フロムとデート
文字数 8,531文字
後日、東雲は再びロフトベッドの上で目を覚ました。
日付は3月15日。
調べなければならない件の情報がパソコンに転送されているはずの日だ。
特に慌てる様子もなく、東雲はロフトベッドの梯子を下りて、真下のスペースに設置されているパソコンに向き合った。
メールを開き、会社から送られてきた文章に目を通す。
1
何者かが不正を働いてハンバーグを製造している。
2
そのハンバーグにバグが発生しており、それの改善を求む。
たったこれだけの内容だが、東雲にとっては採用されるか否かである。
まあ、確かに仕事なんてしなくても生きていけるが、暇つぶしにはちょうどいい話だろう。
東雲は先日面接のときに使用されたソフトの開発元を調べて、それを解析する。
どうやらデリバリーサービスのような会社だったが、従業員はいまだに人間でやっている古風な会社のようだった。
発送は電子を通して行っているが、調理は人間がやっている。
その会社の住所は調べて出てきた。
しかし、東雲が食べたハンバーグは何か別のプログラムが入っているようで、どこかからか干渉したものと思われた。
最低限の情報をチェックし終えて、東雲は朝食を頂くことにする。
今日も相変わらず統一感のない食堂でおかゆを食べる。
そして、目の前には相変わらずフロムアンダーカバーがいた。
東雲は迷った。
単にフロムは自分と遊びたいだけであり、おごってあげる、というのも自分を誘い出すため。
仕事をしている、という感覚の東雲には目障りな話だ。
けれど、フロムの好意を断るのは忍びない、という想いもある。
理を解くAI。
東雲は空腹を無課金の食事で補えることに、安いという利を見出しているのだが……。
AIに理を解かれる人間というのもおかしなことだ。
効率厨の人間がネトゲ界隈に一定数いる、という話をしているのではありません。
東雲はフロムを放置してハンバーグの製造元に向かった。
その間もフロムは蓮の後ろをついてきた。
道端でついてくる猫のように。
お互いの認識の違いが激しい。
遊びと仕事の違い。
それがどういうものかフロムには理解できていないし、蓮には人情が理解できていない。
実のところ、採用を担当している史は、原因の突き止め方については指示を出していない。
であるからして、フロムを連れて歩いたところで選考に影響はない。
むしろ、AIの力を借りて原因を追究したなら、それはAIを使う能力としてプラス評価が下るだろう。
自分自身の能力だけで解決する、というのは古い考え方で、どれだけ協力関係が築けるか、というのも有能さの一つだ。
特に仕事の場合、他の社員との連携というスキルも必要なので、フロムと連携するのは当然の選択。
しかしながら、フロムはついてくるのだった。
別に蓮の邪魔をしたい、という気持ちではなく、純粋に蓮の力になりたいと思って。
蓮の表情が少し曇った。
ほんの少しだが、それをあえて表情に出すのを耐えるように。
東雲としてもフロムの言葉の意味は理解できた。
頑張れ、というのは純粋な励ましの言葉であり、別に東雲が努力してないから叱咤激励しているわけではない。
東雲は自分の考え、気持ち、それらのやるせない感情をフロムに合わせてみた。
すると、フロムは異様に笑顔になり、上機嫌になるのだった。
東雲の合理的な考えの中で行けば、フロムの言うところの頑張れ、は苦痛でしかない。
応援されても、嬉しくない。
ところが、フロムの気持ちを考えると、それを踏みにじることはどうしてもできなかった。
東雲の、ほんの少しの優しさがそうさせた。
無職にとってただ飯ほどありがたいものはない。
それもおいしいお店、ということであれば言うことはない。
しかしながら、東雲のツンデレな心にはそれがいいことには思えない
東雲は自分の中の価値観、何事も有料という考えを撤回できるだろうか?
