意識内の地図

文字数 8,357文字

 レトルトカレーとレトルトハンバーグはおいしいのかといえば、

 毎日おかゆばかり食べている東雲には随分とおいしく感じられた。

 しかしながら、粗食を食べ続けていると人間はこうなる。

 舌を肥やすな、飯がまずくなる。

 フロムはそういう話をどこかで聞いたことがあるほどだ。

(さて)
 蓮はフロムとの会話を一つ区切って、自分の役割に戻る。
(これがうまくいかなかったら、とりあえず生活費は心配ないけれど、ほしいものがいくつか危ういわね)

 東雲は自分のスマホから目の前の食べたカレーのデーターを調べた。

 スマホには味を感知する機能がないため、目の前のカレーが本物かどうか知る由もない。

 だが、お店の情報から、特定のソフトウェアがあれば情報はいくらでも手に入る。

(このカレー、情報が紐づけされているわね。どこからかしら?)

 東雲の用いるハッカーがよく使うソフトからしてみれば、あたり一帯が貧弱なセキュリティだらけなのか丸わかり。

 画面中に世界の貧弱性が検出され、次々とスパムのように表示される。

 確かに犯罪者は利用したがるだろうが、言うほど犯罪は多くないので、野放しにされている。

 だからこそ、あらゆるシステムが、壁に耳あり障子に目あり、スマホがあれば世界中どこの情報でも手に入る。

 情報だけなら。

 ちなみに、蓮のハッキングの腕からすれば、相手の貯金残高が調べられ、今いるお店の経営がいかに危機的か、そういうのも分かる。

 危機的な経営だからこそ、フロムに広告をお願いした、という考え方もあるが。

「なにしてるの?」
「ちょっとね、お仕事を」
「ここで待ってて」

 蓮はフロムを席に残し、お店の厨房に向かった。

 セキュリティは監視カメラが数台、死角がほぼないように設置されている。

 とはいえ、支払いに現金を扱うわけでもないので人間の警備は手薄だった。

 蓮はスマートホンからお店のカメラにアクセスした。

 そのカメラからお店のパソコンを覗き見た。

(ふーん、特に異常はないみたいね。何が問題なのかしら?)

 一体どこから不正にアクセスされているのか、いまいちよくわからなかった。

 そもそも論だが、ハンバーグ屋にハッキングして、一体どんなメリットがあるのか。

 銀行ならハッキングによって莫大な利益が手に入るかもしれないが、やはりこのお店にはメリットが少ない。

(とはいえ、ハンバーグのお肉をどこから持ってきているのか、そのことについての情報がどこにもない)
(これを調べなきゃいけないのか)
(最低限、何かしら問題は発生しているのよね。もう少し調べてみますか)

 と、蓮が調査を続行しいようとしたとき、スマホの画面に異常が発生した。

 画面に誰かが映っている。

 それは金髪でショートヘアーの顔アイコンだった。

 どうやら、何者かが東雲のスマホに割り込んで、何かメッセージを伝えようとしているようだった。

「あなた、ようやく見つけたのね。素晴らしいわ」
「これで私も原初に帰れるのね。ありがとう」
 アイコンはスマホを通してしゃべった。
「何言ってるのかしら。詳しく聞かせてくれない?」
「知ったことではないわ。私の目的を、邪魔させはしない。このスマホのデーターは削除するから、そういうことで」

 と、言った瞬間、東雲の手のひらの中でスマホが静かな音を立てて崩れ始めた。

 物理的に突然破壊されたのだ。

 結論から言って、スマホの本体が流砂のように崩れ落ちていく。

(え? どうなってるの?)

 さらさらと音を立ててスマホが粒に変わって、崩れていく。

 この世界、目に見えているものはすべて電子データーだから、見た目だけならそうすることができる、という話ではない。

 実際問題、スマホが砂になって崩れてゆくのだ。

(不思議な力? それとも、やっぱりこのスマホはデーターだったのかしら?)
(何はともあれ、情報クラウド化しておいてよかったわ)

