第30話 お泊まり ~ The Lion and the Unicorn II

文字数 4,437文字

『ほんとご近所トラブルって難しいよね』
「そうなんだよな。たいてい、両方に問題がある場合が多い。もちろん、変な人が越してくる場合もあるけど、それぞれの家庭がそれぞれの常識で争う場合の方が多いからタチが悪いんだ」
『それわかる』
「みんな自分の常識が正しいと思い込むから、話し合いの場なんか設けられない。自分が不快に思った、その一点で相手を攻撃しだす。それこそ裁判で争わないと解決しないだろう」

 冷静に問題を処理できる人なんて少ない。皆、自分の利益を最優先で考えるのだ。それが悪いとは言わない。

『みんな少しずつ我慢すればいいんだけどね』
「そんな簡単な話じゃないし、人間の我慢できる限界なんて人によって違う。例えば俺が牛丼大盛り食うのを有里朱は嫌がるだろ。俺としちゃ大したことないのに」
『そ、それは!』
「ほら、不快と思う感情が急激にあがったぞ。あくまでも例だよ。人によっては、なんてことのない行為が他人を不快にさせる。それがバラバラだから人間関係は難しいんだよ」
『それはわかるけど……」
「だからさ。原因がわからないうちは、どちらかに肩入れするのは危険なんだ」

 善と悪など、立場によってコロコロと変わる。佐伯さんの立場で見れば柴手崎さんは悪でも、柴手崎さんから見れば逆の場合もある。

 もちろん夜中に大音響なんて、普通に考えればありえない対抗策だ。だけど、正当な理由があるのならそれを知っておくべきだ。

「お待たせ」

 有里朱と喋っているとかなめが戻ってくる。

「どうだった?」
「うん、庭でね柴手崎さんがゴミを燃やしていたことがあったの。煙が佐伯さんの家の方まできたから注意したんだって。そしたら、逆ギレされて警察を呼ばれたって」
「それで?」
「呼ばれてもどうにもならなかったみたい。ご本人たちで話し合ってくれと言われて警察の人も帰っていったみたいなの」
「トラブルはそれだけ?」
「その日の夕方くらいに佐伯さんちの子供が騒いでたんだって、まだ小学生くらいかな。そしたら苦情を言ってきたって」
「夕方の何時?」
「五時くらいだって」
「常識的に考えれば夜十時以降、朝五時までが音に気をつける時間だよね。けど、これは人によっても常識や感覚が違ってくるから、その時間で苦情を言うのは相当神経質なのか、それとも煙で文句を言われた恨みなのか……」
「あとね。自分の家のゴミを佐伯さんちに投げ入れるみたい。枯れ葉とか、生ゴミとか些細なものなんだけどね。風で流れてきたんじゃなくて、まとめてどんと置かれているみたい。」
「子供かよ!」

 うーん……騒音問題で少し理解できそうだったけど、これは根本的に考え直さないとダメだ。

「佐伯さんもゴミに関しては証拠がないから文句は言えないみたい。けど、落ち葉に関してはあきらかに柴手崎さんちの庭にあるタラノキだって」
「佐伯さんは柴手崎さんに何か仕返しみたいなことはしてないの?」
「あそこは夫婦で、中学校の先生らしいの。だから、問題を起こしたくなくて我慢しているらしいよ。けど、柴手崎さんがだんだんエスカレートしてきて執拗に佐伯さんに絡むようになったって。庭に出てちょっと目があっただけで水を掛けられるみたい」
「あーなるほど」

 これはヤバイ人だわ。俺もさっき、空き缶投げつけられたしな。

「それでも、夜中の騒音騒ぎがあるまではじっと耐えてたみたい」
「今も毎日のように行われるんだっけ?」
「警察も呼んでるんだけど、どうにもならなくて。実際に健康被害が出ないと動けないらしいの」

 それは予想通りである。まあ、仕方ないよね。これは警察の対応が悪いという以前の問題だ。

「まあ、そりゃそうだよね」
「それでこの前、佐伯さんの家にうちの両親とか集まって話し合ったみたいなの」
「で、それは柴手崎さんに見られちゃったわけね」
「そういういこと」
「それからさらにエスカレートしたと」
「うん」

 これは柴手崎さんをプロファイリングして対策を練った方が早いな。精神異常者とまでは言わないけど、本来触れちゃいけなくて、どっかに隔離しとかなきゃならないタイプかもしれん。

「今日泊まっていいんだよね?」
「うん、親にも話したよ。あっちゃんの親がオーケーなら問題ないって」
「ありがと」
「でも……たぶん、夜眠れないと思うよ」
「大音量で音楽を流すんでしょ? 一度聞いてみないことにはね」


**


 かなめはベッド。俺は床に敷いてくれた布団で眠っている。と、なにやら不快感で目覚めた。

 外から大音量の演歌が聞こえてくる。枕元に置いてあったスマホのスリープを解除して画面を表示させる。今の時間は午前二時半。

「あっちゃん、起きちゃった?」
「うん、目覚まし時計としちゃ最悪だわ」

 カーテンを少し開け、外を覗く。ここは裏手なのでよくわからない。少なくともこちらに面した窓には明かりは点いていなかった。

「ちょっと外出てくるね」

 俺はパジャマの上から、大きめの上着を羽織る。フード付きのベンチコートだ。これならそのまま外に出られる。

「わたしも行こうか?」
「かなめちゃんは待ってて」
「けど、こんな夜中に危ないよ」
「どうせ佐伯さんが警察呼ぶでしょ? そうしないと音が止まらないもんね」
「まあ、そうだけど」
「だから安全だよ」

