第34話 しつこい! ~ spade III
文字数 7,033文字
期末考査が終わると試験休みに入る。一週間ほどの休暇の後に、再び授業が始まるがすぐに冬休みだ。といっても、実際の休みは三日程度で、あとはボランティアに参加しなければならないという学校行事もあるのだが。
そんなプチ休暇を前にナナリーの家でささやかな宴を行う事になった。最初は駅前のファストフードで打ち上げのはずが、話の流れで彼女の家に行くことになる。
「ナナリーの家に行くの初めてだね」
「ね、マンションなんだっけ?」
俺とかなめのテンションが上がる。知らない人の家に行くのは好奇心が刺激されるのだ。
「うん、まあ、アリスの家みたいに高級じゃないけどね。うちコンシェルジュとか居ないし」
「うちの母親は虚栄心が強い人だからね」
有里朱がそう言っていた。
「七璃の家もそうだよ。ママは見栄っ張りで、ママの部屋は成金みたいだよ。アリスの家みたいにセンスがあれば良かったのだけど」
たしかに有里朱の部屋以外はわりと落ち着いた色で統一されているよな。一つ一つの家具とか家電が高いだけで。
そこらへんはデザイナーを使役している立場の社長だけはあるのかな。才能はなくてもセンスを見極める力は大きいのだろう。
途中、コンビニでお菓子を購入してナナリーの家に向かった。お茶請けは何かしら必要になるだろう。
駅を北口の方へと抜けると、すぐにマンションが見えた。五階建てくらいのこぢんまりとした低層マンションだ。入り口を入るとすぐにエレベーターホールで、オートロックエントランスはない。
三階がナナリーの家だという。玄関が開けられると下駄箱の上では金色の招き猫が出迎えをしているようにこちらを向いていた。思わず苦笑がこぼれる。
さらに廊下を歩いて行くと壁には現代アートっぽい、訳のわからない絵画が並べられている。あきらかに有里朱のマンションとは方向性が違っていた。
「あ、七璃の部屋はここだよ」
ナナリーが廊下の途中にあった扉を開ける。
目に飛び込んできたのは、壁に貼られた多数のアニメポスター。
アニメとひとくくりにしたが、変態絵師の岸和田メラさんのゲームの描き下ろしポスターもあった。かなりのオタク部屋だ。本棚にはコミックやラノベがずらりと並んでいる。
机の上には二十三インチの液晶モニターが二台に、A4サイズのペンタブレット。その横にはデッサンフィギュアが置いてある。
なるほど、かなり本格的に描いているようだな。
「わぁー、ななりさんて、イラスト描く人だったんだ」
あれ? かなめには説明してなかったっけ? あ、そうか、pixibのことは秘密だったな。
「そういや、ナナリーっていつからイラストを描き始めたの?」
「うーんと、小学校までは画用紙とかに書き殴ってたけど、CGって意味なら六年生の時の誕生日に親戚の叔父さんからもらったiPabで始めたのが最初かな。それから中二の頃にpixibにはまって、本格的にやりたくなってパソコンとか買ってもらったの」
俺はPC本体やペンタブレットのメーカーと型番を見る。そこそこ老舗のメーカーだ。三年前の機種とはいえ、現役でまだまだ活躍できるスペックである。
「結構高かったんじゃないの?」
「ほら、うちのお母さん見栄っ張りだから、どうせ始めるなら本格的にやりなさいって」
「いいお母さんじゃん」
とかなめが呟く。彼女はナナリーの家出の件を知らないからなぁ。
「まあ、娘への期待のかけ方がちょっと重いんだけどね」
それでもナナリーは母親を悪く言うようなことはなかった。あの時は本当に何もかもイヤになったのだろう。母親への感謝も忘れるほどに。
少しだけ重くなった空気を払拭するように、ナナリーが声のトーンを明るくする。
「あ……わたし飲み物持ってくるね。適当に座っていて」
**
期末考査の打ち上げと言っても、いつも部活で喋っているのと変わらない。たわいもない話に耳を傾け、くだらない事で笑い合い、お互いに好きなものを語りあう。
けして有意義とはいえないが、それでも大切な時間が過ぎていく。
