第49話 尾行

文字数 5,473文字

第49話 尾行 ~ The flower of the mirror country I

『ざまあって……あの「ざまあみろ」のざまあ?』
「そうだ。『メシウマ』とも言うな。これは『他人の不幸は飯が美味い』だったな」

 俺の補足に、有里朱の感情に乱れが生じる。まるで自分の心を制御できないようなもやもやした不安がこみ上げてくる。

『わたし……どうしたんだろ? 今までこんな気持ちになることはなかったのに……』

 俺と出会ったばかりの有里朱なら、他人の不幸を願うことはなかっただろう。すべてを己が悪いと思い込んで、挙げ句の果てに自分自身さえ否定する。

 だけど、最近のこいつは少し心に余裕が出てきているはずだ。世界を少しだけ広く見ることができるようになっている。シャーデンフロイデはその弊害といってもいいだろう。

 俺としては、それは良い兆候だと思っていた。有里朱はようやく『普通』の感情を持ち始めている。自分を否定せず、誰かを少しだけ嫉妬するような、どこにでもいる少女にだ。

「いいんだよ。それで」
『けど、佐倉先輩はそのせいでめぐみ先輩にいじわるしてるんでしょ?』
「シャーデンフロイデはきっかけであってもいじめの原因ではないぞ」
『そうなの?』
「俺がいじめを分類するのに使った『物差し』みたいなものだからな。さっきも言ったけど、これは誰もが持ちうる感情なんだ。ただ、人によってその割合は様々だ。嫉妬が芽生えても僅かすぎて本人が気付かない場合もあるし、ちょっとした不公平で嫉妬を感じてしまう人間もいる」
『ってことは佐倉先輩はその割合が多いと』
「そうだな。彼女の周りをいろいろ調べて感じるのは、わりと面倒見はいい先輩なんだよ。他人に対しても優しいし、実際後輩からも慕われている」

 美術部での絵の巧さはめぐみ先輩と並ぶほど。しかも、他人に教えるのは佐倉先輩の方が上手いらしい。自然と彼女の周りには人が集まってくる。中には『姐さん』と呼んで懐いてくる子もいるくらいである

『んー……ということは、うちのクラスの我孫子さんと同タイプ? あれ? でも、あの人は同調圧力系の偽善者型だっけ?』
「そうだな。あの二人は似ているようでまったく違う。我孫子は正義感、佐倉先輩は人情で動くタイプだな。だから規則より、公平さに敏感だ」

 佐倉先輩は不公平さを病的に執着している。ゆえにシャーデンフロイデが変質しやすい。つまり一線を超えてしまうのだ。

『そっか、コンクール受賞の件での佐倉先輩の嫉妬って、コンクール自体の公平さに不満を持ち始めてしまったところから始まるのね』
「端的に言えばそういうこと。で、通常なら心の中で燻るだけの嫉妬に終わるんだけどね。ただ……その嫉妬の火に対して、盛大に燃料が投下されたらどうなると思う?」
『それは燃え上がって……あ、もしかして、誰かがそれに火を付けたの?』
「そう。同じ美術部の佐倉とつるんでいる二人組。最初に配下系の寄生型って分類しただろ?」
『うん。その二人が佐倉さんをけしかけたってこと?』
「まだ推測の域だけどな。今のところは情報不足なだけになんともいえないが、可能性は高いだろう」

 寄生型の特徴は、根っからのサディストであること。カリスマや権力があればリーダーとなって自ら誰かを虐めるが、これらがない時は強い者へと寄生する。

 なにもリーダーが遊戯系である必要は無い。ごく普通の非いじめっ子をけしかけることで、同調圧力系の偽善者型や嫉妬系の直接型としてコントロールするのだ。

 下の者が自分より上の者を思い通りに動かすことなど、社会人になったとしてもよくある話であるのだから。


**


 今回のいじめの件はわりと複雑だ。

 ゆえに目的を明確にしていかないと、グダグダになってしまう。当事者でないというのも影響している。

 優先順位は有里朱を含む文芸部の安全確保。そして、めぐみ先輩へのいじめを止めさせること。そこで余裕があれば、佐倉先輩の改心と互恵同盟への勧誘。そして、対松戸への共同戦線を張ること。

