第18話 醜怪な爆弾 ~ Queen of Hearts I

文字数 6,591文字

 カラオケ店での騒ぎの翌日。

 俺たちは、とりあえず登校は無事にできた。

 とはいえ、松戸に刃向かったかなめに、どういう仕打ちがあるのか予想がつかない。注意深く見守るしかないだろう。彼女には、念のため二組の教室に行かないように言っておいた。

 松戸美園(みその)を頂点とする人間関係はわりと単純でもある。

 その直接の配下に一組の高木、千駄堀、栗ヶ沢の三人組と、二組の馬橋、幸谷、中根の三人組の二つのグループがある。

 それ以外にも三組にも松戸の直轄のグループがあるらしいが、そこまでは把握できていない。

 今のところ高木と馬橋のグループは俺たちの制御下だ。松戸が有里朱やナナリーにこだわらないのであれば、ターゲットは他の生徒に向かい、高木や馬橋が暴走することもないだろう。

 ただし、かなめが刃向かったことで、どう転ぶかわからない。

 いちおう、高木や馬橋たちがかなめに手を出そうとするならば、あの動画を使って手を引かせることも可能である。

 ただし、それを黙って松戸が了承するとは思えない。別の対策が必要だ。

 その日は、本当に不気味なくらい平和だった。俺にもかなめにも、ナナリーにさえ誰もちょっかいをかけてこなかったのだ。

 放課後、かなめと一緒に帰ろうとしたところで、高木がやってくる。

「若葉、ちょっといい?」

 俺が声をかける寸前だったので、かなめ一人だと思ったのだろう。だが、俺が「かなめちゃんお待たせ」と呼び止めると、高木はギョッとしたような顔でこちらを振り向いた。

「ま、そういうことだから」

 俺は高木の肩を叩き、その一言で解らせる。それが理解できないほど馬鹿じゃないだろう。

「美浜……美浜さん。いいのか? 若葉はおまえの事もいじめてた時期があっただろ」

 高木が驚いたように返答する。

「もう和解したからいいのよ。それにあなたたちのことも、これ以上ちょっかい掛けてこないなら、どうにもしない。恨んでないよ」

 その言葉でおとなしくなる高木。だが、かなめに声をかけたということは、松戸から指示があったのだろう。

 高木たちが使えないとなると、次はどんな手でくるんだ?

 二組のナナリーと合流し、三人で帰ることにする。かなめにはおおっざっぱにナナリーの事は話していたので、今日は有里朱の家で顔合わせみたいなお茶会をやる予定だ。

 校門には松戸がいた。門扉の部分に背中を預け、こちらを見ている。その周りには取り巻きが四人ほど。見たことがない顔なので、三組か四組の生徒なのかもしれない。有里朱も名前はわからないと言っていた。

 そんな中でも松戸美園はかなり目立っている。冷たい美人という言葉が似合いそうな、眉毛を鋭く整えた美貌。ノーバングの胸元まであるロングのストレートヘア。女帝と称しても違和感はないだろう。

 俺たちは何食わぬ顔でそこを通り過ぎていく。いちおう、ドローンを追尾モードにしているので何かあっても録画されることになる。

 まあ、一度馬橋たちにタネを明かしているので、松戸の耳にも入っているだろう。上空を飛ぶドローンを彼女は訝しげに見上げていた。


**


 家に帰ると部屋に二人を招き入れ、お茶会の支度をするためにキッチンへ行く。今日のためにKonozamaで買った、とっておきのF&Mのアールグレイを取り出した。

 ティーカップもお皿もイギリスの陶磁器メーカーの並行輸入品である。

 スコーンは送料が余計にかかったが成多ゆめ牧場のものだ。それを三段のハイティースタンドに載せる。

「お待たせ!」

 部屋に戻ると、二人の顔がぱっと明るくなり、そしてキラキラと輝き出す。

「せっかくのお茶会ですから英国風に行きましょうか?」

 手に持つ食器を颯爽とテーブルの上に並べていくと、有里朱がぽろっと言葉を零す。

『孝允さんって男の人だったよね。どうしてこんなことに詳しいの?』
「ん? 性別は関係ないだろ。これは英国紳士の嗜みだ」
『え? 孝允さんってイギリス人だったの?』

