ブロートクンスト あおいとみちる
文字数 2,003文字
地理準備室のドアがノックもなしにいきなり開く。
「諸口センセ、来たよ!」
諸口は驚くこともなくドアの方向にゆっくりと向いた。こうやってやってくる奴はひとりしかいない。ほら、やっぱり。
「遅かったじゃねえか藤田。放課後、週二日は俺の手伝いだろ?」
藤田は憮然として、
「忘れてたんだよ……。ごめん。」
と言った。諸口はペナルティの意味ねぇな、と思いながらも藤田のために用意していたプリントの山を指さす。
「ほれ。今日の仕事だ。採点よろしく」
藤田はカバンを適当な台の上に乗せ、山の一部を抱えると、諸口の真向かいに座った。諸口が赤のサインペンと答えの描かれた紙を差し出す。藤田は受け取ると、答えの紙に沿って採点を始めた。サインペンのペン先が紙にこすれる音だけが狭い教室内に聞こえている。藤田はちらりと諸口の方を向く。諸口はパソコンに向かい何やら難しい顔をしている。そのうちに手が動きキーボードを打つカタカタという音が混じりだす。
「藤田はさ、」
諸口が口を開く。藤田は採点の手を止めて諸口のほうを見る。
「この間、夜に俺が補導された話?だからこうやって放課後来てるんでしょ」
「違えよ。コーヒーと紅茶、ココアどれが好きなのかなってさ。」
何言ってんだ?藤田は困惑する。また、いつも通り叱られるもんかと。
「なんで?」
「なんでってなぁ。こうやって週2でも手伝ってくれるわけだろ?好きな飲み物くらい用意してやってもいいかなって思っただけだよ。コーヒーが好きってんなら勝手に淹れて飲んでくれ。あ、俺の分もよろしく!」
藤田はちょっと面食らった顔をする。そして、立ち上がって
「コーヒー淹れてほしいんならそう言いなよ。で、ミルクと砂糖は?」
「ミルクだけ二倍で」
「おいしいの?それ……」
「とりあえず、眠気だけ醒めればいい」
「ふーん」
藤田はこだわりのなさに呆れつつもペーパードリップのコーヒーを淹れようとするが、
「カップが汚い。」
思わず口をついて出る。マグカップには茶渋、ではなくコーヒー渋がついていて、カップの外側もなにやら黒い汚れがついている。藤田はそれを指でこする。指に黒い跡がつく。
何か拭くもの、というかスポンジとか洗剤などを探すが、見当たらない。
「どうしたー?」
諸口が声をかける。
「何か、カップ洗えるような洗剤とかってないの?」
「ああ、それなら職員室にあるぞ。めんどくさいからたまにしか洗ってないんだよ」
藤田は汚いものを持つようにカップを流し台に置く。薄暗くてよくわからなかったがよく見ると流し台もかなり汚い。
「センセ、いつから掃除してないの?」
「さあ、なあ」
諸口は遠い昔を思い出すような顔をする。
「うわっ!汚い汚いきーたーなーい!」
藤田が騒ぎ出す。
「よく、病気にならないよね!こんな所に引きこもってんのに!」
「うるせえな!男のひとり暮らしってのはこんなもんなんだよ!」
諸口が言い返す。藤田は反論する。
「掃除しなよ!っていうか、カップ買い直せ!」
「嫌だ!」
諸口はパソコンから顔を上げて椅子を動かして藤田を見る。そして、気の抜けたように笑い出した。
「お前!何それ?」
諸口は藤田の頭を指さした。藤田はいぶかし気に自分の頭を触る。つるつるの綱みたいな感触。これって……みつあみ?
「え?何これ?」
「なんで知らないんだよ。」
「だって……」
そこまで言いかけて、心当たりが浮かぶ。さっきまで寝てた文芸部室、どうせひとりしか部員がいないからと思って勝手に借りていた。俺が起きた時にはいつのまにかいたヤツがいる、
……蔵本?
みつあみを解こうと網目の始まりに手をひっかける。まだ笑っている諸口が楽しそうに言う。
「似合ってる。似合ってるよ。」
藤田はそれを聞いて網目に引っ掛けていた手を外した。
「じゃあ、このままでいようかな」
諸口がぎょっとした顔をする。藤田はほほ笑んで言う。
「似合うんでしょ?せんせい」
ふ、と柔らかく笑って諸口を促す。予想外の反応に戸惑いつつ諸口は藤田を凝視する。なんていうか、もっと”うるさい”とか”似合ってない”とかムキになって言われるかと思ってた。藤田は俺の答えを待っている。
「似合う、けどそれは解きなさい。」
諸口はやっとの思いでこう言った。なんだか、すごい圧力をかけられたような……。
諸口がそういうと、藤田はあっさり解いてしまった。なんで俺、残念って思ってるんだろう。
「センセ、パソコンいいわけ?なんか急ぎの仕事じゃないの?」
目の前にはいつもの藤田。軽薄で明るい、素直な普通の男子高校生。
なんだったんだ?