 全部クリアすれば上出来だが、そこまでうまくいかないだろうな。

 というわけで、手軽に安全にできる尾行からだ。

『ストーカーじゃないの?』

 有里朱の乾いた笑いが聞こえてくる。尾行対象とは直接の顔見知りでもないので後を付いていくのは割と簡単であった。

「三人組相手にストーキングってあんまり聞いたことないけどな」

 放課後、俺たちは佐倉巴のグループを追いかけていた。駅から東京方面の電車に乗るが、途中の駅で佐倉先輩だけが一人で降りてしまう。

 一瞬だけ迷った結果、車内に残った二人組の尾行を続けることにした。

『佐倉先輩がメインじゃないの?』
「佐倉先輩のことは動画とか、噂とか、いろんな要素から人間性を把握できてるけど、あの二人はイマイチよくわからんからな」

 というわけで残った二人組の臼井希良々と和田英美理を見張ることになる。佐倉先輩と同じクラスだったということで、二人の名前を調べるのには苦労はしなかった。

 十数分ほど電車に揺られ、彼女たちはレイクタウン駅で下車した。どうやらジャスコへ行くようである。

 ショッピングモールで女子高生が一人で行動ってのは逆に目立ってしまうので、ここからカナメー……ではなくかなめを召喚。松戸とは直接関係ない人物なので危険も少なく、こういうのは気軽に助けを呼べたりする。

「最初っから誘ってくれればよかったのに」

 部室にまだいたらしく、俺からの連絡で三十分後くらいには到着することになった。

「そうだよ。互恵同盟なんだから、こういうのは頼っていいんだよ。そしたら七璃も気軽に助けを呼べるし」

 なぜかナナリーも一緒に召喚された。まあ、こっちも大勢でわいわい楽しんでいた方が尾行のカモフラージュにはなるわな。

「いやまあ……場所によっては大人数は目立つからね。けど、ここはだだっぴろいジャスコだからな」
「一人で行動する方が目立つもんね」

 と冷静な分析をするかなめ。よくわかっていらっしゃる。基本的にかなめは頭の回転が速い。

「ミドリーも来たがってたけど、どうしてもやらなければならないことがあるって」

 ナナリーは俺が命名した鹿島みどりのニックネームを普通に使っていた。かなめはまだ「みどりちゃん」と有里朱と同じような呼び方をしているけどね。

「ミドリー忙しいの?」
「なんか今日中に撮らなければならない動画があるって言ってた」

 そういえば、ウーチューブに投稿する動画のストックがなくなりつつある、ってこぼしてたな。

「ねえ、あっちゃん。あの二人組?」

 かなめの視線の先には、俺が尾行していた臼井希良々と和田英美理がいる。俺の視界の範囲にいる宅女の制服の女子高生ってそれくらいだからな。故にすぐわかったのだろう。

 それに前もってLINFで説明しておいたので、事情はよく理解していたようだ。

「そういうこと」
「あ、ミズド入ってくよ」

 二人組はドーナツショップへと入店する。楽しそうに話しながらなので、こちらにはまったく気付いていない。

「うちらも行く?」

 とかなめは落ち着いた口調で聞いてくるが、ナナリーがこれ以上にない幸せそうな顔で俺を見る。

「わーい。七璃、オールドファッション食べよう」
『わたし、フレンチクルーラー食べたいな。昨日から口の中があのドーナツなのよ』

 有里朱もそれに便乗する。そういや、昨日読んだ小説で吸血鬼幼女が食ってたな。

 二人組の後を付けるように入店すると、それぞれに好きなドーナッツと飲み物を頼む。ちなみにかなめはハニーディップだった。

 すでに二人組は会計を終えて席についている。俺たちは喋りながら、さりげなくその横を通り、前もって打ち合わせしておいた段取りでナナリーとふざけ合った。ちょっと押された感じに二人組の座るテーブルに近づき、さりげなくその裏に小型の隠しマイクを設置する。

