第31話 下劣な作戦
文字数 5,345文字
第31話 下劣な作戦 ~ The Lion and the Unicorn III
次の日の午前中、家から持ってきたドローンを飛ばして柴手崎さんの家の周りを撮影。二百グラム未満の重量なので、国土交通省の規制には当てはまらない。
とはいえ、盗撮という意味でなら、グレーゾーンぎりぎり。見つかれば下手な言い訳はできないだろう。
ドローンからの映像をスマホで見る。
柴手崎家はかなり小綺麗というか、清潔にしているようで庭も手入れされており、ベランダにも無駄な荷物が積んであることはなかった。わりときれい好き……というか、潔癖症っぽい部分も見受けられる。
音に気付いた柴手崎の婆さんがドローンに向かって何か吠えるように叫んでいるが、こっちとしてはスマホのモニター越しに見ているだけなので問題は無い。
家を何周かして舐め回すように撮影する。そろそろ警察を呼ばれそうなので、機体を戻すことにした。いくら無人航空機(ドローン・ラジコン機等)の飛行ルールに当てはまらないからといって、盗撮に関しては見つかれば処罰されるだろう。
案の定、しばらくするとパトカーのサイレンが聞こえてくる。
パトカーが到着してしばらく経つと、かなめの家のインターホンが鳴った。
父親はゴルフに行っているらしく朝から不在で、母親はちょうど買い物に出かけていた。なので、かなめが降りていくことになる。
もしかしたらと思い上から覗くと、玄関先には制服姿の警官が見える。どうやらドローンのことで近所に聞き込みを開始したようだ。
だが、二百グラム未満のドローンは違法にはならない。おかしいと思って聞き耳をたてると、どうやら柴手崎さんは、両手を広げたくらいの大型ドローンが飛んでいたと証言したらしい。
距離感もあるし、空を飛んでいるのだから、大きさを誤認するのも仕方がないだろう。警官も苦笑いしながら、近所の人全員に聞いて回っていることをアピールしている。
かなめは涼しい顔で「家の中にいたので気付かなかった」と言っていた。彼女が家の中にいたのは本当だし、そんなデカいドローンは知らないだろう。いちおう、手の平サイズの機体をかなめにも見せてはいたのだ。
ほどなくして警官達は引き上げる。かなめはこちらを見上げ「あれで良かったんでしょ?」と口元を緩める。
お昼はかなめを誘って駅前の牛めし屋に行き(中に入るのは初めてらしく、妙にテンションが高かった。てか、おまえもお嬢様かよ!)、帰りは学校の所で別れた。これからいろいろと用意があると言ったら「手伝うよ! だって私の家の問題だよね?」と言われたが丁重にお断りする。
「なんで?」
かなめは納得いかないようだ。
「服汚れるから、かなめちゃんにはあまりオススメしないよ」
「なにするの?」
「これから雑木林に行って作戦に必要なものを取ってくるの。だけど、グロくてキモくて臭いんだよ」
そこまで言って、内側の有里朱が『うへぇ』と本当に嫌そうな声を出した。
「で、でもあっちゃんは行くんでしょ。私の為に」
「いいんだよ。これくらい。かなめちゃんは眠れてないんだから、休みの日くらい昼寝しておきなよ」
「そうだけど……」
「わたしに任せて! 今週中には解決できるように努力するからさ」
「あっちゃんがそう言うなら、その言葉に甘えちゃうけど」
「いくらでも甘えて」
「さあ来て!」と言わんばかりに両手を広げるが、あっちゃんはそれに気付かず「そう?」と少し俯いて考え込む。
『なんか変なこと考えてない?』と有里朱がすかさず突っ込んでくる。
「柴手崎さんへのプランか? そりゃえげつないことをいろいろと」
『そうじゃなくて、かなめちゃんに』
「いや、普通にスキンシップをとろうとしただけだが」
『わたしたち……そういう関係じゃないし』
「いや、女の子同士なら大して珍しくないんじゃないのか? 抱き合うなんて」
『……』
有里朱は黙り込む。それたぶん、意識しすぎだ。俺の方が無心に近かったぞ。オタク的に……。
「じゃあね、かなめちゃん」
「あっちゃん、また明日」
俺はかなめを見送る。そして、踵を返し林道への道を目指した。