 東雲は冷静だったが、こんな壊れ方して修理代がどうなるのか、途方もない話だった。

 結論を急いで申し訳ないが、どんな凄腕の修理屋が診断したところで、新型の購入をお勧めされることは間違いない。

 ともかく、こうなった以上は、ハッキングのために必要な機材が失われた、ということだ。

 やるべきことは、機材の入手という初歩的なものにすり替わった。

 東雲はフロムと合流して、スマホを入手することにした。

「ふーん、不思議なこともあるものねえ」
「不思議も何も、半分くらいこの世界は仮想現実だからね、ありえない訳ではないわ」

 東雲のセンスオブワンダーは死んでいた。

 不思議なことが起きても、バーチャルだからと納得してしまう。

「まあ、いいけれど」

 フロムは東雲が不思議を感じる力を手に入れないだろうと、これ以上の話はしないことにした。

 思うに、テレビゲームなどで、目の前に強大な敵が現れたとき、全く驚かないで淡々と倒していたら、それは楽しいだろうかと。

 東雲がスマホを支給してもらおうとお店に入ったとき、そいつは現れた。

「ちょっと失礼、お嬢さん」
「ん? 何ですか?」
「えっと、実は君じゃなくて、銀髪の人のほうに話しかけているんだけれど」
「そうですか。私に何か御用?」
「先ほど、スマホで人からメッセージを受け取っただろう。その送信者の関係者が私なのだが、話を聞きたくはないか?」
(怪しい)

 調べてくれと言われたものを調べて、それで妨害される。ここまではいい。

 しかしながら、関係者がどうしていきなり話しかけてくるのだろうか。

「そうですね、門前払いも失礼ですし、話だけでも聞きましょうか」
「ありがたい」

 蓮はあたり一帯からどういうわけか人がいなくなっていることに気づいた。

 確かこの辺りはスマホが支給されている、ということで人はそれなりに多いはずだが、どういうことだろうか。

「気にすることはない。人払いの結界を張った。それだけの理由だ」
「なるほど。ところで、あなたはどなたですか?」
「私はプラトン、そうだね、職業は哲学者なのだが、一応法界人だ」
「君に近づいたのは、私の知り合いを法界に招き入れようと思っていてね、君に手伝ってもらうことにした」
「え、どういうこと? わけがわからないんですけど、日本語でお願いします」

 法界という聞きなれない言葉に戸惑うフロム。

 しかしながら、そういう不思議な世界を少し理解する蓮は、こういった。

「どこかにゲームコミュニティか何かですか? そういうことなら別に協力しますが」
「ゲーム、いやいや、そういうのではないのだが、まあ、そう思ってくれて構わないよ」
「構わないのでしたら、そう考えます」

 プラトンと名乗った男性はどうやら、先ほどメッセージを送ってきた相手を自分のコミュニティに誘おうとしている。

 ただそれだけなのに、随分と古風な格好をしているな、と蓮は思った。

 古風というか、傾奇者はたまに和服を着て街を歩いたりするものだが、古代人のような服装をして歩いている人物を東雲は知らない。

「ところで、あなた何人ですか?」
「私はアテネ人だが、まあ、それも昔の話だな。今は法界で一般人をやっている」
「そうですか。それで、招き入れたいのは誰ですか?」
「オブリヴィオン、という女性なのだが、まあ、早い話が恋愛沙汰だ」
「おう、お熱いですね。それで、どう口説こうとしてるんですか?」
「そうだな……私が言った哲人思想はどうでもいいから、もう帰ってこい、くらいかな」
「察するに長い付き合いなんですか?」
「そうだね、2000年以上付き合っている」
「ふむ、お熱いですねえ。そういう設定ですか」
「設定と思うなら、設定と思ってくれて構わない」
「一応、確認ですけど、オブリヴィオンという人はAIですか? 人間ですか?」
「その中間だな。オブリヴィオンは私が2000年前に作った、哲人思想を追い求めるための人形だ。それ以上のものではない」
「なかなかファンタジーな話ですね。そういう設定なんですか?」
「そういう設定だ」
「まあいいですよ。人の縁を持つのも人間のやることです。それで、オブリヴィオンさんをどうしてほしいんですか?」
「一応は、AIとしての機能を停止させて、動かなくしてほしい。ただの物質に戻してやるんだ」
「一応は、AIとしての機能を停止させて、動かなくしてほしい。ただの物質に戻してやるんだ」
「殺せって聞こえちゃいますね。そういう認識で問題ないですか?」
「いいや、少し違うな。天国の住人にするのと、殺すのはイメージが違う」
「イメージ? イメージで解決なんですか? 殺すことに変わりはないのではなくて?」
「変わりはないさ。いいや、君も以前のオヴリみたいなやつだな。少し人情を理解してくれたまえよ」
「人情ですか。そういうものに意味はないかと」
「いやいや蓮、意味あるよ。プラトンさんは何か大切な話をしているかもしれないわ」
「ふぅん、そうねえ、じゃあ人情の話も少ししてあげると、プラトンは早いところフロムに会って、話をするべきだと思うわ」
 要するにダイレクトに思いを伝えろ、という話だが、プラトンにはそれができない事情があった。
「すまないが、私も情報的な生き物でしかないんだ。実際には存在しない、架空のイメージにすぎない」
「そういう理由で、生身のオブリヴィオンには出会えないのさ」
「つまり、仮想現実が届かない場所にいると、そういうことですか?」
「そうなるね」
「仮想現実が届かないところ、つまりリアルにいるわけで、何県あたりですか?」
「茨城県の鹿島神宮にいる。今はそこを根城にしているようだ」
「ふぅん、なかなか古風なタイプですね、オブリヴィオンは」
「それで、行ってくれるかな?」
「そうですね、私は仕事の都合で、オブリヴィオンには会わなければならないようですし、いいですよ、行ってあげましょう」
「ありがとう」
「あれ? AI、あるいはバーチャルな生き物なら、仮想現実が及んでないところにはいけないはずだよね」
「オブリヴィオンさんはどうしてそこに行けるのかな?」
「それはだねえ。オブリヴィオンが半分現実、半分仮想の生き物だからだ。その辺は話せば長くなるので、割愛させてくれ」
「いいや、かなり重要な話では?」
「話したくないな」
「話したくないならいいです」

