第15話
文字数 3,718文字
「マリ、私たちって槇原さんと仲いいのかしらね?」
ゆりちゃんは委員長の消えた方向を見ている。私にはわからない。私は槇原さんに”友達になって”と言われて承諾したけど、どうなんだろう?
槇原さんの好きなものも嫌いなものも何も知らない。
友達ってなんなんだろう?
「わかんないよ。でも、忠告できるのは私たちしかいないね。」
「そうね。本当に。」
ゆりちゃんは普段とても丁寧な喋り方をする。それはお母さんから習ったと言っていた。こうしないと怒るのだと、でもそれは私や家族にだけで、たいていはわざと乱暴に思われる喋り方をするのだ。そのくせ自分が嫌われるのは口が悪いからだというのだ。でも、今日は乱暴な喋り方をしなかった。
教室に戻っても槇原さんはいなかった。放課後だから帰ったんだと思うけど、それが今日は悲しい。
その日はバイトのゆりちゃんは先に帰り、私は文芸部の部室に行ったのだ。もしかしたら、藤田がまた寝ているんじゃないかって思ったから。
「やっぱりそんなにうまくはいかない。」
だれもいない部室。次の企画を考える気にもなれないし、来たばっかりだけど帰ろうかな。また鍵返しに行くの気まずいな。
私は鍵をかけて、廊下を歩く。もうすぐ文化祭だからなのか、合唱部が練習しているのが
聞こえる。まだ、校内に人っていっぱいいるんだ。
一階まで降りて、渡り廊下に足を一歩踏み出すと少しひやりとした空気に包まれる。もう、ブレザーだけじゃ寒いのかもしれない。
まだ咲いているけど、花ももう終わりなのかな?そう思って、渡り廊下から花壇をのぞいたのだった。
「槇原さん?」
「まりちゃん?」
槇原さんは花壇のそばに座っていた。何か持ってる?槇原さんは板のようなものを抱えていた。槇原さんが驚いた顔でこちらをみている。何か喋らないと!
「それなに?」
「ああ、これ?これは絵をかいてるんだよ。」
私の唐突な質問にも気を悪くした様子はなく、槇原さんは絵を見せてくれた。その板には四隅にテープで画用紙が貼ってある。その画用紙には
「なんの、絵?」
判別しがたい黒い何かが書いてあった。槇原さんは絵を手でパッと隠す。そしてごまかすように笑う。
「変なもの見せちゃったね。ごめん。」
「違うの!私、美術よくわかんなくて!何かいてるのかなって!」
槇原さんは私の勢いに気圧されたようで、
「わかった。ありがとう。これはね、コレを描いてたの。」
槇原さんの細い指が花壇の花の根元を指さした。
「死んだ蜘蛛?」
私にはよくわからないけど、題材に死んだ蜘蛛を選ぶってふつうなんだろうか?でも、変に追求したくないしなあ。
「そう。結構昆虫って難しくて参考になるんだよ。私、美術部でね、もうすぐ文化祭の提出期限なんだけどなかなかいい題材が見つからなくって。何か探しに来たらコレがあったんだ。」
槇原さんはかたくなに蜘蛛をコレと言った。別に深い意味はないのかもだけれど。そういわれてみると、よく似ている。上に突き出してるのは脚なのか、なるほど。
「そう思うと、似てるね。槇原さんは絵がうまいんだね。」
「本当にそう思う?」
疑われた。でも本心だし、ひっこめるわけにはいかないし。
「思うよ。槇原さんは絵がじょうず。」
槇原さんは嬉しそうに笑う。その顔を見て思い出す。委員長の伝言。どうしよう。ゆりちゃんいないけど私が言ってもいいんだろうか?でも伝言は早いほうがいいよね。しかし、話題が話題だけに気まずい。思った以上に荷が重いぞ。
私が悩んでいると槇原さんが言う。
「マリちゃんって藤田君とどうやって仲良くなったの?」
思ってもいない方向からの疑問が来た。よりにもよって藤田の話題だとは。槇原さんってやっぱり藤田が好きなのかな?藤田はどう思ってるんだろう?聞けないけど。
「え、っと。諸口先生から藤田が逃げてるのを匿ったんだ。」
「そうなんだ。」
「うん、びっくりした。いきなり部室に滑り込んで来たんだよ。でね、」
槇原さんはうんうんと頷いて聞いている。そうやってアイスを食べに行った話をしようとした時だった。いきなり目の前にボールが飛んできたのだ。花壇の土が飛び散りしゃがんでいた私たちにもろに降りかかり、視界がぼやける。痛い……目に入った。
「あ、槇原。ごめんな。怪我しなかったか?」
