第20話 部室と心の模様替え ~ Looking-Glass I

文字数 4,521文字

 松戸はあれから学校に来ていない。配下であった三組の生徒にも裏切られ、最初の缶詰騒ぎも松戸が企んだことになったようだ。

 そりゃそうだ、本当の事を話したらあの三組の配下の女生徒たちも立場が悪くなるし、下手をすれば退学なのだ。都合の悪いことは全部松戸に押し付ければいい。いじめの基本であった。

 自らの配下という手足を全てもがれたことで、松戸はこの学校での立場が危うくなる。親が学校にクレームを入れたとの噂もあったが、教師としても下手に動けない。この事件は、犯罪があったわけではない。厳密に言えば、あの鞄を盗んだことが犯罪だが、その事実は隠蔽されている。

 そして、松戸自身が被害を受けたと言っても、健康被害など微々たるものだ。いや、傷害にすらなり得ない事件である。

 学校になんとかしろとクレームを入れても、生徒達が松戸を受け入れるはずがない。あの強烈な臭いを二度もまき散らしたのだからな。

 あのタイプは覚悟もなく人を傷つけ、そして傷つけられることに脆い。何か嫌な事があっても、周りのせいにするタイプなので、自殺をすることはないだろう。が、絶対とはいえない。その時は俺自身が人殺しの汚名を被ることにしよう。有里朱は関係ない。

 放課後、門扉の前で待っていると宅配便のトラックが止まる。運転手と助手席からも人が下りてきて、二人で荷台を開ける。中には梱包された事務机のようなものが見えた。

「えっと、Konozamaからの配送? わたし文芸部の美浜だけど」

 と、生徒手帳を見せる。

 通常なら職員室まで届けるのだろうが、届け先が文芸部なので配達の人を混乱させないための身分提示だった。

「どこに運べばよろしいですか?」

 中年のおっさんが二人、伝票を持って前に来る。

「校舎の東に二階建ての小さな建物がありますから、そこの二階の北の奥です。荷物はそこにお願いします」

 指示すると、配達員たちは即座に行動に移す。それを確認すると、俺は部室に戻ることにした。

『なんか、わくわくしますね』
「そうだな。なんだか引っ越しみたいだ」
『新しい部屋に新しい家具。わたし、部活なんて入るの初めてなんで、すごい楽しいんですよ』

 身体の制御がほとんどできないというのに、なぜか有里朱は本当に愉しそうだ。

 初めてあの屋上で会った時のような絶望に打ちひしがれた声ではない。それは、彼女の感情の機微からも伝わってくる。

 荷物が運び込まれると伝票にサインをし、みんなで梱包剤を外した。

 窓際の一番奥に、そこを背にして机を一つ配置する。ここは部長の席となる。最初に文芸部に入ったナナリーの場所だ。

 そして二つの机を奥側で合わせてその手前に配置する。自然と右側がかなめ。左が有里朱の席となった。ローテーブルとソファは入り口近くに置く。

 電源タップを床に這わせ、箱からノートパソコンを取り出し、ACアダプタをコンセントに挿して電源を入れる。

 セットアップ画面が始まった。ここからがちょっと長いんだよな。

 その間に自分の家から持ってきた本を本棚へと並べる。この本は有里朱のものなので、彼女に相談して持ってくるものを選んだ。

 そのほとんどが少女マンガと文庫本だ。

「あ、かぶっちゃったね」

 ナナリーが俺の持つ本を見て笑う。そして俺は意外に思う。それはハードSF系の小説だった。

 見せかけの優しさと倫理が支配する『ユートピア』で三人の少女が死を選択する話だ。厳密にはラノベではないが、アニメ化もした作品である。

 まあ、文芸部に入るくらいだ。どんなジャンルも満遍なく読むのであろう。

 もともとナナリーは美術部や漫研を避けて、融通の利きそうな文芸部に目を付けたのだからな。それが不幸の始まりであることを知らずに。

「あれ?」
「あっ……あっちゃん、やっぱりそれ持ってきたんだ」

 そして、かなめとも本が被る。しかもこっちは二冊だ。

 吉屋信子の「わすれなぐさ」に川端康成の「乙女の港」。どちらも古い作品なので、文芸部に相応しく被らないようにと持ってきたのにこのザマだ。とはいえ、有里朱とかなめは好みが近いからこそ、中学時代は友だちだったのだろう。

 自分の席に戻ると有里朱の身体を鍛えるためにトレーニングブックとダンベルもKonozamaで頼んでおいた。

『ダイエット効果はあるんだよね?』
「まあな」

 かなめの声がする。

「ね、稲毛さん。文芸部って具体的にはどんな活動をするつもり?」

 本棚を整理しながら、隣のナナリーにそう問いかけているようだ。が、そういやなんか違和感があるな。

「そうだね。七璃は本が読めて、その読んだ本でちょっとお喋りができればいいかな。けど、若葉さんにこれを読んでとか強制しないから大丈夫だよ」
「気を遣ってくれてありがとね。でも、面白そうな本だったら薦めてね。稲毛さんがこれだけはオススメってのあったら」

 なるほど、違和感の正体暴いたり!

「ナナリー、それからかなめちゃん。わたしが二人のことを親しげに呼んでるんだから、二人もお互いに親しくしようよ」

 二人は揃って目を丸くする。そんなに驚くことか?