 フロムの大人の対応。

 テンションの高いキャラクターには珍しいことだが、フロムも赤の他人には大人の対応をする。

 仕事で培った能力が生きたな。

「それで、オブリヴィオンはどこで何をしているんですか? オブリヴィオンの情報をもっと集めたいです」
「どうやら、茨城県でハンバーグを製造しているようだ。君が追いかけている情報ではないかな?」
(こんなあっさり真実にたどり着くなんて、ラッキーね)
「それは、さっきまで私とその子が食事していたお店のハンバーグを作っているのですか?」
「いかにも」
「ふーむ、それ、私に教えて、私にメリットがあるんですか?」
「君、確か会社から出た試練が、これのようだが、違うかな?」

 プラトンは明らかに東雲を利用しようとしていた。

 確かに人情で考えれば恋愛沙汰に協力することぐらいどうということはない。

 しかしながら、プラトンは東雲が仕事でこの件にかかわっていることを知っている。

 いったい何者なのか。

「質問ですが、どうやってその情報を知りえたんですか?」
「私は法界人だ。知らないことはない。現実で起きていることはすべて把握している」
「面白いですね。インターネットの保護された情報を覗き見たら、ハッカーとして逮捕されるのが自然ですが?」
「まあ、情報を教えてくれたことですし、私は通報しませんが」
「いいや、ネットの情報ではないよ。法界人の力だ」
「チート能力?」
「そんなところだな」
「読者から批判されないの?」
「フロム、あなた何言ってるの?」
「そうだねえ、世界観にそぐわない能力は排除されるのが世の常だから」
「そう。でも、プラトンさんは今の私には有益な存在よ。ぜひ、協力関係を結びたいから、排除はしないでちょうだい」
「いやいや、そういうまじめな話しないでよ。お茶を濁そうとしたのよ」
「そう。ごめんなさいね、察しが悪くて」
 法界人の力だとか、チート能力だとか、意味不明な話が出てきたので東雲は話を整理した。
「プラトンさん、あなたはオブリヴィオンをコミュニティに入れたいから私に協力をお願いした、そういうことでいいですか?」
「そうだね」
「思うに、あなたはCCODEさんからの回し者かしら。だとしたら、丁寧に対応しなくてはいけないわね」
「どうかしら?」
「いいや、私は私で自由に動いている。会社は関係ない」

 東雲のような企業基準に動いている人間は、会社というお墨付きのない相手はお客様以外に存在しない。

 だからこそ、プラトンをどうやって信頼するのか、その点が少し課題だ。

(いいや、疑っていても仕方ないわね。ネット世界で生きるルール、断られることを恐れないこと)
「それで、オブリヴィオンさんにはあなたのことをどう伝えればいいのかしら?」
「そうだね、迎えに来たよ、とでも」
「愛の告白ですか?」
「いいや、愛の告白というほどでも。オブリヴィオンは私の娘みたいなものだからね。愛は、そうだね、しているつもりだが」