だれかが槇原さんに話しかける声がする。槇原さんが”大丈夫”と答えている。私は大丈夫じゃないけど、今はそれどころじゃない。痛くて目が閉じられない、でも開けているとこれはこれで痛いし、異物感もすごくて思わず目を閉じてしまう。そうやって目を開けたり閉じたりしているとだんだん楽になってきた。
「槇原さん、ちょっと目を洗いに行ってくるね。」
まだ何かを喋っている二人に言って私は昇降口の冷水器に向かう。(水場はここが一番近いのだ。)冷水器で目を洗ってもどると、さすがに槇原さん一人になっている。花壇はぐちゃぐちゃになっている。
「ただいま。」
「おかえり、まりちゃん。」
「花壇、ぐちゃぐちゃになっちゃったね。」
「うん。まりちゃんは大丈夫だった?」
「うん、水で洗ったから……」
そこまで言って花壇の土を埋め戻す。元のようには行かないけど、さすがにこのままにもできないし。花を何とか土に埋め戻していると槇原さんも腕まくりをして隣の花壇から土を少し持ってきてくれた。
「飛び散っちゃったのは仕方ないけど、このくらいなら」
そんな事を言いながら私が埋めた花に土をかけていた。
「あ、」
槇原さんが声を上げる。どうしたのかと思って手元を見ると
「あ、蜘蛛。」
槇原さんが描いていた蜘蛛の死骸だ。その蜘蛛は体の半分はちぎれていて、脚はかろうじて二本ねじくれながらもなんとかついている。さっきまでは死んでいるけどこんなに傷んではなかったのになんとも無残な姿になっている。
私は蜘蛛がかわいそうでそっと上から土をかける。その部分だけすこし盛り上がってお墓みたいだ。私たちはできることはやったと思う。元のようにはいかないけど、きっとこれが限界。
「こんなものかな。」
槇原さんが手を払って言った。今まで気が付かなかったけれど、今日は長い髪を一つに束ねている、絵をかくときはいつもそうなんだろうか?
「うん。きっといいと思う。槇原さんあのね、」
これが終わったら帰ってしまうから言わなくちゃいけない。委員長の伝言のこと。
「できないお願いならすみません、でもどうせならきちんと振られたいです。って……委員長が……」
槇原さんの顔が夕日に照らされる。
「……いや。いかない。」
行ってあげて欲しいだなんて私、槇原さんに言えた義理じゃないんだけど、
私は何も言えなくて下を向く。委員長にも鶴乃さんにも申し訳ないような気がする。私が黙ってそんな事を考えてると、ふいに槇原さんが言った。
「……やってもいいい。」
槇原さんはいきなり私の手を取った。細いきれいな手、私は槇原さんの顔を見る。
「私のことみゆうって呼ばないんだもの。まりちゃんが私のこと、名前で呼ぶんなら行ってあげる。」
「理解できないよ。なんで呼び名が関係あるの?」
「私、まりちゃんと友達になりたいの。この間、”みゆ”って呼んでって言ったのにちっとも呼んでくれないんだもの。私のことをこれからそう呼んでくれるんなら、私は委員長をフッてあげてもいいよ。」
掴まれている手が熱い。槇原さんは友達いっぱいいるのに……。
「っまきはらさ……ん」
私は意識せずにその言葉を発していた。槇原さんは畳みかけるように言葉を発する。
「泣いてる私を保健室まで連れてってくれて嬉しかったの。本当に」
でも、それは殴り返したゆりちゃんとか、手当した藤田とか……。
「わたしはっ、何もしてない……」
腕を少し動かすと、槇原さんの手がさらに強く掴まれる。ぞっとして私は腕を振り払ってしまう。
「ごめんね!私、かえる!」
私はそのままの勢いで走って逃げてしまった。怖かった。この間藤田に詰められた時も怖かったけど、あれはあの時だけで……すぐに怖くなくなって……。
でも今日はずっと怖い。
腕を振り払われた槇原さんの顔がどんな表情だったのか見てなくて。
次の日もその次の日も槇原さんの顔を見ることはできなかった。
委員長を見かけたのは、あれから一週間後の放課後だった。昇降口にいた委員長は私に気が付くと気まずそうにいなくなった。
立っていた地点、そこは
「槇原さんの、下駄箱……」
下駄箱には何も入ってない。この言い方からするにまだ返事は来てないんだろう。あれから槇原さんとは普通に接しているけど、多分、私のせいで返事はもらえてない。
なにしてたんだろ?
