第73話 消失 ~ Alice’s Evidence

文字数 5,124文字

「ちょっと待て! そんな記憶、俺にはないぞ」

 同時に脳内の有里朱にも問いかける。

「覚えてるか?」
『待って……六年前ってことは、わたし十才でしょ? 小学四年生の時ってことだよね? 十年前に比べれば記憶はわりと残っている方だし、そんなイベントに行ったとなれば、忘れるはずがないんだけど……』
「覚えてないのか?」
『うん。というか、それ、ホントにわたしなの?』

 時間にして一瞬のやりとりを済ませると、央佳ちゃんに視線を合わせる。

「それ本当に有里朱だったか? こいつってわりと特徴ない顔だからな。他の子と間違ってないか?」

 有里朱は地味系だからな、容姿も性格もモブキャラっぽいし、勘違いする可能性もあるかもしれない。

「うーん、そう言われると自信ない……けど、男の人の隣に十才くらいの女の子がいたってのは確かに記憶にあるよ」
「それってアリリンじゃないかもしれないし、アリリンである可能性もあるのかな」

 ミドリーのどっちつかずの意見に、プレさんは少し苛立ちながらぴしゃりと言う。

「それが美浜有里朱であるならば、ほぼ決定じゃないか!」
「決定? 何が?」

 頭の回転が鈍っているせいで、プレさんの考えを先回りすることができない。

「美浜有里朱と千葉孝允は繋がっていた。一緒にイベントに行くくらいに親しかったのだろう。ならば、彼の情報を彼女が持っていたとしてもおかしくない」
「待て待て待て! その件だが、有里朱自身も記憶にないと言っている」
「彼女自身?」

 訝しげな顔をこちらへ向けるプレさん。やはり信用されてないか。

「脳内会話はおまえらには聞かせられない。だから証拠はないが、有里朱は言っているんだ。記憶にないと」
「ボクたちには観測できない。だから、それを鵜呑みにすることはできないってのは理解できるだろ?」
「そうだが……」

 言葉に詰まる。たしかに他人からしてみれば「嘘を言っている」か「精神を病んでいる」の二択だろう。

「ね? そのチバタカヨシさんって、ネットのブログで稼いでるって言ってたよね?」

 ナナリーがスマホを見ながら質問してきた。

「ああ、そうだ。今は忙しくて記事を投稿できてないけどな」

 千葉孝允の話のさいに通販サイトkonozamaのアソシエイトプログラムの話をしたのだ。そのさいにアルファブロガーとしての活動をさらりと説明していた。

 去年からのいじめ対策で、記事の作成に時間を割けなくなっている。まあ、それでも過去記事のおかげで、ある程度の収入はあるのだが。

「で、チバタカヨシさんは今、意識不明の重体だよね?」
「ああ」
「さっき教えてもらったサイトを見てるんだけどさ。これ、週一だけど更新されてるよ。アリスというか、こっちのチバタカヨシさんは書いてないんだよね? だったら、これ誰が投稿しているのかな?」
「え?」

 急いでスマホでサイトを見る。たしかに更新されている。最新記事は三日前か。っていうか、誰だ?

「その様子だと、あっちゃんの中にいるチバタカヨシさんではないみたいだね」

 俺の焦ったような表情から、かなめはそう読み取ったようだ。

「誰が更新してるんだろう?」

 ナナリーが半笑いに問いかける。その半分は、得体の知れないおぞましさからだろう。死者ではないが、昏睡状態の人間がブログを更新しているなど怪談の(たぐい)である。

「少なくとも俺じゃないぞ」
『わ、わたしでもないよ。というか、更新の方法とか知らないし』

 有里朱も即座に否定。といっても、俺以外には聞こえないが。

「第三の存在か……美浜有里朱でも千葉孝允でもない人間が、キミたちの裏には存在しているのか。これはまいったな。まあ、キミの虚言という可能性もまだ否定できないが」

 プレさんが「うーん」と腕を組んで困惑の表情を浮かべる。

「裏とか言われても、俺たち知らねーし」
「あー、七璃、ますますワケ解らなくなってきた」
「すごいね、アリリンの周りって。あたしなら、絶対動画のネタにしてたかも」

 ネタにすんなって!