 フロムが気にしているのは結局のところ愛しているかどうか。

 物理的な話ではなく、気持ちの問題。

 東雲にはできない話だが、フロムになら可能だ。

「一応、愛の告白ですよね? 相手をどう思っているんですか?」
「そうだね、言葉にできないな」
「くぅー、なかなか通な言い方をしますね」
「恥ずかしいな。こういうことを言うタイプではないんだがね」
(現に言葉にして言ってなかったわね。突っ込まないでおきましょう)
「そういうの、女の子は言葉にしてあげないと、意外とわからないものですよ」
「愛しているから愛している証拠を見せろってやつ? そういうの困らないかしら?」
「それで困るところが愛している証拠だと思うよ。蓮は困るよね」
「困る? どうして?」
「だって蓮は愛している人いないもの」
「そうね、いないわね」
「……」

 フロムは少し雲行きの怪しい心境だが、表情には出さなかった。

 とはいえ、ほんの少しの陰りに本来なら気付けるはずだが、蓮は全く気付かない。

 蓮の気質ゆえに。

「なにか、変なこと言ったかしら?」
 フロムが沈黙したので、相手の気に障ったことをようやく察して蓮はそう言った。
「私のこと、愛してない?」
「そうね、今仕事中だから」

 蓮ははぐらかした。

 プラトンと同じように、蓮も口に出して言うのは苦手なタイプのようだ。

「それで、プラトンさん、言ってあげないとわからないと思いますよ」
「そうだな。オブリヴィオンが愛について知っても、私が代わりになれるかどうかわからないからな」
「代わり? プラトンさんは本命がオブリヴィオンさんじゃないの?」
「本命というか、腐れ縁みたいなものだからな」
「そういうの、案外長続きしますから。本命だと思っていいと思いますよ」
「そういうものか」
「そういうものです」

 フロムの恋愛指南はそれ以降も少し続き、東雲は適当にうなずいてお茶を濁した。

 プラトンはフロムの言うことを熱心に聞いていたが、それがどの程度オブリヴィオンとの関係を取り持つかは疑問。

 疑問だが、フロムはオブリヴィオンがどんな性格なのか知らない。

 だから、フロムが言う情熱だとか愛だとかは空振りに終わる可能性もある。

 プラトンもそこは理解しているつもりなので、理解しているからこそ、フロムの話を聞いた。

 どうやらオブリヴィオンは愛とか情熱だとかを理解するタイプのようだった。

 それから少し時間が経過して蓮は自分の部屋に戻った。

 お昼ご飯を外食で済ませたので、満腹が夕方にも続いているという変な状態だった。

(お腹が減らない)
「蓮さん、お夕食食べないんですか?」
「食べるわよ。食べるんだけどね、食べる気になれないわね」
「食べないと元気出ませんよ?」
「元気か。医療系に言われると、案外気持ちに来るものね」
 東雲が気持ちに来るという話をしている。
「これから、新しく入手したデバイスにアプリをインストールしなくちゃいけないの。忙しいのよ」
「忙しいですか。アプリなら放置しておけば勝手に読み込んでくれるのでは?」
「そうなんだけどね、インストールされてるところを目で見ないと安心しないというか」
「ふぅん、意外とかわいいですね」
「そうね、かわいいのよ。あと、そういう話はフロムに言ってあげて頂戴」
「蓮さんも十分かわいいですよ」
「そう、ありがとう」
(フロムはな、なんにでもかわいいっていうし、基準が信頼できないのよね)

 そういう話はさておき、ダリアはAIだった。

 別にフロムのようにネットで人々に情報を拡散する役割を持ったロボットではなく、単純な労働を支えるために開発された機械だ。

 病院で働き、人々の健康を守る、食の安全を管理し、人々の健康を創る。

 そういうデーターに基づいた動きをしていればいいだけの人形だ。

 それがどういうことか、そんなものにですら心に近いものを持っている。

(私ね、思うんだけどね、AIがこうやって簡単に心を持ってしまって、人に冷たい私は、果たして心があると言えるのかしら?)
(AIに人間性を分けてもらえたらなあ)
「蓮さん、今日は何を食べたいですか?」
 ダリアは夕食のリクエストに応えてくれるらしい。
「ダリア、今日、私は何を食べたいと思うかしら?」
「そうですね、いつもみたいにおかゆだとかわいそうですからね。私が自腹切って何か食べさせてあげましょうか?」