 深夜の寒空の中へ出かけていく。ついでにスマホのアプリの騒音測定器を立ち上げた。音量を示すレベルは四十四デシベル。大音量だったのは、初めの数分だけだ。

 柴手崎さんの家は、この裏の通りなので、少し大回りしないと目的の家にたどり着けない。

 と、目の前をパトカーが通り過ぎていく。目的地はわかっていた。

 俺は、柴手崎家の手前十メートルくらいの所にある電柱の影に隠れながら様子を見守る。

 警官と柴手崎家の家主である老年の男が何か喋っている。

 かなめの家に来る前に見かけたあの神経質そうな女性の夫だろうか? 男性の方は、わりと穏やかな感じで、警官に対してぺこぺこと謝っているようだ

『旦那さんはいい人そうだね』
「見た目はね。外面なんて簡単に信用していいものでもない」

 その旦那の隣にはむっとしたような顔で女性がいる。これは昼間あったあの婆さんだろう。

『警察に注意を受けているところかな?』
「そうだな。いつもはこれで止めるそうだ。けど、警察が来た時点での音量レベルは四十五デシベル以下だからな。軽犯罪法違反で処罰できる対象じゃない」
『うわぁ、そこまで考えて嫌がらせしてるんだ』

 俺は老年の男をさらに観察する。

 旦那さんの年齢は六十過ぎ、もう働いてないで年金暮らしってところか。仕事を持っているのなら、夜中に騒ぎを起こして明日に響くようなことはしないだろう。それに年金暮らしってことは、かなりの蓄えがないとやっていけない。車だって、あれは新車で三千万以上するものだ。

 なるほど……。

「戻るぞ」

 俺は有里朱に告げる。これ以上は情報収集の必要が無い。

 かなめの家に戻ると、温かいミルクを用意してくれていた。いつもこの時間に起こされるので再度眠るために飲んでいるようだ。

「何かわかった?」
「そうだね。簡単なプロファイリングくらいなら。でも、そのためにも柴手崎さん夫妻の名前をフルネームで知りたいな」

 お母さんに聞いてくると、再び階下に降りていくかなめ。

 その間に窓を開け、話し声で警官がまだいるのを確認すると、庇の下あたりにカメラを設置した。これでカーテンを開けなくても裏手の家の状態はわかるだろう。もちろん、かなめの許可はすでにとってある。

 窓のすぐ外には裏手の家の二階のベランダがある。ここで洗濯物を干すのだろう。目が合う確率が高いわけだ。

 彼女が下から戻ってくると、手にはチラシのような紙を持っていた。

「町内会で回覧板を回すときに使う一覧表みたい」

 手渡された紙には、柴手崎登、柴手崎幸子と書かれている。ここらへんは昔からある土地だから、町内会での個人情報の取り扱いはザルに近いなぁ……まあ、そのおかげであの夫婦のフルネームを知ることができたんだけどね。

「ありがとう。そういや、回覧板は誰が柴手崎さんに回しているの?」
「先月までは佐伯さんだったんだけどね。トラブルがあってから柴手崎さん、自治会もやめちゃったみたい」
「なるほど、わかった。じゃあ、ちょっと借りるね」

 そのフルネームを元にネットでの検索をかけてみる。

 ありふれた苗字ではない。もしかしたら何かに引っかかるかもしれない。資産家であればFaceboogくらいはぎりぎりでやっていそうなのだが……。

 結果は「柴手崎登」で0件。「柴手崎幸子」で一件の表示が出た。

 ヒットしたのは、とある会社の役員情報だ。相談役に並んで記されている彼女の名前。

 会社自体の情報を探る。

 隣の市にある一族経営の中規模会社であった。会社名で検索すると、社員の泣き言のような書き込みが出てくる。ブラック企業か……。

「金はそこそこ持っているみたいだね。これなら方針も立てやすい」
「どうするの?」

 かなめが近寄ってきて、スマホをのぞき見する。見られても別に構わないのだが、何を調べているのかは理解していないだろう。

「かなめちゃんは、柴手崎登さんの方を見かけたことある?」
「旦那さんの方?」
「うん」
「そうだね。家からはあまり出ないみたい。見かけて挨拶しても無視されることの方が多いかな」

 やっぱり誰にでも愛想がいいわけじゃなかったか。となると、夫婦で性格が悪いってのもありえるな。

「夜中の騒音って、これで何日目?」
「うーん……一週間くらいかな」
「実際に健康被害が出るまでに一年二年はかかるだろうね……それで診断書をもらって、初めて警察は動ける。あとは、この市にはペナルティが厳しい騒音条例みたいなのもないし、あの家を罰してもらうには市議への働きかけも必要ね」
「うわぁ……それは大変だね。いちおう親にも相談してみるけど」
「いや、たぶんそれくらいはかなめちゃんの親も考えていると思うよ。佐伯さんと相談したときにその話も出ているだろうし」
「だとしたら議員さんになんとかしてもらうまで、このままの状態が続くの? それはキツいなぁ」

 苦々しく笑うかなめ。これからの事を考えると頭が痛いのだろう。

「そこで一つのプランがあるの。やり方としては最低なんだけどね」

 俺は伝家の宝刀を抜く。手っ取り早くて強力な効果があるのはこのプランだけだ。

「最低?」
「人として」

 俺としてもあまり実行したくない。とはいえ、人殺しとかそういう重犯罪を行うわけではなかった。

「とりあえず聞かせて」
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