「ね、ななりさんが絵を描いてるとこ見せてくれないかな?」
話の流れでかなめがそんな事を言い出す。ナナリーも断る理由がないのか快諾してくれた。
彼女は机に座り、PCを立ち上げ、ペイントソフトを起動する。その姿を二人で後ろから観察する。
「ソフトはフリーの使ってるんだ」
「さすがにね、フォトショとかは手が出ないよ。お母さんもそこまでは面倒見られないって言ってた」
画面にペイントソフトのツールが並ぶと、ナナリーは慣れた手つきでキーボードのショートカットとタブレットペンをうまく使いこなしていく。
「何か描こうか?」
ナナリーが振り返る。リクエストしてくれということか。
「うーん、既存キャラでいい? わたしとしては桜Tnickの有が……」
「ね、あっちゃん描いてみない?」
「あっちゃん……ああ、アリスね。いいわよ」
俺のリクエストは無視された。ま、いいけどさ。
「そこの扉の前に立って?」
彼女に言われたとおり、そこに立つと、ナナリーはスマホを取り出して、こちらに向けて写真を撮る。
「ペンタブで描くんじゃないの?」
「モニターの向きがこっちだからね」
と、くるりと背を向け再びタブレットペンを握る。モニターにはモノクロの線がどんどん引かれていく。
ペンタブレットの横には、今撮った画像をスマホが映し出していた。
「すごいね。線に迷いがまったくない」
俺は感心する。
それでいて、トレースでもしたように元の写真に忠実に描いていく。鼻筋から目、口、眉、顎、前髪と中心から外へと向かって描かれていく有里朱の顔。
自分には絵描きの才能がないだけに、本心から凄いと思えてくる。
「できた!」
タブレットペンを置くと、イスをくるりと回転させて再びこちらを向くナナリー。
モニターには有里朱の似顔絵が、まるで写真のように線画で正確に描かれていた。
「ナナリーってアニメキャラの絵とか描くときってどうしてるの? それだけ才能あると元絵と変わらないくらいのイラストを完成させるんじゃない?」
「んーとね、そういうのは、一旦頭の中にキャラクターのイメージを転送して、そっからポーズとか服装とかを再構成するの。じゃないと、ただの模写になっちゃうじゃん」
「そうなんだ。pixibにあげてる絵とか、ほとんどオリジナルの構図だもんね」
「そう。でも、文句言う人は文句言うんだよね。わたしの絵に似てるとか、あの絵師のイラストをトレースしたんじゃないかって」
ネットは嫉妬と足の引っ張り合いの場でもあるからな。他人の才能を認めたがらない者が多すぎる。
「そんなことあるんだ。ななりさんも大変だね」
「わたし、交流とか苦手だから、感想書かれても無視しちゃうし、でもほんとは凄く嬉しいんだけどね」
「あー、なんかわかるよ、ななりさん。交流って面倒だよねぇ」
「あれ? かなめちゃんもなんか創作系のサイト利用してるの?」
俺のその問いにかなめはびくりと身体を硬直させる。
「え? そ、そんなとこ利用してないから」
これは何か隠してる顔だな。と彼女を分析するも、今のかなめが後ろめたい事をするはずがない。
ナナリーがpixibでイラストを描いていたことを知られたくなかったように、かなめも皆には黙っておきたい何かがあるのだろう。
俺はあえて突っ込まないことにした。誰にだって秘密はあるのだ。まあ、ある程度見当は付いているのだけどな。
**
ナナリーの家からの帰り道、かなめと別れた後に有里朱が異変に気付く。
『誰かに付けられてる』
ストーカー騒ぎ再びか? と思考している暇もなく黒いワゴン車がすーっと寄ってきて中から現れた男達に車内へと連れ込まれてしまう。
「?!!!!」
「おとなしくしな!」
車内にはどこかで見た覚えのある顔が三人。それに見知らぬ顔が二人。
『あー、この間、雑木林で罠に引っ掛けてた人たちだ!』
有里朱のその言葉で、記憶が甦る。ゲーセンでナンパしてきた野郎と仲間たちか。
奴らの表情からはあの時の仕返しというわけでもないだろう。こちらの顔はあまり覚えていないのかもしれない。有里朱って地味系のかわいさだからな。というか、アニメのモブっぽさがあるし。
