第76話 証明 ~ T’s Evidence

文字数 4,507文字

「はぁ……、キミたちは面倒だな。またもや証明不能なことを言い出すのだから」

 プレさんにしては珍しく、深いため息を吐く。

 有里朱は部室に揃ったメンバーに、俺が復活したことを伝えたのだ。その事で一番困惑の表情を浮かべたのが、予想通りプレさんなのである。

「そりゃ、孝允さんの声はわたしにしか聞こえないんだから、仕方ないじゃん!」

 有里朱と役割が入れ替わってしまったために、行動は楽ではあるが、いろいろともどかしい。俺の言葉を伝えるのが、有里朱経由というのが面倒でもあった。

「ねぇ、あっちゃん。あっちゃんは、たしか理系が苦手だったよね。何か数学の問題を言って即答できたら、孝允さんが復活したことになるんじゃない?」
「あ、それいいね。七璃、ネットでそれっぽい問題探してみるね」
「うん。お願い、ななりちゃん」

 そんなナナリーの思いつきに、ノリノリで有里朱が反応する。

「いいね。問題言って、わたしが孝允さんの答えを伝えるからさ」

 不安になってくるぞ。たしかに俺は多少の悪知恵は働くが、数学の難問に即答できるほど天才じゃない。

「あ、これなんかいいんじゃない?」

 とナナリーがタブレットを見ながら呟いた。それをミドリーが覗き込み、問題を口にする。

「えっと、n次元超立方体の 二の n乗個の頂点のそれぞれを互いに全て線で結ぶ。次に二つの色を用いて連結した線をいずれかの色に塗り分ける。

 このとき nが十分大きければ、どんな塗り方をしても、同一平面上にある四点でそれらを結ぶ線が全て同一の色であるものが存在する。

 nがいくらより大きければ、この関係は常に成立するか?」

 待て待て待て! それグラハム問題だろ?! 俺、そこまで天才じゃないし。

「孝允さん、バーンと答えてやって! そして、あなたのことを証明してしてください」
『無理!』
「えー、なんで?」
『それ、天才とされている数学者でさえ、具体的な値を出せてないはずだぞ!』
「そうなんだ」

 と、俺が有里朱とのやりとりに必死になっていると、プレさんが吹き出したように笑う。

「……んふっ!……答えを出せたら、ボクはチバタカヨシという存在を認めるどころか、神と崇めるよ」

 グラハム問題は数学上の未解決問題と言われているほどの難問だ。いまだ人類が足を踏み入れられない領域である。そのような皮肉が、彼女の口から零れるのも仕方が無いだろう。

「あー、ななりちゃん、それ孝允さんには難しすぎるって」
「えー? そうなの?」

 と、問題を見つけたナナリーは、それがどれだけの難問なのかを理解していないようだ。

「仕方が無い。ボクが代わりに問題を出そう。数式を解くというより、クイズ形式の方がいいかな?」

 プレさんが、ニヤリと口角を上げる。

「いいよ。プレさん」

 問題を解くわけでもないのに、有里朱が身構える。おまえが緊張してどうするんだよ。

「古典力学と量子力学の違いを簡単に説明できるか?」

 なるほど、これならば計算しなくていいから楽である。しかも、きちんと理解してなければ説明など無理だからな。

「孝允さん、今度はわかる?」
『ああ、簡単だ。古典力学は粒子は粒子、波は波と捉え、運動は完全に予測可能とする。ところが、量子力学では全ては粒子かつ波と捉え、運動は確率的にしか予測できないとする。これがいわゆるシュレーディンガー方程式の基本だ」
「シュレディンガー? 聞いたことあるよ、その名前」

 まあ、アニメとかコミックとか、オタク界では有名だもんな。シュレーディンガーの猫なんかは、わりと誤用されがちだけど。

『突っ込まれないようにシュレーディンガーって言っとけ、もしくはシュロェディンガーだ』
「シュロロロェエエディンガー?」
『肝心な名前で噛むなよ!』
「シュレーディンガーでいい?」
『まあ、それでいいから、早いとこ答えてやれ』

 俺がそう言うと、有里朱が口の中で声を出さないように練習がてら呟くと、プレさんに向き直りこう答える。

「孝允さんはこう言ってるよ。『古典力学は粒子は粒子、波は波と捉え、運動は完全に予測可能とする。ところが、量子力学では全ては粒子かつ波と捉え、運動は確率的にしか予測できないとする。これがいわゆるシュレーディンガー方程式の基本だ』だって」

 プレさんは、満足げにさらに口角を上げる。

「ほほう、たしかに納得がいく回答だ。それに、彼の名前を一般的に普及しつつある『レ』の後を伸ばさない方ではない、というのもポイントは高い。けどカナメ、アリスは本当に理系は苦手なのかな?」

 プレさんは、有里朱の隣にいるかなめに目を向ける。まだ疑っているようだ。

「プレさんなら、学校のデータベースにアクセスできるんでしょ? あっちゃんの過去のテスト結果を確認してみたらわかると思うよ」
「なるほど、確認してみよう」
「あははは……それ、恥ずかしいんだけど、プレさん……」

 有里朱が力無く笑う。が、それを無視してクラッキングを開始するプレさん。

「なるほどなるほど、アリスは数学も物理も赤点ギリギリなのか」

 「いやぁああ、やめてぇええ!!」と有里朱の心の叫び声が聞こえてくる。自業自得だ。

「でも、これでわかったでしょ? 孝允さんは存在するんだよ」

 涙目になりながらも有里朱が腰に手をあてて、威勢良くプレさんへと主張する。彼女の中で複雑な感情が渦巻いているのを知っているは俺だけであろう。いや、カナメあたりも気付いているかな。

