第42話 I/Friend ~ Pleasance I

文字数 5,218文字

 有里朱は甘酒が嫌いなわけではなかった。

 中学の頃に初詣に行ったさい、神社で甘酒が振るまわれたことがあったらしい。

 ところが、それを飲んだ有里朱が酔ってしまって(本来甘酒にはアルコールは含まれないが、香付けとして酒粕を使っていたために、極度にアルコールに弱い有里朱が影響を受けたらしい)よろけた彼女を助けるために、かなめがそれを庇ってちょっとしたケガを負ったのだ。

 ケガ自体は大した事はなかったが、有里朱はかなり気に病んでしまったようだ。それ以来、彼女は甘酒には手をつけようとしなかったとのこと。(例え度数が一パーセント未満でも)

 そんな有里朱がなんの躊躇いもなく甘酒を飲んだのだ。不審がられるのも無理はない。

「そりゃ悪かったわ」
『しかたがないよ。言ってなかったのわたしだもん』

 俺たちはその場に取り残されていた。

 かなめはあの言葉を呟いた後、はっとした顔で我に返り「ごめん。先帰るね」と去って行ったのだ。

 たしかに俺のミスだよな。もう少し有里朱の情報を調べておくべきだった。最近、かなめとも仲良くなれてきたし、それで気が緩んでいたんだろうな。

『本当のことを言う?』
「うーん……」

 かなめには本当の事を話すか……いや、それはそれでさらに不審な目で見られるだろう。この現実世界でファンタジー的な現象を信じてもらえるわけがない。『不思議ちゃん』ならともかく、かなめは優等生タイプだ。論理的に説明できなければ、さらに不信感は増すだろう。

「もう少し考えさせてくれ」

 デート前のウッキウキな気分とは正反対の落ち込んだ状態で家へと帰る。アリスの心の中もどんよりとしているようであった。

 着替えながら思考。こればかりは一人で考えていても埒があかない。かといって、有里朱と話しても答えが出るわけでもない。

 どうしようか? と思いながらPCの前に座る。ブラウザを立ち上げ、Tvvitterのタイムラインを表示。いつもの作業なので、手が勝手にやってくれるようなもの。

「相談してみるか」
『誰に?』
「プレザンスさんだよ」
『でも、信じてくれるんですかね?』
「そこらへんは書き方にもよるな」

 俺はメーラーを立ち上げ、文章を打ち込む。

 内容は、今書いている小説の相談だ。これだけWeb小説が流行っているのだから、俺が書いていたとしてもおかしくない。そういう設定(・・)での相談だ。

 転生とか、男女入れ替えとか、一つの身体に精神が二つという状態をファンタジーではなく、理論的に説明できないものか? というものだ。もちろん小説を書いているというのは嘘であるが。

 でも、これならば頭のおかしな相談と思われないだろう。

 メールを送り、しばらくすると返信が来る。

【キミが小説を書いていたなんて意外だな。キミはどちらかというとクリエイターではなく策士タイプだったと思ったよ。】

 まあ、たしかに。俺に芸術的センスはないと自覚している。

【質問の件だが、実に面白い。ボクなりの見解を披露しよう】

 俺のくだらない質問にも全力で答えようとしてくれているのが、とてもありがたかった。

【まず『転生』だが、これは小説の中だけではなく、現実でも起きているだろう? その真偽はともかく】

 たしかに、前世の記憶を持って生まれたとか、そういう人をインタビューした本やバラエティ番組を観たことがある。かなり胡散臭さはあるが。

【例えば、ある偉人の生まれ変わりだと主張する人がいる。その人は偉人がどこで生まれてどんな人と出逢って、どんなことを成し遂げたのかの記憶があるという。けど、偉人の人生なんて、ほとんどが本になっているのだ。それを読めば偉人の人生など理解できてしまうだろう。誰だって偉人の記憶を引き継げるのだ】

 実際は『引き継ぐ』という名の模写ということだ。偉人じゃなくても生前の事を誰かから聞いたでも同様だ。記憶が脳に刻まれる以上、その記憶がどこから来たのかを考えればすぐにわかることだ。

