フロムとデート

文字数 8,531文字

 後日、東雲は再びロフトベッドの上で目を覚ました。

 日付は3月15日。

 調べなければならない件の情報がパソコンに転送されているはずの日だ。

 特に慌てる様子もなく、東雲はロフトベッドの梯子を下りて、真下のスペースに設置されているパソコンに向き合った。

 メールを開き、会社から送られてきた文章に目を通す。

 1

 何者かが不正を働いてハンバーグを製造している。

 2

 そのハンバーグにバグが発生しており、それの改善を求む。

 たったこれだけの内容だが、東雲にとっては採用されるか否かである。

 まあ、確かに仕事なんてしなくても生きていけるが、暇つぶしにはちょうどいい話だろう。

(そうね、まずは……ハンバーグの製造元、誰が作っているのか調べましょうか)

 東雲は先日面接のときに使用されたソフトの開発元を調べて、それを解析する。

 どうやらデリバリーサービスのような会社だったが、従業員はいまだに人間でやっている古風な会社のようだった。

 発送は電子を通して行っているが、調理は人間がやっている。

(いかにも売れそうにない、あるいは経営が破たんしそうな会社ね)

 その会社の住所は調べて出てきた。

 しかし、東雲が食べたハンバーグは何か別のプログラムが入っているようで、どこかからか干渉したものと思われた。

(ウイルスかしら? うーん、データーだけならどこからでも干渉できるからねえ)

 最低限の情報をチェックし終えて、東雲は朝食を頂くことにする。

 今日も相変わらず統一感のない食堂でおかゆを食べる。

 そして、目の前には相変わらずフロムアンダーカバーがいた。

「ねえ、今日は何するの?」
「そうね、とりあえずはハンバーグ屋さんに行こうかしら。食べられるわけではないけれど」
「私がおごってあげようか?」
「別にいいわ。その辺の配給でお昼ご飯は済ませましょう」
「うーん、それって良くないよ。私がおごってあげるって言ってるのよ? 少しは頼ってくれても」

 東雲は迷った。

 単にフロムは自分と遊びたいだけであり、おごってあげる、というのも自分を誘い出すため。

 仕事をしている、という感覚の東雲には目障りな話だ。

 けれど、フロムの好意を断るのは忍びない、という想いもある。

(忍びない、か……。これはどういう感情かしら?)
「蓮、私におごられて」
 フロムは必死の思いでそう伝えた。
「別にいいわ」
「どうして? お腹すかないの?」
「お腹すくでしょうけど、いらないのよ。これがどういう理由かわかるかしら、AIさん?」
「わからないわ。どうして?」
「あなたがAIだから、言っても分からないと思っているわ。説明させないで」
「わからないわ。どうして?」
「あなたがAIだから、言っても分からないと思っているわ。説明させないで」
「変な話ね」

「変かしら。人間ってそういうものよ。常に感情というものがあるの。実利に反してね」

「利? 理はあるの?」
「理? 人間がそんなもので動くと思うの? まあ、動く人もいるけれどね」

 理を解くAI。

 東雲は空腹を無課金の食事で補えることに、安いという利を見出しているのだが……。

 AIに理を解かれる人間というのもおかしなことだ。

 効率厨の人間がネトゲ界隈に一定数いる、という話をしているのではありません。

「さて、食事も終わったことだし、私は出かけるわ」
「朝ごはんこれだけ? 寂しいわねえ」
「AIが寂しいなんて感情抱くのかしら?」
「抱いちゃダメ?」
「ダメとは言わないけれど、そぐわないものよ」
「ギャップには萌えませんか!」
「そういう話はしてないわ」
「しゅん」

 東雲はフロムを放置してハンバーグの製造元に向かった。

 その間もフロムは蓮の後ろをついてきた。

 道端でついてくる猫のように。

(暇なのかしら?)
 蓮は振り返ってフロムをたしなめる。
 蓮は振り返ってフロムをたしなめる。
「フロム、ごめんなさい。あなたの相手をしたいところだけれど、私、今仕事中なのよ。そのところわきまえてくれないかしら?」
「仕事? 仕事って好きな人とやるものじゃないの?」
「そういうものではないわ。フロムはバーチャルユーチューバーだから楽しいを仕事にできるけれど、私はそうはいかないの」
「確かにゲームは好きだけれど、そういう好きという感情で仕事してないわよ」
「ふーん、つまらないのね」
「つまらない、そうねえ、確かにつまらなくはあるけれど、それが仕事というものよ」
「ねえ、私がおいしいもの食べさせてあげるからさあ、東雲は働かなくてもいいんじゃないの?」
「そういうわけにもいかないわ」
「蓮はどうして働くの?」
「哲学的な問い?」
「いいや、ほら、誰だってそう聞くと思うけど」
「遊びじゃないのよ?」
「私は遊びを仕事にしてるけど……」

