湯船 / ハイボール / 抱き止める

文字数 1,089文字

バスルームから出ると帆奈美(ほなみ)が洗面所で歯を磨いているところだった。脱衣所と洗面所の間には仕切り用のカーテンが引かれているだけだが帆奈美(ほなみ)にそれを気にした様子はない。
「早かったですね。」
「ええ、疲れたけどね。やっぱり苦手なのよね山道…。ごめんなさいね、すぐ終わるから」
帆奈美(ほなみ)は間違えて2日早く来てしまった莉瑠(りる)を車で高速バスの停留所まで送って来たのだ。
「じゃ、おやすみ。」
帆奈美(ほなみ)の歯磨きが終わる頃には、紗和(さわ)も寝巻に着替え終わっていた。
自室に男が来るから、という訳ではないだろうが…何となく湯船に浸かった。
「おやすみなさい。」
紗和(さわ)は就寝の挨拶で帆奈美(ほなみ)を見送ると、洗面所の鏡の前に立った。
紗和(さわ)の目的は左久間(さくま)と会って、響乃森ハウス( こ こ )に関する隠された『何か』を、或いはそれに繋がるヒントを得ることだ。
――あれ?
紗和(さわ)は、左久間(さくま)の目的は何だっただろうか、と考えた。
――てか、何しに来るんだっけ…。
何か話したいことがあるのだろうか。考えてみれば左久間(さくま)はずっと紗和(さわ)とコンタクトを取りたがっていたのではなかったか…。どことなく腑に落ち切らないまま紗和(さわ)は自室に戻った。

 *

意外と早く左久間(さくま)は来た。優菜(ゆうな)の寝かしつけに成功したのだろう。彼が言うには、彼女は酒を飲むとすぐに寝てしまってちょっとやそっとでは起きないのだそうだ。
「ゴメン、待った?」
左久間(さくま)の顔は少し赤い。既に酔っているのかもしれない。
「全然。もういいの?」
紗和(さわ)左久間(さくま)を招き入れドアを閉めた。
「ああ、いびきかいてぐっすりだよ。はいこれ、持って来た。」
買い物なんていつするのだろうか。ビニール袋に缶のハイボールが4つ入っていた。
「私もこれ下から持ってきちゃった。」
紗和(さわ)はキッチンからファミリーの間食用のチョコクッキーを包んだハンカチを広げた。勿論調理係の清水(しみず)の許可はちゃんともらった。
「わわ!ありがとう!」
左久間(さくま)は大袈裟に喜んでそれをひとつつまんだ。

二人で乾杯をし、しばらく差し障りのない会話をしていると、
「俺、福森(ふくもり)さんのこと気になってるんだよ?」
左久間(さくま)紗和(さわ)に頭をくっつけるように寄り掛かってきた。
――こいつ結構酔ってるな…か酒弱いのか?
「それで会いたいって言ってくれたの?」
「うん。」
そう言えば優菜(ゆうな)と数人のファミリーから聞いたことがあった。
――私と松本(まつもと)桃花(ももか)は似ている…
そして左久間(さくま)松本(まつもと)桃花(ももか)に好意を寄せていた。
本気かどうかは分からないが、少なくとも憎からず思っていたはずだ。ここで左久間(さくま)の心をつかめれば…。
――今は情報が欲しい…ごめんね優菜(ゆうな)ちゃん!

「嬉しいよ…颯太(そうた)君。」

重力にまかせもたれてくる左久間(さくま)の顔を、紗和(さわ)はしっかりとその胸に抱き止めた。


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登場人物紹介

福森 紗和

36歳 新人チームメンバー

小野崎 帆奈美

48歳 業務主任

中里 優菜

24歳 看護師

ファミリーのお年寄り達 1

ファミリーのお年寄り達 2

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