第62話 それぞれの今日とそれぞれの明日

文字数 3,700文字

 梅雨入り前の蒸し暑い日差しが、午前中だと云うのに照りつける中、童士と彩藍そして華乃の三人は、かねてより再訪を約束していた幸泉寺へと歩みを進める。

 旧き神々(エルダーゴッズ)の眷族が引き起こした事件の解決からは、十余日が過ぎていた。
 童士と彩藍が最終決戦で受けた傷はかなりの重篤なもので、銀機ハルと任部勘七への報告が完了した直後、鈴機直義の操る機甲馬車の中で昏倒してしまい…そのまま兵庫県立神戸病院へと担ぎ込まれたのだ。
 童士と彩藍が退院したのはつい昨日で、退院後すぐに幸泉寺へと向かう算段となった。

「華乃、音羽家での暮らしぶりはどうなんだ?
何か困っていることはないか?」

 華乃の隣を歩く童士が、心配そうな声で華乃に尋ねる。
 大揉めに揉めた音羽紅緒と華乃ではあったが、童士と彩藍が緊急入院する羽目に陥ったために…そして童士からの懇願もあったので、華乃が十六歳になるまでは音羽家で暮らすこととなったのである。

「心配せんでも大丈夫やで童士さん、音羽の家は多吉伯父さんも、紅緒伯母さんも、従姉妹の初穂姉さんも…みんなみんな優しくしてくれてるから。
ただ………」

 言い淀んだ華乃に、童士は不安そうな声で尋ねる。

「ただ……何かあるのか?」

 俯いた華乃が、深刻そうな顔で童士を見上げる。

「童士さん、聞いてぇなぁ。
紅緒伯母さんも初穂姉さんも、アタシのことを着せ替え人形かなんかやと間違えてるんちゃうかな?
毎日あちこちから洋服だの着物だのを持って来ては『あれ着て、これ着て』云うて大変なんやから。
今日もお母ちゃんの納骨に行くって話したら、こんなヒラヒラのお洋服を着せられたんよ。
こんな服着て外を歩くん初めてやから、何や恥ずかしいわぁ」

 確かに華乃は濃紺の(ヘンプ)素材で作られた、ひと繋ぎの衣服(ワンピース)を着用している。
 少し顔を赤らめながら、童士の方をチラリと見るのは…童士からの感想を聞きたいとの考えなのだろう。

「いつもの和装で割烹着姿の華乃も好いが、洋装の華乃も素晴らしく可愛いな。
どこぞのお嬢様なのかと思ったな、見違えたぞ」

 何の衒いもなく明け透けに華乃を褒める童士に、問いかけた華乃の方が盛大に照れてしまい…真っ赤な顔を俯かせる。

「…ぁ、ありがとぅ………」

 童士の方と云えば、正直な感想を述べただけのようで…華乃が顔を赤らめている理由に思い至らないようだ。
 そんな二人を後ろから眺めて彩藍は、やれやれと云った表情で首を振っている。

「あぁっ!
それとな、紅緒伯母さんも、初穂姉さんも…アタシに学校へ行け行け言うて煩いねん。
アタシは尋常小学校も卒業してあるし、勉強かってそないに好きやないんですって説明しても聞いてくれへんの。
もう奉公先も決まっとるような身の上やから、今から学校なんて行けません。
とか何とか言うたら、何とか諦めてくれたみたいやけど」

 暮らし向きの違い過ぎる環境の変化に、華乃も戸惑いながらも何とか調整(アジャスト)しているのだろう。
 しかしながら、母親である泉美の死後…天涯孤独となってしまう筈だった華乃を、血縁の身内に愛情を以って養育されている逸話(エピソード)を聞いて、童士は安心し心の奥底がじんわりと温まる思いだった。

「奉公先と云えば『あさヰ』の仮店舗はどうだ?
もう営業は再開したんだろう?」

 惣菜店『あさヰ』は、旧店舗の跡地に建築中の新店舗が完成する迄の間、近場にある飲食店の店舗を居抜きで借り上げ仮設店舗として営業を始めていたのだ。
 深き者ども(ディープワンズ)の襲撃により発生した火災で焼け出された、浅井清兵衛と美加の夫婦であったが…負傷の程度も軽かったために、火災の翌週には営業を再開していた。

「うん!
『あさヰ』の小父さんも小母さんも元気に働いてるし、アタシも手伝いに入ってるんよ。
送り迎えは多吉伯父さんがしてくれとるし、常連さんも顔を見せてくれとるし、全くの問題無しやわ」

 生き生きと話す華乃の姿を見て、やはりこの娘には高等な教育よりも、市井で活計を立てる生活が似合っているのだろうと得心する童士だった。
 (そぞ)ろ歩きに雑談を交え、道行きを楽しんでいた三人の前に、幸泉寺の門扉が見えて来た。
 門扉の前では竹箒を手に、住職の五島学仁が作務衣姿でせっせと清掃に励んでいた。

