第72話 意識と身体 ~ Alice and White Rabbit II

文字数 4,426文字

 学校での異常事態の議題に入る前に、俺は全てを話す事にした。

 有里朱の自殺の経緯から、憑依と精神同居の状態。そして千葉孝允という人物について。

 一度は二重人格で納得していたはずのかなめが、一番驚いていたかもしれない。口元を抑えて「信じられない」というような顔をしている。まあ、俺自身も信じられないのだから、その反応は理解できる。

 とはいえ、ナナリーはもともとそういうファンタジックなことは受け入れるタイプだし、ミドリーもわりと寛容的だ。面白そうに話に納得しかけている。うーん……これでいいのかな?

 央佳ちゃんは、よくわかっていないようで首を傾げていた。

 そしてプレさんはというと。

「作り話としては面白いな。そういえば前にlacieから小説のネタとしてそんな話を聞いたが、キミたちはやはり通じていたのだな」

 やや警戒しているかのような表情。

「現在の俺、つまり千葉孝允は去年の十月に事故に遭い昏睡状態。プレさんに相談のメールが行ったときにはすでに、俺は……彼はPCがいじれる状態じゃなかった」

 自分のことは「わたし」ではなく、わかりやすいように「俺」に変えた。口調も有里朱と心の中で話すときのように素に戻る。

「それはキミが……アリスがボクにメールを送ったということだろ? 不思議なことじゃない。webメールの送信など、IDとパスワードさえわかれば誰でもどこからでも可能だ」
「現在の俺と有里朱に接点はない。お互いにお互いのことを知らなかった。これは二人の記憶が一致している」

 十年前の写真の件もあるが、あれは二人とも記憶になかった。そこは触れると面倒になるので後回しにしよう。

「他人の精神が同居というのは、論理的な説明が不可能だ。だから、ボクは論理的な可能性を示しているのだが」

 プレさんは今ひとつ納得していないようであった。

「ちょっと待った、話を整理していい?」

 とミドリーが手を上げる。かなめやナナリーのように段階を経てではないので、少し混乱しているのだろう。

「いいよ」
「アリリンの中には有里朱と千葉孝允という精神が同居している。けど、身体の動かせるのは千葉孝允という人だ。今喋っているのも彼。で、その彼は去年の十月に事故で昏睡状態。さらに、六年前には央佳ちゃんを迷子センターまで連れて行ったことがある」
「そうだ」
「まず、六年前のことについて確認しよう。央佳ちゃんが迷子になったのって本当? その時、男の人に迷子センターまで連れて行ってもらった?」

 ミドリーが央佳ちゃんに視線を振る。彼女は「うーん」と記憶を探るようにこう答えた。

「迷子になってマジ泣きしたってのはホント。その後、男の人にどこかに連れられていって、お姉ちゃんと再会できたってのも記憶にある」
「ボクがlacieに連絡をとったのも事実だ。TvvitterのDMも残ってる」

 プレさんが央佳ちゃんの意見を補足するように、スマホを取り出して当時のやりとりを皆に見せた。

「その人がラシーさんだったとしても、チバタカヨシさん本人かは確定できないよね? でもまあ、当時で二十代、今は三十の男の人が存在しているってのは本当らしいのはわかるわ」

 かなめが今までの疑問点を口にする。話の整理をするという意味ではちょうどいい。

「ねぇ、央佳ちゃんの件は分けて考えた方がいいんじゃないの?」

 ナナリーがそんな提案をした。

「ななりさん、なんで?」
「かなめさんの言う通り、そのラシーって人がチバタカヨシさんだったとしても、今のアリスがチバタカヨシだってことに繋がるわけじゃないんじゃない?」

 「ちょっと待った」と言うかのようにミドリーが口を挟む。

「でも、プレさんはラシーに連絡とったんでしょ?」
「だから、その時点でイコールでは結ばれないって」
「そうだけど、アリリンの話を信じるなら、ラシーが央佳ちゃんを助けた男で、その男の人がチバタカヨシって人なわけでしょ?」
「あーん、なんか頭こんがらがってくる」

 ナナリーとミドリーの話に苛ついたのか、プレさんが強い口調で意見を言う。

「作り話でないなら、ボクとしてはもう結論が出ている。今、人格として表に出ているのはチバタカヨシと言いたいのだろうけど、精神が二つ同居しているという事実をボクたちは観測できない。ならば、考えられるのことは一つだ」

 プレさんは興奮気味に話を続ける。

「キミは美浜有里朱という人格と千葉孝允という人格がキミの中に入っているという。千葉孝允は憑依してきたかのように言っていたが、この部分は根本的に考え方が間違っていると思うよ」
「どういうことだ?」
「今、表面に出ている千葉孝允という人格こそが真。つまり、キミが美浜有里朱だと思い込んでいる人格こそがイマジナリーフレンドなんだよ」

 そんなバカな。美浜有里朱と俺が思い込んでいるのは、俺が作り出した人格だというのか?

「だが俺は、去年の十月十六日以前の記憶がない。つまり美浜有里朱として生活していた記憶が全くないんだよ」
「それはただの記憶喪失だ。めずらしいことじゃない。ゆえに、キミは自分を千葉孝允だと思い込んでいるのだろう?」

 頭が混乱する。その可能性を考えなかったと言ったら嘘になる。数ある可能性の中で、他人から観測されるとしたら、それが一番自然な答えでもあった。

 やはりそう結論づけるのか? 今の段階ではそれ以外に論理的に考えられる理由はないのか?