「ウフフ、アリスったら」
「もー、やだー」

 と演技過剰にならんように気をつける。よくあることとはいえ、自分たちの席の近くで騒がれたのが気に入らなかったらしく、ちょっとムッとした顔をする二人組。

 俺たちは、彼女たちから少し離れた席へを確保する。こちらから向こうの様子も見られないが、こちらを見ることができない。しかも、こちらの声も届かないのがミソだ。

「はい、イヤホン」

 俺は盗聴器から飛ばした電波を受信する機械にイヤホンを三つ付け、かなめとナナリーへとそれぞれ一組ずつ渡す。

――ねぇ、さっきの宅女の子じゃん?
――ん? あんま見ない顔だよね。
――一年の子でしょ
――そっかぁ、ガキっぽかったもんね

 一才しか違わないってのに、ガキっぽいは無いよな。と思いながらナナリーと目が合ってしまう。

 目の前で握っている拳が、プルプルと怒りで震えていた。

――あ、あの小学生みたいな子?
――笑っちゃうよね。
――ロリコンのおっさんとか喜びそうじゃね?
――あははは、ちょーウケるぅ

 怒りで顔を真っ赤にするナナリーに俺は、フォローを入れてやる。

「ナナリー。かわいいは正義だよ」
『そうよ。ななりちゃんはかわいいからすべて許されるのよ!』

 そんな俺の言葉(さすがに有里朱の言葉は聞こえてないと思うが)に、かなめが「だめだこりゃ」的な溜息を吐くと、ナナリーを優しく見つめてこう言った。

「私たちまだ高校生だし、成長はこれからだよ。人によっては三十過ぎても伸びる人もいるっていうからね」
「ほんと?」

 いや、大抵は十六才前後くらいで骨端線が閉じて、背の伸びも止まると言われているからな。でもまあ、百パーセントじゃないからそういう希望を持たせてやるのもいいだろう。

――ガキと言えばトモエもそうだよね。あんなことに乗ってくるなんて。

 一瞬誰のことを言っているのかわからなかったが、佐倉先輩のフルネームは佐倉(ともえ)だったな。

――あたいは前から気付いてたよ。煽てれば乗せるは簡単だって。
――あいつ、あんな顔だから人から好かれたいって気持ちが強いんじゃね?
――そうそう。だから絵のことちょっと褒めたら、調子に乗ってやんの。
――幕張が嫌がらせを受けるのも『当然の報いだ』って誘導するのも楽だったよね。
――うん。あたい、幕張のこと前からムカついてたからね。ちょうど良かったんだよね。
――エミリ、こわーい。
――なに言ってんの。あんたも幕張のこと大嫌いじゃない。
――えー、あたしはあの子とは性格が合わないだけだよ。それに目障りじゃんあの子。
――あんたの方がこえーよ。

 女子はその場にいない者のことを平気で悪く言うというが、これは聞いているだけで気分が悪くなってくる。

 さすがにかなめやナナリーたちと顔を見合わせて渋い顔をする。

「これ、酷くない?」

 ナナリーはすぐに声をあげて不快を示す。

「佐倉先輩が首謀者と思ってたけど、この子たちが裏で誘導してたのね」

 さすがにかなめは、めぐみ先輩へのいやらがせの真相に気付いてようだ。

『ビンゴだね。孝允さん』
「ああ、これで同盟に誘いやすくなったな」

――ね、あの中学生のカップル。付き合いたてかね?
――あ、レジのところにいる子? 初々しいね。
――初々しすぎてムカつかない?
――男の子けっこうイケメンじゃん。ムカツクね。

 こちらからはレジが見えないので、どういう状態かがわからない。それでも何か企んでいるようにも思える。

――こっちくるよ。
――おお、なかなか男前だね。あの子にはもったいないかな。
――女の子がトイレに行ったね。
――これはチャンスかな。

 さすがに席を離れられるとマイクで拾えないので、仕方なく場所を移動する。と、二人組が中学生らしき男の子に逆ナンパのようなことを仕掛けていた。

「節操ないね」

 ナナリーが苦笑している。

 モーションをかけられている男の子は、相手に対して靡くこともなく固辞している。思春期の男の子にしては色仕掛けに釣られることなく平静を保っていた。よっぽどカノジョの事が好きなんだろう。

「あきらめたみたいだね」

 かなめがほっとしたかのように呟いた。男の子は無事解放され、戻ってきた女の子が不思議そうに話しかけている。

 臼井希良々と和田英美理は、興味をなくしたように店を出て行くところだ。

「かなめちゃん、ナナリー、尾行よろしく」
「アリスはどうするの?」
「隠しマイクを回収してくる」

 使い捨てにできるほど安い品物ではないので、きっちりと回収してからかなめたちと合流する。

 その後も彼女たちの行動を監視していたが、酷いものだった。

 アミューズメント施設では、クレーンゲームの筐体を揺らして物を落とそうとして店員に見つかって逃げ出したり、駆け回る子供たちにムカついたのか足を引っ掛けて転ばせ、そのまま立ち去ったりとやりたい放題である。

 もちろん、すべては撮影済み。動画サイトに投稿すれば炎上必至であるが、本来の目的はめぐみ先輩への嫌がらせを止めることだ。

 それらを円滑に進める材料は手に入った。あとは実行あるのみである。
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