第1話 一歩を踏み出すために ~ White Rabbit

文字数 6,040文字

“飛び降り自殺というのは、極めて優れた自殺方法である”

 そんな風にある人が薦めていた。

 落下中に気を失うので痛みと恐怖がなく、致死度も高くて麻薬のように気持ちいいということだ。どうやって死人からインタビューしたかは謎だけど。

 だが、実際に自殺を試みた人の体験談によると壮絶なものがあるようだ。

 落ちる最中に死への恐怖が甦ったり、風圧が妙に苦しかったり(後にそよ風さえトラウマとなる)、落ちた後は意外と生存率が高く、痛みよりも死ねなかった事への後悔が襲ってくるという。

 入院後は地獄の日々だそうだ。

 身体を動かすどころか排泄さえもまともにできなくなり、ベッドのシーツ交換ですら体中に激痛が走るらしい。さらに、ケガの後遺症で一生苦しむ事になる。


「死ねるのかな?」


 僕は真下を見下ろし、そんな想像を働かせた。この高校の屋上から地上までは約十二メートルくらいだろう。アスファルトに叩きつけられれば無事では済むまい。

 だが、世の中には高層ビルの三十九階から飛び降りても生き残った人もいるのだ。この学校の屋上程度では、生き残る確率の方が高いだろう。


“飛び降り自殺は絶対に死ねる方法ではない。簡単に運に左右される愚劣なやり方だ”


 なにが優れた自殺方法だ!

 確実に死ぬなら、高高度からパラシュート無しで飛び降りるしかなかった。もちろん、そんなことが手軽にできるはずもない。


 けど、それでも僕は一歩を踏み出さなければならない理由があった。


 今の僕には、頸動脈を切るナイフも、首をくくるロープも、即効性の毒薬も持っていない。とある事情で、この屋上以外の場所には物理的には行けない状態であった。


『それがあなたの選択なの?』


 どこからともなく声がする。心地良いソプラノボイス。同年代くらいの中高生らしき少女の声にも思える。

 屋上に人の気配はなかったはずなのに、誰が声をかけてきたんだ?

 辺りを見回すものの人影は一切見当たらない。空耳か? 幻聴か?

『うふふ。今から死のうとしてるのに、怖がってどうするの?』

 その言い方が、なぜかカチンときて、僕は思わず反応してしまう。

「キミは誰なんだ? 姿ぐらい見せてもいいじゃないか?」
『どうでもいいでしょ? そんなこと』

 彼女はくすくすと笑い出す。そして続けてこう言った。

『どうせわたしは、あなたの“選択”を見守るしかできないんだから』
「見守る?」
『死ぬんでしょ? どうして死にたいのか訊いた方がいい?』
「馬鹿にしてるのか?」

 傍観者のような彼女の物言いが僕を苛立たせていく。

『馬鹿にしてはいないわ。ただ気になっただけ。どうしてその選択を選んだのか』

 選択したんじゃない。他に選択肢がなかったのだ。

「生きていてもつらいだけなんだ……もう、この世界に僕の居場所はないんだよ」

 それだけ追い詰められていた。来る日も来る日もいじめられて、それでも何も言い返せなくて、逃げることもできなかった。


『他に方法はないの?』


 少女の声はまだ聞こえてくる。周りには誰もいない。どう考えても幻聴だ。僕の頭がおかしくなってしまったのだろうか?

 まあ、いい。周りに誰も居ないなら、僕が独り言を喋っても問題はないだろう。だから僕は夢想する。

「そうだなぁ……トラックに轢かれて異世界に転生できたら、どんなにいいことかって思うよ」

 そんなファンタジーの剣と魔法の世界に僕は憧れる。ゲームの中のような、僕にとっての都合のいい世界。できることなら、もう一度人生をやり直したかった。


『異世界? 現実世界で生きていけないあなたが、他の世界で生き残れると?』


 なにやら含みのある言い方だ。声だけだというのに、(わら)われているような気もする。

「きっとその世界で僕は最強(チート)能力(スキル)を得て、強敵をばったばったと倒すのさ。おまけに現代の知識があるからね。商売を始めても政治を任されても、その世界にいるどんな人よりうまくこなせる自信があるんだ」

 僕は空想を働かせ、そう言い切る。記憶を持ったままの転生というのはweb小説では定番であった。


『ふーん。でもそれは、あなた自身がもともと持っている能力じゃないんだよね。じゃあ、転生するのはあなたじゃなくてもいいじゃない?』


 なぜか彼女の言葉は僕の心に深く突き刺さった。

 それは図星だからだろう。異世界で人々から好かれ、崇められるのは僕自身の能力ではない。ただの借り物。現代知識でさえ、僕自身が生み出したものではない。

「そういうweb小説があるんだよ。憧れるくらいはいいじゃないか!」
『そうだね。web小説は面白いよね。投稿サイトのランキングって、異世界ものに埋め尽くされているくらいだものね』
「誰だって自分をリセットして新しい世界で生きてみたいんだよ」