「ど、どこに連れてくんですか?」
脅えた声で演技。抵抗できないか弱い女の子というのをアピールする。あまり抵抗して、手足を拘束されるわけにはいかない。
「いいところだよ! イヒヒヒヒ」
「おめえ、笑い方がイヤラシいぞ」
「いいじゃん、これからイヤラシいことすんだから」
「そりゃそうだな。輪姦 すの久々だし」
両脇を屈強な男がいて、非力の有里朱では抵抗して車外に逃げ出すことはできないだろう。このまま郊外へと連れ去られたら無傷で助かる確率は低くなる。
まあ、多少の怪我を覚悟なら対抗できるんだけどね。そのための秘密道具もトートバッグの中に入っている
けど、今はまだ住宅地で道路にも一定の間隔で信号がある。さすがに交通法規を破るような運転はしないだろう。
この段階で助かる手はいくつかあるが、今後の事も考えてプランSで行くか。
赤信号で止まったところで、トートバッグから缶詰を取り出して、上面に貼り付いていた電動缶切りのスイッチを押す。
甲高いモーター音とともに。内部の汁が圧力で外へと飛び散る。上面は予め運転席に向けていた。瞬間的に、シュールストレミングの匂いが車の中に充満する。
「うわっ!」
「くせっ!」
「なんだこりゃ!」
「……!!!」
「ぉえええええ!!」
赤信号で車が止まっていることもあって、車内から男たちが逃げ出していく。運転席の男は直撃を受けて、その場で嘔吐していた。
トートバッグから取り出したガスマスクを装着すると俺は外に出る。手にはまだシュールストレミングの缶詰を持ったままだ。
このまま逃げ出しても、こいつらはまたやるだろう。警察に駆け込む手もあるが、もし裏で誰かが指示をしていたら別の奴らにまた同じことをされるだけだ。
俺は逃げ出して身体の動きが鈍くなった男たちに近づき、缶の残った汁をぶっ掛ける。
「うわっ!」
「やめろ!」
「ぅええっ!」
「おえぇー」
さらに「大丈夫ですか?」と周りの様子を覗いながら嘔吐している男たちの背後に立つ。もう彼らにはこちらに抵抗出来るような気力は残っていないだろう。
国道はわりと空いていて数分に車が一台通る程度。住宅地に近いが、歩いている人はあまりいない。だが、少し歩けばコンビニがあるし、ファミレスもある。
そこまで確認して、手製のスタンガンで一人の男の背中に電撃を喰らわした。
「いでっ!」
一発では身体を麻痺させるには至らないが、拷問の器具としてはある程度の効果はあるだろう。おまけになぜか脅えている。そんなにシュールストレミングが効果的だったのだろうか?
「誰に頼まれたんですか?」
「し、しらねーよ! ……ぉぇ……」
さらに電撃。
「いでぇええ!!」
「頼まれてなければ知らないとは言いませんから、誰かに依頼されたってことですね」
今度は隣にいる男にスタンガンを当てる。そして電撃。
「いだだだっ!」
「誰に頼まれたんですか? 犯罪ですよね? このまま警察を呼んでもいいんですよ」
「だから知らないって」
「頭悪いですね。そういうときは『頼まれたわけじゃない』って言えばいいじゃないですか、『知らない』ってのは『言いたくない』ってことだってバレバレですよ」
「だから言えねーんだよ……いててててて」
電撃を喰らわして、隣の男へ。
「あなたたちが主犯で、わたしを誘拐することを実行したわけですね。それだとかなり罪が重くなるわけですが、それでいいと」
「いででででででで!!」
少し長めに電撃を喰らわす。
さきほどから電撃ばかりだが、これではまるで虎柄のビキニを着た鬼っ娘だな。まあ、オタク以外は俺の世代ですら、知らない奴は多いキャラだが。
「頼まれたんだよ。適当に誘拐して輪姦 せって」
「どなたにですか?」
「……」
沈黙した男の鼻の中へと、発酵したニシンの切り身を突っ込んでやる。
「ぐぇええええええ!」
地面に転がって、悶絶するかのような表情になる。それを三人が複雑な顔で見ていた。
「言いますか?」
「わかった。それはやめてくれ」
俺の持っているニシンの切り身に脅えている。人によっては、そこそこ美味だって話もあるのになぁ……。
