第7話 不破と灰谷は少女の情報に瞠目する
文字数 3,157文字
童士が華乃を連れて大輪田芸能興行社に這々の体で帰り着いた時、彩藍は既に自社ビルへと戻っていた上に、のんびりと寛いでいた
事務所階の応接用の長椅子 にその身を横たえ、惰眠を貪っているような有様だったのだ。
「おい彩藍、帰ったぞ。
平和な顔して寝てるんじゃねぇ、何をやってやがるんだお前は」
童士の恫喝する声にも眼を覚ますことなく、彩藍は寝返りを打ちながら益体もない寝言を言い出す始末。
「もう…そんなんしたらアカンて…ウフフ、耳許で何を言うんよ…ウヘヘヘ」
何の夢を見ているのやら、彩藍は腰をくねらせ始める。
健全な青少年 の育成上、良からぬ事案に発展しそうな彩藍の痴態に、童士は強めの教育的指導 を放った。
「オラッ!
さっさと起きろ!
仕事の時間だ!」
狙い通りに見事な角度で放たれた蹴りを、彩藍は無防備な腹部に受けて悶絶した。
「グホォッ⁉︎グエェェッ?
何…が起…き…たん……?」
身悶えしながら長椅子から転がり落ちた彩藍は、キョロキョロと周囲を見回す。
四つん這いの彩藍と目が合った華乃は、道端に取り残された吐瀉物 を見るような眼で眺めて一言呟いた。
「…最っ低…」
幼く小さな身体ではあるが、美しい少女から汚物を見るかの如く蔑む目線に晒されて、彩藍は本来の意味で全身に悪寒が走った。
「やぁ…久しぶりやねぇ、華乃ちゃんは以前と変わらず可愛らしいなぁ。
僕は華乃ちゃんみたいな娘には、笑顔が似合うと思うんやけど…」
「彩藍は相変わらず軽薄な奴 みたいやね、死んだお祖母ちゃんが言うとったわ『多少見栄えが良かったかて、そんなもん一銭の足しにもならへん。
男は真面目が一番やで、稼ぎがちょっと悪かったかて、遣り繰りで何とかすんのが女の甲斐性なんやから』ってね。
アンタはお祖母ちゃんの言うてはった…アカン男の見本みたいなオッさんやな」
取り付く島もない華乃の辛辣な態度に、深く傷付けられた彩藍の心に止めの一撃が打ち込まれる。
「お母ちゃんも言うとったもん『彩藍ちゃんも悪い子やないねんけどなぁ、あれだけ薄っぺらい人間やって見られてなかったら…女の人も放っとかんのになぁ。その点、童士君はええ男さんやねぇ、あちこちのお店でお姉さんがキャアキャア言うとるんも肯けるわ』やって。
アタシも全くの同感やわ、ホンマに童士さんも、何でこんなアカン垂れを相方にしてはるのん?」
完全に打ちのめされ、四つん這いの姿勢から土下座もしくは敬虔な信徒の如き姿へ形態変化 してしまった彩藍を見下ろしながら、童士は何とかその場を取り繕おうとした。
「華乃…ヤツも悪いだけの人間ではないんだぞ、大酒飲みで女好きで博打好き、それに大嘘吐きで金にだらしがないし、不真面目な上に働く気力も持ち合わせていない、面倒な仕事は殆ど俺に丸投げする。
それでもいざとなったら……頼りに……なるんだよなぁ………彩藍?」
冷静に考えると、相方の短所だけが際立つばかりで…全く以って長所が思い当たらない哀しい現実に、童士も『俺は何故こんな男を相棒にしてしまっているんだろう?』と不安に駆られた表情を見せるのだった。
「いやいやいやいや、童士君?君は何を言っとるんよ。
僕だってちゃんとやればできる子やって、童士君も良く知ってますやん。
そら日頃の行いは、ちょっぴり可愛げのあるお調子者 かも知れへんけど…ねぇ」
あくまでもノリと調子の良さだけで、危機的状況を乗り切ろうとする彩藍に、童士と華乃は無言のまま疑わしい目つきで凝視を続ける。
「そ、それよりもや、泉美さんを殺した犯人のことを調べるんが先決やん?
