第45話 銃口 ~ Cheshire Cat IV

文字数 4,682文字

 チェシャの行動範囲は前に教えてもらったので把握していた。ケガを負っているのなら、まず鹿島みどりにとっての優先順位はチェシャの治療だろう。

 俺は自転車に跨がってみどりを探す。同時に年始のこの時間でもやっている動物病院を検索にかける。今は朝の七時だ。今年最初の太陽が眩しい。

 さすがに動物病院はやっていなかった。なので、宅女の生徒から集めたデータベースを元に自動検索をかけ、親に獣医師はいないかを探す。ツールを改良したカスタム仕様なので、宅女の生徒に特化した検索アプリを組み込んである。

 一件見つかった。動物病院に勤めていた医師の名前が該当する。だが、その苗字には見覚えがあった。

「あれ? かなめの母親って獣医師免許持ってたんだ。おまえ聞いたこと無かったのか?」
『そんなのわたしでも初耳だよ。けど、かなめちゃんのお母さん、普段は専業主婦みたいだし、もう病院は辞めているんじゃないの?』

 それでも医学的知識があることは重要だ。

 十分ほど探し回って鹿島みどりを見つける。大きなトートバッグを肩から下げ、道端に座り込んで泣いているように覗えた。

「鹿島さん!」

 声をかけると、彼女のくしゃくしゃになった顔がこちらに向く。そこでようやく膝元に猫を抱えているのが見えた。身体は小さく上下している。呼吸は止まっていない。

「ケガの具合は?」
「わかんない。足から血が出て止まらないの」
「付いてきて、治療が必要でしょ」
「う、うん。でも、どこに?」

 俺はその言葉を聞きながら、かなめへと電話をかける。緊急事態なのでLINFなんかやってられない。

「もしもし……どうしたのあっちゃん……じゃなくてロリーナさんだっけ?」
「かなめちゃんのお母さんってさ、獣医師免許とか持ってたりする?」
「う、うん。持ってるけど、なんで知ってるの?」
「そのことは後回し、緊急事態なんだ。エアガンで撃たれた猫がいるの」
「……治療すればいいのね。お母さんに聞いてみる」

 そうかなめが告げると、ドタドタと足音がスピーカーに響いてきた。きっと階下まで降りていったのだろう。

 しばらくすると再びかなめの声が。

「連れてきていいって」
「ありがと、かなめちゃん」


**


 ケガを負ったチェシャはかなめの母親の応急処置をしてくれて、しばらく彼女の家で預かってくれることになった。

 鹿島さんはかなめのお母さんに深々と頭を下げ、俺たちはかなめの家を後にする。

「今日はありがと。あなたがいてくれて助かった」

 俺に対しても腰を折るくらいの角度で深々と頭を下げてくる。そのくらい感謝しているのだろう。

「いいよ。あの猫はみんなのアイドルみたいなものでしょ?」
「うん。じゃあ、あたしはここで」

 と、くるりと背を向けた彼女の肩を俺は掴む。

「どこに行くの?」

 一瞬、鹿島さんの身体が固まる。そして振り向かずにこう答えた。

「家に帰るんだよ」

 表情は見えない。けど、彼女の行動は読めてしまう。

「それは嘘だよね」
「……」

 ビクリと震えるのが伝わってくる。俺とは違って、彼女は嘘を吐くことに慣れていない。

「そのトートバッグって何が入ってるの? あの四人組の動画を観て、急いでチェシャを探しに行くなら最低限の荷物にするよね。それにしちゃ重そうだよ」

 感情を殺して彼女を問い詰める。これは追い詰めたいわけじゃない。思いとどまって欲しいだけなのだ。

 トートバッグに触れようとした瞬間、急に身体を捩られ、こちらに向いた彼女の瞳がギロリと俺を睨む。

「あなたには関係ないでしょ!」

 これはマズいな。冷静さを失っている。

「あの四人組は放っておけばいい」
「あんな酷い事をしたのよ!」

 感情的な鹿島さんの声。気持ちは痛いほどよくわかる。

「そう、だから彼女らはそれ相応の罰を受けるよ」
「罰?」
「ネット社会がどんなに残酷か知ってるでしょ? あの四人組はリスクも知らずに顔出しを行って、反社会的な行為を行った」
「だけど、賞賛する声もコメントにあったじゃない!」
「そんなのは誰かの感想でしかない。動物愛護条例もあるから、社会的にも許される行為じゃないんだ。たとえそれが野良猫であってもね。駆除するのは保健所の仕事だよ。あの四人組がやるべきことじゃない」