「指示したのは誰ですか?」
「松戸美園だ。この間の女の代わりだって」
やっぱり松戸が絡んでいたのか。あの女が大人しくしているはずがない。
「この間とは?」
「カラオケボックスで紹介してくれた子だよ。いつの間にか逃げられちゃったからさ」
かなめが松戸に連れて行かれた時のことか。そういや、こいつら居たかもな。
「なるほど、わかりました。で、わたしにはもう手は出しませんよね?」
ニシンの切り身を男に近づけると、本当に嫌そうに顔を背ける。
「わ、わかった。美園には適当に誤魔化しておくから」
「約束ですよ。破ったらあなたの部屋にこの缶詰の中身を流し込みますからね。それと誘拐するまでの事を撮影した動画がありますから、わたしに何かあった時点で、知人がこれを警察に持っていきますからね」
スマホを取り出してそれをちらつかせる。わざわざ録画データまで見せることはないだろう。
「いつの間に撮ったんだ?」
「わたし、常に撮影しているんですよ。こういうことがあった時の為に」
「わかった。おまえには手を出さないよ」
「あ、ちなみに今の言葉も全部録画されてますから、約束破ったらウーチューブにも投稿されますからね。そしたら、あなたたちの名前から住所からすべて全世界に晒されて公開リンチに遭いますからね。逮捕されるよりヤバイですよ。お気を付けください」
ニタリと笑おうとしたが、ガスマスクを被っていたのだった。不気味な笑みの演出ができないなと思っていたが、このマスク自体が、ある意味『不気味』だと気付く。
そういえば男たちが、妙に脅えていたのはそのせいか。
ガスマスク被った女子高生。手には腐った匂いを放つ缶詰を持っている。なにこの『中ボス』感漂う雰囲気は。
かなり異様だわ。
**
『松戸さん、まだ諦めてなかったんですね』
「参ったな。俺としては平和裏に解決したかったんだが」
『どうします?』
「相手の出方しだいだけど、向こうが法律を犯してきたのなら法律に則って罪を償ってもらうしか……でもなぁ、あいつ、また人を使ってくるだろうからな」
『厄介ですよね』
「とりあえず警戒はしておこう。ナナリーやかなめにも注意を促しておいた方がいいな」
自分の部屋に戻ってくると、すかさずPCの電源を入れる。これは有里朱の家にくる前からのルーティンでもあった。
テレビよりもなによりPCを立ち上げる。ネット世代でもあるからな。そういう意味じゃ、有里朱なんかはスマホがあれば十分なのだろう。WACもほとんど使ってなかったみたいだし。
収集ツールからは学校に関する情報がクリップされ、Tvvitterのタイムラインでは生徒たちの呟きが画面を流れていく。
取り立てて重要な情報もないので、あとは趣味のネット巡回だ。まずは、ナナリーのイラストでも見てほっこりしましょうか。
新作のイラストを投稿したって言ってたもんな。
pixibのナナリーのページから新作イラストをクリックする。サムネには、二人の少女。これは少し前に放映していた、スパイとして活躍する少女たちのアニメだ。その中の主人公である元王女様と入れ替わった王女が描かれている。
相変わらずほのぼのする絵柄だ。見ているだけで癒される。話題のキャラということもあって、ナナリーのイラストはデイリーランキングの一位を獲得していた。
『ほへー、すごいですね。ななりちゃん』
「ナナリーは上手いだけじゃなくて、萌えをよくわかっているからな。あざとい構図とか仕草とか表情とか、直感的に描いている感じだから、ある意味天才だよ」
イラストのコメントもすごい数が書き込まれている。まあ、デイリー一位なのだから当たり前だな。それだけ見られているってことだ。
だが、コメント欄の雰囲気が少しおかしい。
【ふざけんな】
【不正で一位狙ってるんだろ】
【すぐに退会しろ】
【この作品はトレス疑惑がある】
俺はブラウザのブックマークからナナリーのTvvitterのアカウントを見る。
最新のツイートには自分が投稿したイラストの宣伝。そしてそれには大量のリプライが付いている。そのほとんどが彼女のトレス疑惑による批判であった。