**
水曜日、頼んでおいた荷物が到着する。さすがにKonozama自体が販売、発送するものではなかったので送料と時間が余計にかかった。
予定通り、今日はかなめの家に泊まることになる。あれからも騒音は毎日続いているらしい。
そして深夜、大音量の演歌とともに目が覚めた。いや、相変わらず不快な目覚まし時計だ。
「起きちゃった?」
かなめが心配そうに聞いてくる。
「ううん、起こしてくれてありがと」
そう言って持ってきたノートパソコンを起動させ、撮影しているカメラにリンクさせる。
隠しカメラを設置したのは、かなめの部屋の窓の外と、裏手の柴手崎家と隣の間にある十字になった塀の部分。そこからは、ちょうど裏の通りも見えるので、警察が来たらわかりやすい。
数分後にパトカーが到着。チャイムを押すと柴手崎夫婦が出てきたようで話し声が聞こえる。
隣のベランダ部分にもひとけは無く、明かりも点いていない。
「よし、いまね!」
かなめの部屋のカーテンを開け、オブラートで出来た袋を何個か向かいのベランダに向けて投げつける。
その後は、暗視装置を付けて水鉄砲でそのオブラートを破壊。中からはうじゃうじゃと茶色い虫が出てきた。レッドローチと呼ばれる爬虫類用の生き餌の虫だ。
全世界に四千種類はいると言われているゴキブリの一種である。
「……ねえ、ほ、ほんとにうちまで来ないよね」
かなめが恐怖に震えながら上擦った声で呟く。暗くてよく見えないとはいえ、カサカサと這いずり回る蟲の音は聞こえるのだ。
「レッドローチは飛ばないし、足先に反しもあまりないからツルツルした壁も登れない。多少はこっちにも来るかも知れないけど、前に渡しておいた忌避剤は境目に撒いてあるでしょ?」
「うん、隣近所にも渡しておいたって親も言ってた」
「季節も季節だし、わざわざ寒い野外を越えて隣の家に行くよりは、暖かい屋内に逃げ込むよ」
「うわ……考えただけでも鳥肌たっちゃう!」
「繁殖も早いみたいだからすぐ増えるだろうし」
俺は、別の箱を取り出して蓋を開ける。
「それは?」
「カメムシの卵。ちょっと時期外れだから少なかったけど、G作戦のおまけみたいなもの」
卵はこれもオブラートに包んで小さくまるめてある。それを一つとると、パチンコで隣の家の窓の上部にある丸い排気口を狙って飛ばす。
この時期なら、窓は閉め切っても空調のために排気口は少し開けてあるだろう。
暗視装置で見ながら、狙っての発射。穴に入らなくてもいい。片側に粘着剤を塗ってあるので。そのまま貼り付くだろう。羽化したカメムシたちは暖かい屋内へと入っていくことは間違いない。
すべての弾を撃ち込むと窓を締める。
「これでしばらく待てば、あの夫婦は家に寄りつかなくなる。もしくは引っ越すかだ。金もありそうだし、潔癖症っぽいから引っ越す可能性の方が高いけどね」
金持ちだというのに、家が借家だというのが気になったのだが、ようは前の家でトラブルでも起こして追い出される状況になったのだろう。
一族経営の会社なのに、息子が住んでいないってことは、その息子夫婦とのトラブルでこの家に来た可能性が高い。で、そのストレスを近所へと向け始めたというわけだ。ここらへんは俺の想像だが。
「そしたら、もうあの騒音に悩まされなくていいんだよね」
「うまくいけばね。しばらくは忌避剤捲くのを忘れないでよ。あと、下水から上がってくることもあるから、台所とか、洗面所とか、風呂場の排水溝近くも気をつけておいて」
「うん、わかったよ」
「じゃあ、寝よっか」
「そうだね。おやすみ、あっちゃん」
「おやすみ、かなめちゃん」
そして「おやすみ有里朱」と声をかけるが、有里朱は震えたような声を漏らす。「む、む、むしがうじゃうじゃと……」
そういや宅配便で来たレッドローチを見たときも、袋に入れる作業をしているときも、声にならない悲鳴を上げていたっけ。
「有里朱ってエビ好きじゃなかったっけ?」
『エ、エビがどうしたのよ!』
「エビの尻尾も、Gの羽も同じキチン質だぞ。どっちも火で炙ると香ばしい匂いがだな……」
『ひえぇぇぇぇ……やめてやめて! それいじめだよ!』