「親しくって? 下の名前で呼ぶの? でも、若葉さんとはまだ会って十日くらいなんだよ」

 ナナリーの理屈は通用しない。なぜなら、有里朱と彼女も出会ってそれくらいしか経ってないのだから。

「会ったその日に『アリス』って呼んでいい? って言ったの誰だっけなぁ」
「あ、あれは、……その、すごくかわいい名前だったから呼びたくなったの!」

 再び心の中で有里朱が反応。だんだん解りやすくなってきたな。

「じゃあ、わたしもナナリーがかなめちゃんに余所余所しくして欲しくないからっていう理由で、親しく呼んでもらっていい?」
「いいけど」

 即答した。嫌とは思っていないのか。よしよし。

「じゃあ、かなめちゃんを『カナメー』と呼ぶことに」
「それ却下だから!」

 かなめがかわいく怒った。冗談だってのに。

「わかったから、さあ、二人向き合って」

 俺は二人の背中を両手でポンと叩く。

「えっと……」
「……」

 向き合う二人の頬が紅潮する。その初々しさが、少しエロかった。

「かなめ……さん」
「ななり……さん」

 うーん、まだ余所余所しいけど及第点としておくか。

 部屋の中の配置と本棚の整理で、もう下校時刻近くなっていた。あまり遅くなっても仕方がないので早めに切り上げることにする。

「暗くならないうちに帰ろっか」
「そうだね。何かの試合に出るために練習してるわけじゃないし」

 部長も同じ考えのようだ。ゆるーい部活として地道に活動するのが吉であろう。

 校門の前でナナリーと別れる。彼女は駅の北口の方だから方向は逆なのだ。かなめの方は、十分くらい歩いた先で左手に別れることになる。

「ね、明日暇?」

 かなめからそう問いかけてくる。

「なんで?」
「久しぶりに二人でどっか行きたいなって思って。だって、高校に入ってからずっと松戸さんたちと行動を共にしていたんだもん」
「あ……」

 俺はあることを思い出す。

「ごめん、それ来週じゃだめ? 明日はちょっと行かなくちゃいけないところがあるの」
「うん、用事があるなら来週でいいよ」

 俺は心の中でかなめに謝っておく。すまん、有里朱を貸してくれと。


**


 家に帰ると着替えてPCの前に座る。

『ねえ、明日どっか行くの?』

 彼女は俺の心の不安を読み取ったのだろう。だから、聞くのを躊躇(ためら)っていたのかもしれない。

「ああ、相談しないで悪いな。いじめの件も一段落したし、頃合いとしてはいいかなと思って」
『いいよ。どうせ、わたしは自分で歩けないしね。それよりどこに行くか聞かせてくれる?』
「浦安だ」
『浦安? ネズミーランド行くの?』
「ちがうよ。駅としては舞浜の方じゃない」
『じゃあ、どこ行くの?』
「俺の実家だよ」

 有里朱はしばらく黙り込んでしまう。たぶん、どう返せばいいのかわからないのだろう。俺は彼女の沈黙を許容する。

 しばらく黙々と作業を行うと、適当に夕食をとって少し早めに布団に入る。

 天井を見上げながら考えるのは、この特殊な状況について。

 ほんとうに俺の身体はそこに存在するのか? この世界は本当は夢じゃないのか?

 その晩はなかなか寝付けなかった。ただ、それは肉体を共有している有里朱も同様だ。

『寝れないんだね』
「ああ」
『不安なの?』
「そうだな。今の状況でさえ訳がわからないからな」
『そのわりにはだいぶ馴染んでいたよ。孝允さん』
「そうか?」
『見知らぬ女子高生の身体なのに、わたし以上に学校に順応してたし』
「必死だったんだよ」
『それにしちゃ、言葉使いとかわたしなんかより女の子女の子してたよ』
「そりゃ、オタクで百合作品が大好物だからな、その手の会話は頭の中にインプットされてる。ネトゲでのネカマ暦もそれなりに長いから演技するのも抵抗がない!」

 僕はキメ顔でそう言った。童女じゃないけど。

『ははは……孝允さんに女子力で負けてるわたしって……』
「ほれ、落ち込むな。偽物は本物には敵わないんだからさ」
『偽物?』
「有里朱は本物の女の子だろうが」
『うふふふ。なにそれ?』
「まあ、もうしばらくは貸してくれよ。利息はたっぷりつけて返してやるからさ」

 利息分の『いじめ問題』はすべて解決してやりたい。そう宣言したのだからな。

『悪夢のような半年間が嘘だったみたいに、ここ半月でわたしの問題を解決してくれた』
「まだ、油断するなよ。ラスボスは倒してねえからな」

 ラスボスはクラスの見えない敵である。今のところお手上げだ。

『わかってる』
「……おまえは不安はないのか?」
『不安……そうだね。身体は動かせないけど、勝手に動いてくれるから楽といえば楽だし、それにあんまり人と喋るの好きじゃなかったから、代わりに話してくれるのはとても気楽だよ』
「ものぐさな性格なんだな」
『そうよ。もともと、わたしは面倒な事が嫌いなの。あの館山先生を笑えない』
「んふふ。そりゃ笑えないわ」
「そーでしょ」
「そろそろ寝ないと明日がつらいかもな」
『寝られるの?』
「さあな? 努力するよ」
『改めておやすみなさい』
「ああ、おやすみ」

 それでも俺は寝られなかった。それは彼女も気付いているだろう。

 一つ特に気になる事がある。

 有里朱の身体に意識が乗り移った日。ここに戻ってきてカレンダーを確認した時の違和感。あの日は月曜日であった。

 だが、俺が酒を飲んだ記憶があるのは金曜日の夜。意識が乗り移るまで二日も間が空いている。その間の記憶がまったく残っていない。

 あの時、何が起こったのか? そして、自分の身体がどうなっているのか? それを確かめるのが少し怖かった。
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