第43話 嘘 ~ Everyday

文字数 4,912文字

「ごめんね、ナナリー。変な事頼んじゃって」

 玄関から顔を出したナナリーに、俺は開口一番で謝る。

「いいよぉ、そんなの。それよりも、かなめさんとアリスって喧嘩したの? なんか様子がおかしいよ?」

 ナナリーの家にはかなめを呼び出してもらって、そこに俺たちがお邪魔するという段取りをしてもらっていた。

 部屋に入るとかなめが座ったまま俯いている。「かなめちゃん」と声をかけたが、こちらを見ようとしない。よほどあの時のことがショックだったのだろう。

「話があるの。かなめちゃんだけじゃなくて、ナナリーにも聞いて欲しいんだ」
「それはいいけど、かなめさんと仲直りするんだよね?」
「喧嘩じゃないんだけどね」

 俺はナナリーの用意してくれた座布団へと座る。ローテーブルの真向かいにはかなめが座っており、その右側にはナナリーが「うんしょっ!」とかわいいかけ声をして腰を下ろした。

 重苦しい空気が部屋に漂う。それを振り払うかのように俺は言葉を紡ぎ出す。

「前に、わたしは昔のわたしと違うって言ってたじゃない。その話の続きを聞いてほしいの」

 真実を話してもきっとかなめは信じないだろう。それどころか「馬鹿にしている!」と怒り出すのは予想がつく。ならば、彼女が信じやすい嘘を交えながら、その中に真実を放り込めばいい。

 すでに『その設定』は有里朱の了承をとってある。

「あのね。わたし、ちょっと前から精神科のある病院に通院していたの」

 ナナリーの顔が固まり、かなめが驚いたように顔を上げてこちらを向く。よし、掴みはオッケーかな。俺は話を続ける。

「多重人格って知ってる? 一つの身体の中に人格が二つ以上存在するって話」
「七璃聞いたことある。物語の中ではよくあるよね」

 一番最初に反応したのナナリー。かなめはまだ表情が硬直したままだった。

「けど、それは現実でもある症例なの。心から精神を切り離すことで、痛みから逃れる病の一つなの」

 とはいえ実際多重人格は、どこまでが本当なのかは現代の医学においても証明されていない。例えば、多重人格を扱ったとある(・・・)小説が流行ったときには、それに影響されるように多重人格を自称する患者が増えたそうだ。

 人間は誰しも多面的な性格を持っている。それを多重人格と言い切ることができるだろうか? 相手によって自分自身の性格や話し方を変えることなど、一般の人々でもよくやることだ。

「信じられない話かもしれないけどね。わたしの中には二つの人格があるの」

 もちろん、多重人格を否定する方法も確立されていない。つまりそれを嘘と見抜くことも難しい。ましてや医者でない、かなめやナナリーにわかるはずもない。

「今喋っているのは、本来の有里朱じゃないの。けど、本来の有里朱もいるよ。かなめちゃんと二人で出かけたりするときは元々の有里朱が喋っているよ。それはわかるでしょ? かなめちゃん」
「じゃ、じゃあ、あなたは誰なの?」

 かなめは驚いたままの表情でその言葉を投げかける。ごめん、病院の(くだり)は嘘なんだ。

「わたしは……そうね、区別するためにもロリーナとでも呼んでもらおうかしら」

 説明を解りやすくするために仮の名前を名乗る。ロリコンのことじゃないぞ。

「ロリーナ?」
「イーディスでもいいけど、アリスと区別するためだからなんでもいいよ」

 『孝允』という男の名前を出して、警戒心を抱かせる必要はないだろう。有里朱とは別の人格があると理解させることが大切だ。

「あなたは、あっちゃんの中に芽生えたもう一つの人格ということなの?」

 病院に行って診てもらったわけではないので、それは確定事項ではない。ただ、かなめたちに説明するにはそれが一番理解してもらいやすいだろう、と組み立てた嘘である。

「そういうこと。解離性同一性障害、正式な病名は解離性同一症だけどね。あまり大っぴらに言うようなことじゃないから、内緒にしてくれるかな?」
「うん、わかった。ごめんね、なんか私、勝手にあなたの事を疑っていた」