「いや、すまん。そこまで嫌がるとは」
『もう! エビ食べられなくなっちゃうじゃん!』
**
それから三日経ち、夜中に聞こえてきたのは演歌の大音量ではなく女性の悲鳴だったそうだ。
そりゃあ活動期の夜中に急に電気をつければ、部屋を這い回る蟲たちに気付いてしまうであろう。
さらにそれから二日後に老夫婦は家から逃げ出したそうだ。レッドローチに加えカメムシまで家の中に発生したわけだからな。
あの夫婦は揃って潔癖症であった可能性が高い。
庭も常に清掃していたというし、家の中もそうだろう。そんな夫婦が蟲が大量に這い回る場所に住み続けられるわけがない。
もちろん、引っ越す先も費用も用意できないのであれば無理矢理にでも居座るだろう。だが、あの夫婦はそれなりに金もあるのだ。不自由で不快な場所に居座る理由もないはずだ。
それを考えれば、あの者たちにこの家に住む価値がないと思わせるのが一番だ。
だから、ちょっとしたことで家を出て行くきっかけとなる。それが今回の作戦であり、勝利条件であった。
今回はたまたまトラブル一家の条件に合う作戦が考えられたが、同じ方法が別の人間に通用するとは限らないだろう。
隣がいなくなったのを確認して、かなめの家に渡しておいた業務用の殺虫剤を柴手崎家に向かって噴射してもらっている。害虫の根絶は無理かもしれないが、多少の被害には目を瞑ってもらうしかない。
とはいっても、カメムシに関しては事前に「大発生する気配があるから対策しておいた方がいいよ」と偽情報を近所に流してもらったのだ。偽というのはもちろん、それが自然発生ではないということ。こちらの作戦をそのまま伝えたら、それなりに顰蹙を買うであろう。
**
「おはよう! あっちゃん」
登校時、いつものところでかなめが声をかけてくる。肌つやも良く、目の下にクマもできていない。声にも張りがあって元気がいい。
「おはよう、かなめちゃん。ここのところよく眠れてるようだね」
「うん、あっちゃんのおかげだよ」
嬉しそうに、にっこりと笑うかなめ。その笑顔守りたい!
『何言ってんですか?』
「あれ? 今話しかけてないぞ?」
『え? その笑顔守りたいって言ってませんでした?』
ん? 今までは心の声ときちんと切り替えられていたはずだが……。
試しに何か言ってみるか。有里朱、今日の夕飯は駅前のラーメン屋で済まそうぜ。
……。
…………。
反応なし。
「どうしたの?」
『どうしたの?』
かなめと有里朱が同時に反応する。ってことは聞こえてないのか。さっきのはどういうことだったんだ?
まあ、なにかしら俺がポカをやって心の声の切り替えをしてしまったというのが納得できる理由かな。これが初めてだし、またなんかあったらその時に考えればいいや。
「そういえば」
俺は誤魔化す意味も含めて、かなめに対し話題を変える。
「岩瀬さんたちの痴漢冤罪騒ぎの動画、十万再生を超えそうだよ」
「もうそんなにたくさんの人に見られたんだ」
「さすがに画像が粗くて顔までは特定できないけど、声は録れてるから、わかる人にはわかるし、ネット民に特定されて学校名が晒されている。今日あたり凸電でも行くんじゃないのかな」
「そうなんだ。でも、昨日の時点で学校側ってまだ気付いてなかったよね」
「電話で驚いて、慌てて動画を確認するんじゃないの?」
朝から対応する先生には気の毒だとは思うけどね。
「岩瀬さんどう言い訳するかな?」
「あの動画だと画像粗いし、自分じゃないって言い訳すればなんとかなるでしょ」
「んー、そうだよねぇ」
「けどさ……インスタクラスでDM送っておいた。『もっと解像度の高い映像があるよ』って」
地道に解析していたインスタクラスは岩瀬のグループの子を中心にやっていたので、アカウントを探すのはそれほど苦労はしなかった。あいつら、休み時間も学校でバシバシ撮ってたからな。
「うわっ、それ岩瀬さんたちにしてみればキツいね」
「彼女たちが大人しくしてれば何もしないし、まだ悪さするようであれば、教師たちにだけは高解像度版の動画を見せるわ」
彼女たちは誰かを陥れることに楽しみを覚えてしまったのだ。一度知った快感はそう簡単にはやめられない。ならば第三者が歯止めをかけるしか、救う手はないだろう。
