第59話 少女と湯けむり

文字数 6,644文字

■少女と湯けむり ~ I'm back in the saddle now!!

 空には満天の夜空。
 漂う蒸気とほのかに感じる硫黄の香り。ここは旅館内にある露天風呂。

「ふぅー、生き返るねぇ……」

 と、ミドリーが温泉ならではのおっさん臭い台詞を吐く。本来ならば俺が呟くべき言葉だ。

「ミドリンおっさんくさい」

 ナナリーがジト目で彼女を見る。良かった、俺=有里朱が呟いていたらどんなツッコミをされていたことか。

「おこちゃまには、温泉の良さが理解できないんだよね」

 と、ミドリーがナナリーのなだらかな胸元を見てニヤリと笑みを浮かべる。

「なによ! 七璃たちまだ十代なのに」
「たしかに、女子高生の言葉じゃないね」

 貧乳好きというわけではないが、俺はナナリーに加勢する。おっさんが言うならまだしも、ミドリーが吐き出す台詞じゃないからな。

「ちょ、ありすぅまで」
「だってミドリーって毎日楽しそうじゃない」

 彼女はウーチューバーで好きな事やって金稼いでいる。日常の苦悩から解放されて「生き返る」ってのとは違うからな。そもそもネコ以外の事で悩みなさそうだし。

「でも、あっちゃん。ウーチューバーってなんか毎日大変みたいじゃん」

 かなめがミドリンを擁護する発言。何か思うところがあるのか?

「そうだよ。カナリンの言う通り、一定の間隔で動画撮って編集して投稿しなきゃいけないってプレッシャーがあるんだよ」

 好きで投稿してるんじゃないのかよ! と思わずツッコミを入れたくなる。

「そうだよねぇ。作って投稿ってのがノルマ化してると大変なんだよね。初めは楽しかったのに、義務化した途端、つらくなる作業ってあるんだよ。こういう温泉でリフレッシュしたい気持ちは私、わかるなぁ……」