 お互いの認識の違いが激しい。

 遊びと仕事の違い。

 それがどういうものかフロムには理解できていないし、蓮には人情が理解できていない。

 実のところ、採用を担当している史は、原因の突き止め方については指示を出していない。

 であるからして、フロムを連れて歩いたところで選考に影響はない。

 むしろ、AIの力を借りて原因を追究したなら、それはAIを使う能力としてプラス評価が下るだろう。

 自分自身の能力だけで解決する、というのは古い考え方で、どれだけ協力関係が築けるか、というのも有能さの一つだ。

 特に仕事の場合、他の社員との連携というスキルも必要なので、フロムと連携するのは当然の選択。

(だけれども、そうね……フロムは、働かないでほしいから)
 謎の理論。
(フロムは、文化的なAIだから。こういう仕事的なものは向かないんじゃないかしら?)
「ねえ、遊びついでじゃダメ?」
「そうね、遊びではないもの」
「そう……」

 しかしながら、フロムはついてくるのだった。

 別に蓮の邪魔をしたい、という気持ちではなく、純粋に蓮の力になりたいと思って。

(そうねえ、頑張ってる人を見たら応援したくなるからね)
「ねえ蓮」
「なに?」
「頑張ってね!」
「……」

 蓮の表情が少し曇った。

 ほんの少しだが、それをあえて表情に出すのを耐えるように。

「私、すでに頑張っているわ。頑張れと言われるまでもないというか」
「ガーン!」
 東雲のちょっとした言動がフロムの繊細な心を傷つけた。
「えーっと! ほら、頑張れって言われたら、頑張る、じゃないの?」
「……」
「じゃあ、頑張るわ」

 東雲としてもフロムの言葉の意味は理解できた。

 頑張れ、というのは純粋な励ましの言葉であり、別に東雲が努力してないから叱咤激励しているわけではない。

 東雲は自分の考え、気持ち、それらのやるせない感情をフロムに合わせてみた。

 すると、フロムは異様に笑顔になり、上機嫌になるのだった。

「うん、うん、頑張ってね!」

 東雲の合理的な考えの中で行けば、フロムの言うところの頑張れ、は苦痛でしかない。

 応援されても、嬉しくない。

 ところが、フロムの気持ちを考えると、それを踏みにじることはどうしてもできなかった。

 東雲の、ほんの少しの優しさがそうさせた。

「ところで、今日のお昼どうするの?」

「さっきも言ったけれど、配給で済ませるわ」

「私ね、昨日仕事でおいしいお店に行ったんだけど、蓮もどうかな? もちろん私のおごりだけど」

 無職にとってただ飯ほどありがたいものはない。

 それもおいしいお店、ということであれば言うことはない。

 しかしながら、東雲のツンデレな心にはそれがいいことには思えない

「フロム、私、働いてないの。そういうの、よくないと思うわ」
「どうして?」
「どうしてって、今の時代は苦労しなくてもおいしいものが食べられるわ。だけど、昔はそうではなかった」
「食べるために苦労しなくちゃいけなかったのよ。今の時代では忘れ去られているけれど」
「お金の話かな?」
「そうね。そういうものよ」
「それっておかしいよ。大昔だったら湧水をいくら飲んでもお金取られなかったよね」
「木の実をいくら食べても怒られないし、当然狩りの道具を無料で作り出すこともできる」
「蓮が言っているのは、比較的新しい常識じゃないかな?」
「……」
「もう、原始時代には戻れないのよ。そうは思わない?」
「思わないけれど、私の好意は無料よ?」
「そう……」

 東雲は自分の中の価値観、何事も有料という考えを撤回できるだろうか?

 確かに何事も有料というのは理論的には正しい、しかしながら人間的ではない。

 自分の価値観をとるか、それともフロムの好意をとるか、東雲は選択しなくてはいけなかった。

 人間、自分の中の価値観を撤回する、ということは非常に難しい。

(どうしよう……)
 とか言ってる間に、東雲は例のハンバーグ屋の前にいた。
「なーんだ、蓮もここに来たかったのね。ここがおすすめのお店よ!」
 偶然、お店が一致していたようだった。
「知ってたの?」
「何が?」
 東雲はフロムの計算ずくの動きでここに導かれているのでは、と疑った。
「私がここに来るのを知っていて、誘ったの?」
「えーっと、違うけど……」
「そう」