次の日の午前中、家から持ってきたドローンを飛ばして柴手崎さんの家の周りを撮影。二百グラム未満の重量なので、国土交通省の規制には当てはまらない。
とはいえ、盗撮という意味でなら、グレーゾーンぎりぎり。見つかれば下手な言い訳はできないだろう。
ドローンからの映像をスマホで見る。
柴手崎家はかなり小綺麗というか、清潔にしているようで庭も手入れされており、ベランダにも無駄な荷物が積んであることはなかった。わりときれい好き……というか、潔癖症っぽい部分も見受けられる。
音に気付いた柴手崎の婆さんがドローンに向かって何か吠えるように叫んでいるが、こっちとしてはスマホのモニター越しに見ているだけなので問題は無い。
家を何周かして舐め回すように撮影する。そろそろ警察を呼ばれそうなので、機体を戻すことにした。いくら無人航空機(ドローン・ラジコン機等)の飛行ルールに当てはまらないからといって、盗撮に関しては見つかれば処罰されるだろう。
案の定、しばらくするとパトカーのサイレンが聞こえてくる。
パトカーが到着してしばらく経つと、かなめの家のインターホンが鳴った。
父親はゴルフに行っているらしく朝から不在で、母親はちょうど買い物に出かけていた。なので、かなめが降りていくことになる。
もしかしたらと思い上から覗くと、玄関先には制服姿の警官が見える。どうやらドローンのことで近所に聞き込みを開始したようだ。
だが、二百グラム未満のドローンは違法にはならない。おかしいと思って聞き耳をたてると、どうやら柴手崎さんは、両手を広げたくらいの大型ドローンが飛んでいたと証言したらしい。
距離感もあるし、空を飛んでいるのだから、大きさを誤認するのも仕方がないだろう。警官も苦笑いしながら、近所の人全員に聞いて回っていることをアピールしている。
かなめは涼しい顔で「家の中にいたので気付かなかった」と言っていた。彼女が家の中にいたのは本当だし、そんなデカいドローンは知らないだろう。いちおう、手の平サイズの機体をかなめにも見せてはいたのだ。
ほどなくして警官達は引き上げる。かなめはこちらを見上げ「あれで良かったんでしょ?」と口元を緩める。
お昼はかなめを誘って駅前の牛めし屋に行き(中に入るのは初めてらしく、妙にテンションが高かった。てか、おまえもお嬢様かよ!)、帰りは学校の所で別れた。これからいろいろと用意があると言ったら「手伝うよ! だって私の家の問題だよね?」と言われたが丁重にお断りする。
「なんで?」
かなめは納得いかないようだ。
「服汚れるから、かなめちゃんにはあまりオススメしないよ」
「なにするの?」
「これから雑木林に行って作戦に必要なものを取ってくるの。だけど、グロくてキモくて臭いんだよ」
そこまで言って、内側の有里朱が『うへぇ』と本当に嫌そうな声を出した。
「で、でもあっちゃんは行くんでしょ。私の為に」
「いいんだよ。これくらい。かなめちゃんは眠れてないんだから、休みの日くらい昼寝しておきなよ」
「そうだけど……」
「わたしに任せて! 今週中には解決できるように努力するからさ」
「あっちゃんがそう言うなら、その言葉に甘えちゃうけど」
「いくらでも甘えて」
「さあ来て!」と言わんばかりに両手を広げるが、あっちゃんはそれに気付かず「そう?」と少し俯いて考え込む。
『なんか変なこと考えてない?』と有里朱がすかさず突っ込んでくる。
「柴手崎さんへのプランか? そりゃえげつないことをいろいろと」
『そうじゃなくて、かなめちゃんに』
「いや、普通にスキンシップをとろうとしただけだが」
『わたしたち……そういう関係じゃないし』
「いや、女の子同士なら大して珍しくないんじゃないのか? 抱き合うなんて」
『……』
有里朱は黙り込む。それたぶん、意識しすぎだ。俺の方が無心に近かったぞ。オタク的に……。
「じゃあね、かなめちゃん」
「あっちゃん、また明日」
俺はかなめを見送る。そして、踵を返し林道への道を目指した。