「ナナリーが炎上している」
そんなプチ休暇を前にナナリーの家でささやかな宴を行う事になった。最初は駅前のファストフードで打ち上げのはずが、話の流れで彼女の家に行くことになる。
「ナナリーの家に行くの初めてだね」
「ね、マンションなんだっけ?」
俺とかなめのテンションが上がる。知らない人の家に行くのは好奇心が刺激されるのだ。
「うん、まあ、アリスの家みたいに高級じゃないけどね。うちコンシェルジュとか居ないし」
「うちの母親は虚栄心が強い人だからね」
有里朱がそう言っていた。
「七璃の家もそうだよ。ママは見栄っ張りで、ママの部屋は成金みたいだよ。アリスの家みたいにセンスがあれば良かったのだけど」
たしかに有里朱の部屋以外はわりと落ち着いた色で統一されているよな。一つ一つの家具とか家電が高いだけで。
そこらへんはデザイナーを使役している立場の社長だけはあるのかな。才能はなくてもセンスを見極める力は大きいのだろう。
途中、コンビニでお菓子を購入してナナリーの家に向かった。お茶請けは何かしら必要になるだろう。
駅を北口の方へと抜けると、すぐにマンションが見えた。五階建てくらいのこぢんまりとした低層マンションだ。入り口を入るとすぐにエレベーターホールで、オートロックエントランスはない。
三階がナナリーの家だという。玄関が開けられると下駄箱の上では金色の招き猫が出迎えをしているようにこちらを向いていた。思わず苦笑がこぼれる。
さらに廊下を歩いて行くと壁には現代アートっぽい、訳のわからない絵画が並べられている。あきらかに有里朱のマンションとは方向性が違っていた。
「あ、七璃の部屋はここだよ」
ナナリーが廊下の途中にあった扉を開ける。
目に飛び込んできたのは、壁に貼られた多数のアニメポスター。
アニメとひとくくりにしたが、変態絵師の岸和田メラさんのゲームの描き下ろしポスターもあった。かなりのオタク部屋だ。本棚にはコミックやラノベがずらりと並んでいる。
机の上には二十三インチの液晶モニターが二台に、A4サイズのペンタブレット。その横にはデッサンフィギュアが置いてある。
なるほど、かなり本格的に描いているようだな。
「わぁー、ななりさんて、イラスト描く人だったんだ」
あれ? かなめには説明してなかったっけ? あ、そうか、pixibのことは秘密だったな。
「そういや、ナナリーっていつからイラストを描き始めたの?」
「うーんと、小学校までは画用紙とかに書き殴ってたけど、CGって意味なら六年生の時の誕生日に親戚の叔父さんからもらったiPabで始めたのが最初かな。それから中二の頃にpixibにはまって、本格的にやりたくなってパソコンとか買ってもらったの」
俺はPC本体やペンタブレットのメーカーと型番を見る。そこそこ老舗のメーカーだ。三年前の機種とはいえ、現役でまだまだ活躍できるスペックである。
「結構高かったんじゃないの?」
「ほら、うちのお母さん見栄っ張りだから、どうせ始めるなら本格的にやりなさいって」
「いいお母さんじゃん」
とかなめが呟く。彼女はナナリーの家出の件を知らないからなぁ。
「まあ、娘への期待のかけ方がちょっと重いんだけどね」
それでもナナリーは母親を悪く言うようなことはなかった。あの時は本当に何もかもイヤになったのだろう。母親への感謝も忘れるほどに。
少しだけ重くなった空気を払拭するように、ナナリーが声のトーンを明るくする。
「あ……わたし飲み物持ってくるね。適当に座っていて」
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期末考査の打ち上げと言っても、いつも部活で喋っているのと変わらない。たわいもない話に耳を傾け、くだらない事で笑い合い、お互いに好きなものを語りあう。
けして有意義とはいえないが、それでも大切な時間が過ぎていく。
「ね、ななりさんが絵を描いてるとこ見せてくれないかな?」
話の流れでかなめがそんな事を言い出す。ナナリーも断る理由がないのか快諾してくれた。