【さらに偉人以外や、誰も知らなかった宝の隠し場所を知っていたという例もあるだろう。例えば先祖の記憶を持って生まれたとしよう。その先祖の記憶が正しいとどうやって証明する? 記録が残っていたのなら、記憶はイコール記録ということになるだろう。誰でも記録は引き継げる】

 同じことは占い師でも可能だ。過去を調べておくだけで、占って貰う側は「すげー、全部当たっているよ」ということになるはずだ。もちろん、客にそのことを知られてはならないが。

【記録が残っていない場合はどうなるのか? 本人の想像力でいくらでも捏造は可能だ。転生したという証拠すらないのだから、いくらでもやり放題である。これは転生に限らないな。UFOに攫われたとか、死者と話ができるでも同じことだ】

 つまり信用する方が馬鹿であると。

【じゃあ、誰も知らない先祖が隠した財宝を見つけたといった場合、生まれ変わりは証明されるのか? いや、これはただの確率論の問題だ。『自分は転生して記憶を引き継いだ』という人間はどれだけいるか? さらにその中で財宝を見つけた人がどれだけいるのか? 恐らく一パーセント未満であろう。そんなものはただの確率だ。転生だと言い張った人が、たまたま当たっただけの話である】

 なるほど、オカルトと宝くじは紙一重ということか。自然においても、偶然によって怪現象が起きるもんな。

【次に男女入れ替えとか、一つの身体に精神が二つ以上という状態だな。これも簡単だ】

 ここからが本番。俺たちの今の状態をどう解釈……いや説明するかだ。

【男女入れ替え。つまり男だったのに、女の意識がその身体には宿る。ここで問題なのは、男の意識と女の意識は別人格だということだ。LGBTの要素がないのであれば、解離性同一性障害を疑うのが正しい。いわゆる多重人格だ】

 なるほど、ファンタジーとして楽しむにはいいが、現実社会でそれが起こったのなら心的要因を考えるのが無難だろう、ということか。


【最後に、一つの身体に精神が二つという設定か。しかも切り替わるのではなく、会話ができるとなると解離性同一性障害の可能性は低くなる。もちろん、そういう症例もあるかもしれないが、それよりも()()()()()()()があるだろう】


 思わずごくりと唾を飲む。


()()()()()()()()()()だ】


 聞き覚えのある名前。そういや、最近ゲームでそんな言葉を耳にした記憶が……。


【誰でも幼い頃に人形遊びをやるだろう。人形に何か別の人格を与えて、それに喋らせて自分が答えるという遊びだ。これがイマジナリーフレンドだ。言葉はそのままの意味で『想像上の友人』ということになる】


 思わず苦笑いがこぼれる。あまりにもパズルのピースがぴたりとハマりすぎるからだ。それは怖いくらいに。


【人形は実在しなくてもいい。心の中での会話でもイマジナリーフレンドを作り出すことは可能だ】


 つまり有里朱にとっての人形は、この俺『千葉孝允』ということになる。単純明快な考察であった。


【本来、イマジナリーフレンドは幼少期なら誰にでも起こる現象だ。成長過程で世界を知るうちに、ルールや常識に縛られて想像力は落ちていく。この段階で、普通ならイマジナリーフレンドは消失する】


 それは理解できた。ならば、十六才にもなった有里朱がなぜイマジナリーフレンドを持っているのか? 理由があるとしたら、それはなんだろう?


【もし、ある程度大きくなってからもイマジナリーフレンドを持つようなら、一度病院で診てもらうべきであろう。ボクは専門家じゃないので、これ以上の見解を述べられない】

 ははは。さすがに専門医ではないので、無理だったか。

 とはいえ、小説の相談をしたというのに、まるで本質を知っているかのような回答。相変わらずプレザンスさんは底が知れない。

『こ、これほんとなんですか?』

 有里朱の声が震えていた。本来なら、俺の方がダメージは大きいというのに。

「落ち着け。プレザンスさんの説が正しければ、俺も有里朱の一部だ。よかったな、まったく知らない男に乗っ取られたわけじゃなかったぞ」

 気分を変えるためにおちゃらける。俺自身の心の安全装置が働いたようだ。

『孝允さん、大丈夫なの? 孝允さんは人形ってことになっちゃうじゃん。そんなことないよね?』

 プレザンスさんには全て話したわけじゃない。だから、この見解が正しいかどうかはわからない。けど、今の段階では確率は五分五分だろう。さらに情報を追加すれば、確率は変わっていく可能性もある。