**
水曜日、頼んでおいた荷物が到着する。さすがにKonozama自体が販売、発送するものではなかったので送料と時間が余計にかかった。
予定通り、今日はかなめの家に泊まることになる。あれからも騒音は毎日続いているらしい。
そして深夜、大音量の演歌とともに目が覚めた。いや、相変わらず不快な目覚まし時計だ。
「起きちゃった?」
かなめが心配そうに聞いてくる。
「ううん、起こしてくれてありがと」
そう言って持ってきたノートパソコンを起動させ、撮影しているカメラにリンクさせる。
隠しカメラを設置したのは、かなめの部屋の窓の外と、裏手の柴手崎家と隣の間にある十字になった塀の部分。そこからは、ちょうど裏の通りも見えるので、警察が来たらわかりやすい。
数分後にパトカーが到着。チャイムを押すと柴手崎夫婦が出てきたようで話し声が聞こえる。
隣のベランダ部分にもひとけは無く、明かりも点いていない。
「よし、いまね!」
かなめの部屋のカーテンを開け、オブラートで出来た袋を何個か向かいのベランダに向けて投げつける。
その後は、暗視装置を付けて水鉄砲でそのオブラートを破壊。中からはうじゃうじゃと茶色い虫が出てきた。レッドローチと呼ばれる爬虫類用の生き餌の虫だ。
全世界に四千種類はいると言われているゴキブリの一種である。
「……ねえ、ほ、ほんとにうちまで来ないよね」
かなめが恐怖に震えながら上擦った声で呟く。暗くてよく見えないとはいえ、カサカサと這いずり回る蟲の音は聞こえるのだ。
「レッドローチは飛ばないし、足先に反しもあまりないからツルツルした壁も登れない。多少はこっちにも来るかも知れないけど、前に渡しておいた忌避剤は境目に撒いてあるでしょ?」
「うん、隣近所にも渡しておいたって親も言ってた」
「季節も季節だし、わざわざ寒い野外を越えて隣の家に行くよりは、暖かい屋内に逃げ込むよ」
「うわ……考えただけでも鳥肌たっちゃう!」
「繁殖も早いみたいだからすぐ増えるだろうし」
俺は、別の箱を取り出して蓋を開ける。
「それは?」
「カメムシの卵。ちょっと時期外れだから少なかったけど、G作戦のおまけみたいなもの」
卵はこれもオブラートに包んで小さくまるめてある。それを一つとると、パチンコで隣の家の窓の上部にある丸い排気口を狙って飛ばす。
この時期なら、窓は閉め切っても空調のために排気口は少し開けてあるだろう。
暗視装置で見ながら、狙っての発射。穴に入らなくてもいい。片側に粘着剤を塗ってあるので。そのまま貼り付くだろう。羽化したカメムシたちは暖かい屋内へと入っていくことは間違いない。
すべての弾を撃ち込むと窓を締める。
「これでしばらく待てば、あの夫婦は家に寄りつかなくなる。もしくは引っ越すかだ。金もありそうだし、潔癖症っぽいから引っ越す可能性の方が高いけどね」
金持ちだというのに、家が借家だというのが気になったのだが、ようは前の家でトラブルでも起こして追い出される状況になったのだろう。
一族経営の会社なのに、息子が住んでいないってことは、その息子夫婦とのトラブルでこの家に来た可能性が高い。で、そのストレスを近所へと向け始めたというわけだ。ここらへんは俺の想像だが。
「そしたら、もうあの騒音に悩まされなくていいんだよね」
「うまくいけばね。しばらくは忌避剤捲くのを忘れないでよ。あと、下水から上がってくることもあるから、台所とか、洗面所とか、風呂場の排水溝近くも気をつけておいて」
「うん、わかったよ」
「じゃあ、寝よっか」
「そうだね。おやすみ、あっちゃん」
「おやすみ、かなめちゃん」
そして「おやすみ有里朱」と声をかけるが、有里朱は震えたような声を漏らす。「む、む、むしがうじゃうじゃと……」
そういや宅配便で来たレッドローチを見たときも、袋に入れる作業をしているときも、声にならない悲鳴を上げていたっけ。
「有里朱ってエビ好きじゃなかったっけ?」
『エ、エビがどうしたのよ!』
「エビの尻尾も、Gの羽も同じキチン質だぞ。どっちも火で炙ると香ばしい匂いがだな……」
『ひえぇぇぇぇ……やめてやめて! それいじめだよ!』
「いや、すまん。そこまで嫌がるとは」
『もう! エビ食べられなくなっちゃうじゃん!』