釈然としないながらも、放課後の時間も仕事の納期も過ぎてゆく。
「諸口センセ、来たよ!」
諸口は驚くこともなくドアの方向にゆっくりと向いた。こうやってやってくる奴はひとりしかいない。ほら、やっぱり。
「遅かったじゃねえか藤田。放課後、週二日は俺の手伝いだろ?」
藤田は憮然として、
「忘れてたんだよ……。ごめん。」
と言った。諸口はペナルティの意味ねぇな、と思いながらも藤田のために用意していたプリントの山を指さす。
「ほれ。今日の仕事だ。採点よろしく」
藤田はカバンを適当な台の上に乗せ、山の一部を抱えると、諸口の真向かいに座った。諸口が赤のサインペンと答えの描かれた紙を差し出す。藤田は受け取ると、答えの紙に沿って採点を始めた。サインペンのペン先が紙にこすれる音だけが狭い教室内に聞こえている。藤田はちらりと諸口の方を向く。諸口はパソコンに向かい何やら難しい顔をしている。そのうちに手が動きキーボードを打つカタカタという音が混じりだす。
「藤田はさ、」
諸口が口を開く。藤田は採点の手を止めて諸口のほうを見る。
「この間、夜に俺が補導された話?だからこうやって放課後来てるんでしょ」
「違えよ。コーヒーと紅茶、ココアどれが好きなのかなってさ。」
何言ってんだ?藤田は困惑する。また、いつも通り叱られるもんかと。
「なんで?」
「なんでってなぁ。こうやって週2でも手伝ってくれるわけだろ?好きな飲み物くらい用意してやってもいいかなって思っただけだよ。コーヒーが好きってんなら勝手に淹れて飲んでくれ。あ、俺の分もよろしく!」
藤田はちょっと面食らった顔をする。そして、立ち上がって
「コーヒー淹れてほしいんならそう言いなよ。で、ミルクと砂糖は?」
「ミルクだけ二倍で」
「おいしいの?それ……」
「とりあえず、眠気だけ醒めればいい」
「ふーん」
藤田はこだわりのなさに呆れつつもペーパードリップのコーヒーを淹れようとするが、
「カップが汚い。」
思わず口をついて出る。マグカップには茶渋、ではなくコーヒー渋がついていて、カップの外側もなにやら黒い汚れがついている。藤田はそれを指でこする。指に黒い跡がつく。
何か拭くもの、というかスポンジとか洗剤などを探すが、見当たらない。
「どうしたー?」
諸口が声をかける。
「何か、カップ洗えるような洗剤とかってないの?」
「ああ、それなら職員室にあるぞ。めんどくさいからたまにしか洗ってないんだよ」
藤田は汚いものを持つようにカップを流し台に置く。薄暗くてよくわからなかったがよく見ると流し台もかなり汚い。
「センセ、いつから掃除してないの?」
「さあ、なあ」
諸口は遠い昔を思い出すような顔をする。
「うわっ!汚い汚いきーたーなーい!」
藤田が騒ぎ出す。
「よく、病気にならないよね!こんな所に引きこもってんのに!」
「うるせえな!男のひとり暮らしってのはこんなもんなんだよ!」
諸口が言い返す。藤田は反論する。
「掃除しなよ!っていうか、カップ買い直せ!」
「嫌だ!」
諸口はパソコンから顔を上げて椅子を動かして藤田を見る。そして、気の抜けたように笑い出した。
「お前!何それ?」
諸口は藤田の頭を指さした。藤田はいぶかし気に自分の頭を触る。つるつるの綱みたいな感触。これって……みつあみ?
「え?何これ?」
「なんで知らないんだよ。」
「だって……」
そこまで言いかけて、心当たりが浮かぶ。さっきまで寝てた文芸部室、どうせひとりしか部員がいないからと思って勝手に借りていた。俺が起きた時にはいつのまにかいたヤツがいる、
……蔵本?
みつあみを解こうと網目の始まりに手をひっかける。まだ笑っている諸口が楽しそうに言う。
「似合ってる。似合ってるよ。」
藤田はそれを聞いて網目に引っ掛けていた手を外した。
「じゃあ、このままでいようかな」
諸口がぎょっとした顔をする。藤田はほほ笑んで言う。
「似合うんでしょ?せんせい」
ふ、と柔らかく笑って諸口を促す。予想外の反応に戸惑いつつ諸口は藤田を凝視する。なんていうか、もっと”うるさい”とか”似合ってない”とかムキになって言われるかと思ってた。藤田は俺の答えを待っている。
「似合う、けどそれは解きなさい。」
諸口はやっとの思いでこう言った。なんだか、すごい圧力をかけられたような……。
諸口がそういうと、藤田はあっさり解いてしまった。なんで俺、残念って思ってるんだろう。
「センセ、パソコンいいわけ?なんか急ぎの仕事じゃないの?」
目の前にはいつもの藤田。軽薄で明るい、素直な普通の男子高校生。
なんだったんだ?
釈然としないながらも、放課後の時間も仕事の納期も過ぎてゆく。