第88話 忌み子 ~ Jabberwock III

文字数 6,025文字

□忌み子 ~ Jabberwock III 【ひろみ視点】

「リョーカ。薬だよ」

 脂汗を流しなら顔を歪ませる青田涼香をベッドから起きあがらせ、ひろみは錠剤とコップに入った水を彼女に与える。

 しばらくすると、クスリを飲んだ青田涼香の顔がすーっと穏やかになっていった。

「ね、ひろみ。あたしにもう一度アレをやらせてくれるんでしょ?」

 穏やかとはいえ、目にはクマができてかなり病んでいるように見える。さらにひろみに問いかけるその瞳は何かに依存している感じでもあった。

「ええ、最後の実験を行うわ。彼女が選ばなかったら、あなたはソレを切り刻んで構わないよ」
「ありがとうひろみ」

 青田涼香がひろみに抱きついてくる。微かに甘い香りがしてきた。それは昨晩飲んだ薬の成分が汗から排出されたせいもあるだろう。

 彼女にはもう正常な判断ができなくなっている。

 四年前、彼女が姉である流山海美を突き飛ばしてからすべては変わってしまったのだ。そして、ひろみが真実を告げた時から、青田涼香は少しずつ狂っていったのかもしれない。

 もちろん、流山空美の偽装自殺がこれほどうまくいったのは柏英重朗のおかげもある。彼が二人のアリバイを証明してくれたのだ。もちろん虚偽の証言で。

 さらに捜査を混乱させる意味で、松戸美園の噂をばらまいたのも彼の入れ知恵だった。それだけ柏英重朗は流山空美に心酔していたのだろう。

 彼は空美の本質に気付いていて興味を持っていた。そして、最初に姉との入れ替わりに気付いた人間でもあった。

 でも、彼は警察に通報することなく、ひろみを受け入れてくれた。さらに涼香が静かに狂う姿を穏やかに見守っていた。彼もまた、常識のタガが外れた人間だったのかもしれない。

 涼香は中学での事件以来、人を弄ぶ事に執着している。いじめもその一つだが、徐々にその行為はエスカレートしていった。

 最初は誰かをいたぶるだけだった彼女の衝動は、いつしか他人を操り人を殺害させるまでに至る。松戸美園の中学時代の友人である紙敷香織の事件も、彼女が発案したものだった。

 涼香は今でもその時の様子を動画で撮影したものを繰り返し観ている。ゆえに、彼女は自らの手でもやってみたくなってのであろう。人体を切り刻む行為を。

 ただし、さすがに直接となると証拠も残りやすい。

 だからこそ柏英重朗は名乗りを上げた。「これこそが究極の愛だ」と彼は絶命間際にそう告げる。

 彼は望んで女子高生に切り刻まれるというサディスティックな状況を受け入れたのだ。もしかしたら、三人の中で一番の狂人は彼だったのかもしれない。

 とはいえ、普通の女子中学生であった涼香がここまで変質してしまった原因はやはり、空美が引き起こしたあの事件であろう。

 だが、空美が涼香に興味を持ったのは、それよりもさらに一年ほど遡る。

 姉の海美と涼香は友情を超えた関係だった。あまり他人に関心がなかった空美が初めて、彼女たちに興味を持ったのである。

 男女の恋愛感情とは違うものだということをわかっていた。だが、そもそも空美は恋愛感情を理解することができない。単なる観察対象として二人を見ていた。

 空美がここまで感情が麻痺してしまったのにはわけがある。

 流山家は古い家柄で、曾祖母が絶大な権力を持つ家であった。

 古いしきたりに縛られた曾祖母は、双子を忌み子として嫌い、空美を五才まで幽閉していた。双子なのに海美と性格がこれほど違うのは、その幼少期の育てられ方に問題があったともいえる。

 曾祖母の考えとしては、空美は海美のスペアであり、長女の彼女に何かがあった時にその代替としようとしたのであろう。

 隔離されていたとはいえ、二人は同じ物を食べ、海美が傷を負えば空美も同じ場所に傷をつけられた。髪型も同じで、一卵性とはいえ育つうちに多少の個性が出る双子だが、空美の外見はほとんどクローンのようなそっくりさを保つ。

 だが、曾祖母が亡くなって流山家の方針が変わった。さすがに今のご時世、家に閉じ込めて小学校に通わせないのでは不審に思われて警察沙汰になる。そう恐れた両親が、空美を解放したのだ。

 この時、双子の姉妹は初めてお互いの存在を知ることになる。だが、明るく活発な海美と、無口で何を考えているかわからない空美が仲良くなることはなかった。

 小学校では別クラスとされていたために、お互いにあまり干渉せずに育つことになる。

 仲が良くないということもあって、空美がいじめられていたとしても海美はそれを庇うことも助けることもなかった。もちろん、感情のない空美にも助けてほしいと思った事はないだろう。

