第67話 決行 ~ Eaglet V

文字数 7,231文字

 登校してすぐ、保健室へと駆け込んだ。

 仮病だとバレないように、事前にブルー系の化粧下地でメイクを行い、血色の悪い顔を作り出す。

 ブルー系の下地は肌に透明感を与え、なおかつ白く見せる効果があった。使い方次第では、病人のような顔に見える。仮病を使いたいときには便利な道具だ。

 さらに唇に薄い紫がかったリップを付け、その上にファンデーションを薄く塗ることで具合の悪さを強調することができる。

「貧血気味なんで、少し休ませてくれませんか」

 と俺がベッドに潜り込んだ時には、すでにナナリーもミドリーも隣のベッドに寝ている状態。かなめは緊急時の対応のため、クラスで待機している。

「悪いけど、私これから業者の人と打ち合わせがあるの。何かあったら、そこの緊急ボタンを押して。わたしのスマホに繋がるから」

 と、養護教諭は部屋を出て行く。彼女が席を外すことは事前に調査済み。

 なるべく欠席扱いにならないためにも(後でそれを知った親がうるさいだろうから)保健室利用という手をとったのだ。もし、養護教諭がいなくならないのなら、また別の方法を行ったであろう。

「それと、あんまり調子が悪いようなら帰りなさい。担任には私から言っておくよ」

 公立の高校と違って、そこまで厳しい養護教諭でもない。生徒もいちおうお客さんだってことはわかっているので、あまり強くは言わないのだ。

 しばらくは布団の中で様子を見て、養護教諭が完全にいなくなったのを見計らって三人は部屋を出る。

「行くよ」

 作戦開始であった。

「どこにいるのかな?」

 ナナリーがそう問いかけてくる。

 そう。うちらが、まずやらなければならないことは市原央佳を探すことだ。

「ナナリーは校内をお願い。わたしは校舎の外を探す」
「じゃあ、あたしは打ち合わせ通り、部室のPCで『pawn and fawn』チャンネルをチェックしておくよ。それから、彼女のTvvitterのアカウントと一年一組の教室のモニターも」
「よろしくミドリー。あと、二人ともこれを耳に」

 ポケットから超小型無線機を取り出す。耳につけるタイプで、近距離通話用のものだ。学校内でなら余裕で交信できるスペックである。

 俺は、変装用のウイッグを被ると、なるべく目立たないように行動を始めた。このウイッグは教師に見つかった場合に時間を稼ぐためのものである。長髪の女生徒という思い込みがインプットされれば、有里朱だという特定はされにくくなるからだ。ナナリーも同じように被る。

 市原央佳は部活動を行っていないので、どこかの部室にいる可能性は低い。しかも、実況中継をやりながら撮影を行うはずなので、一年一組の見える場所にいると思われる。

 生中継を行うかはまだわからないが、場所が特定されることのない映像を流しながら、起爆させたところでカメラを切り替えるという方法もあるだろう。

 それとも今日の映像をどこかでほくそ笑みながら撮影し、その動画を後で誰かに手渡して編集してもらうのかもしれない。

 まあそれは、ミドリーからの報告でわかるだろう。

 どちらにせよ、彼女は復讐を終えるまではこの学校内にいるはずだ。

 ターゲットとなっている一年一組の教室は、南校舎の三階の一番左端。去年、有里朱たちが居た教室である。

 学校の敷地内から、そこを覗ける場所となると校庭側となるか? いや、そんな何もないところに立っていたら目立つだろうし、すぐに教師にも見つかって不審がられてしまう。

 ならば……と考えて、その校庭に面し、南校舎の三階を見上げられる場所を見つける。

 体育館だ。

 本日の時間割は頭の中に入っている。三時間目から使用される予定があるが、今の時間は無人だ。

 舞台袖の方の出入り口から、そっと中に入る。と、案の定、東側のギャラリー部分に人影が見えた。双眼鏡で覗くと、それは市原央佳だと確認できる。

――「アリリン、ナナリン、カナリン聞こえる?」

 無線機にミドリーの声が入ってくる。

「聞こえるよ。どした?」

――「ライブ配信はされてないけど、Tvvitterで例のクイズが始まったよ。『今、ガソリンバージョンを収録中だけど、起爆となるキーワードはなんでしょう?』って」

――「こちら七璃だよ。今のところ校内に市原さんは見つからない。捜索は続けるね」

「あ、ナナリー。こっちは市原さん見つけたよ。体育館にいるから舞台袖あたりで待機してて。何かあったらバックアップよろしく。それから、かなめちゃん。例のスイッチ入れておいて、通信できなくなるかもしれないけど、あとは臨機応変に対応よろしく」