彼女は机に座り、PCを立ち上げ、ペイントソフトを起動する。その姿を二人で後ろから観察する。
「ソフトはフリーの使ってるんだ」
「さすがにね、フォトショとかは手が出ないよ。お母さんもそこまでは面倒見られないって言ってた」
画面にペイントソフトのツールが並ぶと、ナナリーは慣れた手つきでキーボードのショートカットとタブレットペンをうまく使いこなしていく。
「何か描こうか?」
ナナリーが振り返る。リクエストしてくれということか。
「うーん、既存キャラでいい? わたしとしては桜Tnickの有が……」
「ね、あっちゃん描いてみない?」
「あっちゃん……ああ、アリスね。いいわよ」
俺のリクエストは無視された。ま、いいけどさ。
「そこの扉の前に立って?」
彼女に言われたとおり、そこに立つと、ナナリーはスマホを取り出して、こちらに向けて写真を撮る。
「ペンタブで描くんじゃないの?」
「モニターの向きがこっちだからね」
と、くるりと背を向け再びタブレットペンを握る。モニターにはモノクロの線がどんどん引かれていく。
ペンタブレットの横には、今撮った画像をスマホが映し出していた。
「すごいね。線に迷いがまったくない」
俺は感心する。
それでいて、トレースでもしたように元の写真に忠実に描いていく。鼻筋から目、口、眉、顎、前髪と中心から外へと向かって描かれていく有里朱の顔。
自分には絵描きの才能がないだけに、本心から凄いと思えてくる。
「できた!」
タブレットペンを置くと、イスをくるりと回転させて再びこちらを向くナナリー。
モニターには有里朱の似顔絵が、まるで写真のように線画で正確に描かれていた。
「ナナリーってアニメキャラの絵とか描くときってどうしてるの? それだけ才能あると元絵と変わらないくらいのイラストを完成させるんじゃない?」
「んーとね、そういうのは、一旦頭の中にキャラクターのイメージを転送して、そっからポーズとか服装とかを再構成するの。じゃないと、ただの模写になっちゃうじゃん」
「そうなんだ。pixibにあげてる絵とか、ほとんどオリジナルの構図だもんね」
「そう。でも、文句言う人は文句言うんだよね。わたしの絵に似てるとか、あの絵師のイラストをトレースしたんじゃないかって」
ネットは嫉妬と足の引っ張り合いの場でもあるからな。他人の才能を認めたがらない者が多すぎる。
「そんなことあるんだ。ななりさんも大変だね」
「わたし、交流とか苦手だから、感想書かれても無視しちゃうし、でもほんとは凄く嬉しいんだけどね」
「あー、なんかわかるよ、ななりさん。交流って面倒だよねぇ」
「あれ? かなめちゃんもなんか創作系のサイト利用してるの?」
俺のその問いにかなめはびくりと身体を硬直させる。
「え? そ、そんなとこ利用してないから」
これは何か隠してる顔だな。と彼女を分析するも、今のかなめが後ろめたい事をするはずがない。
ナナリーがpixibでイラストを描いていたことを知られたくなかったように、かなめも皆には黙っておきたい何かがあるのだろう。
俺はあえて突っ込まないことにした。誰にだって秘密はあるのだ。まあ、ある程度見当は付いているのだけどな。
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ナナリーの家からの帰り道、かなめと別れた後に有里朱が異変に気付く。
『誰かに付けられてる』
ストーカー騒ぎ再びか? と思考している暇もなく黒いワゴン車がすーっと寄ってきて中から現れた男達に車内へと連れ込まれてしまう。
「?!!!!」
「おとなしくしな!」
車内にはどこかで見た覚えのある顔が三人。それに見知らぬ顔が二人。
『あー、この間、雑木林で罠に引っ掛けてた人たちだ!』
有里朱のその言葉で、記憶が甦る。ゲーセンでナンパしてきた野郎と仲間たちか。
奴らの表情からはあの時の仕返しというわけでもないだろう。こちらの顔はあまり覚えていないのかもしれない。有里朱って地味系のかわいさだからな。というか、アニメのモブっぽさがあるし。