 俺はあえて答えない。だって、この知識は小説とかマンガとかの知識なんだもん。せっかく女子高生が集まってのお茶会なんだから、これくらいは女の子っぽいことしたいじゃん。

「さすがアリス。名前に劣らず、存在がファンタジーね」

 ナナリーが感心してくれている。これはちょっと奮発したかいがあったってもんだ。

「あ、あっちゃん……趣味変わった?」

 そういや、かなめは昔の有里朱を知っていたんだな。なんとか誤魔化さないと。

「これはね、最近相談に乗ってもらっている、ある人の影響なんだよ」
「ある人?」

 かなめは興味津々のようだ。そりゃ、昔の有里朱なら、かなめを救出できるようなそんな強い存在じゃないからな。誰かバックにいることは気がついているはずだ。まあ、後ろじゃなくて、本人にそのまま憑依しちゃってるんだけどさ。

「うん、ネットで知り合ったの。名前も顔も知らないし、直接会うこともないだろうけど、とっても信頼できる人だよ」
「そうなんだ」

 自分で言ってて恥ずかしくなるが、どうやらかなめは納得してくれたようだ。

『うん、わたし孝允さんの事、信頼している』

 最初はお風呂も入らせてくれなかったけどね。

「アリスって昔はこんなにアクティブじゃなかったの?」

 ナナリーは昔の有里朱を知らない。そしてかなめは今の有里朱を知らない。そこらへんよく話し合っておかないとな。

「そうだね、どこから話そうか」

 その後、ネットの知り合いの話をぼかしつつ、かなめの事、そしてナナリーと知り合った経緯を説明する。

 松戸に関しても、二人からの情報を聞きつつ、今後の対策を考えた。


**


 学校のトイレは、なるべく教室から離れた場所を使うようにしていた。他の生徒がいると居心地が悪いというのもある。

 その日も、部室棟の近くのトイレに駆け込んで用を足した後、個室の扉を開けようとしたらビクともしなかった。

 嫌な予感がして、上を見上げると冷たい水が降り注がれる。なるほど、これは失敗したわ。

 外ではギャーギャーとうるさい女生徒の声。三時間目の授業まであと五分だ。それまで我慢すれば終わるだろう。俺は、便器の蓋を閉め、その上に乗って扉の上に手をかける。そして、ジャンプして外に居る人間の顔をうかがった。

 一瞬だが、三人ほどの女生徒がいるのがわかる。どれも知らない顔……いや、松戸たちと校門にいた配下の奴らか。

『昨日、松戸さんたちと一緒にいた子だね』

 有里朱も反応する。

「寒くないか?」
『寒いけど、これくらいならわたし慣れてるから』

 なるほど、この手の嫌がらせは定番だもんな。しかも、松戸は自ら手を汚さない。配下にすべてやらせる女王様気取り。典型的な【遊戯系の欲望型】だ。

 そして修行僧のような五分が経ち、チャイムが鳴ると彼女たちは去っていった。

 俺は濡れたままの身体で、職員室へと向かう。この時間なら現国の授業は担当クラスがない。担任の館山先生はいるだろう。

「ひえっ!」

 濡れ鼠の俺……有里朱の姿を見た館山先生は軽く悲鳴を上げる。ホラーじゃないぞ、ゴルァ!

「先生。トイレ入ってたら水をかけられたんです。このままじゃ三時間目の授業を受けられないのでジャージに着替えていいですか?」

 本来ならそんな許可、担任に承諾を得なくてもよいのだろう。ただ、いじめられたという事実を見せたかった。そして、三時間目の授業を無断欠席にされることを回避したかったのだ。

「あとで、古典の東金(とうがね)先生に言っておいてくださいね。無断欠席は成績に響きますから。それとも、このまま警察へ行って犯人を暴行罪で捕まえてもらいましょうか?」
「……東金先生に伝えておくわ。安心して着替えてらっしゃい」

