第48話 先輩 ~ Gryphon I

文字数 6,170文字

 中庭で泣いている子がいた。

 昼休み、かなめと一緒に購買部にパンを買いに行った時のことだ。廊下の窓から中庭をちらりと覗いたとき、ベンチに二人並んで座っている女子の片方が両手で顔を覆って泣いているように見えた。

 それを隣に座るもう一人の子が、なぐさめているようである。

 上履きの色から判断するに二年生だった。有里朱もかなめも顔見知りではないので、名前まではわからない。

「気になるの?」

 かなめがそう聞いてくる。

「一人じゃないから大丈夫だとは思うけど、ちょっと気になる事があってね」

 昨日見た美術部員の絵へのイタズラ。直感的にあれとリンクする。現状ではまだ真実はわからないので、介入すべきかどうかは迷っていた。

「なにかあった?」

 俺は昨日の件を簡略にかなめに説明する。美術室で見た三人組の奇妙な行動を。

「それ絶対嫌がらせだよね。というか、いじめだよ」
「状況的にはそうなんだけどさ。でも、どこの誰の絵かもわからない。うちら芸術選択の授業は音楽でしょ? 美術部とも美術室やその教師とも接点がまったくないからね」
「うーん……そうだよね。考えてみればいじめなんて、その子だけじゃないだろうし、二年生や三年生の間でもいじめはあるんだもんね。それを全部うちらで解決しようなんて烏滸(おこ)がましい話かも……」

 かなめは俺と同じで現実主義者だ。自分の出来る範囲の行動に留めるタイプである。なんでもかんでも助けようとする有里朱とは違っていた。

「アリス! かなめさん!」

 後ろから声をかけられる。この元気な声はナナリーか。

「あれ? めずらしいね。今日は学食じゃないの?」

 実はナナリーとは、これまでお昼を一緒に食べるような機会はなかった。彼女の方から遠慮して、なるべく校内では会わないようにしているようであった。

 それは、友達ではなく互恵同盟を結んだという盟約からだ。部活以外で、俺たちのプライベートに関わる事はなるべく避けていたようだった。

 とはいえ、ボランティアとかクリスマスパーティーとか初詣とか、一般的なトモダチイベントはクリアしてるんだけどね。

 たぶん、ナナリーが恐れているのは松戸の件もあるのだろう。

 最初は仲良くやっていた松戸や馬橋たちが、手の平を返したように自分を虐めだしたのだ。トラウマになっていてもおかしくない。心のどこかで距離をとろうとするのもわかる気がする。

 特に学校内ではそれが顕著に表れるのだろう。逆に、部室内や学校の外であればその気持ちが薄れるのかもしれない。

 まあ、今さらの話なんだけどね。

「ちょっと……ダイエットしようと思ってね」

 ナナリーは自販機で買ったであろうホットの緑茶をこちらに向けて見せてくる。

「お昼それだけ? ななりさん」
「うん。ちょっと太ってきたし……」

 あ、そういえばこの前ミドリーに、『ミニブタ』とか言われたことがあったな。ある意味酷いけど、ミドリーにしてはかわいい愛称の付け方だ。この間の問題ウーチューバーなんて『最底辺の最悪痴愚チューバー』と名付けられていた。それを自分のSNSで拡散させて定着させた行動力には恐れ入るが。

「気にしすぎだよ。ナナリーも標準体重は超えてないんでしょ?」
「……」

 ナナリーが目を逸らす。超えたんか? ま、超えたとしても見た目そんなに変わってないし、男から見る『ちょいぽちゃな体型』なんだけどな。これくらいなら、かわいい部類に入るぞ。

