通話　／　リスト　／　匂いの正体

突然卓上の子機が鳴り皆、心臓が軽く跳ねた。
――あ、電話、あったんだ。
と紗和(さわ)も今更気付いて驚いた。
｢はい。｣
と左久間(さくま)はいつもの癖で呼び出し音に返事をしてしまった。
｢あ、もしもし颯太(そうた)君｣
帆奈美(ほなみ)である。音声認識で通話開始になる仕様の機種のようだ。左久間(さくま)は慌てて皆の方に振り返り唇に人差し指を当て、紗和(さわ)達も息を止めた。
｢鳩間(はとま)が部屋にいないの。莉瑠(りる)ちゃんに任せてあるんだけど知らない？お手洗いかしら…｣
普段の帆奈美(ほなみ)の明るく人当たりの良い雰囲気と全く違い、事務的な早口で、ただの質問のはずなのに相手を非難するような音色まで含んでいる。何よりここではファミリーのことを呼び捨てにしている。チームメンバー同志の会話でも、そんなことは一度もなかった。
｢確認してみます。｣
｢お願いね。あと紗和(さわ)ちゃんも探して連絡ちょうだい。｣
左久間(さくま)が紗和(さわ)に目をやる。紗和(さわ)は素早く頷く。
｢見当たらないんですか？｣
｢ええ。｣
帆奈美(ほなみ)は優菜(ゆうな)を拘束し監禁した本人だ。出来るだけ会話の中から次にどう出るか判断する情報が欲しい。左久間(さくま)はわざとらしくならないように落ち着いて話を繋ぐ。
｢もしかして優菜(ゆうな)を探してるのかもしれません。服薬報告が昨晩から出来ていないみたいでしたし…｣
｢…そう。兎に角、なるべく急いで探してね…あ、あと優菜(ゆうな)ちゃんなら大丈夫よ。医務室で寝てるの。疲れてるみたいだから起こさないでね。｣
帆奈美(ほなみ)はこちらが『優菜(ゆうな)はmastering booth(マスタリングブース)の一室に監禁されている』ことを知っている、ことを知らない。
――医務室なんて最初に探したわ！
音声通話であるのをいいことに紗和(さわ)も莉瑠(りる)も険しい表情を隠さなかった。が、左久間(さくま)は落ち着いて返事をする。
｢分かりました。｣
｢それから、明日の製粉所にご案内するファミリーのリスト送ったから見といて。｣
｢分かりました。｣
――製粉所？ご案内？
文脈からして恐らく明日mastering booth(マスタリングブース)に連れて行くファミリーの名簿だろう。
｢でね、今週のリストに入れなかったけど、もし颯太(そうた)君がそうしたいなら鳩間(はとま)も入れていいわよ。｣
｢…ええ、あ、いや俺は別に…｣
｢何で？紗和(さわ)ちゃんにセクハラするから一刻も早く粉にしたい、って言ってたよね？｣
｢…粉にしたい、とは言っていませんけども…｣
｢ま、いいわ。散布(さんぷ)までに決めておいてね。｣
｢…分かりました。｣
じゃ、諸々お願いね、といって帆奈美(ほなみ)からの通話は終了した。
その途端に途轍もなく気まずい空気が、時間が、いやもはや超キマズイ時空が辺りを支配した。左久間(さくま)の目が泳いでいる。
｢…いや違うんですよ、これはつまりですね、俺、鳩間(はとま)さんが羨まし…｣
｢そんなことより散布(さんぷ)って何？｣
と紗和(さわ)が無理矢理話題を変えた。数日前、左久間(さくま)に少々艶っぽく迫り、情報を聞き出した…という後ろめたい経緯がある。彼の口からついポロリとそんな事実の一片でも零れ落ちたら事(こと)である。
｢あ、そのまんま散布(さんぷ)です。mastering booth(マスタリングブース)にファミリーを連れてく前日、その時にはもう誰を連れてくか決まってます。深夜その人の部屋の中を神経系のガスで満たすんです。｣
紗和(さわ)は真夜中静かに作動するラクダちゃんを思い出していた。
｢神経系のガス？具体的には？｣
鳩間(はとま)が聞く。先程のことは気にしていないようだ。
｢はい。医療用のアルコールに似たものです。揮発性が高いですが特殊な樹脂の蒸気と混合してあります。｣
｢樹脂の蒸気？｣
莉瑠(りる)が聞く。
｢うん。イベントとかコンサートで使われてるスモークってあるでしょ、あれとほぼ同じものだよ。あれに混ぜると空気中の滞留時間が長くなって体内で代謝排出されにくくなるんだ。｣
｢皆さん、吸い込まないようにしましょう！｣
莉瑠(りる)が意気込んで言った。
｢樹脂は独特の甘い匂いがします。夜間ファミリーの居住スペースに出入りする時は注意して下さい。｣
と最後に左久間(さくま)は付け加えた。
紗和(さわ)は今になってようやく、あの時の不思議な甘い匂いの正体に至った。