取り敢えず僕のお目々もパッチリと醒めたことやし、みんなの情報を共有することにしような」
「それもそうだな」
「それはそうやね」
いささか強引に会話の流れを修正しようとする彩藍に、童士と華乃は未だ冷たい目線を残しつつも同意するのであった。
先程まで寝床として目的外使用をされていた長椅子に童士と彩藍が並んで腰掛け、小座卓 を挟んだ向かい側の一人掛けの椅子に、華乃がちょこんと座る。
「初めに、彩藍には俺から伝えることがある。
今回の事件について、華乃と俺達は正式に契約を交わすことにした。
俺達への支払いは、今回の泉美さん殺害事件に関する情報提供だ。
そして俺達が華乃に渡す対価は…事件解決までの衣食住の保証と、可能ならば賊への生死を問わない報復措置だ。
二人とも、契約の内容としてはこれで良いな?」
真顔でコクンと頷く華乃と、満面の笑顔で親指を上げる彩藍。
「さて…情報の整理から始めよう。
華乃と母親の泉美さんが、賊に襲われた時の状況だ。
華乃、その時の状況を思い出せるか?」
形の良い眉根を寄せて『う〜ん』と考えながら、華乃は先程の惨劇に思いを馳せる。
「今朝はお母ちゃんが早上がりやって言ってたから、私がお母ちゃんをお店まで迎えに行って、市場に寄ってから一緒に朝ご飯を作ろうって話やったんや…」
母親との最後の別離を思い返したのか、華乃は一瞬言葉を詰まらせた。
「華乃、思い出すのが辛ければ、話は後でも良いんだぞ」
優しい気遣いを見せる童士に、華乃はニッコリと笑って返す。
「ううん…童士さんええねんよ。
時間を置いたら大切なことを忘れてしまうかも知れへんもん、お母ちゃんを殺したヤツを追い込むためやから、このまま続けさせて」
強い目線を保ったまま話そうとする芯の強い華乃の姿に、童士と彩藍は真顔で頷き、先を続けるよう促した。
「買い物も終わって家に帰ろうとしたら、後ろから変な音がするのにアタシが気付いたんよ」
「変な音とはどんな音だったんだ?」
合いの手を入れる童士を見つめながら、華乃は記憶の中を覗き込むように両瞳をとじた。
「なんやろ…ズルズルみたいなビチャビチャみたいな、濡れた重い塊を引き摺ったり叩きつけるみたいな音やったわ」
「変な音はゆっくりと近付いてくるし、アタシもお母ちゃんもビビってしもて…小走りに家まで帰ることにしたん。でも、急に魚の腐ったみたいな物凄い臭いがしてきたと思ったら、アタシとお母ちゃんの前に黒い影が二つ飛び出して来たんや」
「影が飛び出した?
どんな風にして出て来た?
大きさとか特徴は覚えているか?」
童士の問い掛けに、再び考えていた華乃は途切れ途切れに当時の状況を語る。
「うん…さっきまで何もなかった所に、地面の下から急に湧き出して来たみたいやったわ。
暗いし身体も殆ど真っ黒に見えたけど、濡れてるみたいにあちこちがギラギラ光ってた。
形は猫背の人間みたいで、身長は5尺ぐらいやったと思う。
それで首がないみたいに、胴体と頭が繋がってる感じやねん。
そいつ等の足音がズルズルでビチャビチャやったから、アタシとお母ちゃんに付いて来たのと同じヤツやって思った」
「そいつ等が、泉美さんを襲った時のことは覚えているか?」
童士がさらに問うと、華乃は頷いて答える。
「うん、近付いて来た一人が…右手を上げてアタシを殴ろうとしたみたいやったから、お母ちゃん…がアタ…シを突き飛ば…したん…よ。
その…後は、お母…ちゃん…がバッタリ倒れ…て、ア…タシに…『逃げてっ!』って…叫ん…だん」
母親の最期を思い出したのであろう、華乃は小さな身体を震わせつつ、涙を零しながら童士と彩藍に告げた。
「すまない華乃、思い出すのも辛かったろう。
もう夜も明けたが…しばらく休むんだ」
流れる涙を袖口で拭いながら、華乃は力なく頷いた。
「それと!