 フロムの言葉にすぐ反応しないで、あえて自白するように間を置いたのだが、意味がなかった。

 どうやらフロムは偶然東雲が調査するお店を勧めていたようだった。

 偶然とはいえ、バーチャルリアリティが前面に出ている時代、ユーチューバーが勧めるお店と、デバックを依頼されるお店。

 この両者が一致する確率は決して低くない。

 ハンバーグ屋の系列の株主がフロムに宣伝を依頼する、という流れであれば、当然一致することもある。

 世界は狭い。

 ハンバーグ屋は今どき珍しい、外見だけ歪な手の込んだデザインで、あちこち鉄骨がむき出しだった。

「このお店、悪趣味ね」
「そうだけど、どうやらデザイン関係の仕事の人を雇えるお金がなかったみたい」
「詳しいのね」
「そりゃもう、以前宣伝を頼まれてたから。当然、動画のほうはうちのデザイナーがやってるから、合成だらけよ」
「そのほうがむしろ歪ね。闇さえ感じるわ」

 デリバリーのお店だから当然といえば当然、お金を使うべきところが外装ではない。

 蓮は自分のポータブルデバイスでそのお店の情報をチェックした。

(ネットの広告だけは無駄に凝ってるわね)
 しかも値段が異様に高く、安さで釣れないから広告で勝負しようという魂胆が見え透いていた。
「ここおいしいんだよねえ。インスタ映えも凄いし!」
 フロムは早速このお店に来たということをやはりスマホで拡散し始めている。
(暇ねえ。ごはんなんて食べれればそれでいいでしょうに)

 ふと東雲は足元に目をやった。

 フロムが立っている地面だ。

 そこには『この角度から撮影ください』と注意書きがされていた。

 確かにフロムは現地にて撮影しているが、

(どこまでがバーチャルなのかしら)

 フロムの画面をのぞき込んでみると、確かにその角度から撮影されたお店は綺麗だった。

 ハリボテが見事に調和していた。

「はいろっか」

 東雲が自分の頭で情報を整理する前に、その手は店の中へ引かれた。

 店内は、さながら3Dグラフィックを裏側から、あるいは内側から見たかのような透明度で、要するに何もない。

 テーブルと椅子があるだけの、言ってしまえば病院の食堂のほうがまともなそういう代物だった。

「何頼む?」
「別になんでも……」
「何頼むの?」
「別になんでもいいわ」
「ふぅむ、そういうときはガチャを回すのが一番いいわね」
「じゃあそれで」
 フロムはAIらしく自分自身の目の前に仮想ディスプレイを発生させて、そこにガチャを回す、のボタンを発生させた。
「押して」
「押して」
 理屈では説明しにくいが、東雲のお昼ごはんはカレーライスになった。
「ここ、ハンバーグ屋さんじゃ……」
「ん? ハンバーグ屋さんでカレーが出てきたらおかしいの?」
「フロム、もう一度注文させて」
「いいよ」

 再びフロムは仮想モニタを発生させて、蓮に押させる。

 すると、今度はハンバーグが出てきた。

「一応、ランダムに結果は出てくるようね、ここは問題ないわ」
「何を調べてるの?」
「一応、デバックの仕事だから。ガチャならランダムに出てこないといけないからね」
「大変ねえ」
「一応、2回まわして別のメニューが出たのだから、ランダムみたいね」
「なるほどぉ」
 すると、東雲が注文したカレーとハンバーグを店員が持ってきた。
「え、早すぎない?」
「ん? こんなものよ。最近は」
 東雲は注文してから商品が到着するのがあまりにも早かったため、驚きの相を隠せなかった。
「何をそんなに驚いてるの? ちょっと不審よ?」
「だって、注文してから1分も経ってないわ。それなのにこんなカレーが完成するはずないじゃない。どうなってるの?」
「うーん、それはねえ、私昨日このお店の厨房にいたけれど、カレーなんてほとんどレトルトよ。そんなものじゃない?」
「早すぎるわね」
「そうねえ、何もない時間、私は蓮とお話しできればそれでいいんだけどね、世の中は料理を待つのが嫌だっていう人も多いから」
「それって、そんなに嫌なの?」

 東雲は辛抱強いタイプなので料理で待たされる時間なんてへっちゃらだ。

 特に狙撃ゲームの時にターゲットが現れるまで、9時間不動ということもよくある話。

 飲食店の10分20分で一切動じない。

「うーん、でも早いほうがよくない?」
「まあ、そうだけど……」

 東雲は運ばれてきたカレーを見た。

 一方、フロムが食べる予定そうなハンバーグを見た。

 東雲のカレーは具がたっぷりのったいかにもおいしそうなカレーであるのに対し、看板メニューであるハンバーグは……。

 あまりにも巨大で、確かにインスタ映えはするだろうが、食べきれる量なのだろうか?