 かなめが軟化してきている。この作戦はとりあえず成功かな。口止めしておいたので、変に突っ込まれたり、本当に病院に通っているかどうか調べられることもないだろう。

「それはしょうがないよ。わたしもかなめちゃんに黙ってたんだから」
「ねぇ、アリス……じゃなくてロリーナだっけ。七璃と最初に出逢ったのってアリスとロリーナのどっちなの?」

 それまで黙っていたナナリーが、恐る恐るこちらに問いかけてくる。それは彼女としては重要な事なのであろう。自分を助けてくれたのが、アリスなのかロリーナなのか、それを知りたいだけだと思う。

「わたし、ロリーナが目覚めたのは、今年の十月十六日のこと。ナナリーと出逢う一週間前だよ」
「そう。『良かった』っていうのはおかしいかもしれないけど、七璃と知り合った後に急に生まれた人格ってわけじゃないのね」
「そういうこと。だからさ、わたしとだけではなく、本来の有里朱とも仲良くなって欲しいの。それから、このことは本当に内緒ね」

 有里朱のことはフォローしておかなければならない。本来の彼女に戻った時、友達となるのだから。

「言わないよぉ。それにかなめさんとも仲良くなれたし、その……本来のアリスとも大丈夫だと思うよ。そんなに変わらないんでしょ?」

 ナナリーは昔の有里朱を知らない。けど、二人の相性はそんなに悪くないだろう。

「本来の有里朱は、ナナリーによく似てるよ。内弁慶でかわいいものが好きで」
「じゃあ、大丈夫だね」

 ニカッとナナリーが笑顔を見せる。多重人格者への偏見は持っていないようだ。これで一安心か。目的の条件はクリアしたようなものである。

「そんな訳で、騙してたってのとは違うかもしれないんだけど、ごめんなさい」
「いいよ。あっちゃんがそんな状態だって知らなかったし、そこまで心を病んでいて何もしてあげられなかった自分の方が情けないよ」

 かなめが再び顔を俯かせる。有里朱に関して責任を感じている部分もあるのだろう。いじめ問題はかなめじゃ解決できなかったからな。

「大丈夫だよ、かなめちゃん。これは時間が解決してくれる」

 本当に多重人格なら本来の人格への統合、そしてイマジナリーフレンドなら自然消滅。そして、憑依の場合……どうなるんだよ? まあ、いい。それは保留だ。とにかく時間をかけてゆっくり治していくというのが定石だ。

「時間?」
「本来の有里朱は今変わろうとしている。こんな世界に絶望して『消えてしまいたい』と願ったんだ。だからわたしロリーナが出てきたの」

 ローテーブルの上に載せていた左手をかなめが取る。柔らかい手の感触に、温かい体温。そして顔が近づいてくる。俺もアリスも鼓動が高まっってきた。

「あっちゃんごめん。やっぱり私じゃ力になれなかったんだね」
「でも、彼女は……有里朱は世界を好きになろうとしている。そのためにもかなめちゃんとナナリーには協力してもらいたいんだ」
「わかった」
「うん、協力するよアリス」

 ナナリーも近づいてきて三人が手を重ねる。百合というより友情だ。こういう青春を送ってみたかったものだな。

「なあ、有里朱。これでいいだろ?」
『……っ、う……うん。ありがと』

 泣いているようにも感じる声。涙なんて出てないのに。この感覚はなんだろう?

――あれ?

