第4話 不破と灰谷はクダを巻き策を練る
文字数 2,591文字
「いやいや童士君、そないにキレんでも良いんやない?」
大輪田芸能興行社にほど近い、労働者達が終業後に杯を交わすような焼き鳥店『八栄亭』の店内。
彩藍は本日の根回しのお陰ですっかり臍を曲げてしまった童士の、空き続けるグラスに麦酒 を注ぐ役割に徹していた。
「今回の件は完全に彩藍、お前に嵌められた感が満載だぜ。
任部の旦那とハル婆さんじゃあ、苦労の度合いが違い過ぎたんじゃないのか?」
「それは…ねぇ、僕もハルさんに借り物さえなかったら、いつものようにお馴染みさんの方へ回っとったんやけどねぇ。
まぁ僕も任部の旦那とは久しぶりやったし、童士君もハルさんと顔繋ぎはしとかなアカンやん?」
焼き鳥の串を咥えつつ、童士はグラスをカウンターの天板に強く置きながら言った。
「任部の旦那には調査報告があったから、面会の約束 も取れるしついでの用件も聞き易いだろうが。
俺なんて約束取りの段階から婆さんの手下に疑われるわ、向こうに着いたら失礼な対応はされるわ…腹立たしいにも程があるぜ」
「そうそう、童士君に非礼を働いたハルさんの部下の子やけど…声帯を強制的に機甲化されて、暫くの間機能停止させられとるらしいやん。
童士君の怒りを、ハルさんも理解してくれとったってことやね」
彩藍は早くも空になったグラスに、飲み頃に冷えた麦酒を注いだ。
「誰もそんなことは望んでない、ソイツが無駄に俺を逆怨みするようじゃ…全く以って俺に利は無いんだよ」
「でもねぇ、童士君の素直さはハルさんも気に入っとるみたいやから、今回の件もすんなりとハルさんの許可が得られたんやと思うよ」
童士を持ち上げながらも、彩藍は追加の串焼きと麦酒を如才なく注文する。
「あの恐ろしい婆さんが、俺を気に入ってるんじゃないだろ?
お前が銭にだらしなさ過ぎるから、婆さんに警戒されてるだけだろうが」
図星を突っ込まれて『ウッ』と引いた彩藍だが、まぁまぁと追加の麦酒を童士に注いだ。
「借金は男の甲斐性とも言うやん、ちょっぴり度が過ぎて、ハルさんトコの敷居がほ〜んの少しだけ高くなっとるだけやから。
ちゃあんと返せる形を整えたら、僕もハルさんの信用も取り返せるってね」
疑わし気な目で彩藍を見ながら、童士は問うてみた。
「ところで彩藍…お前は婆さんから幾ら摘んでるんだ?」
「………」
童士に耳打ちをしてニッコリ笑った彩藍の顔を見て、童士は両眼を見開き真顔になった。
「それは……敷居も高くなるよな……俺は聞かなかったことにするから……取り敢えず頑張って返せよ。
因みにお前が借金を抱えて逃げたら、俺は婆さんにお前の全情報を売り飛ばすからな……恨むなよ」
「いやいや童士君、そこは『俺も一緒に返してやるよ』とか『俺が借金を肩替わりしてやるよ』とか漢 を見せつける絶好の場面やんか」
雨に打たれた捨て犬のような哀しい表情で、彩藍は童士を見つめた。
「なんで俺がお前に漢を見せつけなきゃならないんだよ?
酔いが醒めるような金額の借金を作ってるヤツが、寝言を言ってるんじゃねぇぞ」
「今夜も僕の奢りで飲み食いしとるやん?
一宿はないけど、一飯の恩義は感じないとアカン場面とちゃうん?」
「違うだろっ!今夜の安酒はお前が俺に婆さんを押し付けた詫びの席だろうがっ!
