついでに、銀機ハル様への報告もしたいんだが…面談予約(アポイントメント)は取れるかい?」

 童士の問いに、鈴機は頷きながら応える。

「銀機ハルからは、報告については後日でも構わないとの旨を通知されてはおりますが…御三方に異存がなければ、即日の面談も可能となっております」

 童士は彩藍と華乃の顔を見て、今夜の行動について問い掛ける。

「彩藍、そして華乃…お前達さえ良ければ、これからハル様に報告をしたいんだが…大丈夫か?」

 彩藍も華乃も、笑顔で頷き了解の意を伝える。
 二人の意思を確認した童士は、鈴機へ面談を申し込む。

「と云う訳だ、鈴機さん…ハル様との面談を設定(セッティング)してくれ」

 畏まりましたと頷いた鈴機は、三人が座り込んでいる場所まで機甲馬車を呼び、三人に乗車を促した。
 機甲馬車の向かい合う二列の座席に、童士と華乃が並んで着席し、その対面に彩藍が独りで座る。
 三人が着座したことを確認した鈴機は、馭者席に着いて機甲馬車を走らせる。

「あの…童士さん、傷は大丈夫なん?
それと…アタシのことを助けに来てくれて、ホンマにありがとう。
怖かったけど、来てくれて嬉しかった。
彩藍も…ありがとう。
彩藍があの怪物を倒してくれたから、最後にお母ちゃんと話が出来たんやし」

 高級な機甲馬車は静粛性に優れ、路面の凹凸を拾う振動すら伝わって来ない。
 その静かな車内で、華乃が感謝の言葉を述べる。

「華乃、安心してくれ。
胸の傷も凡そは塞がっているようだ、左胸なら危なかっただろうが、鬼の回復力は伊達じゃないからな。
俺も華乃に大した怪我もなく救い出せて安心したぞ、攫われて怖かっただろうに良く頑張ってくれた。
ありがとう」

 先程までの死闘の影響を感じさせないような穏やかな笑顔で、優しく華乃へ告げる童士。

「いや〜、それ程でもないよ。
()()()()()やなんて、華乃ちゃんも()()()()素直にお礼を言えるんやねぇ」

 照れ隠しなのか、いつもの調子なのか…軽い調子で華乃の謝礼を受け流す。

「彩藍っ!たまにはって何やのんっ!
ホンマにもうっ!彩藍にお礼なんか言うて損したわっ!」

 彩藍の言葉尻を捉えて怒る華乃、その言い争いを童士は微笑みながら見ている。
 そうこうする内に機甲馬車は、銀機ハルの本拠地へと到着した。

「どうぞ、お入り下さい。
銀機ハルは、室内で待っております」

 鈴機直義の先導で、童士・彩藍・華乃の三名は銀機ハルの居室へと案内される。
 童士と彩藍にとっては見慣れた景色だが、華乃にとっては初めて訪れる居室の威容に、少し気後れしているようだ。
 不安そうな華乃の背を優しく押した童士、華乃は笑顔で童士の顔を見上げる。

「フッ…童士や、見事に宿願を果たしたばかりか、妾の願いも叶えてくれたようだの。
其方の躰は傷付いたとても、惚れた娘子は無傷で取り戻すとは…天晴れなり鬼の子よ」

 居室の筐体に座する銀機ハルから突然声を掛けられ、童士は誇らしげにニヤリと笑い、華乃は顔を赤らめ眼を白黒させる。

「其方が…漆原華乃嬢か、妾にその顔を近くで見せておくれでないかい?」

 銀機ハルから直截に声を掛けられた華乃は、ハイッ!と教師に呼ばれた生徒のような返答をし…オドオドとした態度で前に進み出る。

「フフッ…可愛らしい顔立ちをしておるの、そして強い生命力(ちから)を感じさせる良い眼をしておる。
漆原華乃嬢や、其方と不破童士の婚礼の儀に…童士めからは招待を約されたが、其方からは許諾をされておらぬでな。
どうじゃ?妾を招待してくれるかぇ?」

 優しい声で華乃に質問を投げ掛ける銀機ハル、その言葉を聞いた華乃は遠目に見ても判る程に顔を紅潮させる。

「あっ、あのっ…アタシと…童士さんの婚礼って?
そんなん…全然、決まってないんです…けど、そんなことあったら…嬉しいんです…けど。
もし、ホンマにあったら…是非とも…銀機ハル様を、ご招待させていただきますっ!」