「ど、どこに連れてくんですか?」
脅えた声で演技。抵抗できないか弱い女の子というのをアピールする。あまり抵抗して、手足を拘束されるわけにはいかない。
「いいところだよ! イヒヒヒヒ」
「おめえ、笑い方がイヤラシいぞ」
「いいじゃん、これからイヤラシいことすんだから」
「そりゃそうだな。
両脇を屈強な男がいて、非力の有里朱では抵抗して車外に逃げ出すことはできないだろう。このまま郊外へと連れ去られたら無傷で助かる確率は低くなる。
まあ、多少の怪我を覚悟なら対抗できるんだけどね。そのための秘密道具もトートバッグの中に入っている
けど、今はまだ住宅地で道路にも一定の間隔で信号がある。さすがに交通法規を破るような運転はしないだろう。
この段階で助かる手はいくつかあるが、今後の事も考えてプランSで行くか。
赤信号で止まったところで、トートバッグから缶詰を取り出して、上面に貼り付いていた電動缶切りのスイッチを押す。
甲高いモーター音とともに。内部の汁が圧力で外へと飛び散る。上面は予め運転席に向けていた。瞬間的に、シュールストレミングの匂いが車の中に充満する。
「うわっ!」
「くせっ!」
「なんだこりゃ!」
「……!!!」
「ぉえええええ!!」
赤信号で車が止まっていることもあって、車内から男たちが逃げ出していく。運転席の男は直撃を受けて、その場で嘔吐していた。
トートバッグから取り出したガスマスクを装着すると俺は外に出る。手にはまだシュールストレミングの缶詰を持ったままだ。
このまま逃げ出しても、こいつらはまたやるだろう。警察に駆け込む手もあるが、もし裏で誰かが指示をしていたら別の奴らにまた同じことをされるだけだ。
俺は逃げ出して身体の動きが鈍くなった男たちに近づき、缶の残った汁をぶっ掛ける。
「うわっ!」
「やめろ!」
「ぅええっ!」
「おえぇー」
さらに「大丈夫ですか?」と周りの様子を覗いながら嘔吐している男たちの背後に立つ。もう彼らにはこちらに抵抗出来るような気力は残っていないだろう。
国道はわりと空いていて数分に車が一台通る程度。住宅地に近いが、歩いている人はあまりいない。だが、少し歩けばコンビニがあるし、ファミレスもある。
そこまで確認して、手製のスタンガンで一人の男の背中に電撃を喰らわした。
「いでっ!」
一発では身体を麻痺させるには至らないが、拷問の器具としてはある程度の効果はあるだろう。おまけになぜか脅えている。そんなにシュールストレミングが効果的だったのだろうか?
「誰に頼まれたんですか?」
「し、しらねーよ! ……ぉぇ……」
さらに電撃。
「いでぇええ!!」
「頼まれてなければ知らないとは言いませんから、誰かに依頼されたってことですね」
今度は隣にいる男にスタンガンを当てる。そして電撃。
「いだだだっ!」
「誰に頼まれたんですか? 犯罪ですよね? このまま警察を呼んでもいいんですよ」
「だから知らないって」
「頭悪いですね。そういうときは『頼まれたわけじゃない』って言えばいいじゃないですか、『知らない』ってのは『言いたくない』ってことだってバレバレですよ」
「だから言えねーんだよ……いててててて」
電撃を喰らわして、隣の男へ。
「あなたたちが主犯で、わたしを誘拐することを実行したわけですね。それだとかなり罪が重くなるわけですが、それでいいと」
「いででででででで!!」
少し長めに電撃を喰らわす。
さきほどから電撃ばかりだが、これではまるで虎柄のビキニを着た鬼っ娘だな。まあ、オタク以外は俺の世代ですら、知らない奴は多いキャラだが。
「頼まれたんだよ。適当に誘拐して
「どなたにですか?」
「……」
沈黙した男の鼻の中へと、発酵したニシンの切り身を突っ込んでやる。
「ぐぇええええええ!」
地面に転がって、悶絶するかのような表情になる。それを三人が複雑な顔で見ていた。
「言いますか?」
「わかった。それはやめてくれ」
俺の持っているニシンの切り身に脅えている。人によっては、そこそこ美味だって話もあるのになぁ……。
「指示したのは誰ですか?」