「で、結局、わたしを助けてくれた人ってチバタカヨシって人なの?」

 央佳ちゃんは確認するかのように、俺にそう問いかける。結局のところ、それさえも曖昧なんだよなぁ……。

 そう考えると、俺が助けたのが央佳ちゃんだったのかさえ怪しくなってくる。

「混乱させて悪かった。この件については、保留にしてくれ。今優先すべき議題は、学校の方だわ」

 皆に納得してもらうつもりが、かえって不信感を抱かせることになる。これ以上の議論は悪い方向にしか進まないだろう。

 lacieの件を説明するのに千葉孝允の存在を説明しなければならなかったが、却って話さない方が良かったかもしれない。こればかりは判断ミスである。

「そうだな。解らないことが多すぎる。もう少し情報が揃ってからのほうがいいだろう。ボクも学校の件を優先すべきだと考える」

 怪訝な表情をしていたプレさんも、頭を切り換えたかのように意見を保留にしてくれた。もともと彼女も、状況に対する処理の優先順位をつけられるタイプだ。

 大事な時期に不毛な議論をしていても意味はない。まあ、何れはこの問題に決着をつけなければならない時がやってくるのだけどな。


 その後の議題は、例の自殺騒ぎの混乱をどう収拾するかだった。いくつかの案を俺は出し、それを実行していくことで対処療法的に騒ぎを収めていく方法をとることにする。

 もちろん、口調は有里朱の女の子らしいものに戻した。これ以上混乱させても仕方がない。

 それと、裏からこの事件を支配すべく、央佳ちゃんを操った人物の存在。これらも全力で調べることになった。

 もちろんプレさんは、彼女があの事件を起こそうとした日から動いてはいた。が、未だに『J』と名乗る人物が誰なのかがわからない。

「央佳は『J』の知り合いの土地である撮影現場に、どうやって行ったのかを覚えていないんだ」

 プレさんが確認のために皆にそう説明する。

「覚えていないというか、わたし、秘密だってことで目隠しされて現場に連れてかれたからね」
「そんな状態でよくついていったよね。央佳ちゃん」

 央佳ちゃんの他人事のような証言に、ナナリーが苦笑いを浮かべる。そのまま誘拐される可能性もあったのだから、ある意味怖い話だ。

「わりと自暴自棄になってたし、薬でハイになってたのもあるかな」
「でも、Jとは連絡取ってたんでしょ? LINFならメアドを辿れば――」

 ミドリーのその意見に、プレさんは落胆したように答える。

「辿れなかったよ。さすがに黒幕だけあって、抜け目はない」
「どうしても後手に回っちゃうね。せめて『J』の正体がわかれば、対処が変わってくるのに」

 かなめがため息を吐いた。これから起きることを考えると、気分が沈んでいくのだろう。

 どんよりした雰囲気を払拭すべく、俺は立ち上がって皆に告げた。

「とにかく、『世界の終わり』の件は、生徒たちもバカにしていて相手にしない者も多い。収拾をつけるなら今しかないんだ」



**


 次の朝はわりと目覚めが良かった。何か憑き物でも落ちたみたいに、体も心もすっきりしている。こんな感覚、久しぶりのような気がした。

 いつものように布団から出て、いつものように着替える。パジャマのままリビングに行くと、お母さんに怒られることもあるので平日は注意が必要だ。

 あれ?

 鏡を見る。自分の顔が写っているのは当たり前、けど、いつもの感覚なのにいつものような気がしない。

「孝允さん?」

 自分の言葉が声になる。当たり前の事なのに、なぜか懐かしい感覚。それと同時に沸き上がってくる不安。

「ねぇ、孝允さん。まだ起きてないの?」

 いつもなら同時に目覚めているはず。そして着替えもすべて彼がやってくれるというのに。

「ねぇ、まだ起きてないの? 寝坊した?」

 震えそうな声で彼に呼びかける。嘘だよね? 急にいなくなったりしないよね?

「孝允さん……」

 言いようもない不安が心の底から沸き上がってくる。どうしても応えないの? どうして目覚めないの?