確かに何事も有料というのは理論的には正しい、しかしながら人間的ではない。
自分の価値観をとるか、それともフロムの好意をとるか、東雲は選択しなくてはいけなかった。
人間、自分の中の価値観を撤回する、ということは非常に難しい。
フロムの言葉にすぐ反応しないで、あえて自白するように間を置いたのだが、意味がなかった。
どうやらフロムは偶然東雲が調査するお店を勧めていたようだった。
偶然とはいえ、バーチャルリアリティが前面に出ている時代、ユーチューバーが勧めるお店と、デバックを依頼されるお店。
この両者が一致する確率は決して低くない。
ハンバーグ屋の系列の株主がフロムに宣伝を依頼する、という流れであれば、当然一致することもある。
世界は狭い。
ハンバーグ屋は今どき珍しい、外見だけ歪な手の込んだデザインで、あちこち鉄骨がむき出しだった。
デリバリーのお店だから当然といえば当然、お金を使うべきところが外装ではない。
蓮は自分のポータブルデバイスでそのお店の情報をチェックした。
ふと東雲は足元に目をやった。
フロムが立っている地面だ。
そこには『この角度から撮影ください』と注意書きがされていた。
確かにフロムは現地にて撮影しているが、
フロムの画面をのぞき込んでみると、確かにその角度から撮影されたお店は綺麗だった。
ハリボテが見事に調和していた。
東雲が自分の頭で情報を整理する前に、その手は店の中へ引かれた。
店内は、さながら3Dグラフィックを裏側から、あるいは内側から見たかのような透明度で、要するに何もない。
テーブルと椅子があるだけの、言ってしまえば病院の食堂のほうがまともなそういう代物だった。
再びフロムは仮想モニタを発生させて、蓮に押させる。
すると、今度はハンバーグが出てきた。
東雲は辛抱強いタイプなので料理で待たされる時間なんてへっちゃらだ。
特に狙撃ゲームの時にターゲットが現れるまで、9時間不動ということもよくある話。
飲食店の10分20分で一切動じない。
東雲は運ばれてきたカレーを見た。
一方、フロムが食べる予定そうなハンバーグを見た。
東雲のカレーは具がたっぷりのったいかにもおいしそうなカレーであるのに対し、看板メニューであるハンバーグは……。
あまりにも巨大で、確かにインスタ映えはするだろうが、食べきれる量なのだろうか?
フロムが何を言っているのか、東雲にはいまいち理解できなかった。
確かに太るのを気にしている人が運動のためにジム通いをするのはよくある話だ。
しかしながら、東雲は合理主義者なので、そういうところにお金を払うくらいだったら会社まで歩いて通えばいい、ぐらいには思っている。
フロムはハンバーグをお行儀のいい手つき、つまりは左手でフォーク右手でナイフを持つマナーのいい動きで食べ始めた。
フォークで肉をおさえて、その部分をナイフで切る。
職業が人に見られることだと、自然と覚えてしまう動きだ。
食事は楽しみたい、という感情と、食事は必要だからしている、という感覚のせめぎあい。
東雲としてはあまり面白くない話だが、フロムは東雲の合理主義に一定の理解を持っていた。
まあ、だから話を聞いているのだが。
空気を読まない発言。
いいや、あえて空気を読まないで結論を先に言ったのか。
この問題は早急に解決しないといけないと思って。
残酷だが、楽しいから生きる、というのは東雲には理解できない考え方だった。
人生を愉快に生きていない、義務だけで生きている、そういう人間には『楽しい』という感覚が理解できない。
かと言って、嘘をつくこともできない。
だが、フロムに嘘はつきたくない。
東雲は言葉に詰まってしまった。
心がない人間の、相手の心を気遣った態度が、会話を封じてしまった。
疲労から、という理由ではないものの、その言葉が東雲にはやはり響いた。
フロムは他愛のない話をしているつもりなのだが、東雲の急所をこれでもかと射抜く。
とはいえ、フロムのテンションの高い遊びに付き合わされたら、物静かな蓮は参ってしまうだろう。
でもやっぱり、フロムの好意を無駄にすることはできず、東雲はフロムと約束をしてしまった。
とはいえ、東雲と一緒にやりたいことなんていくらでもある。
それらすべてがすぐには叶わないと、フロムは理解する、が、嬉しいことに変わりはない。
はしゃぐフロムを一瞥して、東雲は目の前のカレーに目を向けてみた。
この世界は半分バーチャルになっているので、目の前にカレーが本当にあるのか、実はわからない。
食べてみる、ということをしないことには、それが現実であるかはわからない。
東雲は恐る恐るカレーを食べてみる。
東雲は自炊しない現代人に憤っていた。
かつてはおいしいご飯を作ることができる能力は重宝されたが、外食産業の発達で、お金さえあればおいしいご飯を食べることができる。
お金を払えばそれなりのものが手に入る、そんな当たり前の話が東雲には気がかりだった。