「プレザンスさんには話していないことがある。例えば、俺が千葉孝允のKonozamaアカウントのパスワードを知っていたことだ」

 こればかりはイマジナリーフレンドでは説明がつかないだろう……という、誰でも思いつきそうな証拠を提示しておく。

『あ、そうか。わたしと孝允さんは接点がないのに、パスワードなんてわかるわけないよね』
「そうだ。だからこれは一つの説であって、真実であるかどうかはわからない。専門医による診察も受けていないのだから決めつけるのは早いだろ?」
『よかったぁ』
「なんで安心するんだよ。他人に乗っ取られてる可能性もあるんだぞ?」
『そうだけど……でも、孝允さんが存在しないよりいい。だって、そんなの悲しすぎるよ』

 有里朱の感情は理解できる。俺も自分の存在を否定されたら冷静でいられなくなるだろう。そして、俺は俺でなくなってしまう。

「大丈夫だ。プレザンスさんの説には穴があるからな」
『うん。今はわからない方が安心する。おかしい……かな?』
「いや、それでいいよ。今は難しい事を考えるな」

 俺は有里朱の安心させる為に嘘を言った。これは優しさなのか……それとも自動的なのか。

 プレザンスさんの見解には穴があるわけじゃない。情報が足りないだけだ。

 なぜパスワードを知っていたのか?

 そんなものは物理的にも電子的にも盗み見る方法はいくらでもある。例えば有里朱は機械音痴っぽいが、本当にそうなのか?

 彼女はスマホ世代の女子高生だ。というのに、なぜPCを所有している? ゲームをやるわけでもない。スマホでさえ使いこなせていないのに、これは不自然ではないのか?

 疑い出せばキリがない。

 もし、イマジナリーフレンドを持つくらいに病んでいるのなら、考えられることは一つある。

 そう、プレザンスさんも指摘していた多重人格だ。

 そのもう一つの人格がネットワークに精通していたのなら、パスワードの取得など不可能ではない。

 多重人格の場合、人格の交代が行われるので人格同士の会話は難しい。だから、有里朱に聞いたところで明確な答えは返ってこないだろう。

『孝允さん?』

 心の機微に反応した有里朱が声をかけてくる。俺自身の不安を読み取ったのだろうか?

「……」

 そもそも同じ身体を共有しているのだから、心の源である脳神経ですら共有していることになる。複雑に入り組んだニューロンを綺麗に棲み分けるなんてことができるのだろうか?

 たとえば、心の声と有里朱への問いかけを意識的に分けているはずだが、最近その境界が曖昧になりつつある。

 有里朱への問いかけではない、俺自身の心の声が彼女に聞こえてしまっていた。だが、俺も彼女自身の一部だとしたら、聞こえていてもおかしくはない。なにせ同一個体なのだから。

『孝允さん、どうしました?』

 漫画やアニメのように『女の子の身体に意識が乗り移った』なんてファンタジックな設定より、千葉孝允は『有里朱の作り出した人格』だと考える方が筋の通る話だろう。

『孝允さん!』

 有里朱に怒鳴られた。といっても「ちょっとおこなのかな?」程度の可愛い怒りだろう。

「ああ、悪い。考え事をしていた」

 聞こえてたけど、考えを纏めるためにあえて無視したのは悪いと思っている。

『孝允さん、気がかりなことがあるんじゃないですか? わたしに何か隠しているのでは?』
「ねーよ。かなめにどう対処しようか考えてただけだ。今は俺のことなんて二の次でいい」

 もともとプレザンスさんに相談したのは、かなめを説得するためのヒントを得るためだ。

 今やらねばならぬ最優先事項は、かなめとの関係修復。俺が何者であるかなんて、全部片付いてからでいい。

 そう自分に言い聞かせた。
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