第32話 ■気になる少女 ~ Cheshire Cat I

文字数 5,216文字

 教室ではある意味平和だった。

 少しばかりトゲトゲしい雰囲気は残るものの、無視されるだけなら構わない。最近は、かなめと話す事も多いので全く気にならなくなってきている。

 時々、わざと聞こえるように陰口を叩く生徒もいるが、そういう時はスマホで音楽を再生してかなめと一緒に聞いたりしている。

 まあ、かなめも有里朱と同類ということで、クラスでは無視され始めたのだが、松戸や高木たちの噂を聞いたからだろうか、直接何かを仕掛けてくることはなかった。

 一人はツライ状況ではあったが、今はわりと楽しいと有里朱も言ってくれる。放課後はナナリーたちとの部活もあるし、バラ色までは行かなくてもそれなりの青春を取り戻せているだろう。

 何日かして嫌な噂が流れてくる。直接聞いたわけではないが、周りで話す子たちの口からこぼれてきたのは松戸の噂だ。

 松戸は退学では無く休学扱いになっているが、近々学校に復学するらしい。

 だが、そんなことよりもっと危機的な事態が迫っていた。

「あっちゃん試験勉強してる?」
「へ?」

 部活の最中に、そんな言葉をかなめから投げかけられて頭が一瞬混乱する。

「試験?」
「いや、もうすぐ期末試験だなぁって」

 スマホのスケジュールアプリを起動させる。十二月四日から学期末テストが始まると記載してあった。

 やっべーな。高校一年だから、そこまで難しい教科はないだろうが、基礎を思い出さないと悲惨な結果となる。

 とプチパニックに陥っていると、ナナリーがほんわかした笑顔で「試験勉強ここでしようか?」と提案される。

「え? 試験前って部活はやっちゃいけないんじゃ?」
「部活は停止だけど、部室を使うのは禁止じゃないよ。部室を使って試験勉強するのはいいみたい。みんなやってるし」
「それいいね」

 かなめが乗ってきた。俺も悪くはない提案だと思う。

「ナナリーは苦手な科目とかあるの?」
「理数系と語学全般と歴史かな」
「全部じゃねぇーか!」

 思わず素でツッコミを入れてしまう。

「てへへ」

 とナナリーが「てへぺろ」を素で返してくる。なんだ、このホンモノ感は。二次元なんて目じゃないくらいかわいいいじゃないか!

 お、お持ち帰りしていいかな?

「あっちゃんは理数系だめだったんだよね」

 かなめがそう言ってくる。……ので、本人に確認してみた。

「そうなのか?」
『うん……』
「まあ、高校くらいの数学なら俺も思い出せばなんとかなるけど、俺が答えを書いちゃ意味ないんだよなぁ」
『え? 問題解いてくれるんじゃないの?』
「それ、カンニングに近いだろ。俺は一切教えないから自分で解けよ」
『えー、教えてよ。頼っていいって言ったじゃん』

「あっちゃん?」

 かなめの声で我に返るというか、心象世界から抜け出す。今までは一人の方が多かったから良かったけど、親しい人間が近くに居るときは気をつけないとな。

「なに?」
「いや、急に黙り込んじゃったから」
「いろいろ忙しかったから、まったく勉強してなかったと思って」

 そこでかなめは斜め上を見上げ、感慨深げに吐息を漏らす。

「そうだよねぇ、いろいろあったね。あっちゃんに助けてもらったりしたもんね」
「七璃もアリスに助けてもらったね。すごい感謝してる」

 と、ナナリーもこちらに身を乗り出して礼を言う。

 そういや、俺が有里朱の身体に乗り移ってからまだ二ヶ月経っていないんだよな。あまりにも目まぐるしく回る毎日で必死だったわ。

 自分の能力を過信するわけじゃないけど、俺がこの身体に入らなかったら有里朱は自殺していたし、かなめのことだから責任を感じて後追いをしていたかもしれない。ナナリーだってヤバかった。