 さすが波風を立てたがらない教師だ。こちらの思うように動いてくれる。

 廊下のロッカーからジャージの上下を取り出して空き教室で着替えると、しばらく時間をつぶした。三時間目が終わったのを確認して教室に戻ると、かなめが心配そうな顔で近寄ってくる。

「どうしたの?」

 とジャージ姿を見て、彼女ははっとする。状況を理解したようだ。

「……まあ、ちょっとね」
「松戸さんたちにやられたの?」
「松戸はいなかったけどね。昨日見た取り巻きの奴らだよ」
「ごめん、私を助けたりしたばっかりに……」

 かなめの顔がくしゃりと歪む。今にも泣き出しそうだ。

「とりあえず大した被害はないから」

 と言ってみたものの、その後、廊下のロッカーの鍵が壊されてスポーツバッグが盗まれたり、下駄箱からローファーが盗まれたりもした。仕方なく、その日は上履きのまま帰ることになる。

 ここまでなら想定内。

 完全にターゲットを有里朱一人に絞ってきたのだ。これはピンチであり、最大のチャンスでもあった。

 家に帰ると、部屋でPCを立ち上げ情報を収集、分析する。なかでもナナリーの協力で文芸部の部室に仕掛けたカメラからは貴重な情報が得られた。

 あそこはSDカードに録画する方式ではなく、録画データを電波で飛ばす方式にしている。中継器を屋上に置いて、そこから、さらにインターネットに繋いで自宅のネットワークHDD《ハードディスク》に保存できるようにしてある。

 松戸は放課後に必ず部室へ行く。そこでスマホを弄りながら、配下へと指示を出しているようだ。何か戦利品があると、配下の者が松戸へと献上する。むろん、上履きとかそういうくだらないものであっても、松戸に見せるのだ。

 神崎のような個人プレーでなく、組織的な行動となっているのが厄介だ。

 もちろん、松戸がいじめの指示を出しているのは有里朱だけではないので、その他の戦利品も集まる。その中には金目のものもあり、彼女はそれを自分の物にしているようだ。

 だが、もともと大病院の娘だし、金には不自由していないだろう。彼女は単純にコレクションしているのだ。だからこそ、金目のない物でも持ってこさせる。

 なるほど、強欲なゲームプレイヤーと呼ぶのに相応しい。

 いじめ分類でいう【遊戯系欲望型】の典型的な例であるのは確定した。

 このタイプは、一度いじめられる側に立たないと自分の行為を理解できない。
 人の上に立って、過度の我が儘が許される環境で育ってきたせいだろう。人は思い通りにならない事を学ばせなくてはいけない。


**


 次の日、俺はナナリーに学校を休むように伝える。彼女はいちおう文芸部の部員なので、今日の作戦で巻き添えをくらって停学なんてことも有り得るからだ。

 ナナリーからは【り】とだけ返事が来た。何をやるかは、この前の顔合わせのお茶会でだいたいの事を話してある。

 それと、一緒に登校するはずだったかなめを少し先に行かせ、自然なかたちで教室で挨拶をする。

「おはよう!」

 俺の挨拶で作戦スタート。

「あっちゃん、おはよう。どうしたの? 嬉しそうだけど」
「あのね、新しいスマホ買ってもらったんだ。最新機種みたいなんだけど」

 展示用の原寸模型(モックアップ)だけどな。

「え、いいなぁ。私も欲しいなぁ」

 電源の入らない画面を見ながら、ノリノリで演技に付き合ってくれるかなめ。いいコンビになれそうだ。

 その後、偽スマホを鞄へとしまう。厳密にいえば、この鞄も偽物。予め中古の学生鞄を手に入れておいたのだ。

 本物は今、屋上の倉庫の中に入っている。

 昼休みまでは、なるべく席を立たないようにした。あまり早く目を付けられても困る。

 五時限目の後の休み時間、あえてかなめと一緒にトイレに行った。席を外したのはワザとである。案の定、戻ってくると鞄がなかった。鍵が掛けてあるのでスマホを盗むとしたら鞄ごと持ち去らなくてはいけない。