 現実世界では満たされなかった願望が充足される。それが人気の理由であった、

『でもさ、面白い作品って、借り物のチート能力だけじゃないよね? 作者がそれまで培ってきた知識を惜しげもなく出し切って、その作者自身の面白さが表現できているものが人気あるよね。書籍化されている、ほとんどのものはそうじゃない?』

 たしかに異世界ものは流行っているが、実際にポイントが飛び抜けて高い作品は、ジャンルに頼りっきりなわけではなかった。その作者ならではの独自色を出している。

「それがどうしたんだ?」
『だからね。あなた自身を異世界に放り込んでも、まったく面白くないってことよ。あなたの人生はたった十六年の薄っぺらいものよ。培った知識も技術もコミュニケーション能力さえまったくない』
「十代でもプロデビューしている人はいるじゃないか!」
『それはね。その人が天才だからよ。あなたはどうみても凡人。どうあがいても無理なの……うふふ、話が逸れてるわ。これは物語じゃなくて、あなたの願望の話でしょ?』

 そうだった。これは創作論の話じゃない。

「しかたがないよ。僕にはなんの能力も無い。運動も勉強も、全部ダメダメだ。人付き合いだってうまくない」
『だからあなたは叶わない夢を見る』

 彼女の言葉は容赦がなかった。僕の脆い心はすでに粉々である。

「だって……僕はこの世界にすら居場所がないんだ」
『へぇー。だから飛び降りるのね』

 他人事のような冷たい言葉。話しかけてくるなら、少しは僕の立場も理解してよ!

「もう疲れたんだよ。今日だって、こんな場所に呼び出されて、あいつらに閉じ込められたんだ」
『閉じ込めた? こんなに空が高いのに?』
「校内へと繋がる扉には全部鍵がかかっている。屋上側からは開けられないんだよ!」

 密室トリックなんて気の利いた状況ではない。ただの嫌がらせ。僕をいじめる奴らが仕組んだことだ。

『そういえば“密室”って、部屋の中だけとは限らないんだったね』
「ミステリみたいなロジックの効いた話じゃないよ。犯人も方法もわかりきっている。これは悪質ないじめだ」
『わかりきっていて死を選ぶのね』

 彼女は僕に何をさせたいのだろう? 僕の言葉に批判こそすれども、自殺を止めたい訳ではなさそうだ。

「他に方法があるの?」
『方法? それを考えるのはあなたでしょ?』
「いいよもう。僕は死ぬ。それで全部終わりだ」

 僕を助けてくれない他人との会話なんて無駄なことでしかない。彼女の言葉は癒しどころから、僕の心をズタズタに引き裂いていくだけ。

『そう。それがあなたの結論なら、文句はいわない。けど、あなたの人生って運が良かったっけ? 悪かったっけ?』
「運?」
『だって、今から飛び降りるんでしょ? 運が良ければ打ち所が悪くて即死できるわ。けど、運が悪ければ最初にあなたが想像したように、死にきれず後遺症が残って今以上に地獄の人生が待っているだけ』

 ぞわぞわと背筋に悪寒が走る。想像したくない未来の自分が頭を過ぎる。

「僕に死んで欲しくないのか?! そもそも君は誰なんだ?」

 しばらく沈黙した後、少女の声はこう言った。


『あなたはどんな存在がお望み?
 異世界への転生を導いてくれる神様?
 それとも死者の国へと誘う死神?
 はたまた、あなたの悩みを解決してくれるカウンセラーかしら?』


 なんだその三択は?

「助けてくれるのなら誰でもいいよ。転生させてくれるのならドジッ子の女神でも大歓迎だし、死者の国がこの世界より心地良い場所であるのならウサギグッズが大好きな死神でもいい。いじめ問題をスッキリ解決してくれるのなら、女スパイのカウンセラーでもすがりたいくらいだ」

 僕が望むのは地獄の日々からの脱出。ここから連れ出してくれるのなら、どこにだって付いていく。

『うふふ。残念ながらどれでもないわ。あなたを助けるのはあなたしかいない。でも、そうね。ヒントくらいはあげようかしら』
「ヒント?」
『そう。今ならコイン五十枚で』
「コインってなんだよ?!」

 思わずゲームに出てきたキノコ頭のあいつを思い出す。

『うふふ、冗談よ。ただでヒントをあげるわ』
「なんだか胡散臭いなぁ」

 単純にからかわれているような気もした。


『あのね。あなたは三十才までは確実に生き残るわ。どんな無茶をしてもどんなピンチに陥っても死ぬことはないの』


 脱力する。それはヒントではなかった。喩えるなら未来予知? でも三十才まで限定かよ。それ以降は知らないということか?