 といっても、姉の海美が妹の空美に興味を示さなかっただけで、空美の方は一方的にずっと姉を観察していた。曾祖母から教え込まれた術をしっかり守っていたのかもしれない。

 それは小学校から中学に入学してからも続く。

 ゆえに海美の一挙手一投足、動作のクセやその口癖、はてや思考まで空美はトレースできるようになっていたのだ。

 だからといって、彼女は姉になりたかったわけではない。単純に双子の姉への純粋な興味だ。感情を持てない彼女には、自分の空の器などには無関心であった。感情豊かな姉が羨ましいなどと思ったことはないだろう。

 中学生になり姉の海美は運命的な出会いをする。それは青田涼香と同じクラスになったことだ。二人の相性はとてもよく、初めて会ったその日に海美の家に泊まりに来て、夜通し喋っていたそうだ。

 ずっと話していても退屈せず、何をするにも一緒だったと彼女は言っていた。

 それは友情を超えたもので、もしかしたら思春期特有の特別な感情だったのかもしれない。

 海美と親しくなった涼香は、双子の姉妹の事情を知らず、最初は空美にいろいろと話しかけてくれたりしたのだ。だが、あまりにも感情の乏しい空美の態度に幻滅し「人形みたい」と離れていく。

 いつしか姉の海美とともに空美を蔑むようになった。

 そんな空美も一度だけ海美と入れ替わったことがある。学校が休みの日、風邪で寝込む海美に内緒で、彼女の服を借り、髪型を後ろで縛って姉のようにポニーテイルとし、普段は使わない表情筋を動かして海美をトレースした。

 街で会ったクラスメイトのほとんどは、その入れ替わりには気付かなかった。なるほどと、彼女は学習する。

 だが、青田涼香だけは違った。

 一言二言喋ったところで、入れ替わりの違和感に気付いてしまう

「あなた海美じゃないね」
「あたしはひろみよ」
「……そうね。あなたは姉妹で同じ読み方だったわね。けど、あなたは姉の方じゃない。私のトモダチじゃない」
「どうしてわかったの?」

 完璧だと思っていた海美の演技が見破られた。なぜだろうと、彼女は理由を知りたかった。

「そんなのわかるよ。海美は私の大切な人だもん」

 その言葉の意味を空美は理解していなかった。だが、後に彼女は目撃してしまう。二人の愛し合う姿を。

 知識として男女のそれを知っていた空美は、同性同士の二人の行為にさらに興味を抱くことになる。

 空美の純粋な思考は、人間の仕組み自体を解き明かしたいという衝動にかられていた。いつしかそれはねじ曲がり、彼女自身にも理解できない感情へと変化していく。

 そんな空美が抱いた感情。

 彼女は涼香を「欲しい」と思うようになった。そこには普通の人間が抱くような愛情や嫉妬という感情はまったくない。単純に「欲しいから、どうすれば手に入るかを考える」という純粋な思考だった。空美は恋どころか他人への愛情すら理解できないのだから。

 その上で空美が考えたのは、姉の海美を排除するということ。

 姉の海美を精神的に追い込んで苛つかせ、涼香を誘導して惑わせ、時に自分にちょっかいをかける松戸美園のグループさえ利用し、海美と涼香の関係を悪化させる。

 日に日に険悪になる二人を見て、空美は『嗤う』という表情を覚えていった。

 事件当日、予想外ではあるが空美にとっては想定内の出来事が起きる。

 涼香が海美と喧嘩の末に取っ組み合いとなり、突き飛ばされた海美が気を失う事態となる。彼女は倒れた際に後頭部を打ち、脳震盪のようなものを起こしてしまったのだろう。

 これはチャンスだと、空美は思った。もともと感情が希薄なので、失敗など恐れることはない彼女だ。行動に移すのに躊躇などしない。

 動かなくなった海美を見て、青田涼香はかなり動揺している。正常な思考が働かない状態だと容易に窺えた。

 だけど空美は、まだ姉の海美が生きていることを知っていたのだ。

 狼狽(うろた)える青田涼香に、空美は感情のない声でこう告げる。

「殺しちゃったんだ」

 死んでないことはわかっていた。だが、相手は気が動転している。空美の言葉で簡単に誘導できるのだ。

「違う! 海美がわたしのことひっぱたくから、つい」
「つい殺しちゃったの?」

 殺したという言葉を連発させる。彼女に冷静になられては元も子もない。

「違う。違うの……」
「どうするの? 誰か呼んできてもいいけど、キミは確実に捕まるよね。十四才だから少年法で無罪ってわけにはいかないかな」
「イヤ……そんなのイヤ」

 青田涼香が顔面が蒼白になりガタガタと震えてくる。海美が死んだと思い込んで、救命しようという意識さえ消し去られている。こうなったら、後は背中を押すだけだ。

「キミが助かる方法はあるよ」
「え?」
「ボクが自殺すればいいんだ」
「ナニ言ってるの? ワケわかんないんだけど」
「実際にボクが自殺するんじゃないよ。ボクが姉の海美としてきみのトモダチになるんだよ。一方、妹の空美は屋上から飛び降りて死ぬの」
「……ちょっと待って」