彩藍…俺はお前の思考回路が本気で怖くなってきたぞ」
「チッ」
彩藍の舌打ちに童士は『コイツ半分以上マジで言ってるんじゃないだろうな』と、背筋も凍るような思いで隣に座る相棒を見つめた。
「ところで彩藍、今回の件で何か情報は得られたのか?」
自分で始めた彩藍の借金話を何とか逸らせようとして、童士は彩藍に情報の整理を振ってみた。
「うーん…三業組合も関与しとらんのはほぼ確定やし、多吉さん絡みの警察部情報でも犯人の目星は付いてなさそうやもんなぁ。
劇場も公演中の一座は僕らの顔馴染みばっかりで怪しい新入りはおらん、ほんでから人の血に狂った妖怪の匂いも感じられへんやん」
ほんの数年前まで被差別遺棄民として生きてきた妖人族にとって、定住する必要のない旅役者の一座と言う職種は、平穏無事に暮らすための隠れ蓑としては打って付けだったのだ。
興行会社を経営している純血種の鬼である童士と半人半妖の彩藍は、職業的にも血統的にも旅芸人や定住していない妖人族の動向を知り得る存在であり、関西における妖人族の世話役のような立ち位置であった。
ごく稀に発生する『人の血に狂う妖怪』とは人の世の連続殺人鬼 と同種の存在で、妖人族の統治機関でもある百鬼夜行に粛清処分されるべき犯罪者とも云うべき者達なのだ。
「ハル婆さんの表と裏の商店街も、今のところは限定的にシロだな。
闇取引で人の血肉を扱ってる商人が居たとしても、これからは婆さんの包囲網から逃れられる訳がないだろうし」
「それじゃあ今の新開地には、任部の旦那にも警察部にもハルさんにも妖人にも知られてない、第五の勢力が存在しとるってことなんやろか?
あらゆる組織の網を潜り抜ける連続殺人鬼…そんなモン存在出来へんと思うけどなぁ」
「そういや連続殺人鬼ってのは、鬼に対して失礼な呼び名だよな。
鬼の戦闘狂な部分は否定しないが、俺達は殺しが大好きって訳じゃないんだが…」
余りににのんびりとした童士の憤慨に、さすがの彩藍も困惑しながら返す。
「童士君、慣用句 に天然な感じで突っ込まれても…そこはなかなか変えらへんでしょ」
それもそうだが…と些か納得のいかない童士は、話の流れを元の方向へと修正する。
「殺人…鬼の裏に居るのは、各組織の頂点に立つ者か頂点に近しい者が、組織を裏切って何らかの利益を享受しているか…だな」
「申し訳ないんやけど、次に殺される人間が出る機会 を誰よりも早く確保して、そこから実行犯を手繰り寄せて行かなアカンのやろなぁ」
「それが最速手だろうな、俺達は昼夜問わずで即時対応が可能な態勢を整えなければならなくなるんだが…」
「明日からやけどね」
「明日からだけどな」
今夜は酒精 も入ってるし、面倒な仕事は次の日で良いよな。
そんなお気楽な二人が発した言葉は、お互いに同調することによって更なる安心感を童士と彩藍にもたらした。
そう不破と灰谷、二人が同時に放った自堕落極まりないその場凌ぎの言葉により…今夜の犠牲者は確実に死に絶えることが確定してしまったのである。
呑気な二人は今宵の酒を、さらに深く濃く楽しむことに傾倒し始めた。
大輪田芸能興行社にほど近い、労働者達が終業後に杯を交わすような焼き鳥店『八栄亭』の店内。
彩藍は本日の根回しのお陰ですっかり臍を曲げてしまった童士の、空き続けるグラスに
「今回の件は完全に彩藍、お前に嵌められた感が満載だぜ。
任部の旦那とハル婆さんじゃあ、苦労の度合いが違い過ぎたんじゃないのか?」
「それは…ねぇ、僕もハルさんに借り物さえなかったら、いつものようにお馴染みさんの方へ回っとったんやけどねぇ。
まぁ僕も任部の旦那とは久しぶりやったし、童士君もハルさんと顔繋ぎはしとかなアカンやん?」
焼き鳥の串を咥えつつ、童士はグラスをカウンターの天板に強く置きながら言った。
「任部の旦那には調査報告があったから、面会の
俺なんて約束取りの段階から婆さんの手下に疑われるわ、向こうに着いたら失礼な対応はされるわ…腹立たしいにも程があるぜ」
「そうそう、童士君に非礼を働いたハルさんの部下の子やけど…声帯を強制的に機甲化されて、暫くの間機能停止させられとるらしいやん。
童士君の怒りを、ハルさんも理解してくれとったってことやね」
彩藍は早くも空になったグラスに、飲み頃に冷えた麦酒を注いだ。
「誰もそんなことは望んでない、ソイツが無駄に俺を逆怨みするようじゃ…全く以って俺に利は無いんだよ」
「でもねぇ、童士君の素直さはハルさんも気に入っとるみたいやから、今回の件もすんなりとハルさんの許可が得られたんやと思うよ」
童士を持ち上げながらも、彩藍は追加の串焼きと麦酒を如才なく注文する。
「あの恐ろしい婆さんが、俺を気に入ってるんじゃないだろ?