――「了解。そっちに向かう」
――「うん、了解したよ、あっちゃん」
――「アリリン。昨日、起爆装置は解除したんだよね?」

「うん、今ロッカーに入っているのはスマホとそれに連動した装置だけ。ガソリン缶は取り除いたから、最悪な事態になることはないよ。問題は彼女の説得かな」

――「わかった。市原さんのことはアリリンに任せたから、こっちは協力者の動きを探るよ」

「お願い」

 通信をいったん切ると、俺は舞台袖から二階に上がり市原央佳のもとへと歩いて行く。ギャラリー部分への扉を開けた時点で彼女はビクリと驚き、「なんでいるのよ?」とでも言いたげな顔でこちらを睨み付けていた。

「市原さんだよね。それとも『pawn and fawn』のJCウーチューバー改め、JKウーチューバーって呼んだ方がいい?」

 額に青筋でも立ってそうな怒りをこちらに向け「あんた誰?」と聞いてくる市原央佳。もともとがかわいい顔なだけに、歪んだ表情は、少しもったいなくも感じる。

「ひどいなぁ、二回くらい面識あると思うんだけど」
「あんたなんか知らないね」

 先輩なんだから敬語を使えとか強制する気はないけど、相手のイキり具合が痛々しくて見てられない。見た目がヤンキーってわけでもないだけに、ちょっと違和感を抱く。まあ、これをギャップ萌え~とかいっちゃう輩もいるんだろうけど。

「市原さんに危害を加える気はないから、まあ落ち着いてよ」

 両手を上げ、敵意がないさまを相手に見せつける。それでも彼女は、怒りの矛を収めようとはしなかった。

「用件はなに? それともわたしのやろうとしていることを知ってるの?」
「知ってるって言ったら?」
「邪魔したら、あんたもぶっ殺す!」

 気分が高揚しているだけなのか? 必要以上に彼女は興奮している気がする。

「邪魔? あなたは何をやろうとしているのかしら?」

 あくまでもこちらに攻撃の意志がないことを示さないと、何をしでかすかわからない。ナイフくらいは持っていそうなので、距離を保ちつつ、いつでも逃げられる体勢をとる。

「そういえば『J』が言ってた。胸くそ悪い偽善者がいるって」
「J?」
「あんたの知らない人だよ」
「まあいいや、けど偽善じゃないよ。専守防衛だ」
「は? 何言ってるの?」
「わたしは二年一組の美浜有里朱。知ってた? わたしのクラスの直上が、あなたのクラスの一年一組なのよ」
「それがどうしたっての……」
「さすがに真上のクラスで爆発の類のことが起こったら、身の危険を感じるよね? それとも、あなたとまったく関係の無いわたしにも死ねと? そんなのがまかり通るの? じゃあ、あなたとは無関係だけど、わたしのためにあなたは死んでくれるの?」

 捲し立てるように彼女に告げた。あの分量でのガソリンの気化爆発に、それほどの破壊力がないことは知っている。けど、今は彼女の思考を誘導する必要があった。

「そ、そこまで被害は出ないよ。死ぬのはあのクラスだけだ。それこそ、あんたには関係の無い話」

 ハッタリの効いたその発言が功を奏したのか、市原央佳の語気が弱まる。

「安全なのは百パーセントじゃないよね? 強大な力で一方的に相手を攻めるってのはある意味いじめだよ。だったらそれに抗わせてもらうわ、全力で」
「待って、あなたのクラスは安全だって。賭けてもいい」

 『いじめ』という言葉を聞いて焦り出す彼女。その思考を鈍化させる誘導は今のところうまくいっている。ならば、ここで仕掛けるか。

「そう? じゃあ、あなたの復讐で何人が死ぬのか賭けをしようか?」
「へ? ええ、それであなたが納得してくれるのなら」
「あなたは何人を殺す気?」
「二十四人、先生を含めれば二十五人ね。それ以外は死なない。わたしの実験と計算によればね」
「プラスマイナス十人くらいまでは認めるよ。その範囲内であればあなたの勝ち。賭けに勝ったあなたはわたしに何を望む?」
「え? まあ、復讐が終わればどうでもいいんだけどね。そうね、今後わたしに一切関わらないこと。話しかけるのもダメ。どうせ、物理的に無理な状態になるんだろうけど」