 かなめがしみじみと呟く。まるで小説投稿サイトに連載を抱えていて、最初は書くのが楽しかったのに、段々義務化してしまっているかのように。

 彼女もミドリーと似たような経験があるのだろう。まあ、あの話は本人には問い詰めて……確認をとっていないのだけど。

 とにかく彼女のその症状が悪化して筆を折らないことを、一読者として祈るしかない。

「ふぁー、生き返るねぇ」

 とユーリ先輩が空気を読まずに呟いた。これにはナナリーも俺も口を噤む。まあ、先輩の場合はバイクだったし、温泉浸かってこの台詞が出るのも自然と言えば自然であった。

「ナナリ~ン。ユリリン先輩には注意しないの?」

 またしてもニヤケ顔でミドリーがそう言い放つ。というか、ミドリーはリン付けで固定か? いや、アリスだけリンが付いてないんだけどな。

『アリリンはさすがに嫌だなぁ』

 と有里朱が独り言のように呟く。こいつも俺と同じ事を考えていたか。

「ゆり先輩はミドリンと違って大人の女性だよ。それにバイクで長時間走ってるんだから仕方ないじゃん」

 ナナリーが俺の言葉を代弁してくれた。ユーリ先輩は一つしか年齢は変わらないが、五人の中では一番発育がいいだろう。

 背は百七十近くあるし、Dカップくらいはある豊乳で、くびれもあるモデル体型。

 こんな裸体を見たら興奮しそうなものだが、わりと冷めた目で見ている自分に驚く。まあ、憑依した初日に有里朱の裸体を見ても平気だったからな。

 そんな二人に、お構いなしにマイペースでくつろぐユーリ先輩。その様子を優しげな眼差しで見守るかなめという構図だ。

 ふとかなめのバストへと視線が向く。その大きさと形を確認しつつ、自分の……有里朱の胸を見る。

「一回り小さいな。やはり下位互換か」
『き、気にしてるのに! それセクハラだよ! 訴えるよ! 辞任ネタだよ!』


**


 部屋に戻ってくると布団が敷いてあった。ここは旅館の為に、不在の時に仲居さんがやってくれたのであろう。

「うわぁー、こんな布団がいっぱい敷いてあるところで寝るの初めて」

 とナナリーが幸せそうな顔で布団へとダイブする。

「中学の時とか、修学旅行で泊まった時ってこんな感じじゃなかったっけ?」
「その時は洋室だったよ。こういう和風の部屋に泊まるの初めてなんだよね」

 とナナリーが嬉しそうに言い、それを聞いたミドリーが足元の枕を拾い上げて彼女に投げつける。

 ポフッと軽い音がしてナナリーの顔に枕が当たる。

「何するのよ!」と枕を投げ返そうとするナナリーだが「ナナリンにも枕投げの洗練を受けさせてやる!」とミドリーは二つ目の枕を投げていた。

「はぁ、ええ夜やなあ」

 ユーリ先輩は広縁に置いてある籐椅子に座ると、外の景色を眺めながらそんな言葉をこぼす。

 かなめも枕投げには加わらす、ユーリ先輩の向かいに座り「落ち着きますね」と相づちを打った。完全に二人はマイペースという名の別世界にいた。

「このちんちくななりん!」
「毒舌ミドリー!」

 相変わらず仲良く喧嘩しているので、俺も二人の邪魔をするなんて野暮なことはしない。自分の鞄の置いてあるところに行き、フタを開けて内部のスイッチを止めてmicroSDカードを取り出す。

 これは鞄に取り付けられていたカメラの録画データだ。

 旅館の場合、信用問題に関わるので客のものに手を出すなんてことはしないと思うが、手癖の悪い従業員がいないとも限らない。念のためのセキュリティ対策だ。

 タブレットにカードを差し込み、動画データを再生する。半分くらいは信用しているので、三倍速くらいで見ることにした。

 部屋の中に入ってくるのは三人の仲居さん。十代くらいの新人っぽい若い女性と、四十代くらいのベテランらしき女性だ。

 ベテランがテキパキと動く中、新人は行動はぎこちない。どこの職場でもありそうな光景だ。だが、どこでもある光景(・・・・・・・・)はさらに続く。

 音声までは録音されていないので何を言っているかはわからないが、あきらかに新人を叱責しているようにも思える。

「なに見てんの?」

 後ろからミドリーの声がする。

「もう! 勝ち逃げはズルーい!」

 俺の後頭部に枕が当たる。ナナリーってノーコンなのか?

「あ、ごめん。アリス」
「いや、痛くないからいいけどさ」

 後頭部を擦りながらナナリーを哀れむように見る。ミドリーにいいようにやられたわけか。それでもナナリーのミドリーに対する、負けないという気持ちは挫けていないようだ。ゆえに、それなりに良い関係を保っているのだろう。

 たとえ一対一であってもパワーバランスに極端な差があると、それはいじめへと変わってしまう。その差に気を遣う人間と、その差を利用する人間がいて、後者ほどサディズム傾向が強く、いじめを積極的に行おうとする。

 ミドリーは毒舌とはいえ、そこまで性格は悪くないようだ。ナナリーとの軽口の叩き合いを楽しんでいるようにも思えた。

「ね、それ監視カメラ? キャリーバッグに付けてたの?」

 ミドリーからの質問に「そうだよ」と答えておく。

「疑いすぎじゃない?」
「だから、『備えあれば憂い無し』だよ」
「あんたは備えすぎなんだけどね」

 と彼女は苦笑い。結局、盗まれた物もなかったわけで、大した映像は映っていなかった。俺としても、監視カメラの動作確認の為だったので目的は達成したことになる。監視カメラの小型化ってのは、学校でスマホが使えなくなった現状では、かなり重要になってくるからな。

「なぁ、枕投げ終わったん?」

 ユーリ先輩がほわわんと緩やかな方言で問いかけてくる。

「さっき花見川先輩と話してたんだけど、みんなでゲームしない?」

 かなめが片手にスマホを持ってこちらに向けている。この世代だと、カードゲームとかよりスマホの方がお手軽なのかな?