「お住さ〜ん、ご無沙汰してます〜」

 少し離れた場所から華乃が声を掛け手を振ると、五島学仁は顔をこちらに向けて相好を崩す。

「おぉ…華乃ちゃんやないか、それに不破君と灰谷君も一緒か。
華乃ちゃんがお袋さんのご遺骨を抱えてる云うことは、懸案事項については片が付いたと見てエエんかな?」

 穏やかな顔付きのままだが、目線だけは強く光らせた五島学仁は…華乃の背後に控える童士と彩藍に問うた。

「あぁ、俺達は片を付けたと思っている。
しかしそう思うことと、結果についてはまた別の話だからな。
結果の確認をしに、アンタの許を訪れた次第だ」

 童士の応えに頭をツルリと撫でた五島学仁は、穏やかな声で三人を招き入れる。

「まぁ立ち話も何やからな、取り敢えず中へ入って本堂へお回り。
ワシも直ぐに本堂へ行くよってな」

 片手に箒を持ったまま、母屋に入って行った五島学仁を見送り、過日と同じく三人は本堂へと向かう。

「済まん済まん、待たせてしまったなぁ。
おっつけ妻もこちらに来るやろから、まぁ寛いで待っときや」

 身なりを整え白衣(はくえ)の上から夏用の道服を纏った五島学仁に、三人は背筋がピシリと伸びたような心地がした。

「失礼いたします」

 カラリと軽い音を立てて襖が開くと、そこには人数分の麦茶を乗せた盆を横に置いた五島静江の姿があった。

「奥様、ご無沙汰しております」

 座したまま手をつき、五島静江に深く頭を下げる華乃。
 そんな華乃を見て、優しく微笑む五島静江。

「あらあら華乃ちゃん、お顔を上げてね。
今日はまた、可愛らしいおべべを着ているわねぇ。
貴女、紅緒ちゃんの姪御さんだったって聞いたわよ。
その服は、紅緒ちゃんの誂えね?
良く似合ってるわ」

 いつも通りの調子で、五島学仁の築いた威厳の砦を破壊しながら現れる五島静江。
 やれやれと頭を撫でる五島学仁へ最後の麦茶を配り終えると、定位置である五島学仁の隣にスッと腰掛けた。

「さて…華乃ちゃん、お袋さんの、漆原泉美さんのご遺骨をこちらへお貸し戴けるかな?」

 もう一度、真剣な空気を作り直した五島学仁に、華乃は納骨風呂敷に包まれたままの遺骨を手渡す。
 遺骨の収められた納骨風呂敷を両手で掲げ、自身の眼の前まで持って来た五島学仁は瞑目し、仏に祈りを捧げているような様子だ。
 ふぅ、と一息吐いた五島学仁は、華乃に向き直り笑顔で告げた。

「華乃ちゃん、良かったなぁ…お袋さんは無事に成仏なされたようや。
それも大往生した仏さんよりも、綺麗さっぱりとや。
後学のために聞きたいんやが、あそこまで囚われておった魂を成仏させるとは…アンタら何をやらかしたんや?」

 母親の魂が救済されたことを聞き、華乃の緊張していた顔も安堵の表情へと転じた。
 そして華乃は五島学仁へ、地底洞窟で起こった一連の流れを説明する。

 母を殺して心臓を奪ったハイドラを、彩藍が瀕死にまで追い込んだこと。
 巨大な岩石の落石に巻き込まれそうになった華乃を、ハイドラから肉体の主導権を奪った母が救ったこと。
 華乃の身代わりとなって落石に押し潰された母と、今際の際まで会話が出来たこと。

「ふむ…魂っちゅうのがどこに宿るか、答えは宗教家にも科学者にも判らん、仏や神さん本体の領域の話になるんやろ。
せやけど、退魔の刀にて傷を負わされた妖魅から、自我を取り戻して愛娘を救うとは…母の愛情は強いんやの。
そして、この世に一人で残される娘を想う気持ちも…安心して託すべき相手を知って、完全に成仏されることが叶ったんやろうな」

 そして五島学仁は華乃から童士に向き直り、重々しく宣告する。

「不破君…アンタの責任は重大やぞ。
努努(ゆめゆめ)と忘れんよう、心して華乃ちゃんを大事にせなアカンな」

 童士は真剣な表情で、深く頭を下げて自身の決意の強さを五島学仁に伝える。

「うん、眼を見たら判るんやけどな…こればっかりは言霊で言質を取りたかったんや。
申し訳ないな、これも今日の法要に必要な段取りやと思うて許してか」

 童士に頭を下げて詫びる五島学仁に、童士は慌てて気にしていない旨を伝える。

「それではこれより、故・漆原泉美さんの法要の儀を始めたいと思うが…宜しいかの?」

 はい、と返答する華乃に、頷く童士と彩藍。

 静謐な本堂の空間に、五島学仁住職の読経の声だけが響いている。
 その低く重い声を聞きながら、童士は己が決意を漆原泉美に誓う。

『泉美さん、最後にも云ったが…華乃のことは俺が生きている限りは守り続けよう。
そしてあなたの仇でもある、旧き神々(エルダーゴッズ)這い寄る混沌(ナイアルラトホテップ)共は…俺と彩藍の手が、得物が届く限り屠り続けてやるよ。
今日の誓いが明日には破られる稼業だからな…あまり期待され過ぎても困るんだが、俺達に大きな期待を寄せ過ぎたら駄目だって…あなたも知ってるだろう?』

 誓いとも云えぬ、適当にも程がある祈りの言葉だが…童士の耳には漆原泉美が、クスリと笑った声が聞こえたような気がした。


【不破と灰谷】
   第一部 完
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