 教室を見渡す。

 高木たちは俺たちには直接手を出すことはできないが、松戸に情報を伝えるだけならルール違反ではない。さらに彼女らが直接鞄を盗む必要もないのだ。松戸の配下はまだいる。

 盗んだのは高木たちではないことはわかっていた。監視カメラを確認すれば、たぶん他クラスの女子が鞄を持っていったのが映っているだろう。

 俺は嬉々として六限目の授業を受ける。計画は半分成功したようなものだ。あとは放課後になるのを待つだけである。

『うまく行くかなぁ?』
「まあ、ダメなら他の手で行くさ」
『だけど、あれってそんなに凄いもんなの?』
「凄いって噂だけどな」
『確かめたことないの?』
「そこまで勇者じゃないよ」

 授業の終了を告げるチャイムが鳴る。

 よっしゃー!!

 俺はひとまず本物の鞄を回収しに屋上へと向かう。そして、下駄箱付近で待つかなめと合流した。

「あっちゃんの鞄、ほんとに松戸さんたちのところなのかなぁ」
「今、部室をモニターしてるよ。部屋には松戸一人。盗んだわたしの鞄を持って、配下の生徒たちが彼女のところに行くはずだよ」

 松戸が直接盗むことはない。彼女は直接手を出さないのだ。

 スマホを中継器に繋げて部室内をモニターしている。今のところ松戸がつまらなそうに一人でいるだけだ。

 その画面をかなめと二人で見る。

「あ、誰か来た」

 かなめが声を上げる。部室内に四人の生徒が入ってくる。一人は鞄を二つ持っていた。

「あれ、あっちゃんの鞄だね」

 女生徒は鞄を松戸へと渡す。松戸は何か言ったようだが、音声までは録音されてないのでわからない。

 鞄には鍵がかかっているので、中身を出すために「何か切れる物を貸せ」と言っているのだろう。

 予想通り、女生徒の一人が大型刃のカッターナイフを渡す。それを持って躊躇なく、底の部分を切り裂いていく松戸。まったく……他人の物だってのに、容赦ないなぁ。

 半分ほど切り裂いたところで、中からはごろんとお弁当大の物体が落ちる。

 それを拾って首を傾げる松戸。それが何であるかを理解できていないのだろう。

「ポチッとな!」

 ワイヤレスリモコンのリレースイッチを作動させる。と、松戸の手に持ったその物体から汁のようなものが吹き出して飛び散る。それはもろに彼女の顔にかかった。

 途端に周りの生徒達は咳き込み、我先にと部室を逃げ出す。

 松戸は吐き気を催したようで、その場で動けずに嘔吐している。

「うわっ! 効果てきめん」

 俺の手製シュールストレミング開封爆弾は大成功だ。

 世界一臭いと有名なシュールストレミングの缶詰に自動缶切りを装着し、電源部分にワイヤレスで作動するリレースイッチを付けた。離れた場所からボタン一つで、自動的に缶を開け始める。

 その臭いは強烈で、ドブの臭さと腐った魚を混ぜた臭いとも、生ゴミを炎天下で数日放置した臭いとも言われている。

 ちなみに缶詰の中身はただの塩漬けのニシン。塩水によるつけ込みは腐敗は防げても発酵は止められない。

 そのため、十四世紀当時に貴重だった塩を節約するため、通常では耐え難いほどの臭気を発する水準で、極度に発酵するまで塩分濃度を下げて保存した。これがシュールストレミングの起源である。

 腐敗していないので健康被害はないし、慣れなければその臭いに耐えきれないだけの話であった。

 予想通り、部室棟の方ではかなりの騒ぎになっている。そりゃそうだ、あそこには他の部室も隣接しているのだからな。バイオハザードが起きているようなものだ。

 野次馬に紛れて部室棟の方に行ってみる。わずかにぷーんと魚の腐ったような臭いが漂ってきた。騒ぎを聞いて駆けつけてきた教師たちも臭いが酷くて近寄れないようだ。

「さて、帰ろっか」

 かなめにそう告げた。

 松戸に対して一矢報いたこととなるが、これくらいじゃ逆ギレされて終わりだろう。彼女を追い込む為には、さらなる準備を進めなければならない。
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