 俺はあえてキツく言う。あんな馬鹿な四人組のために、この子の手を汚させてはいけない。

「あんた……冷静なのね」
「もう少ししたらさ、あいつらは事の重大さに驚いて動画を消すと思う。けど、もう拡散されまくってるだろうね。これだけのことだから、テレビのニュースで流れるのも時間の問題だよ」
「……」
「さらに個人の特定も行われて学校の関係者にも連絡はいくかな。よくて停学、悪くて退学。だけど、地獄はそれだけじゃない。反社会的な行為を行ったとしてネットに未来永劫個人情報が載り続けるんだ。それがどんな事かわかるでしょ?」
「でも、許せないのよ! あいつらは面白がって猫を撃ってた。そんなの人間のやることじゃない!」

 それが人間なんだけどね、とは言えなかった。人は優位に立つと勘違いをする生き物だ。

「だったら、チェシャを保護して飼うことのできなかった自分を呪うべきだよ。飼えないからと甘えるべきじゃなかったと思う」

 俺は彼女の為に冷徹になりきる。他人にばかり怒りを向けていては、何も解決しないのだ。

「そ、それは……だって悔しいじゃない……あいつら、前はあのコをかわいがって動画に撮っていたのに、今度は真逆なんだよ」
「どうしても復讐したいってなら、力づくで止めるよ」

 再び鹿島さんの右肩を掴む。ぐいと力を入れ、止めるという意思を強制的に理解させるため。

「……どうやって? わたしが何の用意もしてないと思った? あなたには感謝してるけど、邪魔をするなら……」
「今の鹿島さんをあの四人組に会わせるわけにはいかないの。あいつらは事の重大さにはまだ気付いていない。会っても鹿島さんをイラつかせるだけ。きっとあなたは、怒りを抑えられなくなる」

 鹿島さんの右手がトートバッグの中からコイルガンを取り出し、俺に……有里朱に銃口を向けた。明らかに動画のものとは完成度が違った。およそスマートな拳銃とはかけ離れた形状。角張ったスケルトン製の武器だ。

 透明なアクリル板の中には電気回路のようなものが埋め込まれている。引き金こそ拳銃っぽいが、それ以外は自作の玩具のようにも見える。仕組みを知らない者ならば、それほど脅威に感じないだろう。

 きっとあの四人組は、このコイルガンを前にしても笑い飛ばすだけであろう。そして、放たれた弾の威力を知り後悔するはずだ。

「銃口を人に向けるのは良くないって言われなかった?」
「さあ? 拳銃なんて一般人が持つものじゃないでしょ。あたしはあいつらに謝らせたいだけ。チェシャがどんなに怖い目にあったかを味あわせたいの!」

 出会った時のようなきりりとしたシャープな目は、まるで獲物を狩るかのように鋭い眼光。それがこちらを向いている。

「これだと正当防衛で何されても文句は言えないよ」

 俺はそう警告すると、ポケットに入っていた手作りのスタンガンを取り出す。

「それであたしを攻撃するの? そんなことしたら筋肉が収縮して、誤って引き金を引くことになるよ」

 お互いに相手の武器を知り尽くしている。一見互角に思える対峙だが、状況だけならこちらが不利だ。

「……」

 もう一度頭の中で鹿島みどりの情報を整理する。彼女の動画、彼女のLINFでのやりとり、そして直に話した時の印象。

「あたしとしては素直に引いてくれると助かるんだけどね」

 彼女の提案に、俺はにやりを笑みを浮かべる。

「鹿島さん。あなたは優しいよね」
「は? 優しいのは猫にだけだよ」
「違う。心を許した人間にだよ。そんなあなたが、考えなしに危害を加えることはない。つまり、このコイルガンに弾は(・・)込められていない(・・・・・・・・)

