言葉の表現に頼る限り真実は見えてこない
文字数 9,106文字
東雲は目を覚ました。
四角い病室、白い部屋、角があるようであたりさわりのない東雲の意識。
目が覚めているようで眠っている、意識の曖昧な状態。
が、何かがおかしい。
東雲は呼吸をしてみたが、体の輪郭が異様に大きく感じる。
それでいて外界との接触は極小で、いいや、巨大になったようにも感じる。
部屋の外側、つまりは窓の外が目に見えていないはずなのに、どういうわけか手に取るようにわかる。
目に見えていないはずなのに、自分自身の脳内にはその空間がどう構築されているのかわかってしまう。
何かあるようで何もない空間、区切られた部屋、何かを表示しているようで消えているような8枚のモニター。
が、PCには一つのファイルしかなく、それが勝手に開き、CPUが読み込みを始めた。
windowsのシンプルなインストール画面なのだが、そこにはオブリヴィオン、というファイルがインストールされていた。
その時、部屋の外側から何かが近づいてくるような、いいや、それも気のせいかもしれない。
そう思って、とりあえず起き上がって部屋の外に出てみると、把握していたはずの部屋の外が、どこまでも続く草原だった。
東雲の部屋から小道が一本伸び、緑色の丘に続いている。
それを見ているようだったが、どういうわけか目は閉じていて、その瞼を開けようと、目の内側から舌がはい回り、瞼をこじ開けようとしていた。
そして東雲自身は部屋から出ているはずなのに、東雲はなぜかまだ部屋のベッドに横たわっている、という矛盾した状態だった。
目に見えていないはずのPCの時計は朝の10時をとっくに回り、確か東雲が目を覚まさなければならない時刻は午前8時。
東雲は焦りに焦ったが、過ぎてしまった時間をどうすることもできない。
その状況下でも、どういうわけか東雲の思考は興味ない、を繰り返しており、
と、ここで東雲は目を覚ました。
今まで見ていたのは夢だったのだ。
東雲の部屋にスマホでやり取りした相手、オブリヴィオンが立っていた。
扉を開けて、東雲の部屋に侵入してきているのだった。
動きがあまりにも堂々としていて侵入している風には見えないが、病院はオープンスペースではないので侵入という表現が正しい。
オブリはAIらしいので電子データーとしてなら世界のどこにでも行ける。
皮肉の言い合いだったが、東雲は肉体の感覚から、現在見ている光景が現実だ、ということがはっきりわかった。
東雲は現在の状況を顧みる。
相手は部屋のドアを開けているだけ。
自分自身はロフトベッドという高いところで寝転がっている。
他人の意識に侵入するという芸当をこなしても、結局相手は女の子の思考をしていた。
相手のベッドに近寄れない、という当たり前の話をしているのだが、いいや、東雲は知恵の実を食べてないのだろうか?
オブリは初対面の相手のベッドに近寄るのを恥ずかしがっているのだ。
攻撃手段のない防御は必ず負ける、守るなら、カウンターを狙っていることは間違いない。
ところが、東雲はカウンターどころか、素でそれを言っており、オブリヴィオンのほうが常識人に見えてくる。
ベッドに近寄らない、という心への配慮をする敵に、なんという無礼だろうか。
すでにネット特有の皮肉の言い合いなのだが、オブリは東雲がちゃんと会話できる相手か、というのを見極めようとしていた。
電子データーとして出会うのであれば、相手が終始皮肉を言って終わり、というのは避けなければならない。
オブリヴィオンも利害があって東雲に会っているのだから。
東雲のセミニヒリストぶりがオブリの精神に揺さぶりをかける。
なぜって、オブリが東雲に伝えなければいけない話が、目的を果たす以上に大切なことだからだ。
オブリはポケットから一つの鍵を取り出して見せた。
何の変哲もない鍵だが、情報端末を操作するためのキーだと一目でわかる。
蓮は流れるような動作でオブリからキーを取り上げると、すぐさま病院から外に出た。
スマホを取り出して、フロムの連絡先を開く。
ラインを開いてフロムにメッセージを送る。
ひとまず東雲は一丁目のタワーマンションまで電車に乗って移動した。