 彼女は自分が捕まることを理解しているのだろう。そうまでして復讐したい動機はなんなのか? 今の時点で把握できていないのは少し厳しい。

「じゃあ、わたしね。被害者の数はゼロ。わたしが勝ったら、あなたとデートしてもらう」
「は? なに? え? ちょっと待って。なんか変。予想も、あんたが望むものも……おかしいよ」

 狼狽え始める市原央佳。イキっている彼女より、こういう姿の方が俺としては萌えを感じてしまうのだが。

「さあ、BETは終了。結果はいかに!」

 少し芝居がかった口調でそう告げる。

「あれ? ちょっと待って……『J』から?」

 市原央佳は独り言のようにそう呟くと、手に持ったスマホをタップした。

 瞬間的に彼女の表情が変わる。それまでの狼狽えたような感じは消え去り、邪悪な笑みが浮かび上がってきた。

「あははははははは!! そういうことだったんだ。さすがに賭けに不正はよくないよ。けど、あんたの負けだね」

 勝ち誇ったような表情で市原央佳は言葉を続ける。

「あんた、ロッカーの起爆装置を解除したんだってね。それで勝った気になってたみたいだけど、残念でした! 装置は一個じゃないんだよ」

 一個じゃない? いちおうロッカーは全部チェックしたはずなんだが。

「誰からの連絡?」
「『J』よ」
「J? さっきも言ってたよね。それ誰なの?」

 やはり協力者はいたか。だが、『J』という単語に何か引っかかりを感じる。

「この場合は不正を匡すという意味で『Judgement』かな? でも、ほんとはもっと怖い怪物なのよ。うふふふふふ」

――「アリリン! 一年一組のクラスをモニターしてるけど、不自然なものはないよ。昨日、ロッカーは全部調べたってのに……どこにあるの!?」

 ミドリンの焦った声が聞こえてくる。最後の「どこにあるの?」は、こちらに問いかけるというより独り言に近い絶叫だ。

「起爆のキーワードはまだ募集中?」

 あくまでも冷静にそう尋ねる。

「そうだよ。あくまでもTvvitterと連動ってのが、わたしのチャンネルの売りだからね」

 ということは、誰かが物理的にスイッチを押すわけではない。ならば、まだ勝ち目はある。

 教室という狭い空間でガソリンを噴霧させて起爆させる装置となると、そこそこ大きくなるものだ。といっても、燃料を入れておく容器が大きさのほとんどを占める。

 昨日解除したあのガソリン缶から考えて、あれを隠しておける場所はどこか?

「ね? もう一つ賭けをしない?」
「何?」
「もう一つの起爆装置を当てられて、それを止めることができたら、教えて欲しいことがあるの」
「は? わたしに不利なことは話さないよ」

 予想通り不機嫌そうな答え。けど、今は起爆装置を解除するより、彼女を説得する方が先だ。

「あなたが、どうしてクラスメイトを殺害しようとしたかを教えて欲しいの」
「そんなことをわたしが軽々と話すと思う?」
「そうかな? 今回のが失敗に終わった場合、あなたはまた復讐を計画するでしょう。でも、それを再びわたしに邪魔をされるのは望んでいないはず」

 彼女に不利になるどころか、彼女に有益であることを示さねばならない。

「それはそうだけど」
「だったら、わたしを説得してみない? 一年一組の生徒がどれだけ死に値することをやったのかを。そうすれば邪魔どころか、協力する可能性だってある。そっちの方があなたにとっては楽じゃないの?」

 説得されて彼女の計画に力を貸すようなことはないが、彼女だって俺たちに邪魔されて計画を頓挫させることも望んでいないはず。こちらを敵に回すか、味方に付けるか。どちらが良いかは、よく考えればわかること。

 案の定、彼女は返事を保留にし、俯いてしばらく考え込む。

「……わかった。けど、当てられたらね。当てられなかったら、わたしの前から消えて!」

 思考を加速。ミドリーから教室内の情報を無線で聞きながら考えを整理する。

 起爆装置の大きさ。それが収まる場所。教卓→教師がすぐに気付くだろう。机の中→小さすぎる。掃除用具入れ→昨日調べた。天井裏→天井板は簡単には外せないし、外した形跡もなかった。