「それヒントなの?」


『そうねぇ……どちらかといえば“呪い”かも』


 背筋がぞっとする。彼女の言い方はまるで悪い魔法使いのようだ。

「ちょっと待ってよ。どういうことだよそれは!」

 さすがに呪いと言われて黙っていられない。

『つまり自殺しようとしても死ぬことはできないってことよ。運良く……あなたの場合は運悪く生き残ってしまうの』
「やめてくれよ。酷いじゃないか……僕が何をしたっていうんだよ!!」

 枯れ果てたはずの涙が、再びこみ上げてくる。
 みんなにいじめられて絶望していたところに、さらに追い討ちをかけるこの仕打ち。僕は神に対して罰が当たるようなことでもやってしまったのだろうか?

『うーん? 何もやらなかった?』

 なんだよそれ? やるべきことをやらなかったってことか?

「だから呪うの?」
『まあ、ポジティブに考えてみようよ。死なないってことは、無茶ができるってことだよ。それこそ死ぬ気でやれば』

 僕は彼女の言葉にぶち切れる。

「そんな言葉はもう聞き飽きたよ! いじめの事だって先生に相談しても、いじめられる側にも問題があるとか、死ぬ気で頑張ればいじめは解決できるとか……そんなことしか大人は言わない」

 無責任なんだよ大人は! 僕のことなんか真剣に考えてくれないんだ!

『わたしの言っている“死ぬ気でやれ”ってのは少し意味が違うんだけどね。まあ、いいや。あなたはたぶん方法を知らないだけ。“頑張る”なんて精神論はわたしもナンセンスだと思うよ』

 彼女が何を言いたいのかがわからない。僕を助ける気もないのに、文句ばかり言ってくる。

「じゃあ、どうすればいいんだよ?」
『例えばさ。人間が、自分の数倍もの大きさの獣に立ち向かうのは無謀だよね?』
「そうだね。殺されちゃうよ」
『でもさ、歴史を見る限り、人間はそういうものに(まさ)ってきた。なんでだと思う?』
「そりゃ、弓とか銃とか……武器を使ったり、集団で狩りに特化した戦術をとったりしたんでしょ?」
『そうよ。でも、それは何もしないで自然に発生したわけではない。人々が考えに考え抜いて生み出した思考の結晶よ。“人間は考える(あし)である”この言葉はわかるでしょ?』
「……パスカルだっけ?」

 たしか、哲学者であり数学者であり物理学者でもあったはず。僕ぐらいの年代だとパスカルの原理の方が馴染みは深い。

『そう。正確には“人間は一本の(あし)にすぎない。自然の中でもっとも弱いものである。だが、それは考える葦である”ってね』
「で、何が言いたいの?」

 今さら偉人の言葉を出されても……。

『そんな自然界でもっとも弱いものが、この世界で君臨しているのは、思考を放棄せず究極までに進化させたことじゃないかしら?』
「そりゃそうだけど」
『結論として思考こそ“最強(チート)”なのよ! あなたの大好きな異世界ものはすべて虚構の世界。でも、一つだけ素晴らしいものはあるわ。だって、その物語はすべて思考を使って作られたものなのだから。結晶化した思考ほど美しいものはないでしょ?』

 彼女にとっては僕のことはどうでもよくて、自分の考えに酔っているようにも思えてくる。

 そんな説教みたいな言葉、僕の心に届くわけがない。

「それがどうしたの?」

 僕は苛ついていた。

『だから思考停止はダメって話だよ』
「話がうまく繋がらないよ。呪いの話をしてたんじゃないの?」
『だ・か・ら、その呪いでさえ、思考停止しなければどうにでもなるってこと。ただ悪運が強いだけ。その悪運をいくらだって利用できる』

 彼女は得意げに言う。けど、そんなのはただの言葉の遊びだ。

「具体的にはどうすればいいんだよ?」
『自分で考えて』
「は? 結局それかよ!」

 彼女は結局何も解決してくれない。神様でも死神でも、カウンセラーですらなかった。
 そんな彼女の口調が急に優しくなる。


『あなたはね。
 運動も勉強も平均以下であるけど、最底辺ではないわ。
 努力すれば平均以上には上がれるし、勉強だけなら、かなり高い所も狙えるはず。
 それこそ無茶をすれば何にだってなれる。

 人間はね。誰だって自らの最強(チート)能力(スキル)を開花させる可能性(ポテンシャル)を持っているの』


 さきほどまで毒を吐いていただけに、そのギャップに心が動いてしまう。思わずその言葉に(すが)ってしまった


「ホントなの? それ」

 僕の問いかけは霧散した。いくら待っても答えは返ってこなかった。

 静まりかえった夕景が目の前に広がるだけだ。

 今までの会話は、やはり幻聴であったのかもしれない。いや、むしろイマジナリーフレンドのような存在か。
 誰かに言ったら精神科のある病院を勧められるな。

「……」

 夕焼けが辺りを血色に染め上げる。このまま飛び降りれば、夕陽の光で血の色は目立たなくなるだろう。

 僕は選択しなくてはならない。


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