 大丈夫。女の子が自称する『ぽっちゃり』の領域までいっていないのだから自信を持て……と言っても説得力ないか。

「ななりさんは部室行く?」

 気を利かせたかなめが話題を急に変える。やはり体重の話はデリケートだったか。

「う、うん。そのつもり、読みかけの本あるし」
「じゃ、私たちもご一緒していい? ね、あっちゃん」

 かなめがそんなことを聞いてくる。なんだかんだいって、彼女もナナリーともっと親睦を深めたいのだろう。彼女が許すならお昼ご飯も一緒に食べたかったはずだ。

「う、うん。いいけど……」

 端切れの悪い返事。基本的に弱気な性格だからな。俺たちに気を遣い過ぎなところもあるのかもしれん。

「じゃあ、行こ」

 俺は後押しする。初め同盟目的だったけど、いずれ友達になれればいい。それは有里朱の為にもだ。ナナリーだってそれを望んでいるはず。

 部室へ行く途中、視界の片隅に先ほどの泣いている女子の姿が映る。気になって再び彼女を目で追ってしまった。

「アリスどうしたの?」

 ナナリーが俺が見ている方を見て「あ!」と声を上げる。

「知り合い?」
「知り合いってほどでもない。けど、七璃が入学した時に美術部に誘ってくれた人」
「そうなんだ。でも、なんで入らなかったの? ナナリー絵が上手いのに」
「前に言ったでしょ。美術部はちょっと苦手な人が多かったの……もちろん、めぐみ先輩は優しいし絵も上手くて、できれば一緒の部活に入りたかったんだけどね」

 泣いている子はめぐみ先輩というのか。クラスがわかればフルネームを調べるのも楽かな。

「他の美術部員がダメだったってこと?」
「うん。めぐみ先輩に連れられて何度か見学に行ったんだけど殺伐としてた。部活なのに、クラスみたいにグループがいくつも出来ていてお互いに牽制しあってるみたいな」

 新入生が見学に来た時くらい仲良く装えばいいのに……と思ったが、美術部はわりと人気があって部員は多いという。そんなことをしなくても新入生は勝手に入ってくるのかもしれない。

「ゆるーい部活を夢見てたナナリーにはキツい現実だったのね」
「うん。けど、今思えば美術部にいた方がマシだったかも……」

 ナナリーが気落ちしてどんどん暗い表情になっていく。文芸部を乗っ取られていじめられていた頃の記憶を思い出したのだろう。

「ななりさん……けど、それだとあっちゃんや私たちに会えなかったし、ゆるいーい文芸部も立ち上げられなかったよ」

 かなめがうまくフォローする。彼女はこういう部分ではよく気付く子なのだ。

「そだね。ありがとう」

 ナナリーが小さな身体で両手をいっぱいに広げて俺……有里朱とかなめの二人の身体の間に入って抱きついてくる。かなめはかなめで、妹を慰めるようにその髪を撫でていた。

「邪魔!」

 どこかで見かけたような女子がナナリーとの感動のシーンを邪魔していく。

『高根さんだね』
「高根?」
『いちおうクラスメイトだよ』
「うーん。覚えがないなぁ」
『ボランティアの時いたでしょ?』
「ああ、夏見玲奈のとこのグループか」
『ほんと、クラスの女子の顔は覚えないねぇ』

 そりゃ、昔から興味のない人間はところん興味がなかったからなぁ。

 高根に邪魔だと言われたので俺たちは窓際に寄る。そこでさらに中庭の女子を観察した。もう泣き止んでいるようで、もう一人の女子と静かに話をしていた。

 めぐみ先輩と呼ばれる女子は、茶のコンビフレームのメガネでロングのストレートヘア。学級委員でもやってそうな容姿であった。わりと美人さんの顔立ちかな。

 もう一方の女子は、全体的にボーイッシュな雰囲気で、髪型は耳を完全に出した重めのマッシュボブ。
 めぐみ先輩と呼ばれる人の話を親身になって聞いているので、かなり面倒見はいい人なのかもしれない。