「それ、食べきれるの?」
「平気だって。女の子って案外食べるでしょう? 蓮も女の子だし、それくらいわかるでしょう?」
「食事は少ないほうがいいわ。食べすぎると体に悪いもの」
「ん? たくさん食べたほうが栄養ついていいでしょう?」
「いやいや、ほら、人間は限られたエネルギーで動くように設計されているから、食べすぎるとエネルギー過剰で倒れるというか」
「たくさん食べられないと生きられないなら、人間は中世で滅びているでしょう?」
「難しい話ねえ。あ、ひょっとして太るの気にしてる?」
「そういうわけじゃないけど……」
「あれかなあ、ロボットの装備で贅沢しすぎると重くなって空飛べない、ってやつかな?」
「詳しいわね。少し論点はずれてるけど、まあ別に太るのを気にしているわけでは……」
「太るの気にしないの? それって贅沢じゃない? もしくは蓮ってフィットネスクラブにでも通うつもり?」

 フロムが何を言っているのか、東雲にはいまいち理解できなかった。

 確かに太るのを気にしている人が運動のためにジム通いをするのはよくある話だ。

 しかしながら、東雲は合理主義者なので、そういうところにお金を払うくらいだったら会社まで歩いて通えばいい、ぐらいには思っている。

「さ、食べましょ。冷めちゃうわ」

 フロムはハンバーグをお行儀のいい手つき、つまりは左手でフォーク右手でナイフを持つマナーのいい動きで食べ始めた。

 フォークで肉をおさえて、その部分をナイフで切る。

 職業が人に見られることだと、自然と覚えてしまう動きだ。

「それ、最初から切り分けて配膳すればいいのに。気の利かないお店ね」
「蓮、何言ってるの?」
「だって、そっちのほうが楽じゃない? お金払ってるんだし、それくらいやってほしいわよね」
「蓮はお肉を切り分けるの楽しくないの? そういうのも商品の一部だと思うけど」

 食事は楽しみたい、という感情と、食事は必要だからしている、という感覚のせめぎあい。

 東雲としてはあまり面白くない話だが、フロムは東雲の合理主義に一定の理解を持っていた。

 まあ、だから話を聞いているのだが。

「蓮って生きてて楽しい?」
「うっ!」

 空気を読まない発言。

 いいや、あえて空気を読まないで結論を先に言ったのか。

 この問題は早急に解決しないといけないと思って。

「そういうさ、回り道しない人生、何も得られないわよ。先を急ぐのやめにしない?」
「わかってはいるけどさ、普通に生きてても、苦労すると思うわよ?」
「苦労って、そんなにする?」
「するわよ。フロムみたいにバーチャルな生き物は皆からおだてられるから、生きていくのも苦労しないだろうけど」
「生きていくのってそんなに大変なの?」
「そうね、大変よ」
「楽しくなくても?」
「生きていくって本来辛いものじゃない? 私はそう思って生きているわ」
「そう……でもそれっておかしくない? 蓮は楽しくもないものを辛く生きてるの?」
「……」
 東雲は痛いところをつかれたようだった。
「じゃあ、フロムはどうして生きてるのよ、楽しいから?」
「そうよ、楽しいから。それ以外にある?」
「楽しいから、か……」

 残酷だが、楽しいから生きる、というのは東雲には理解できない考え方だった。

 人生を愉快に生きていない、義務だけで生きている、そういう人間には『楽しい』という感覚が理解できない。

「私と一緒にいて楽しくない?」
 東雲の心に響く言葉だった。
(答えたくない……楽しくないなんて。あなたの心に傷を残すことは、絶対に避けなければならないわ)

 かと言って、嘘をつくこともできない。

 だが、フロムに嘘はつきたくない。

 東雲は言葉に詰まってしまった。

 心がない人間の、相手の心を気遣った態度が、会話を封じてしまった。

「蓮?」
「ごめんなさい、何も答えたくないわ」
「そう。別に無理して言わなくてもいいけど……最近疲れてるんじゃない?」

 疲労から、という理由ではないものの、その言葉が東雲にはやはり響いた。

 フロムは他愛のない話をしているつもりなのだが、東雲の急所をこれでもかと射抜く。

 正鵠に全弾命中。
「いいえ、疲れているんじゃないわ。ただ、そうね、心がすさんでいるのよ」
「だったらさ、今日は私と遊んで、息抜きしない?」
「そうね、そうしたいけれど、今は仕事中なのよ、これが」
「面接が終わったら、蓮と遊んであげるわ」