 ふいに浮かび上がってくる思考の結晶。

 俺が有里朱のイマジナリーフレンドだとプレザンスさんは遠回しに推測していた。

 けど、俺は第三の答えを思いついてしまう。

 それは……。


**


 クリスマスが終わって終業式が終わって、あとは年を越すのを待つばかりである。

 大掃除やら冬休みの課題を済ましたりで、時間はあっという間に流れていく。

 そして大晦日。

 かなめやナナリーたちと初詣に行こうということになった。東浦和は実は、その駅の周囲だけでも十以上の神社がある。どうせだから梯子しようかとの案もあったので、三つばかりをピックアップして回る予定である。

 深夜に大っぴらに行動できるということで、有里朱自身のテンションも上がってきてはいた。

 多重人格の件で誤魔化したので、かなめたちとの関係はかなり回復できている。かなめは多少気を遣うようになってしまったが、ナナリーに至っては気を遣うどころか前にも増して話しかけてくるようになっている。

 物語が大好きな彼女だからこそ、『多重人格』というファンタジー的な事象には好奇心が沸いてしまうのかもしれない。ナナリーだったら、もしかしたら本当の事を話したとしても信じてくれた可能性もあるだろう。

 彗星が落ちてくると言っても信じそうなので、それはそれで気をつけなければならないけどな。まるで、サヤ……いやなんでもない。

「おまたせ」

 駅前のロータリーのところで待っているとかなめがやってくる。彼女は真っ白な腰のキュッと締まったレディースのダウンコートを羽織っていた。

 対する有里朱のは寸胴のピンク色のベンチコートである。こういうファッションにおいても差を付けられている彼女であったが、『かなめちゃんかわいいね』と自分のことには無頓着なのである。ちなみに、服装は全部有里朱任せだ。

 それから数分後にナナリーがやってくる。黒いブーツとピンクのフリルのロングスカートに、上は深紅のコートにケープを捲いている。

 コートにはフリルもリボンも少なめなので、少し大人しめなロリィタファッションであった。

『ななりちゃんかわいい!』

 有里朱が真っ先に反応する。おまえ、かなめのこともかわいいって言ってたじゃないか。まあ、彼女の中じゃ同じ『かわいい』でも微妙に意味が違うのだろうな。

「ごめん! イラスト仕上げてたら時間過ぎちゃって」

 約束の時間は五分ほど過ぎているが、俺もかなめもさほど気にしないタイプだ。もちろん、有里朱も文句を言うどころかナナリーの服装に夢中になっている。

「おまえさ、かなめとナナリーの服だったら、どっちが着たいの?」
『え? 自分が着るの? だったらななりちゃんのゴスロリかな。かなめちゃんのは大人っぽくないと似合わないよ』

 まあ、己の事を理解しているのは悪くはないが、こいつの場合は自虐的な意味も含むからなぁ。

「ナナリーのはゴスロリっていうより、落ち着いたクラシカルロリータじゃないか?」
『クラシカル? ああいうのってみんなゴスロリっていうんじゃないの?』
「ちゃうわ! ゴスロリのゴスはゴシックだから、全体的に退廃的で悪魔的な感じが多いぞ。黒ロリと区別がつかないならわかるが……」
『ねぇ、孝允さん』
「ん?」
「孝允さんって男の人だよね? なんで詳しいの?」
『いや、常識だろ?』

 オタクやってれば自然と覚える……あれ? 覚えない?

「あっちゃん?」

 かなめから呼びかけられる。

「ごめん。ちょっと考え事していた」

 誤魔化す必要はなくなったとはいえ、いつもの癖でそう言ってしまう。

「そろそろ行こ」
「うん」

――「今年一発目の動画はこれだね」
――「今年こそ目指せ百万再生だよ」
――「イケるかな?」
――「手応えはあったでしょ」

 移動しようと歩き始めた時、後ろを聞き覚えのある声の女子集団が通り過ぎていく。

 振り返ると、予想通り見覚えのある女の子たちだ。

『まじ卍だっけ?』
「例の底辺ウーチューバーだな」
『なんか手元に変なもの持ってるの見えたね』

 一番右端の子の手元に一瞬黒光りする何かが見える。一瞬のことなので、脳内でそれを補完した。

『なにかな?』
「まさかね」
『ねえ、なんだったの?』
「拳銃かな?」

 見間違いでなければ、それは自動(オートマチック)式のハンドガンの形状をしていた。

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