突き飛ばされたアタシが立ち上がろうとした時に、少し離れた場所に普通の形の人が立ってたのが見えた。
暗くて判らんかったけど、何となくアタシとお母ちゃんの方をジッと見てたような気がするねん。
もしかしたら、警察に通報した人かも知れへんねんけど…」
華乃が思い出した最後の言葉を聞いて、童士と彩藍は互いの顔を見合わせた。
事務所階の応接用の
「おい彩藍、帰ったぞ。
平和な顔して寝てるんじゃねぇ、何をやってやがるんだお前は」
童士の恫喝する声にも眼を覚ますことなく、彩藍は寝返りを打ちながら益体もない寝言を言い出す始末。
「もう…そんなんしたらアカンて…ウフフ、耳許で何を言うんよ…ウヘヘヘ」
何の夢を見ているのやら、彩藍は腰をくねらせ始める。
「オラッ!
さっさと起きろ!
仕事の時間だ!」
狙い通りに見事な角度で放たれた蹴りを、彩藍は無防備な腹部に受けて悶絶した。
「グホォッ⁉︎グエェェッ?
何…が起…き…たん……?」
身悶えしながら長椅子から転がり落ちた彩藍は、キョロキョロと周囲を見回す。
四つん這いの彩藍と目が合った華乃は、道端に取り残された
「…最っ低…」
幼く小さな身体ではあるが、美しい少女から汚物を見るかの如く蔑む目線に晒されて、彩藍は本来の意味で全身に悪寒が走った。
「やぁ…久しぶりやねぇ、華乃ちゃんは以前と変わらず可愛らしいなぁ。
僕は華乃ちゃんみたいな娘には、笑顔が似合うと思うんやけど…」
「彩藍は相変わらず
男は真面目が一番やで、稼ぎがちょっと悪かったかて、遣り繰りで何とかすんのが女の甲斐性なんやから』ってね。
アンタはお祖母ちゃんの言うてはった…アカン男の見本みたいなオッさんやな」
取り付く島もない華乃の辛辣な態度に、深く傷付けられた彩藍の心に止めの一撃が打ち込まれる。
「お母ちゃんも言うとったもん『彩藍ちゃんも悪い子やないねんけどなぁ、あれだけ薄っぺらい人間やって見られてなかったら…女の人も放っとかんのになぁ。その点、童士君はええ男さんやねぇ、あちこちのお店でお姉さんがキャアキャア言うとるんも肯けるわ』やって。
アタシも全くの同感やわ、ホンマに童士さんも、何でこんなアカン垂れを相方にしてはるのん?」
完全に打ちのめされ、四つん這いの姿勢から土下座もしくは敬虔な信徒の如き姿へ
「華乃…ヤツも悪いだけの人間ではないんだぞ、大酒飲みで女好きで博打好き、それに大嘘吐きで金にだらしがないし、不真面目な上に働く気力も持ち合わせていない、面倒な仕事は殆ど俺に丸投げする。
それでもいざとなったら……頼りに……なるんだよなぁ………彩藍?」
冷静に考えると、相方の短所だけが際立つばかりで…全く以って長所が思い当たらない哀しい現実に、童士も『俺は何故こんな男を相棒にしてしまっているんだろう?』と不安に駆られた表情を見せるのだった。
「いやいやいやいや、童士君?君は何を言っとるんよ。
僕だってちゃんとやればできる子やって、童士君も良く知ってますやん。
そら日頃の行いは、ちょっぴり可愛げのある
あくまでもノリと調子の良さだけで、危機的状況を乗り切ろうとする彩藍に、童士と華乃は無言のまま疑わしい目つきで凝視を続ける。
「そ、それよりもや、泉美さんを殺した犯人のことを調べるんが先決やん?