 だからこそ、今生きてここにいることを喜ぶべきであろう。


**


 試験まであと三日。
 部室ではみんなと試験勉強をして十七時まで過ごし、そのあと下校という今まで通りの日常を過ごしていた。

 特にトラブルもなく、今のところ危機的な状況ではない。

 校門前でナナリーと別れ、コンビニ近くの分岐路でかなめと別れる。

 もう日が沈んで、街路には外灯が点いている時間だ。

『ねぇ?』

 有里朱が俺を呼ぶ。

「なんだ?」
『声? 聞こえない?』

 耳を澄ましてみる。国道を走る車の音、風で木が揺れる音、遠くでガヤガヤと誰かが争っているような声。雑音が多すぎて、有里朱がどれを指しているのかがわからない。

「どの音だ?」
『人の声……女の子達の争っているような声』
「それがどうした?」
『とても嫌な感じがするの。言葉が聞こえたわけじゃないけど、この雰囲気はわたしがよく知っている嫌悪感に通じるものがある』

 なるほどと俺は思う。有里朱の直感は、いじめっ子が醸し出す不快な雰囲気を読み取ったのだろう。
 ということは、どこかで誰かがいじめを受けているのか?

 辺りを見回す。声は南の方から微かに聞こえてくる。方角的には川原かな?

「よし、確かめてみるか」

 足を速めて川原の方へと向かう。日も落ちているので、土手に上っても川原は真っ暗ではあった。が、それでも明かりの灯っている所はある。

 橋には外灯があり、それがわずかに橋脚も照らしていた。そこにいる人影が何人か視界に入る。

『あそこだね?』
「……あれは女の子が四人、いや五人か。男はいなさそうだから、そこまで警戒しなくてもいいかな」

 とはいえ、彼女らと直接争わなくて済むように、手製スタンガンを取り出した。これは音と放電の光だけで相手を威嚇できる。

 背の高めな草むらの方から近づくと、一人の少女が同年代くらいの四人を相手に突っかかっているような状況だった。声ははっきり聞こえないので、もう少し近づいた方がいいだろう。

 さらに少女たちのそばに寄る。制服はうちのだ。顔は有里朱も知らないと言ってたので、学年が上か、三組、もしくは四組の生徒だろう。だが、四人組の方にはなぜか見覚えがあった。どこで見たっけなぁ……?

「知らないわよ!」
「言いがかりだって!」
「だいたいなんで、あんたがあのネコの事知ってんのよ」
「そうよ。わたしたちのことストーカーでもしてたんじゃないの?」

 四人の少女たちの苛ついた言葉に、一人で対峙していた少女は溜息のようなものを吐く。彼女は自分のカバンからスマホを取り出し、動画を再生させ四人に見せた。

 さすがに小さな画面なので、ここからは内容はわからない。

「これ、あなたたちの動画だよね。昨日ウーチューブにあがってたやつ」

 果敢にも四人相手に食ってかかるその少女は、きりりとしたシャープな目に、髪は肩くらいの長さの内巻きのボブ。気の強そうというより、芯の強そうな子であった。

「それがどうしたのよ!」
「動画? はぁ? わたしらとなんの関係があるの」

 逆ギレしたかのように四人の少女のうちの一人が怒鳴り出す。続いて、他の子達も背の高い少女に食ってかかる。

「あなたたち、この二つ前の動画で顔晒してたじゃない。再生数少ないから話題にもなってないけどさ。顔出してチヤホヤされたかったんじゃないの?」

 なるほど、宅女のウーチューバーのうち、再生数がとんでもなく低い方か。それで見覚えがあったのか。

「……っ!」

 四人組のうちの一人が舌打ちをする。バレないとでも思ったのだろうか?

「そうよ。たしかに首輪は付けたわ。それがどうしたの!?」

 嘘がバレたものだから完全に開き直っているように見える。それよりも首輪とはなんだ?

「だから、なに勝手な事してるのよ?」

 内巻きボブの少女が少し苛ついた口調でそれに反応した。そういえば、あの子もなんとなくデジャブがあるな。顔自体は初めて見るというのに……。

「ノラだから、保健所に連れていかれないように親切心で首輪を付けたあげたんじゃないの」
「そうよ。あなたのネコじゃないんでしょ!」
「なによ、上から目線で言ってくれちゃって」

 対する四人組の方は皆感情的になりつつあった。なるほど、野良猫に勝手に首輪を付けて悦に浸ってたわけか。それ、危険なんじゃなかったっけ?