「ゲーム?」
「スマホでマルチで遊べるやつあるやん」
「うん、なんかDeathゲームっぽいやつ」

 ああ、パクリ方が酷くて『配信/開発の差し止め』訴訟されてたはずが、元となった小説の原作者がストーリーアドバイザーになっておかしな展開になったゲームね。

「うふふ……さて、誰が生き残るかなぁ」

 とユーリ先輩が左右非対称の笑みを浮かべる。ぞぞっと背筋が凍えた。

 あれ? チームプレイじゃないの?


**


 次の日は優雅に観光。

 芦ノ湖周辺の美術館やら神社やら水族館を廻り、楽しい時間を過ごす。ユーリ先輩もバイクを置いて、徒歩で皆に付き合ってくれている。

 途中にあったキャンプ場を見かけると、ミドリーが「こんなところでキャンプしたいね」と言い出した。

「キャンプかぁ、ええなぁ」

 と、ユーリ先輩は乗り気だ。彼女のことだからソロキャンプくらいはやってそうである。

「けど、キャンプって虫とか凄いって聞くよ」

 とかナナリーがぶるっと身震いする。この中じゃ一番のインドア派だから無理もない。

「うーん、でも今みたいな寒い時期ならあんまりいないんじゃん? ナナリンびびり過ぎだって」

 ミドリーはキャンプがしたくてたまらないのだろう。彼女はウーチューバーだし、そういう体験はネタになる。今なら『女子高生がキャンプしてみました』ってタイトルで十分視聴者を呼べるはずだ。キャンプネタのアニメがそこそこ流行ったし。

「でも、冬場は寒いからなぁ」

 虫はまあ我慢できるけど、寒いのは少し苦手だ。どうせなら暖かい時期にやりたいが、そうなると虫問題でナナリーが超絶嫌がるだろう。

「私は自然の中で寝泊まりってのには憧れるなぁ。バーベキューとかやりたくない?」

 とかなめがパリピっぽい発言をする。この中では一番世渡り上手なリア充だからな。

「バーベキューかぁ……荷物多うなるね」

 バイクで移動のユーリ先輩にとっては、バーベキューの道具を運ぶのはキツくなるだろう。かといって、うちらが徒歩で持っていくのも大変だ。誰か車を持っていればいいのだが、全員18歳未満である。免許さえとれる年齢ではなかった。

「キャンプ道具なら現地で借りるって手もあるみたいだよ」

 かなめがスマホでその手の情報を調べている。すでにキャンプ計画を立てかねない状態だ。

 そんな中、俺は辺りの山を見渡しながら「こんな山の中で道に迷ったら野宿にでもなりそうだな。そうしたら図らずもキャンプができるかもしれないな……」と有里朱だけにわかるような独り言を呟く。

『それ、キャンプじゃなくてサバイバルだよ!』


**


「ない!」

 部屋に入った途端ミドリーが大声で叫ぶ。ちょうど旅館へと戻った直後だ。

「何がないの?」
「あたしのカムコーダがない!」

 それは彼女がウーチューブ用に使っているビデオレコーダだ。昨日、撮影に使用してテーブルの上に置いたままだったのだろう。貴重品を無造作に置いて出かけた彼女のミスでもある。旅行気分が彼女の緊張感を緩めてしまったのかもしれない。