「待って! それは違う」

 かなめがプレさんの意見を強く否定した。

「何か否定できる証拠を提示できるのかい?」
「私はあっちゃんとは中学時代からの親友なの。その頃のあっちゃんは、こんなに積極的でもなかったし、いじめの復讐みたいな悪知恵が働くような子でもなかった。あの子が変わったのは明らかに去年の十月十七日から。違和感はずっと抱いていたんだよ。あっちゃんに「あなた、誰?」って酷い事も言ったことあるよ」
「つまり、今の人格は不自然だと言いたいのかい?」
「そう。だから二重人格ってことで納得した。明らかに今の人格は後から作られたものだから」
「なるほどね。じゃあ、やはり千葉孝允がイマジナリーフレンドという可能性の方が高いのか。身体の支配は千葉孝允側というが、これは美浜有里朱の勘違いという可能性もあるな」
「どういう理屈だよ?」
「そもそも人間の身体というのは、どうやって動くか知っているか? 思考がそのまま身体の動きに反映されるわけじゃないんだ。時には考えるより先に身体が動く。これくらいは皆も知っていると思う。だが、話のキモはここじゃない。行動に思考が制御されるということだ」
「え? どういうことなの?」

 ナナリーが身を乗り出してくる。

「例えば腕を動かして何かを取るという動作がある。一般的な考え方だと『物を取ろうと思考する』『腕を動かす準備をする』『腕を動かす』という順序だが、これは間違っている」
「間違ってるって……それ以外にどんな組み合わせがあるっていうの?」

 ミドリーが疑問を投げかける。一般的な考えならそうだろう。だが、脳科学の見地からは、そうでないことを俺は知っていた。

「実際は脳からの指示が出る前に『腕を動かす準備』に入っている。わかるか? 思考する前にすでに行動は決められているとも言える」
「いやいや、そんなこと……ありえるの?」

 納得出来ない様子ののミドリー。ナナリーも首を傾げている。

「四十年近く前のサンフランシスコで、神経生理学のリベット教授が行った実験だ。運動準備電位が発生した時刻は、人が『意識』的に運動を『意図』した時よりも数百ミリ秒ほど早かったんだよ」
「それって、すでに行動は決められていて、人の身体には自由意志はないってこと?」

 と頭の回転が速いかなめが、プレさんの言いたいことをまとめつつ、哲学方面から質問する。

「自由意志については、また別の問題だ。ここで論じるのは、千葉孝允なるものの人格が本当に美浜有里朱の身体を支配しているのか? というものだ」
「え? どういうことなの。七璃にはさっぱりわかんないよ」
「つまり、思考が肉体を支配しているのではない。肉体が思考を支配しているのだ。だから、千葉孝允という人格の思考が美浜有里朱の肉体をすべて制御しているわけではないとも言えるだろう」
「えっと、ということは。どちらがイマジナリーフレンドかはあまり重要ではないってこと?」

 とミドリー納得したように呟く。

「そういうことだ。ただし、ボクとしてはまだ疑っているよ。中学時代は確かに今とは人格が違うようだが、それより前の時期はどうなんだ? 小学校時代のアリスに若葉さ……カナメは会ったことがあるのか?」
「そ、それは……」

 かなめが言葉を詰まらせる。かなめと有里朱は中学で知り合ったのであって、それ以前のことは彼女も詳しくは知らないのだろう。

「けど、イマジナリーフレンドじゃ説明のつかないことがたくさんある」

 俺は反論する。

「konozamaのアカウントのことか? それはクラッキングでどうにでもなる。webメールと同様だ」
「有里朱はそこまでの能力はねえよ。俺だって、クラッキングまではさすがに知識が無い。いじめへの復讐方法だって、有里朱には思いつかないってかなめが言ってたじゃねえか!」

 考えがまとまらないと、冷静でいられなくなる。これは悪い傾向だ。

「そこらへんはいくらでも説明が付くよ。逆に聞きたい。美浜有里朱と千葉孝允は本当に面識がないのかい?」
「ないよ。かなめも、そういう男が有里朱の近くにいたらさすがに気付くだろ?」

 俺はとっさにかなめへと話を振る。こいつなら有里朱のことをよくわかっているのだから。

「え? う、うん。そうだね。私の知る限りではそんな男の人知らないもの。というか、あっちゃん、わりと奥手だったから男の人と喋るの得意じゃなかったみたいだし」
「でも、それは中学時代の話だ。それ以前に接触があってもおかしくはない」

 プレさんがそう言い切った。

「あ!」

 央佳ちゃんが空気を読まずに突然声を上げる。

「どうしたの?」

 と、隣に座るナナリーが彼女へと優しく問いかける。

「六年前のことを思い出したの」
「六年前? ああ、央佳ちゃんが迷子になった時のこと」
「その時、大人の男の人に連れて行ってもらったっていったけど、その男の人の隣に、わたしと同じくらいの女の子がいたの」
「女の子?」

 言い知れない悪寒とともに、背筋を流れていく一筋の汗が気持ち悪い。

「髪型変わっちゃったから、思い出すのに苦労したけど、それアリスセンパイだよ」

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