「存在? まあ、そういうことにしておこうか。今はそんなことで議論している場合ではないからな」

 プレさんは冷笑を浮かべ、有里朱の主張を受け流そうとしている。たぶん、納得していないのだろう。しかしながら、ここで有里朱と議論しても平行線だということも理解している。

「そういうことって……」

 予想通り不満げな有里朱。

「まあまあ、あっちゃん。私は信じるよ。プレさんを納得させるには、もっと決定的な証拠が必要だからさ。今回の件が終わったら、私も協力するよ。」
「う、うん。ありがと」

 やや気落ちする有里朱。仕方がないわな。他人事じゃないんだけどさ。

「ところでさ、館山先生の死因ってなんだったの?」

 ミドリーが場の雰囲気を変えようと皆に、というかプレさんに向けて問いかける。彼女ならばそういう情報も知っているだろうとのことだ。

「自殺だよ。かなり追い詰められてたみたいだからね」
「自殺?」

 かなめが神妙な顔をする。一年の時の担任だったのだから、彼女がそう簡単に自殺するような性格でないことも知っているのだろう。

「央佳のクラスのいじめの件で、学校側に問責されていたらしい。あと、マスコミにも執拗に追い回されたってのもある。学年主任の船形先生の話によれば、かなり悩んでいてノイローゼ気味だったという。いつ自殺してもおかしくない状態だったらしい。もちろん、イジメを放置していたのだから自業自得だ。ただ……」
「ただ?」
「それがどうして終業式の日というタイミングだったのかがわからない」

 そもそもあの先生って、自分の失敗を他人のせいにできるくらい図太い神経をしてるってのにな。

「ね、自殺の誘導って可能なの?」

 ミドリーがそんなことを言う。状況的には有り得るだけに、陰謀論だと一笑できない。

「自殺教唆罪ってのがあるくらいだからな。専門的な知識がなくても、ある程度は可能だよ」

 やはりプレさんも俺と同意見らしい。

「館山先生ってもしかして、『J』っていう人に……」

 ナナリーがそこで言葉を止め、その先を聞くのを躊躇している。たぶん、『J』が誘導したかどうか問いたいのだろう。だが、あまりにも非人道的な行為に、彼女は恐怖を抱いているのかもしれない。

「今の段階ではなんとも言えない。だけど、可能性は高いだろう。睦沢瀬梨菜も白子奈留も『J』の目的の為に誘導された可能性が高いからな」
「ねぇ『J』の目的って集団自殺かもしれないって言ったよね。結局、その集団自殺させる目的ってなんなの?」

 その有里朱の問いにプレさんは首を振る。

「最終的な目的はわからない。せめて『J』が何者かがわかれば、プロファイリングができるのだが」

 そりゃそうだ。ラスボスがわからない状態では攻略の方法すら算段できない。

「当面の敵は我孫子陽菜だね」

 と、ミドリーが言うと、ナナリーが「ラスボスの前に、中ボスってのは定石(セオリー)だよね」と苦笑する。

「今のボクたちには、地道な攻略法しか手はないよ。いちおう作戦準備として、SNSやメールには、それぞれにカスタマイズしたメールを送信してある。明日あたりから勝負かな」

 俺の立案した作戦は単純ではあるが、内容はえらく手間がかかる方法であった。だが、プレさんのおかげで、かなり有利に進められることは確かだ。つまりクラッキングというチート技が使える。

 最終的にはヒーリング同好会と文芸部(只今お悩み相談受付中)の部員獲得合戦となるだろう。

 いかにヒーリング同好会への入部を阻止しながら、生徒達の心を癒していくかが勝負なのである。

 そして、その鍵となるのが、『コールド・リーディング』だ。


**


 その日の夜。俺は夢を見た。

 有里朱の身体に入ってから、初めての事かもしれない。もしくは、今までは記憶に残らなかったという可能性もある。

 だが、夢の中だというのに意識ははっきりしていた。

 直前の記憶は布団に入った時のことだ。まだ朝が来ていないのだから、これが夢の中だと直感できる。

 周りは薄靄がかかったような境界線の曖昧な世界。

 そんな中、真正面にぼんやりと見える人影。それが段々とこちらに近づいてくる。

「ハロー、孝允」

 近づいてきたのは小学校高学年くらいの少女。

 顔ははっきり見えているのに、なぜかぼんやりとしている。これは頭で処理するさいに、勝手にモザイクがかけられているような感じだった。

「キミは誰だ?」
「ワタシを忘れたの? いえ……そうね。忘れたんじゃない。情報が欠けているのね。キョ%ユ&ガカ#ジョサレ$#マッテイ¥ノ!モシレナイ」

 最後の言葉が理解できない。いや、言葉は耳に入ってきているはずなのだが。

「悪い、もう一度言ってくれないか? 最後が聞き取れなかったんだが」
「大した事じゃないわ。独り言に近いから気にしないで」

 そう言われると却って気になるものだ。だが、そんなことより目の前のこの子は誰だろう? 俺を知っているのか?

「キミは誰なんだ?」
「ワタシ? そうね、本当の名前を言うと混乱するから、こう名乗るわ」
「なんだよ……もったいぶるような言い方して」

 俺の不満げな反応に、彼女はニコリと笑ってこう名乗った。

「ワタシの名前は、ロリスよ」

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