「ナナリーは、あのもう一人の先輩って知ってる?」
「うーん……直接話したことはないんだけど、めぐみ先輩は「ゆり」って呼んでたよ」

 なるほど、とりあえず美術部件も含めて調べてみるか。


**


 ナナリーが『めぐみ先輩』と呼ぶのは、二年二組の幕張めぐみであった。

 美術部所属で絵も上手く、コンクールで何度も賞をとっているという。ちなみに彼女と中庭で話していた『ゆり』というのは、同じクラスの花見川ゆりであることがわかった。こっちは美術部所属ではないが、二人は中学からの知り合いらしい。

 というのを自力で調べた。最近プレザンスさんの情報源に頼りすぎていたから俺本来の情報収集能力が鈍っていた感じである。人間、楽すると身体も頭も鈍ってしまうのだ。

 さらに美術部に仕掛けておいた隠しカメラから、二年生の美術部員がめぐみ先輩に対して陰湿な嫌がらせを行っていることもわかった。

 飾ってある絵、描きかけの絵に対して、それを台無しにする行為。めぐみ先輩の備品を盗む、汚す、壊すなど、いわゆるいじめ行為オンパレードであった。

 だが、めぐみ先輩は美術部の部活内で積極的に虐められているわけではない。せいぜい無視くらいだが、それは部内のグループ同士でもよくある日常のようだ。

 さらに調べると、めぐみ先輩に対して嫌がらせを直接行うのは、俺らが美術室で見た三人組の女子と同一人物であることがわかる。

 三人組というが、首謀者は佐倉(ともえ)という、かっぷくの良い(デブ)女子といっていいだろう。身長は百六十センチほど、体重は推定で七十キロはあると思われた。

 そのコミュニケーション能力は高く、クラス委員をして教室内をまとめているとも聞く

 しかも、松戸美園と対立している二年生というのが佐倉巴だった。めぐみ先輩の件がなければ、仲間に引き込みたかったほどだ。

 その佐倉巴の下に付いている女子も二年生であり、美術部員である。

 彼女の指示でその二人も動いているっぽい。とはいえ、映像等からその行動を見るに配下系の寄生型と分類できるだろう。

 だが、佐倉巴に関しては情報が足りなかった。松戸のような遊戯系と思ったが、それにしては楽しんでいるようには見えない。いじめを遊びではなく、義務のように思いながらもそれを実行しているタイプにも思える。

 彼女がトップなので配下系でも回避系でもないし、美術部内の同調圧力系でもない。考えられるのは二つ。

 嫉妬系と天然系だ。

「とはいえ、こいつら潰すと二虎競食の計が使えなくなるからなぁ……」
『ニコキョウショク?』
「三国志知らんのか?」
『サンゴクシ?』

 いかん、男子ならともかく女子は歴史とか戦記ものには興味を示さないか。でも、歴女とかいるんだよなぁ。文若って、とある無双ゲームじゃイケメンじゃなかったっけ?

「とにかく佐倉巴を潰すと松戸への牽制がなくなる。俺たちの方へと全力でリソースを割り振るぞ」
『ここまで知っておいて放置するんですか?!」

 有里朱の強い口調。それは助けるべきだと確信した感情の表れだろう。けど、その裏にあるものを俺はよく知っている。

「おまえな、見て見ぬフリをするくらいなら自分が虐められた方がいいと思ってるんだろ?」
『そうですよ』

 開き直りやがった。けど、考えが甘い。

「忘れてるだろ。松戸の復讐は、有里朱だけじゃなくてその周辺にも広がるぞ。今ならかなめやナナリーやミドリーにまで被害が出る」
『う……』
「まあ、こいつらを潰すにせよ利用するにせよ。情報が足りない。行動するのはそれを集めてからだ」