”本人に聞いてみないとわからない”
藤田が言っていた。委員長にも聞かないとわからないのかな。
ゆりちゃんは委員長の消えた方向を見ている。私にはわからない。私は槇原さんに”友達になって”と言われて承諾したけど、どうなんだろう?
槇原さんの好きなものも嫌いなものも何も知らない。
友達ってなんなんだろう?
「わかんないよ。でも、忠告できるのは私たちしかいないね。」
「そうね。本当に。」
ゆりちゃんは普段とても丁寧な喋り方をする。それはお母さんから習ったと言っていた。こうしないと怒るのだと、でもそれは私や家族にだけで、たいていはわざと乱暴に思われる喋り方をするのだ。そのくせ自分が嫌われるのは口が悪いからだというのだ。でも、今日は乱暴な喋り方をしなかった。
教室に戻っても槇原さんはいなかった。放課後だから帰ったんだと思うけど、それが今日は悲しい。
その日はバイトのゆりちゃんは先に帰り、私は文芸部の部室に行ったのだ。もしかしたら、藤田がまた寝ているんじゃないかって思ったから。
「やっぱりそんなにうまくはいかない。」
だれもいない部室。次の企画を考える気にもなれないし、来たばっかりだけど帰ろうかな。また鍵返しに行くの気まずいな。
私は鍵をかけて、廊下を歩く。もうすぐ文化祭だからなのか、合唱部が練習しているのが
聞こえる。まだ、校内に人っていっぱいいるんだ。
一階まで降りて、渡り廊下に足を一歩踏み出すと少しひやりとした空気に包まれる。もう、ブレザーだけじゃ寒いのかもしれない。
まだ咲いているけど、花ももう終わりなのかな?そう思って、渡り廊下から花壇をのぞいたのだった。
「槇原さん?」
「まりちゃん?」
槇原さんは花壇のそばに座っていた。何か持ってる?槇原さんは板のようなものを抱えていた。槇原さんが驚いた顔でこちらをみている。何か喋らないと!
「それなに?」
「ああ、これ?これは絵をかいてるんだよ。」
私の唐突な質問にも気を悪くした様子はなく、槇原さんは絵を見せてくれた。その板には四隅にテープで画用紙が貼ってある。その画用紙には
「なんの、絵?」
判別しがたい黒い何かが書いてあった。槇原さんは絵を手でパッと隠す。そしてごまかすように笑う。
「変なもの見せちゃったね。ごめん。」
「違うの!私、美術よくわかんなくて!何かいてるのかなって!」
槇原さんは私の勢いに気圧されたようで、
「わかった。ありがとう。これはね、コレを描いてたの。」
槇原さんの細い指が花壇の花の根元を指さした。
「死んだ蜘蛛?」
私にはよくわからないけど、題材に死んだ蜘蛛を選ぶってふつうなんだろうか?でも、変に追求したくないしなあ。
「そう。結構昆虫って難しくて参考になるんだよ。私、美術部でね、もうすぐ文化祭の提出期限なんだけどなかなかいい題材が見つからなくって。何か探しに来たらコレがあったんだ。」
槇原さんはかたくなに蜘蛛をコレと言った。別に深い意味はないのかもだけれど。そういわれてみると、よく似ている。上に突き出してるのは脚なのか、なるほど。
「そう思うと、似てるね。槇原さんは絵がうまいんだね。」
「本当にそう思う?」
疑われた。でも本心だし、ひっこめるわけにはいかないし。
「思うよ。槇原さんは絵がじょうず。」
槇原さんは嬉しそうに笑う。その顔を見て思い出す。委員長の伝言。どうしよう。ゆりちゃんいないけど私が言ってもいいんだろうか?でも伝言は早いほうがいいよね。しかし、話題が話題だけに気まずい。思った以上に荷が重いぞ。
私が悩んでいると槇原さんが言う。
「マリちゃんって藤田君とどうやって仲良くなったの?」
思ってもいない方向からの疑問が来た。よりにもよって藤田の話題だとは。槇原さんってやっぱり藤田が好きなのかな?藤田はどう思ってるんだろう?聞けないけど。
「え、っと。諸口先生から藤田が逃げてるのを匿ったんだ。」
「そうなんだ。」
「うん、びっくりした。いきなり部室に滑り込んで来たんだよ。でね、」
槇原さんはうんうんと頷いて聞いている。そうやってアイスを食べに行った話をしようとした時だった。いきなり目の前にボールが飛んできたのだ。花壇の土が飛び散りしゃがんでいた私たちにもろに降りかかり、視界がぼやける。痛い……目に入った。
「あ、槇原。ごめんな。怪我しなかったか?」
