食堂 / あれ一人 / 苛立ち

文字数 1,431文字

ファミリーの昼食が済み、後片付けをしていた。
紗和(さわ)は空の食器を下げ、椅子をたたみ食堂の隅に寄せ、テーブルを丁寧に拭いていた。キッチンでは調理担当の清水(しみず)山口(やまぐち)がお喋りしながら洗い物をしていた。
 片付けが済んだらチームメンバーの昼休みである。勤務初日こそ、チームメンバー6人揃って食事を摂ったが、次の日からは各々がバラバラに食べている。清水(しみず)山口(やまぐち)はキッチンの調理台の前に椅子を持ってきてやはりお喋りをしながら食べ、優菜(ゆうな)左久間(さくま)は一緒に食べているかは知らないが自室に食事を持ち込んで済ませているようだった。紗和(さわ)帆奈美(ほなみ)も昨日までは一緒に食べていたが、紗和(さわ)が既に仕事をおおかた覚えてしまったので今日は朝から帆奈美(ほなみ)とは別行動になっていて、紗和(さわ)は食堂のテーブルで一人オムライスを食べていた。
帆奈美(ほなみ)によると、どうやら「みんなで食事を」は花井(はない)の指示だったらしい。彼なりに明るい職場作りに努めているのかもしれないが、実際の現場の雰囲気をもっと知るべきだろう。
――私が仲間に加わることで、職場が劇的に明るくなる、と思ったのかな…
紗和(さわ)は心の中でまさかね、と苦笑した。

ガチャン、と食堂のドアが開く音がした。

「あれ、今日はひとりなんだね」

と背後から声をかけてきたのは左久間(さくま)だった。そういう左久間(さくま)も珍しく一人である。食堂などで見掛けるときは、ほぼ確実に優菜(ゆうな)と一緒であったのだが…。左久間(さくま)はキッチンで作り置きのコーヒーをマグに注ぎ、食堂の隅から椅子を引っ張ってきて紗和(さわ)の隣に腰かけた。
左久間(さくま)さんもお一人なんですね。」
紗和(さわ)が同じ質問で会話を繋ぐと、
「あれ、俺の名前覚えてくれてたんだ~。」
と嬉しそうに目を細める左久間(さくま)の笑顔は掛け値なしに魅力的であり、彼の容姿や言動がまったく守備範囲でない紗和(さわ)でさえも、一瞬ドキリとする程であった。
「人の名前と顔、覚えるの割と得意なんですよ。」
不覚にも跳ね上がった胸を悟られない様に目をそらした。
「だよね!二日目にはもう全員覚えてたよね。小松さんに醤油渡すときとか素早過ぎてビックリした~。」

――ん?…あれ?

と、そのとき紗和(さわ)は小さな疑念を抱いた。確かに勤務二日目の朝食時、帆奈美(ほなみ)からの指示で小松ふみに醤油さしを手渡した。でもあのとき左久間(さくま)はそこにはいなかったはずだ。
「しかも凄いテキパキ良く働くじゃん、ノートにもちゃんとメモとかしてさ~。」
勤務中に左久間(さくま)を見掛けたことは一度もない。もしや左久間(さくま)がいたことに気がつかなかったのだろうか…、いや断言できる。
―― それは有り得ない。
だが彼の言い方は、まるでその場で見ていたような口ぶりである。帆奈美(ほなみ)から聞いたことを極度に主観的に話している、という可能性もある。が、紗和(さわ)はにわかに背筋が寒くなるのを感じた。
「そんなに警戒しないでね。」
声を潜めて左久間(さくま)は言った。キッチンでは相変わらず調理担当の二人がペチャクチャとお喋りに興じている。
「俺、福森(ふくもり)さんの味方だから。」
左久間(さくま)はさらに紗和(さわ)の耳元に口を近づけて囁いた。全身が泡だち紗和(さわ)は身を固くする。そのとき、

「何してるの!」
ガチャリと食堂の扉が開き鋭い声が飛び、凄い形相の優菜(ゆうな)が苛立ちに満ちた足音を立てて近づいてきた。
颯太(そうた)、何してたの?」
そう言えば彼のフルネームは左久間(さくま)颯太(そうた)だったな、と紗和(さわ)は思い出していた。帆奈美(ほなみ)左久間(さくま)についてはあまり言及しなかったが「颯太(そうた)君」と呼んでいた気がする。
「話してただけだよ~」
「嘘!近かったじゃん!」
――私は悪くない!!
紗和(さわ)は心の中で叫んだ。


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登場人物紹介

福森 紗和

36歳 新人チームメンバー

小野崎 帆奈美

48歳 業務主任

中里 優菜

24歳 看護師

ファミリーのお年寄り達 1

ファミリーのお年寄り達 2

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