 結局、家を出る頃になっても、彼の声はまったく聞こえてこなかった。こんなことは去年の十月以来初めてだ。

 久々に自分の足で歩いているような気がする。自殺を考えてからのわたしは、ずっと心の奥に逃げ込んでいたのだから。

「おはよう、あっちゃん!」

 登校時の待ち合わせ場所で、かなめちゃんが声をかけてくる。

 途端に溢れてくる涙。ぼろぼろと流れてきて、制御が効かない。

「あ……あっちゃん、どうしたの?」

 彼女は心配そうに駆け寄ってきてくれた。涙がこぼれたのはたぶん、かなめちゃんの姿を見て安心してしまったからだ。

「ごめん。……なんでもないの。ううん、なんでもあるのかな。わたしのお話、聞いてくれる?」
「あっちゃん? ……あれ? ああ、そうね。うん、たしかにあっちゃんだ。ごめん、気付いてあげられなくて」

 かなめちゃんの顔が近づいてきて、ふわりとわたしを抱き締めてくれる。柔らかな温もりと懐かしい香り。彼女なら、言わなくてもわたしのことをわかってくれたのかもしれない。

「あのね。孝允さんが起きてこないの」
「やっぱり」

 かなめちゃんは、ここ最近のわたしとは違う雰囲気に気付いたのだろう。『違う』というか、彼女にしてみれば『元のあっちゃんに戻った』という感覚なのかもしれない。

「いつもなら朝はほぼ同時に目覚めるの。着替えも食事も全部やってくれる。なのに、今朝は……」
「あっちゃん、落ち着いて。本来、それがあっちゃんなんだよ。自分で動いて、自分で食べて、自分で話すってのが人間なの」
「うん、わかってる」
「消えたわけじゃないんでしょ? あっちゃんの中で目覚めてないんでしょ? だとしたらチバタカヨシさんの本体の方に何かあったのかもしれないよ」
「本体?」
「昏睡状態だった彼が目覚めたのかもしれないってこと」

 その言葉で落ち込んでいた心がわずかに浮上する。それはわたしも彼も望んでいたことじゃないか。

 彼の無事をこの目で確認できることほど、喜ばしいことはない。

「そうだね。孝允さんが目覚めたなら、それは悪いことじゃないんだ」

 明日から夏休みだし、そうであるならお見舞いに行こう。そんな決意をしてようやく安堵する。

「学校行ける?」
「うん。ごめんね、かなめちゃん」

 二人で歩き出す。

 心はだいぶ落ち着いてきた。昨日話し合った、学校の件も話題に出せるくらいに回復する。

「あっちゃんの中のタカヨシさんがさ、昨日のうちにいろいろ考えてくれて助かったかもね」
「そうだね、彼のアイデアは、事態を収拾させる鍵になるもん」
「それより、あっちゃんは大丈夫なの?」
「うん。わたし、孝允さんがいなくても頑張るよ。目が覚めてもすぐに退院できないだろうし、わたしが動くしかないから」

 今までずっとわたしを守ってくれたんだ。今度はわたしが戦う番だ。

 かなめちゃんとお喋りしながら歩いて行く途中で、昨日のような異様な光景を再び目にすることになる。大勢の報道陣が、校門近くで無作為に生徒達へと声をかけていた。

 無視して歩いて行くと、ある一角にかなりの数の大人達が群がっている場所が見える。

 インタビューなら、基本的に一局につき一人の生徒だろう。だが、そこは数十人もの大人が一人の生徒を取り囲んでいた。あれではまるで、政治家や芸能人のぶら下がり取材ではないか。

 嫌な予感がして、わたしたちはその集団に近寄っていく。

「央佳ちゃん……」

 かなめちゃんの言葉で背筋が凍る。わたしも彼女の姿を確認できた。大人達に囲まれて泣きそうな顔をしているのは央佳ちゃんだ。取材対象が彼女であるなら、最悪の事態である。

 彼女は少し前に自殺騒ぎを起こして学校側の不手際を暴いた。だが、その後の連続自殺の件が、彼女の影響を受けたと世論を誘導することもできる。

 飢えたマスコミは事実をねじ曲げてでも『興味深い展開』を視聴者に提供するのだ。そんなおいしい餌を放っておくわけがない。

 わたしは考えるより先に、走り出していた。

 央佳ちゃんを守る!

 それが今のわたしに託された使命なのだから。

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