だれかが槇原さんに話しかける声がする。槇原さんが”大丈夫”と答えている。私は大丈夫じゃないけど、今はそれどころじゃない。痛くて目が閉じられない、でも開けているとこれはこれで痛いし、異物感もすごくて思わず目を閉じてしまう。そうやって目を開けたり閉じたりしているとだんだん楽になってきた。
「槇原さん、ちょっと目を洗いに行ってくるね。」
まだ何かを喋っている二人に言って私は昇降口の冷水器に向かう。(水場はここが一番近いのだ。)冷水器で目を洗ってもどると、さすがに槇原さん一人になっている。花壇はぐちゃぐちゃになっている。
「ただいま。」
「おかえり、まりちゃん。」
「花壇、ぐちゃぐちゃになっちゃったね。」
「うん。まりちゃんは大丈夫だった?」
「うん、水で洗ったから……」
そこまで言って花壇の土を埋め戻す。元のようには行かないけど、さすがにこのままにもできないし。花を何とか土に埋め戻していると槇原さんも腕まくりをして隣の花壇から土を少し持ってきてくれた。
「飛び散っちゃったのは仕方ないけど、このくらいなら」
そんな事を言いながら私が埋めた花に土をかけていた。
「あ、」
槇原さんが声を上げる。どうしたのかと思って手元を見ると
「あ、蜘蛛。」
槇原さんが描いていた蜘蛛の死骸だ。その蜘蛛は体の半分はちぎれていて、脚はかろうじて二本ねじくれながらもなんとかついている。さっきまでは死んでいるけどこんなに傷んではなかったのになんとも無残な姿になっている。
私は蜘蛛がかわいそうでそっと上から土をかける。その部分だけすこし盛り上がってお墓みたいだ。私たちはできることはやったと思う。元のようにはいかないけど、きっとこれが限界。
「こんなものかな。」
槇原さんが手を払って言った。今まで気が付かなかったけれど、今日は長い髪を一つに束ねている、絵をかくときはいつもそうなんだろうか?
「うん。きっといいと思う。槇原さんあのね、」
これが終わったら帰ってしまうから言わなくちゃいけない。委員長の伝言のこと。
「できないお願いならすみません、でもどうせならきちんと振られたいです。って……委員長が……」
槇原さんの顔が夕日に照らされる。
「……いや。いかない。」
行ってあげて欲しいだなんて私、槇原さんに言えた義理じゃないんだけど、
私は何も言えなくて下を向く。委員長にも鶴乃さんにも申し訳ないような気がする。私が黙ってそんな事を考えてると、ふいに槇原さんが言った。
「……やってもいいい。」
槇原さんはいきなり私の手を取った。細いきれいな手、私は槇原さんの顔を見る。
「私のことみゆうって呼ばないんだもの。まりちゃんが私のこと、名前で呼ぶんなら行ってあげる。」
「理解できないよ。なんで呼び名が関係あるの?」
「私、まりちゃんと友達になりたいの。この間、”みゆ”って呼んでって言ったのにちっとも呼んでくれないんだもの。私のことをこれからそう呼んでくれるんなら、私は委員長をフッてあげてもいいよ。」
掴まれている手が熱い。槇原さんは友達いっぱいいるのに……。
「っまきはらさ……ん」
私は意識せずにその言葉を発していた。槇原さんは畳みかけるように言葉を発する。
「泣いてる私を保健室まで連れてってくれて嬉しかったの。本当に」
でも、それは殴り返したゆりちゃんとか、手当した藤田とか……。
「わたしはっ、何もしてない……」
腕を少し動かすと、槇原さんの手がさらに強く掴まれる。ぞっとして私は腕を振り払ってしまう。
「ごめんね!私、かえる!」
私はそのままの勢いで走って逃げてしまった。怖かった。この間藤田に詰められた時も怖かったけど、あれはあの時だけで……すぐに怖くなくなって……。
でも今日はずっと怖い。
腕を振り払われた槇原さんの顔がどんな表情だったのか見てなくて。
次の日もその次の日も槇原さんの顔を見ることはできなかった。
委員長を見かけたのは、あれから一週間後の放課後だった。昇降口にいた委員長は私に気が付くと気まずそうにいなくなった。
立っていた地点、そこは
「槇原さんの、下駄箱……」
下駄箱には何も入ってない。この言い方からするにまだ返事は来てないんだろう。あれから槇原さんとは普通に接しているけど、多分、私のせいで返事はもらえてない。
なにしてたんだろ?
”本人に聞いてみないとわからない”
藤田が言っていた。委員長にも聞かないとわからないのかな。