**


 さらに数日して、めぐみ先輩と佐倉巴の情報が揃いつつある。

 それに加え、二人がコンクールへ応募した絵の写真が手に入っていた。二人は『桜』という同じテーマで描いたものだ。

 めぐみ先輩は桜の花でなく、生命感に溢れる木の幹をメインに据えている。一方、佐倉巴は桜色の花びらが舞う風景を描ききっていた。個人的には甲乙付けがたい才能を感じる。

『めぐみ先輩って凄いんだね。二年連続で賞を獲ってるんだ』
「ナナリーの話だとけっこう歴史のあるコンクールっぽいけどね」
『こっちのが佐倉先輩の絵だね。悔しいけどめぐみ先輩と実力は同じっぽく感じる』
「なんで悔しいんだ?」
『だってこの人、めぐみ先輩をいじめてるし』
「作品と人格は関係ないぞ」
『そんなの嘘だよ。心のきれいな人じゃないと人を感動させられる作品は作れないよ』

 有里朱は典型的なお花畑な頭だな。性格悪くても他人を感動させられる作品を作った人間なんて山ほどいるぞ。

「はいダウト。おまえ、佐倉巴の絵に心を動かされたじゃん」
『じ、実力が同じっていっただけで、感動したわけじゃないよ』
「おまえ、自分で言ってて矛盾に気付いているだろ」
『う……けど、認めたくないよ。こんな人が、こんな……』

 まあ、気持ちはわからないでもないけどな。例えば、名曲を作り出したモーツアルトは奇行が目立ってて、ちょっと残念な性格だったとも言われているし、アニメ界の巨匠もかなり性格が悪いとの噂だ。けど、そんなことに関係なく、出来上がった作品は素晴らしいものであることには変わりは無い。

 人間性と芸術性に関連などない……いや、下手すると問題のある人間の方が優れたものを創れる可能性もある。

『でも、佐倉先輩じゃなくてめぐみ先輩が受賞して良かったよ。佐倉先輩なんて落ちて当然だよ!』

 有里朱の感情的な言葉に思わず苦笑い。

「有里朱。佐倉巴が受賞しなかったのを聞いて嬉しいと思ったか?」
『う、うん。当然だよ』
「二人の実力は同レベルなのに?」
『だってぇ……』

 有里朱にはまだわからないだろう。その感情が実は仕組まれているものだということを。

「その感情を覚えておけ、今回の分析に役立つぞ」

 佐倉巴の行動で気になったことがある。三人組ではなく、一人でめぐみ先輩に嫌がらせをしようとした時のことだ。もちろん美術部の隠しカメラにばっちりと映っているので、その表情までくっきりと録画されていた。

 そこで俺は、嫌がらせをする彼女の表情の変化に注目する。行動を起こすとき、彼女は何かに取り憑かれたように動き出す。そこに玩具を見つけて喜んでいるような表情は見えない。

 だが、やり終えた彼女はそこで満足したかのようにニヤリと笑う。周りに誰もいなくてもだ。

 すべての情報を脳内で整理し、結論を出すのはそう難しくもなかった。

『さっきから、この映像を繰り返し見てるけど、なんかわかったの?』
「ああ、彼女のいじめっ子としての分類に役立つんだ」
『そうなんだ。で、佐倉先輩はどの分類なの?』
「嫉妬系だな。行動パターンから直接型と見られる」
『嫉妬かぁ……まあ、よくあるよね』
「ああ、だが、有里朱の考えているほど単純な問題じゃないぞ。そもそも、おまえがいじめっ子に転ずるとしたら佐倉巴と同じタイプになる可能性が高い」
『えー!? わたし、そんなことしないよ』
「そうか? さっき佐倉巴の絵が受賞しなかったのを喜んでいたじゃないか」
『そ、それは……』

 有里朱、それは人間として当然の状態なんだよ。無意識で人は、他人の不幸を喜んでしまうことがある。

「有里朱。自分を卑下することはないぞ。これは人間が持ちうる一般的な感情だ。専門用語で言うところのシャーデンフロイデだ」
『しゃーでんふろいで?』
「いわゆる『ざまあ』の感情だ」

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