 俺はスタンガンを鹿島さんの身体ではなく、コイルガンの金属部分当てる。

 バチバチバチとスパーク音が響いた後、コイルガンからは煙のようなものが漏れてくる。

「あー!!! あたしの傑作機がぁ……」

 引き金ではなく、本体後部に付いたメインスイッチで必死にオンオフを繰り返す鹿島さん。だが、完全に回路は焼け切れていて通電は行われないようだ。

「そういう危ないものは持たない方がいいよ」
「なによ! あんただって持ってるじゃない!」

 スタンガンを指さされる。

「これは防衛の為だよ。あなたのコイルガンと違って殺傷能力はないよ。大けがをさせることもない」

 はぁ、と大きな溜息を漏らす鹿島さん。そのまま項垂(うなだ)れて力無く笑い出す。

「……あははは……あたしの負けよ」
「部品代なら弁償するよ。けど、約束して。もうそんなものは作らないって」
「どうしてそんな必死になって止めたの? だって、弾が込められていたかもしれないんだよ。スタンガンで誤作動起こして発射される可能性だってあったんだよ」

 彼女の顔は俯いたままだ。どんな表情でそれを喋っているのかわからない。

「言ったでしょ。わたしはあなたの動画のファンだって。あなたの動画は優しいよ。すごい気を遣って制作しているのがわかる。無駄なこともしないしね」

 コイルガンの制作動画だって、わざと失敗したものを投稿したくらいだ。四人組と違って後々のことをきちんと考えているのだ。それに、猫と戯れている時の彼女の顔はとても優しげだ。

「あの四人組を脅しに行こうとしたのは無駄じゃないの?」
「あなたなりの脅しをかけようと思ったんでしょ? けど、うまくいかないよ。あの四人組はコイルガンの威力を知らない。玩具だと見くびってあなたは逆に危害を加えられる。そして揉み合っているうちにコイルガンが暴発。誰かしらケガを負うことになるよ。そしたら、責任はそれを作った鹿島さんにかかってくる」

 鹿島さんは再び溜息を吐いた。

「そこまでシミュレーションしてたとは恐れ入るよ。けど、それだけ? あたしを必死に止めた理由がよくわからないけど」
「端的に言えば動画が観られなくなるから。けど……本当は仲間が欲しいからかな」
「へ?」

 ぽかんと口を開けて一瞬だけ呆けたようになる鹿島さん。

「友達っていう堅苦しい関係じゃなくていいの。何かあった時にお互いに情報を共有できるような関係。わたしね。いじめを受けてるの。だから一人でも多く仲間が欲しい。もちろん、交換条件としてあなたの手伝いもするわ」
「仲間?」
「わたしは互恵同盟と呼んでいる。拠点は文芸部の部室」
「唐突ね……」
「初めて会ったときから考えてたんだよ。ただ、話すきっかけがなかなかなくてね」

 その言葉で空を仰ぐように考え込む鹿島さん。

「うーん……」
「鹿島さん?」
「美浜さん。あんた動画の編集とかできる?」

 吹っ切れたような鹿島さん顔がこちらを向く。

「ん? できるけど、なんで?」
「ウーチューブからの収入はあるから、編集手伝ってくれたらバイト代払うよ。あたしの場合、撮影より編集に苦労してるからさ」

 差し出される右手。拒む理由なんてまったくなかった。

「うん、わかった。時間があったら手伝うよ」

 これで有里朱の互恵同盟は強化される。女の子同士の当てにならない『親友』という関係よりはずっと強固な関係だ。

「じゃあ、よろしく相棒」
「え? なんで相棒?」
「あんたも『ぐりーんでぃあチャンネル』の一員ってことになるでしょ。そのゴケイドウメイとかいうのにも入る予定だし」

 彼女は俺の背中をバシッと叩き、呵呵と笑う。その笑顔は清々しく、これまでに見た彼女の表情の中で一番のものだった。

「よろしくね!」
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