 戸惑いまごつきながらも強い口調で宣言する華乃に、銀機ハルは満面の笑顔で言葉を返す。

「漆原華乃嬢…ご招待の口上について確かに承った、有り難く参列させて戴こうぞ。
さて…童士や、其方はまだ漆原華乃嬢に結婚を申し込んでおらぬと見えるが…男としての責務はどうなっておるのだぇ?」

 ニヤリと笑った銀機ハルは、童士の不手際を責め立てる。

「や…あの…華乃はまだ…十二歳なんで…もう少し大人になったら…その…」

 銀機ハルの鋭い突っ込みに、しどろもどろになる童士。
 華乃はそんな童士を、微笑みを浮かべて見ている。

「ま…戯言はこの程度にしておこうかの。
さて童士や、此度の一件についての結果報告を聞こうかの?
旧き神々(エルダーゴッズ)とその郎党について、其方と彩藍はどのような決着を付けたのだぇ?」

 銀機ハルの問いに、童士は今夜の事案について余すことなく報告する。
 殺害された女性達の肉体で造られた、ハイドラの肉体は滅したこと。
 這い寄る混沌(ナイアルラトホテップ)を追い詰めたものの、討伐には及ばず逃走を許してしまったこと。
 這い寄る混沌(ナイアルラトホテップ)が逃走する際に、ハイドラの本体である『精神寄生体』も這い寄る混沌(ナイアルラトホテップ)に回収されてしまったこと。
 そして捨て台詞のように、這い寄る混沌(ナイアルラトホテップ)が童士と彩藍へ再臨を予告したこと。
 以上の報告を聞いた銀機ハルは、生身の白面に機甲の手を当てがい…何事か沈思黙考の様子だ。

「なれば童士よ、這い寄る混沌(ナイアルラトホテップ)と申す奴輩は…其方と彩藍に再会を予告したのか。
ふぅむ…この陽ノ本は、彼奴等旧き神々(エルダーゴッズ)の魔の手からは未だ逃れられてはおらぬ…と云う認識になるな。
童士に彩藍よ、其方等には苦労を掛けるが…引き続き旧き神々(エルダーゴッズ)とその眷族については、其方等に情報を集めて貰いたい。
これは妾からの正式な依頼となる故、新開地商工会議所の全面的な協力と…必要経費の支出を妾の名において認可しよう。
両名とも、宜しく頼んだぞ」

 深く頷き了承の意を伝える童士と、へ〜いと答えて右手を挙げる彩藍。
 その時、華乃が銀機ハルへおずおずと声を掛ける。

「あの…ハル様、アタシがお世話になっとった『あさヰ』のお店なんですけど…
童士さんからは、ハル様が責任を持って再建してくれるって聞いたけど…ホンマに大丈夫なんでしょうか?
アタシのせいで『あさヰ』の小父さんと小母さんに迷惑を掛けたら…アタシ…」

 縋るような華乃の眼に、銀機ハルは優しく微笑む。

「漆原華乃嬢や、安心せよ。
『あさヰ』の店舗再建と、浅井夫妻の療養については…この銀機ハルが全責任を負おう。
この件について、其方が案じることなど何もないとお思い」

 銀機ハルの回答に安堵した華乃は、満面の笑みのまま頭を下げる。

「ハル様!ありがとうございますっ!」

 優しい顔で頷いた銀機ハルは、厳しい顔を作って彩藍に向き直る。

「灰谷彩藍、其方の働きも褒めて遣わすぞ。
例の件について…報告の内容も含めての。
借財の減免については、追って報せを送る故…確認しやれ」

 笑顔で拳を握る彩藍、その爪先を華乃は忌々しげな顔で思い切り踏みつける。
 その姿を見た銀機ハルは、少し驚き眼を見開いたが…その後クスリと笑った。

「其方等三人はこの後、任部勘七の許へと向かうのだろう?
引き続きこの鈴機直義を貸し出す故、任部の妓楼まで機甲馬車を使うが良い」

 手を挙げて退出を促す銀機ハルに、華乃はペコリと頭を下げて挨拶をする。

「ハル様、ありがとうございます。
また…遊びに来ても良いですか?」

 またしても驚いた様子の銀機ハルは、クツクツと声を出して笑った。

「漆原華乃嬢や、いつでも遊びにおいで。
不破童士と連れ立っての」

 華乃の豪胆な申し出に、童士と彩藍は顔を見合わせた。

「はいっ!今後ともよろしくお願いします!」

 銀機ハルの静かな居室に、華乃の元気な声だけが響いていた。
 
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