「落ち着いてミドリー。とりあえず監視カメラで犯人はわかるから、それからどうするか考えよう。場合によっては警察に届ければいい。後々面倒くさいけどね」

 昨日のようにキャリーケースのカメラからSDカードを抜いてタブレットに差し込み、録画された映像を見る。いちおう音声も拾えるようにマイクも追加しておいたのだ。

 再生してすぐに人が入ってくる。

「この部屋の子たちって高校生だっけ?」

 映し出されるのは昨日見た四十代くらいのベテランコンビ。今日は新人はいないようだ。いちおう念のために、倍速ではなく標準速度で再生する。

「なんか懸賞に当たったって言ってたわよね。羨ましいわぁ」

 マイクは二人の音声をキチンと拾っているようだ。
 ベテランの仲居さんは仕事慣れしてるだけあって、無駄口を叩きながらも手は休めずに布団を綺麗に畳んでいく。

「あら、テーブルに貴重品置きっ放しじゃない」
「女将から貴重品は金庫に入れておくように言われているはずなのにね」
「これで盗まれたら、わたしたちのせいにされるんじゃない?」
「そうね。触らない方がいいかもね。けど、今どきの子って、こんなにも無防備なのかしら?」
「まだ子供なんだし、仕方ないんじゃない?」
「子供ねぇ……わたし子供嫌いなんだけどね。あの新人の子も同じくらいの年齢じゃない?」
「ああ、あの子ね。今日も寝坊したって言ってたわね。仕事できない癖に」
「使えない子よね。キョーコさんの紹介で入ってきたんだっけ?」
「高校でいじめにあって、そのまま中退みたいよ」
「でも、わかるわぁ……あの子、イライラするからいじめたくなるのよ」
「そうそう。なんかムカツクわよね。あたしもあの子と同じ年代だったら、絶対いじめてるって」
「サクさん、その言い方だと今はいじめてないみたいじゃない」
「いじめてないわよ。今は愛のムチよ」
「うふふ……かなりキツいムチだけどね」

 結局、その仲居さんたちは仕事が終わるとそのまま部屋を出て行った。

「なんか感じ悪いね。あの仲居さん」

 ミドリーが怒りを抑えながらそう呟く。

「よくあることだよ。学校だろうが会社だろうが、人が集まればいじめなんてのは日常茶飯事だ」

 仲居さんが出てったあとは、再び再生速度を早回しにする。

「あ! 誰か入ってきた」

 かなめがそのことに気付いて声を上げたので再生を標準に戻す。

「これって、あの新人の子かな?」とナナリーが呟いた。

 入ってきたのは十代くらいの仲居さん。部屋の掃除を始めている。床を掃除し、テーブルの上を拭こうとしてその上に置いてあるカムコーダーに気付いた。

「まさか、この子が盗んだんじゃないよね?」

 ミドリーの不安げな声。さきほどベテランの仲居さんたちに悪い印象を抱いていただけに、何か納得のいかない顔をしている。

「まだ疑うのは早いよ」

 俺はそう告げる。何事もきちんと見極めてから疑うべきである。

 映像の中のその子は、カムコーダーを広縁にある籐倚子の上へと置いた。テーブルを拭くのに邪魔だったのだろう。

 そうして若干不慣れな感じで部屋の清掃を行うと、その子はそのまま出て行ってしまった。

「倚子のとこに……ないよね」

 かなめがその場所を確認するが、カムコーダーは部屋の中にはなかった。

 さらに時間が経過し、今度はまたあのベテラン仲居さん二人が入ってくる。

「あの子、ちゃんと掃除したのかしら?」
「要領悪いからね、あの子」

 仲居さんの一人が、テーブルの上やテレビの上を指ですぅーっと撫でて、その指が汚れてないか確認している。姑かよ!

「あら、あの子。貴重品の場所を移動したわね」

 籐倚子の上においてあるカムコーダーにその仲居さんは気付いたようだ。

「あの子のことだから、仕事に夢中になって忘れたんじゃない」
「まったく、こういうのは下手に触れて壊したら、クレームきて面倒なことになるってのに」
「ほんと、使えないわね。あの子」
「そうだ。いいこと思いついたわ。これってあの子が素手で触ってるから指紋ベタベタよね。これをあの子の部屋に置いておけば盗んだって疑われるんじゃない?」
「うふふ、サクさんも悪知恵が働くね。そうね、盗みでもやらないとあの子を辞めさせるなんてできないだろうし、追い出せるチャンスかもね」
「そうそう。いい案でしょ? この布巾で持ってけばあたしの指紋もつかないし」
「サクさん頭いい」

 顔を歪ませた二人がカムコーダーを持って部屋を出て行く。

 なるほどね。事件の真相としては単純だ。子供だろうが大人だろうがいじめを正当化し、それに乗じて犯罪を行おうとする輩はどこにでもいるということである。

 今回もいじめの被害者でもなく第三者的な立場ではあるが、仲間であるミドリーの持ち物がいじめに利用されているのだ。当事者といってもいいだろう。

 あの新人の仲居さんと面識があるわけではないが、これは助けないわけにはいかない。正義感を満たす為ではない。向こうからこちらへと関わってきたのだ。存分にその報いを受けてもらおうではないか。



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