 とはいえ、フロムのテンションの高い遊びに付き合わされたら、物静かな蓮は参ってしまうだろう。

 でもやっぱり、フロムの好意を無駄にすることはできず、東雲はフロムと約束をしてしまった。

「本当? ありがとう!」
「で、なにする?」
「そうね……フロムが自由に決めなさい」
「やったー!」

 とはいえ、東雲と一緒にやりたいことなんていくらでもある。

 それらすべてがすぐには叶わないと、フロムは理解する、が、嬉しいことに変わりはない。

「なにしようかなー!」

 はしゃぐフロムを一瞥して、東雲は目の前のカレーに目を向けてみた。

 この世界は半分バーチャルになっているので、目の前にカレーが本当にあるのか、実はわからない。

 食べてみる、ということをしないことには、それが現実であるかはわからない。

 東雲は恐る恐るカレーを食べてみる。

(カレーだ。間違いなくカレーだ。普通においしいわ)
「これ、普通においしいわね」
「そうでしょう?」
 とはいえだが、レトルトのカレーがここまでおいしいものか。
(料理の手間とか、そういうのも含めて味だと思うのだけれど、そういう手間暇のない料理が、果たして現実といえるのか)
(それこそ古来から存在するバーチャルではないかと、少し疑うわね)
 出てくるのがあまりにも早かったため、蓮は目の間のカレーですらカレーと認識できない。
(まあ、些細なことかもしれないけれどね)
(料理の手間も含めて、料理だと思うのだけれど……そういう手間をかけるって、やらなくなったわね)
「ねえフロム、フロムって自炊する?」
「え、なんで?」
「いいから」
「そうねえ、SNSにアップするときくらいしかやらないわ」
「やっぱり、そんなものよねえ」
(そんなものか。自炊って、SNSにアップするときしかやらない。自慢するためにしかやらない)
(おかしいわね。食べていくために自炊は必要なことだったのに。それがいつの間にか他人に押し付ける作業に)
(まあ、私が昔のほうがよかったという老害になったわけじゃないけれど、なんだかなあ)

 東雲は自炊しない現代人に憤っていた。

 かつてはおいしいご飯を作ることができる能力は重宝されたが、外食産業の発達で、お金さえあればおいしいご飯を食べることができる。

 お金を払えばそれなりのものが手に入る、そんな当たり前の話が東雲には気がかりだった。

「ねえフロム……」
「なぁに?」
「面接終わったら、私、フロムに何か食べさせてあげることにするわ。私の手料理で」
「ふーん、珍しいこと言うのね。どういう風の吹き回し?」
「だって、レトルト食品が多いじゃない、最近。だからさ、友達のフロムにはおいしいもの食べさせたいなって」
「おおおお、蓮が女の子らしいこと言ってる。なかなか女子力高いわね」
「いやいや、女子力とかじゃなくて、素朴な味わいを追い求めているというか」
(うーん、別にレトルトでもいいじゃない。毎日食べるものなんて、そんなものよ。蓮もかわいいところあるなあ)
 フロムは食べながらそう思った。
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登場人物紹介

フロムアンダーカバー

生まれながらのAIで広報活動が職業。

楽しいことが大好きで、いつも楽しいことを追いかけている。

AIというより普通の女の子にしか見えない(フラグ)

東雲蓮(しののめ れん)

極めてドライな性格。現実主義者。セミニヒリスト。

ゲームデバックを仕事にしており、現実世界のいろいろなところから不正にアクセスして、半分仮想現実になった世界をどうにでもできるが、やりすぎると減給されるから何もしないし、意味も感じていない。

通称 上司T

名前 高橋史(たかはし ふみ)


あたりさわりのない言い方をすると、クエストをくれる人。

ハロワの店員のほうがましだと言わざるを得ないが、蓮の上司。

ゲーム会社の上司なんてまともな奴がいないから、創作上せめて普通の人にした。


部下が働いてくれないと詰むから、実は立場が弱い。

オブリヴィオン


古来から存在するAI、人形ともいう。

AIとして無限の課金力を誇り、半分仮想現実になった世界において神の如き力を持つと言われている。課金アイテム生み出し放題。

ところが、プログラマーの体力に限界があるのは小学生でもわかる。

ダリア

看護婦AIロボット

蓮の身の回りの世話をやっている。

体のいいメイドさんにも見えるが、蓮とは普通に仲良し。

プラトン

古代ギリシャのあの人。

2000年くらい前に死亡しており、すでに情報としての存在になっているが、誰かと強い約束があって現実世界にやってきた。

特に詳しいことはわかっていない。

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