**
それから三日経ち、夜中に聞こえてきたのは演歌の大音量ではなく女性の悲鳴だったそうだ。
そりゃあ活動期の夜中に急に電気をつければ、部屋を這い回る蟲たちに気付いてしまうであろう。
さらにそれから二日後に老夫婦は家から逃げ出したそうだ。レッドローチに加えカメムシまで家の中に発生したわけだからな。
あの夫婦は揃って潔癖症であった可能性が高い。
庭も常に清掃していたというし、家の中もそうだろう。そんな夫婦が蟲が大量に這い回る場所に住み続けられるわけがない。
もちろん、引っ越す先も費用も用意できないのであれば無理矢理にでも居座るだろう。だが、あの夫婦はそれなりに金もあるのだ。不自由で不快な場所に居座る理由もないはずだ。
それを考えれば、あの者たちにこの家に住む価値がないと思わせるのが一番だ。
だから、ちょっとしたことで家を出て行くきっかけとなる。それが今回の作戦であり、勝利条件であった。
今回はたまたまトラブル一家の条件に合う作戦が考えられたが、同じ方法が別の人間に通用するとは限らないだろう。
隣がいなくなったのを確認して、かなめの家に渡しておいた業務用の殺虫剤を柴手崎家に向かって噴射してもらっている。害虫の根絶は無理かもしれないが、多少の被害には目を瞑ってもらうしかない。
とはいっても、カメムシに関しては事前に「大発生する気配があるから対策しておいた方がいいよ」と偽情報を近所に流してもらったのだ。偽というのはもちろん、それが自然発生ではないということ。こちらの作戦をそのまま伝えたら、それなりに顰蹙を買うであろう。
**
「おはよう! あっちゃん」
登校時、いつものところでかなめが声をかけてくる。肌つやも良く、目の下にクマもできていない。声にも張りがあって元気がいい。
「おはよう、かなめちゃん。ここのところよく眠れてるようだね」
「うん、あっちゃんのおかげだよ」
嬉しそうに、にっこりと笑うかなめ。その笑顔守りたい!
『何言ってんですか?』
「あれ? 今話しかけてないぞ?」
『え? その笑顔守りたいって言ってませんでした?』
ん? 今までは心の声ときちんと切り替えられていたはずだが……。
試しに何か言ってみるか。有里朱、今日の夕飯は駅前のラーメン屋で済まそうぜ。
……。
…………。
反応なし。
「どうしたの?」
『どうしたの?』
かなめと有里朱が同時に反応する。ってことは聞こえてないのか。さっきのはどういうことだったんだ?
まあ、なにかしら俺がポカをやって心の声の切り替えをしてしまったというのが納得できる理由かな。これが初めてだし、またなんかあったらその時に考えればいいや。
「そういえば」
俺は誤魔化す意味も含めて、かなめに対し話題を変える。
「岩瀬さんたちの痴漢冤罪騒ぎの動画、十万再生を超えそうだよ」
「もうそんなにたくさんの人に見られたんだ」
「さすがに画像が粗くて顔までは特定できないけど、声は録れてるから、わかる人にはわかるし、ネット民に特定されて学校名が晒されている。今日あたり凸電でも行くんじゃないのかな」
「そうなんだ。でも、昨日の時点で学校側ってまだ気付いてなかったよね」
「電話で驚いて、慌てて動画を確認するんじゃないの?」
朝から対応する先生には気の毒だとは思うけどね。
「岩瀬さんどう言い訳するかな?」
「あの動画だと画像粗いし、自分じゃないって言い訳すればなんとかなるでしょ」
「んー、そうだよねぇ」
「けどさ……インスタクラスでDM送っておいた。『もっと解像度の高い映像があるよ』って」
地道に解析していたインスタクラスは岩瀬のグループの子を中心にやっていたので、アカウントを探すのはそれほど苦労はしなかった。あいつら、休み時間も学校でバシバシ撮ってたからな。
「うわっ、それ岩瀬さんたちにしてみればキツいね」
「彼女たちが大人しくしてれば何もしないし、まだ悪さするようであれば、教師たちにだけは高解像度版の動画を見せるわ」
彼女たちは誰かを陥れることに楽しみを覚えてしまったのだ。一度知った快感はそう簡単にはやめられない。ならば第三者が歯止めをかけるしか、救う手はないだろう。