取り敢えず僕のお目々もパッチリと醒めたことやし、みんなの情報を共有することにしような」
「それもそうだな」
「それはそうやね」
いささか強引に会話の流れを修正しようとする彩藍に、童士と華乃は未だ冷たい目線を残しつつも同意するのであった。
先程まで寝床として目的外使用をされていた長椅子に童士と彩藍が並んで腰掛け、
「初めに、彩藍には俺から伝えることがある。
今回の事件について、華乃と俺達は正式に契約を交わすことにした。
俺達への支払いは、今回の泉美さん殺害事件に関する情報提供だ。
そして俺達が華乃に渡す対価は…事件解決までの衣食住の保証と、可能ならば賊への生死を問わない報復措置だ。
二人とも、契約の内容としてはこれで良いな?」
真顔でコクンと頷く華乃と、満面の笑顔で親指を上げる彩藍。
「さて…情報の整理から始めよう。
華乃と母親の泉美さんが、賊に襲われた時の状況だ。
華乃、その時の状況を思い出せるか?」
形の良い眉根を寄せて『う〜ん』と考えながら、華乃は先程の惨劇に思いを馳せる。
「今朝はお母ちゃんが早上がりやって言ってたから、私がお母ちゃんをお店まで迎えに行って、市場に寄ってから一緒に朝ご飯を作ろうって話やったんや…」
母親との最後の別離を思い返したのか、華乃は一瞬言葉を詰まらせた。
「華乃、思い出すのが辛ければ、話は後でも良いんだぞ」
優しい気遣いを見せる童士に、華乃はニッコリと笑って返す。
「ううん…童士さんええねんよ。
時間を置いたら大切なことを忘れてしまうかも知れへんもん、お母ちゃんを殺したヤツを追い込むためやから、このまま続けさせて」
強い目線を保ったまま話そうとする芯の強い華乃の姿に、童士と彩藍は真顔で頷き、先を続けるよう促した。
「買い物も終わって家に帰ろうとしたら、後ろから変な音がするのにアタシが気付いたんよ」
「変な音とはどんな音だったんだ?」
合いの手を入れる童士を見つめながら、華乃は記憶の中を覗き込むように両瞳をとじた。
「なんやろ…ズルズルみたいなビチャビチャみたいな、濡れた重い塊を引き摺ったり叩きつけるみたいな音やったわ」
「変な音はゆっくりと近付いてくるし、アタシもお母ちゃんもビビってしもて…小走りに家まで帰ることにしたん。でも、急に魚の腐ったみたいな物凄い臭いがしてきたと思ったら、アタシとお母ちゃんの前に黒い影が二つ飛び出して来たんや」
「影が飛び出した?
どんな風にして出て来た?
大きさとか特徴は覚えているか?」
童士の問い掛けに、再び考えていた華乃は途切れ途切れに当時の状況を語る。
「うん…さっきまで何もなかった所に、地面の下から急に湧き出して来たみたいやったわ。
暗いし身体も殆ど真っ黒に見えたけど、濡れてるみたいにあちこちがギラギラ光ってた。
形は猫背の人間みたいで、身長は5尺ぐらいやったと思う。
それで首がないみたいに、胴体と頭が繋がってる感じやねん。
そいつ等の足音がズルズルでビチャビチャやったから、アタシとお母ちゃんに付いて来たのと同じヤツやって思った」
「そいつ等が、泉美さんを襲った時のことは覚えているか?」
童士がさらに問うと、華乃は頷いて答える。
「うん、近付いて来た一人が…右手を上げてアタシを殴ろうとしたみたいやったから、お母ちゃん…がアタ…シを突き飛ば…したん…よ。
その…後は、お母…ちゃん…がバッタリ倒れ…て、ア…タシに…『逃げてっ!』って…叫ん…だん」
母親の最期を思い出したのであろう、華乃は小さな身体を震わせつつ、涙を零しながら童士と彩藍に告げた。
「すまない華乃、思い出すのも辛かったろう。
もう夜も明けたが…しばらく休むんだ」
流れる涙を袖口で拭いながら、華乃は力なく頷いた。
「それと!
突き飛ばされたアタシが立ち上がろうとした時に、少し離れた場所に普通の形の人が立ってたのが見えた。
暗くて判らんかったけど、何となくアタシとお母ちゃんの方をジッと見てたような気がするねん。
もしかしたら、警察に通報した人かも知れへんねんけど…」
華乃が思い出した最後の言葉を聞いて、童士と彩藍は互いの顔を見合わせた。