 教室には後部のロッカー以外収納スペースはない。ならばと、考えられるのは市原央佳が自ら持ち込んで自分の席に置いた場合。だが、ミドリーによれば彼女の席に起爆装置が入りそうな物は置いていないそうだ。いや……。

「ミドリー、一組の生徒の中にデカいスポーツバッグを持ち込んでいるやつはいる?」

――「んーと……いるよ。二人ほど。部活で使ってるやつかな? 一人は剣道部の子、キャリーバッグタイプでかなり大きい」

 それだ。最近の剣道部は、防具を入れるのにキャリーバッグタイプも使うという。これならば、中身の重さが多少変わったところで気付きにくいだろう。

 たぶん、どこかですり替えられた可能性が高かった。生徒の一人に自殺願望があって、起爆装置を持ち込んだとは考えにくい。

「起爆装置は、生徒が持ってきたキャリーバッグの中だね。途中ですり替えられた」

 その答えに、わずかに市原央佳の口元が上がる。

「当たり。けど、もう終わりだよ。たった今、設定したキーワードを含んだメッセージが来たんだ。これが転送されればあと数秒で爆発する」
「……」

 思わず息を呑む。

 ところが、数秒どころか数十秒経っても教室に変化は見られなかった。

「あれ?」
「わたしの勝ちだね。市原さん」

 俺は満面の笑みを浮かべる。とはいえ、それほど余裕がある状態でもなかった。実際、挙げていた両手は、少し震え気味である。

「何したの?!」
「電波遮断機って知ってる?」

 俺が一年一組に仕掛けておいた電波遮断機は、Wi-Fi、3G、4Gといったメジャー電波はもちろんPHSのようなレアな電波からも完全ガードするという代物だ。二つ目の起爆装置があることを見越して仕掛けておいたのである。

「まさか、スマホの電波を遮断したっての?」

 「デートをしよう」と賭けをした時とは違う、焦りの色が彼女の表情に表れ始める。

「正解だよ。確実にやるなら時限装置にしておくべきだったね。けど、あなたにはそれができなかった。なんでかわかる?」

 彼女の顔を真剣に見つめた。けして勝ち誇るような顔をしてはいけない。彼女はいじめの被害者であることに変わりはないのだから。

「そりゃ、わたしウーチューバーだからね。Tvvitterで訴えることで社会的な制裁も加えたかったのよ」

 それは彼女がそう思い込みたいだけ。自分が弱いからこそ、強さを誇示したいという幻想。

「違うわ。あなたは自分で虐殺のトリガーを引くのが怖かった。だから、ネット上の誰かに責任を分散させたかった。仕掛けは作ったけど、それを作動させたのは自分じゃないって。あなたはそう言い訳をしたかったの」

 彼女の心の弱さが、トリガーを自分で引くことを躊躇させてしまったのだ。それが最大の敗因。

「違う!」

 彼女の顔がますます歪む。可愛い顔が台無しだっていうのに。

「とりあえず、あなたの負けよ。別にこのまま警察に通報したりしないから安心して」

 まだ、両手は挙げたまま、慎重に言葉を選んでいく。

「違う違う違う! あんたなんかにわかりっこない!」

 彼女の復讐は失敗した。冷静に考えれば、こちらに敵対しても意味はないことはわかるはず。なのに、彼女の感情は高ぶったままだ。

「落ち着いて、何もしないから」

 説得を試みるも、相手がそれに耳を傾けなければ意味はない。

「あんたをぶっ殺す」

 血走った目。そして、彼女が持っていたバッグから、刃渡り三十センチ近くはあるというサバイバルナイフを取り出す。いわゆるランボーナイフと呼ばれる軍用のものだ。

 さらに彼女の口角部分には、唾液による僅かな泡が見られた。興奮のしかたが尋常でない。

 まさか、この状態は薬物によるものなのか?

 このまま逃げるという手もある。だが、それはマズい。

 ナイフを持った彼女が一年一組を襲撃し、クラス全員ではないにせよ、何人かは大けがを負うか殺されてしまうだろう。

 誰もケガさせないって約束は守れないかもしれない。相手が殺傷能力の高い武器を持った時点で、こちらに余裕なんてないのだから。

 守るときは全力で。

 有里朱を最優先で守るためには、絶対に譲れないことだ。そして、それは少しばかり強引な手を取らざるを得ないことになる。

「市原さん。あなたには賭けの約束を守ってもらうわ」

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