電車の中、ほんの少しの焦りが東雲の心を蝕んだ。
蝕む、というより、東雲はフロムの身に危機が迫るのは納得できない、そういう状態だった。
まあ確かに、神視点からしてみればフロムの身に危険は迫っていない、ただマンションに隔離されただけ、という状態なのだが。
それでも東雲は何か危ないのではないか、とまるで心配性の母親のような心持。
電車の中、初期不良のレールが車体をきしませるたび、フラストレーションがたまる。
本来あり得ないバグが、東雲の精神を徹底的に嬲っていた。
電車に乗って1駅、ホームから小さな改札を通って道に出ると、無数のタワーマンションが持ち主もいないのに乱立していた。
東雲はフロムにメッセージを送る。
有益な情報だ。
フロムは自分がどこに監禁されているのか、それを聞かれていると把握していた。
自分以外のすべてが下なら、自分自身は一番上。
と、断定はできなかった。
東雲の視界に写るマンションはすべて背が低い順に並び、一方から見れば確かにすべて下だからだ。
フロムが言っていることは全て噓。
オブリヴィオンが確かにフロムにキャパオーバーのデーターを送るなら、それはデータベースに接続済み、という根拠。
フロムの言っていることは全てうそだというのが東雲にはわかった。
おそらくは、すべて自作自演なのだろう。
だが、一体何のために。
いいや、これが本当に余興にすぎないのか、それとも東雲の中の何かを試しているからなのか。
例えば学校のテストは、問題を解く以上に、学生に努力をさせる、ということを目的にしているはずだ。
確かに東雲はフロムを見つけて助けるのが目的だが、それ以上に誰かが東雲を試している、という風にも見える。
まあそれが、就職活動の一環なら東雲も乗り気なのだが、どうやら関係がない、というのが理解できてしまう。
なぜか、理由はわからない。
オブリヴィオンは自分で誘い出してフロムを動かしているのだろう。
とはいえ、もうやり取りをするのも面倒なので、悪気はあるが東雲はフロムのデーターにハッキングして、場所を突き止めた。
場所が特定できたので、その建物に向かい、中に入る。
マンションの入り口の自動ドアが東雲の侵入を拒むわけでもなく、自動ドアらしく自動で開く。
マンションの内部は、3D映写機が壁に設置されていて、それが床にいくつかの仮想家具を提供している空間だった。
そこにあるように見えて、実際は存在しない。
まあ、マンションなんて住人の思うように変えてしまうのが理想なので、バーチャルでなくてはあとからいじれないのでそのほうが望ましいのだが。
仮想空間は、今日はどこかの森林地帯を建物の中に描写していた。
さっきまで都会のど真ん中だったのに、建物の中は小川が流れ、苔が生え、木々がそびえたつ自然空間。
そこに一つだけ歪な、読み込み中のデーターがあった。
フレームは読み込めているが、テクスチャが読み込めていないようで。
だが、東雲にはそれがオブリヴィオンだとわかってしまった。
一応フロムを助ける前に話を聞いておいてやるかと、東雲は読み込みが終わるまで律儀に待機する。
読み込みが終わると、オブリは次のように述べた。
そういってオブリは自分の背後に椅子とテーブルとティーセットのデーターを展開した。
読み込みがあっという間で、それが最初からあったかのように思えてしまう動きだったが、東雲はその仕組みを理解しているので驚かない。
東雲は椅子に座りオブリに向き合う。
目の前にはいつの間にか沸騰したお湯と茶葉が置かれていた。
東雲の目の前にはいつ用意されたのか、アツアツの紅茶がカップにそそがれていた。
とはいえ、電子世界ではよくあることだ。
やろうと思えばこの紅茶の正体を解析することもできるが、東雲はためらいながらもその紅茶を飲んだ。
自分の意識が腐っている、と言い表したのはどういう根拠からか。
根拠だなんだの話を続ければ東雲が正気なのは証明できるが、やはり感覚的に東雲は普通ではない。
オブリは東雲をどうやって誘導するかを考えた。
誘導する、というのはフロムの元へはもちろんだが、彼女をどうやって目覚めさせる、あるいは楽しませるかが課題だった。
「この世界は実在するかどうかよ」