お前が銭にだらしなさ過ぎるから、婆さんに警戒されてるだけだろうが」
図星を突っ込まれて『ウッ』と引いた彩藍だが、まぁまぁと追加の麦酒を童士に注いだ。
「借金は男の甲斐性とも言うやん、ちょっぴり度が過ぎて、ハルさんトコの敷居がほ〜んの少しだけ高くなっとるだけやから。
ちゃあんと返せる形を整えたら、僕もハルさんの信用も取り返せるってね」
疑わし気な目で彩藍を見ながら、童士は問うてみた。
「ところで彩藍…お前は婆さんから幾ら摘んでるんだ?」
「………」
童士に耳打ちをしてニッコリ笑った彩藍の顔を見て、童士は両眼を見開き真顔になった。
「それは……敷居も高くなるよな……俺は聞かなかったことにするから……取り敢えず頑張って返せよ。
因みにお前が借金を抱えて逃げたら、俺は婆さんにお前の全情報を売り飛ばすからな……恨むなよ」
「いやいや童士君、そこは『俺も一緒に返してやるよ』とか『俺が借金を肩替わりしてやるよ』とか
雨に打たれた捨て犬のような哀しい表情で、彩藍は童士を見つめた。
「なんで俺がお前に漢を見せつけなきゃならないんだよ?
酔いが醒めるような金額の借金を作ってるヤツが、寝言を言ってるんじゃねぇぞ」
「今夜も僕の奢りで飲み食いしとるやん?
一宿はないけど、一飯の恩義は感じないとアカン場面とちゃうん?」
「違うだろっ!今夜の安酒はお前が俺に婆さんを押し付けた詫びの席だろうがっ!
彩藍…俺はお前の思考回路が本気で怖くなってきたぞ」
「チッ」
彩藍の舌打ちに童士は『コイツ半分以上マジで言ってるんじゃないだろうな』と、背筋も凍るような思いで隣に座る相棒を見つめた。
「ところで彩藍、今回の件で何か情報は得られたのか?」
自分で始めた彩藍の借金話を何とか逸らせようとして、童士は彩藍に情報の整理を振ってみた。
「うーん…三業組合も関与しとらんのはほぼ確定やし、多吉さん絡みの警察部情報でも犯人の目星は付いてなさそうやもんなぁ。
劇場も公演中の一座は僕らの顔馴染みばっかりで怪しい新入りはおらん、ほんでから人の血に狂った妖怪の匂いも感じられへんやん」
ほんの数年前まで被差別遺棄民として生きてきた妖人族にとって、定住する必要のない旅役者の一座と言う職種は、平穏無事に暮らすための隠れ蓑としては打って付けだったのだ。
興行会社を経営している純血種の鬼である童士と半人半妖の彩藍は、職業的にも血統的にも旅芸人や定住していない妖人族の動向を知り得る存在であり、関西における妖人族の世話役のような立ち位置であった。
ごく稀に発生する『人の血に狂う妖怪』とは人の世の
「ハル婆さんの表と裏の商店街も、今のところは限定的にシロだな。
闇取引で人の血肉を扱ってる商人が居たとしても、これからは婆さんの包囲網から逃れられる訳がないだろうし」
「それじゃあ今の新開地には、任部の旦那にも警察部にもハルさんにも妖人にも知られてない、第五の勢力が存在しとるってことなんやろか?
あらゆる組織の網を潜り抜ける連続殺人鬼…そんなモン存在出来へんと思うけどなぁ」
「そういや連続殺人鬼ってのは、鬼に対して失礼な呼び名だよな。
鬼の戦闘狂な部分は否定しないが、俺達は殺しが大好きって訳じゃないんだが…」
余りににのんびりとした童士の憤慨に、さすがの彩藍も困惑しながら返す。
「童士君、
それもそうだが…と些か納得のいかない童士は、話の流れを元の方向へと修正する。
「殺人…鬼の裏に居るのは、各組織の頂点に立つ者か頂点に近しい者が、組織を裏切って何らかの利益を享受しているか…だな」
「申し訳ないんやけど、次に殺される人間が出る
「それが最速手だろうな、俺達は昼夜問わずで即時対応が可能な態勢を整えなければならなくなるんだが…」
「明日からやけどね」
「明日からだけどな」
今夜は
そんなお気楽な二人が発した言葉は、お互いに同調することによって更なる安心感を童士と彩藍にもたらした。
そう不破と灰谷、二人が同時に放った自堕落極まりないその場凌ぎの言葉により…今夜の犠牲者は確実に死に絶えることが確定してしまったのである。
呑気な二人は今宵の酒を、さらに深く濃く楽しむことに傾倒し始めた。