「それが余計な事なのよ。ネコの首輪は外飼いするなら危険でしかないのよ。首輪をどこかに引っ掛けて動けなくなるかもしれないって、知らないの?」

 ネコの首輪問題は結構深刻だよなぁ。室内飼いですら賛否両論はあるってのに。

「そんなアホなネコがいるの?」
「そうよ。犬だって首輪付けてるじゃない。わたしの知り合いの飼っている猫も首輪が付いていたわ」
「そうよ。わたしたちは間違ってないわ」
「うん、間違ってない!」

 アホの子は四人組であった。ネコを飼っていなかった俺でも、首輪の危険性は知っている。

「犬はリードが付いているし、ネコは室内飼いなら行動は家の中。それでも、徐々に慣らしていかないと首輪を嫌がって中途半端に外れて、それが原因でケガしたり、下手すると窒息死する可能性もあるの。慣れないノラに無理矢理付けたらどうなるか、ちょっと考えればわかるでしょ?!」
「……」
「……」
「……」
「……」

 少女の正論に、四人組はばつの悪い顔でお互いに顔を見合わせ黙ってしまう。

「それよりも、あんたらのせいでチェシャ……あのネコが昨日から行方不明なのよ」
「誰かに拾われたんじゃないの?」
「あなたたちが首輪付けたんでしょ? 馬鹿なの? 死ぬの?」

 内巻きボブの少女の方が正しいのだけど、煽りすぎだな。毒舌キャラなのか?

「馬鹿って……」
「こいつムカツク」
「だから知らないって言ってるじゃん!」
「しつこいよ!」

 押し問答が繰り返される。四対一だからとイジメを心配して来たのだが、取り越し苦労だったようだ。

「あなたたちが再生数稼ぎの為に、あのノラに便乗して動画をあげたのは知っているんだからね」
「何を根拠に」
「教室であなたたちが【ぐりーん・でぃあ】チャンネルの動画見て『わたしたちもこのネコ見つけて人気者になろうよ』って言ってたじゃない。いるよね、そういう他人の成功に乗っかる奴」

 ああ、なるほどね。あいつらのチャンネルはほとんど登録者もいないし、再生数も悲惨なものだ。どうにか再生数を稼ごうと、人気の出つつあるネコ動画に便乗したわけね。

 地元の人間なら、あのノラがどこにいるかもわかるし、探すのにはそれほど手間はかからなかったのだろう。

「わたしたちの会話に聞き耳立ててたの? キモイよ」
「そうよ、そうよ」
「結局、『だから何?』って感じ、わたしら別に法律に触れるようなことやっちゃいないし、あんたに文句言われたくないね」
「リョーカの言う通りだよ」

 話は平行線だ。四人組も法律に触れていないということでかなり強気。そのせいで一歩も引く気はないようだ。

「はぁ……だから、あたしはあのチェシャ……ノラを知らないか聞いてるんじゃない? あんたたちもあのネコに関わったのなら少しは心配したらどうなの?」
「たかが一日見ないだけでしょ。野良猫ならよくあることじゃないの?」
「猫は行動範囲が狭いんだよ。あの子は雌だったし、そんなに動き回る子じゃなかったの。まあ、いいわ。あなたたちが連れ去ったわけじゃないのね」
「当たり前でしょ!」
「わかった。もういいよ。帰って」

 内巻きボブの少女は、四人組を追い払うように手の平を外側に振る。その表情はとても面倒くさそうな感じであった。

 少女は項垂れる。話の通じない相手に精神的に疲労してしまったのだろう。あんたの心中は痛いほどよくわかる。

「こんなとこまで呼び出して何かと思ったら」
「くだらないことに時間とらせないでね」

 その一言が少女をキレさせる。

「くだらない?」

 言った相手の胸ぐらを少女は掴むも「たかが猫でしょ?」と返される。

 四人組にとっては、あのノラネコは再生数稼ぎのアイテムにしか映っちゃいないんだ。ただ『かわいい』からと近づいただけ。

 さすがに話が通じないと理解したのか、すぐにその手を放し「消えて」と少女は言い放つ。

「ふざけんなよな」
「あー、ムカつくなぁ」
「ぱーっと、ラウワン行かない?」
「そうだね。カラオケで百点出るまで歌ってみたやろうよ」
「それいいね」
「アホ、百点なんてそうそう取れるもんじゃないって」

 四人組は何事もなかったかのように去って行く。残った少女は再び大きな溜息を吐いた。

「そこで覗き見(ピーピング)してる子。出てきてもいいよ」

 あれ? 隠れて見ていたのがバレていたのか。
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