「松戸美園だ。この間の女の代わりだって」
やっぱり松戸が絡んでいたのか。あの女が大人しくしているはずがない。
「この間とは?」
「カラオケボックスで紹介してくれた子だよ。いつの間にか逃げられちゃったからさ」
かなめが松戸に連れて行かれた時のことか。そういや、こいつら居たかもな。
「なるほど、わかりました。で、わたしにはもう手は出しませんよね?」
ニシンの切り身を男に近づけると、本当に嫌そうに顔を背ける。
「わ、わかった。美園には適当に誤魔化しておくから」
「約束ですよ。破ったらあなたの部屋にこの缶詰の中身を流し込みますからね。それと誘拐するまでの事を撮影した動画がありますから、わたしに何かあった時点で、知人がこれを警察に持っていきますからね」
スマホを取り出してそれをちらつかせる。わざわざ録画データまで見せることはないだろう。
「いつの間に撮ったんだ?」
「わたし、常に撮影しているんですよ。こういうことがあった時の為に」
「わかった。おまえには手を出さないよ」
「あ、ちなみに今の言葉も全部録画されてますから、約束破ったらウーチューブにも投稿されますからね。そしたら、あなたたちの名前から住所からすべて全世界に晒されて公開リンチに遭いますからね。逮捕されるよりヤバイですよ。お気を付けください」
ニタリと笑おうとしたが、ガスマスクを被っていたのだった。不気味な笑みの演出ができないなと思っていたが、このマスク自体が、ある意味『不気味』だと気付く。
そういえば男たちが、妙に脅えていたのはそのせいか。
ガスマスク被った女子高生。手には腐った匂いを放つ缶詰を持っている。なにこの『中ボス』感漂う雰囲気は。
かなり異様だわ。
**
『松戸さん、まだ諦めてなかったんですね』
「参ったな。俺としては平和裏に解決したかったんだが」
『どうします?』
「相手の出方しだいだけど、向こうが法律を犯してきたのなら法律に則って罪を償ってもらうしか……でもなぁ、あいつ、また人を使ってくるだろうからな」
『厄介ですよね』
「とりあえず警戒はしておこう。ナナリーやかなめにも注意を促しておいた方がいいな」
自分の部屋に戻ってくると、すかさずPCの電源を入れる。これは有里朱の家にくる前からのルーティンでもあった。
テレビよりもなによりPCを立ち上げる。ネット世代でもあるからな。そういう意味じゃ、有里朱なんかはスマホがあれば十分なのだろう。WACもほとんど使ってなかったみたいだし。
収集ツールからは学校に関する情報がクリップされ、Tvvitterのタイムラインでは生徒たちの呟きが画面を流れていく。
取り立てて重要な情報もないので、あとは趣味のネット巡回だ。まずは、ナナリーのイラストでも見てほっこりしましょうか。
新作のイラストを投稿したって言ってたもんな。
pixibのナナリーのページから新作イラストをクリックする。サムネには、二人の少女。これは少し前に放映していた、スパイとして活躍する少女たちのアニメだ。その中の主人公である元王女様と入れ替わった王女が描かれている。
相変わらずほのぼのする絵柄だ。見ているだけで癒される。話題のキャラということもあって、ナナリーのイラストはデイリーランキングの一位を獲得していた。
『ほへー、すごいですね。ななりちゃん』
「ナナリーは上手いだけじゃなくて、萌えをよくわかっているからな。あざとい構図とか仕草とか表情とか、直感的に描いている感じだから、ある意味天才だよ」
イラストのコメントもすごい数が書き込まれている。まあ、デイリー一位なのだから当たり前だな。それだけ見られているってことだ。
だが、コメント欄の雰囲気が少しおかしい。
【ふざけんな】
【不正で一位狙ってるんだろ】
【すぐに退会しろ】
【この作品はトレス疑惑がある】
俺はブラウザのブックマークからナナリーのTvvitterのアカウントを見る。
最新のツイートには自分が投稿したイラストの宣伝。そしてそれには大量のリプライが付いている。そのほとんどが彼女のトレス疑惑による批判であった。
「ナナリーが炎上している」