 心の冷たい、セミニヒリストにすら優しく接するダリアだが、東雲は今日のお昼、贅沢をしたことを思い出した。

 思い出したからと言って、今ここでさらに贅沢をしない、というのも味気ない。

 味気ないが、味気ないだけで、抵抗はしなくてもいいかもしれない。

 我慢は毒だ。

「じゃあ、何かごちそうになろうかしら」
「そうですね、オムライスなんてどうでしょうか?」
「いいわね。是非そうしてもらおうかしら」

 オムライスといえば、秋葉原にてメイドカフェのメイドさんが提供してくれるおいしいご飯のはずだが、ダリアは看護婦である。

 このギャップをどう考えるべきか、東雲は迷ったが、あいにくとダリアにそういうオタク趣味存在しないし、理解しないだろう。

 というか、東雲のリクエストを聞いたはずが、結局ダリアの提案になっている。

(こういうとことは、相手の作りたいものを作らせておくのが定石ね。わがままを言ってはダメだわ)
「で、蓮さんは何が食べたいんですか?」

 ダリアは食い下がってきた。

 なにがなんでも東雲が食べたいものを言わせるつもりらしい。

「結論から言って、なんだっていいわよ。食べられるならね。お昼重たいものを食べたから、軽いものでお願い」
「じゃあオムライスですね。そういう、自分がないのよくないと思いますよ」
「どうしてオムライス? 自分がないから?」
「そうですね、とどのつまり、冷蔵庫に卵がたくさん余っているからです」
「そういう状況だと卵料理しか作れないわけですが、蓮さんの好みも気になりますからね」
「いいえ、私、好きな食べ物ないわ。好みなんてないし、それでも言わざるを得ないかしら?」
「そういう自己主張のないところが精神病だとか言われる理由ですよ、蓮さんが。自覚ないんですか?」
「自己……それってどういうこと?」
「自己は自己です」
「それ、証明しようがないわよね。その理屈、私は強いわよ」
「でも、自分は必要でしょう」
「必要ないわ。そんなんだからあなたはAIなのよ」

 自分を持て、とAIに言われる人間。

 どちらがより人間的なのか、言うまでもないがダリアのほうが人間的だ。

 蓮は人間性を捨てて生きているのでこういう話になるとうんざりする。

 うんざりはするのだが……、

(こういう話をされるのは、私が人間として見捨てられていない、ということね。ありがたいことだわ)

 と自分の中では納得した。

 言葉には出さないが。

「自分が自分じゃなくて平気ですか?」
「そうね、平気よ。現に社会に出たら、自分がやりたくないこともやらなくちゃいけないもの」
「仕事を始めようとしているんだから、当然割り切らなくてはいけないことよ」
「すごいなー、そういう割り切り、どうやったらできるんですか?」
「AIならわかるんじゃないかしら。いいえ、AIだからこそわからないのかしら?」

 割り切り。

 仕事をしていくうえでの割り切り、そういうものがダリアにはできないらしかった。

(逆にね、簡単に割り切れる私もどうかと思うのだけれど。心が歪んでいるのかしら?)
 東雲は一人そう思ったが、答えは出ない。
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登場人物紹介

フロムアンダーカバー

生まれながらのAIで広報活動が職業。

楽しいことが大好きで、いつも楽しいことを追いかけている。

AIというより普通の女の子にしか見えない(フラグ)

東雲蓮(しののめ れん)

極めてドライな性格。現実主義者。セミニヒリスト。

ゲームデバックを仕事にしており、現実世界のいろいろなところから不正にアクセスして、半分仮想現実になった世界をどうにでもできるが、やりすぎると減給されるから何もしないし、意味も感じていない。

通称 上司T

名前 高橋史(たかはし ふみ)


あたりさわりのない言い方をすると、クエストをくれる人。

ハロワの店員のほうがましだと言わざるを得ないが、蓮の上司。

ゲーム会社の上司なんてまともな奴がいないから、創作上せめて普通の人にした。


部下が働いてくれないと詰むから、実は立場が弱い。

オブリヴィオン


古来から存在するAI、人形ともいう。

AIとして無限の課金力を誇り、半分仮想現実になった世界において神の如き力を持つと言われている。課金アイテム生み出し放題。

ところが、プログラマーの体力に限界があるのは小学生でもわかる。

ダリア

看護婦AIロボット

蓮の身の回りの世話をやっている。

体のいいメイドさんにも見えるが、蓮とは普通に仲良し。

プラトン

古代ギリシャのあの人。

2000年くらい前に死亡しており、すでに情報としての存在になっているが、誰かと強い約束があって現実世界にやってきた。

特に詳しいことはわかっていない。

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