 青田涼香は空美の言っていることへの理解が追いつかないのだろう。必死に回らない頭で考えようとしている。

「二人でこの死体を屋上から落とせば、キミの罪は消える。流山空美はいじめを苦に自殺した」
「自殺?」
「ボクはずっとクラスメイトにいじめられている。いつ自殺してもおかしくないんじゃないかな。そしたら青田涼香は罪に問われることなく、トモダチの海美と変わらない日常を歩み続けられる」
「罪?」
「殺しちゃったんだよね? けど、ボクが協力すれば、それをなかったことにできるよ」
「……」

 しばらく放心するかのように空中を眺めていた青田涼香の瞳が空美に向く。

「お願い。わたしを助けて」
「じゃあ、早いところ姉さんを運ぼう。足の方を持って、上半身はボクが持つよ」

 足の方を持たせたのには意味がある。上半身では、彼女の息がまだあることがバレやすいからだ。

 空美は予め作っておいた屋上の合い鍵で、難なくそれをこなしたのである。もちろん、彼女は姉の海美の排除の手段の一つとして、かなり前から屋上から突き落とすことを考えていた。

 そもそも、この中学校の屋上は、生徒どころか教師でさえ出入り不可能な場所。業者の人間がたまに点検で屋上に入るくらいだ。ゆえに、柵などない。突き落とすのも放り投げるのも簡単だ。

 鍵さえどうにか手に入れられれば、ここはひとけの無い場所だ。誰にも見られることなく姉を排除できる。

 こうして二人は流山海美殺しの共犯となり、空美はその日から海美として生きることになったのだ。

 だが、次の日、安心しきった青田涼香に空美はこう告げる。

「ね、気付かなかった? 実はあの時、姉の海美は脳震盪を起こしていただけなんだよ。浅いけど呼吸はあったし、脈もあった」

 決定的な事実を突きつけ、逃げられない状態に追い込む。洗脳などしなくても、相手を簡単に意のままに操れるのだ。

「え? え? それじゃあ……」
「そうだよ。ボクらは二人であの子を殺したんだよ。どう? 人を殺した感想は?」
「……」

 絶句する青田涼香に追い討ちをかけるように、海美となった空美が問いかける。

「生きている人間を落としたんだ。これはれっきとした殺人だよ」
「……最悪よ」

 ようやく出た青田涼香の言葉。

「本当に?」
「……なにが言いたいの?」
「屋上から姉を落としたとき、キミは恍惚感のようなものを抱いていなかったか?」
「コウコツ?」
「最高に気持ちよい状態だよ。ボクはそういうのを感じられないから、他人がどう感じるのか興味があるんだ」
「あの時はまだ生きているって知らなかったし……」
「けど、人を落としたんだよ。一時的な感情とはいえ、キミが憎いと思っていた海美を」
「……そうね。あの時は海美のこと殺したいくらい憎たらしいと思っていた……だから、死んでくれて……なんだか心が晴れ晴れしい。パニクってたのだって、自分がヤバイと思ったからだし」

 精神的な誘導は完全に涼香の心を変質させていた。海美を憎んで殺したいという気持ちは、空美が植え付けたものである。愛を知らない空美でさえ、愛情を憎悪に変化させるのは、容易いことなのだと知っていた。

「あの件がバレないためにも、ボクたちはずっとトモダチでいる必要がある。キミはそれが可能かな?」
「ええ、私は海美なんかのために警察に捕まりたくない。だから、あなたに協力するわ。けど、あなたも、もうちょっとうまく海美を演じた方がいいよ。まだ少し違和感あるもの」
「そうだね。リョーカ」

 空美は青田涼香を見つめながら演技のスイッチを完全にオンにする。今までは様子を見ながら欺し欺し演じてきたのだが、今日からは躊躇わずに演じよう。そう、彼女を決意させる。

「なにか新鮮ね。海美じゃないのに海美が目の前にいるみたい。海美との関係もリセットできて最初からやり直せそうな感じ」
「そう。なら、あたしたちはうまくやれるね」

 にっこりと笑う空美。その笑顔は彼女が初めて見せた最高の演技だった。

「大好きだよ。海美」

 その瞬間に生まれたのは歪んだ偽物の愛情。


**


 ひろみのスマホにLINFで連絡が入った。

【二人を確保した 指定された二箇所に移動させる】

 それはひろみが薬と暗示で飼い慣らした松戸美園の手下の何人かである。彼女が表舞台から去った後に、ひろみが彼女の組織を乗っ取ったのだ。

「リョーカ。準備が整ったよ。キミはどちらを選ぶ?」
「そうね。柏先生はタンパクすぎて面白みが半減したからね。芯の強そうな子より、今度はちっちゃくて弱くて泣き喚いてくれる子がいいわ」

 ニヤリと嗤った青田涼香の手には、解体用の狩猟ナイフが握られている。

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