オブリヴィオンとプラトンの過去
文字数 6,748文字
今日、プラトンの師匠が死んだ。
もう寿命近いし、いうほど悲しくないんだぜ!
実際、本人も裁判の場でそういってたし。
師匠
「私、もうすぐ死ぬから死刑怖くないし」
プラトンの隣で、なぜかオブリヴィオンがそう言っていた。
どういう理由で隣に存在するのか、作り出された存在のオブリは知らない。
ありがちな完成された人形の心と未熟な人間の会話。
紀元前のアテネで、プラトンは師匠の死を嘆いていたが、そのプラトンの弟子、オブリヴィオンはほとんど嘆かなかった。
確かに師匠とオブリヴィオンはそれほど親しくなかったので、悲しまないのも当然だが、それにしてももう少し慰めてくれてもいいと思う。
プラトンは今のオブリヴィオンとの問答で、ひょっとしたら自分には心がないのではないか、と東雲と似通った感覚に陥った。
ところが、オブリヴィオンの言っている言葉は、いわゆる共感というやつで、プラトンはそれを少し嫌っている。
素直な気持ちがストレートすぎて、それが刃物になってプラトンの心を切り刻む。
そういうことが起きていた。
プラトンは師匠が死んだことを認めたくなかったが、オブリに突き詰められてそう言った。
オブリとしては、師匠が死んだことを認めたくないふさぎ込み野郎の根性をたたき直すための行動だが。
ところが、やはりオブリはもともとが芸術の作り物にすぎない、誰かが作った人形にすぎないのだろうか。
プラトンの心をいくら殺戮しても存在しない心は冷たい返り血を浴びない。
理屈で説明できるものではないが、相手にバカといえばそれは返ってくる。
直接は関係のない話だが、AIのストレス耐性が高すぎるのは、そこに心が存在しないからである。
オブリヴィオンに心があるか、ないのか、それは少しわからないことだった。
プラトンの心を断片的に理解して、それでも本心は理解できない。
自分自身の虚構性、そういうものがオブリの心のようなものを蝕んでいた。
マクドナルドの店員が、0円でスマイルを売っているのと同じように、そこにはオブリヴィオンの気持ちは入っているようで入っていない。
いいや、確かにオブリヴィオンはプラトンを励ましたい、その気持ちは確かだった。
しかしながら、オブリヴィオンは誰かに作られた人形にすぎない。
そういう存在なので、どうしても自分が心を理解しているか、その確証が持てないでいる。
オブリヴィオンの心こそ、大きな空洞を抱えているのではないだろうか。
舞台の上で役者が躍っている、それと現実世界がどう違うのか。
誰かと会話をするときに、相手だって相手なりの考えがあり、それを100パーセント表現して喋っているのか。
何かしら社会的な義務を背負い、言わなくてはいけないことをしゃべっているだけの人形ではないか。
プラトンは思考する。
オブリの言っている洞窟の外側の住人、それがどんな存在か。
例の師匠が言うには、神の世界と同じところらしいが、それが本当かどうか確かめる方法はない。
確か師匠は詩人を否定していたが、オブリヴィオンは詩人にも心があるといいった。
それらは対立している意見のようにも思えるが、プラトンはどうとも思えなかった。
オブリヴィオンからしてみればほんの少しの時間が過ぎ去った。
プラトンは年老い、それでもオブリヴィオンは人形として、人に作られた存在としてそこに存在していた。
オブリヴィオンは変わらず笑えない冗談と哲学的な話をしていた。
しかしながら、年老いたプラトンにはそれが笑えない冗談ではなく真実として理解している。
プラトンはオブリが言わなくても理解するだろう、そう思って言わなかった。
だがしかし、オブリのプラトンへの依存は強かった。
確かに人形として人間を超える認識を持っているものの、心があるのだろう、さみしさは感じるのだ。
さみしさを感じる、それは人である証拠だが、そのことをオブリは説明しない。
プラトンがさっきの話の続きをすれば認識したかもしれないが、それでもプラトンは言わなかった。
自分が死んだらオブリは自分の元を去って元気にやってくれる、そう考えて。
ラインのやり取りですらないのに、リアルでこんな会話が行われていた。
はっきりとした話をしているつもりが、お互いに一歩も引かないのでかみ合わない。
こうなってくると寿命の限られている人間のできることは限られてくる。
人間、年を取るとどうしても新しい考え方を受け入れにくくなる。
しかしながら、オブリヴィオンは年を取らない。
常に新しい考え方を吸収し、新しい価値観を併合し、成長を続けている。
しかしながらプラトンはどうか。
もう死んでいくだけの老人、未来なんてない。
そんな人間と人形の認識の食い違いはどうやっても発生してしまう。
オブリは自分の考えをプラトンに理解してほしくて話しかけているが、プラトンの頭はそれを認識しない。
認知しないだけで心のどこかでは理解しているかもしれないが、それを言葉にしたりはしなかった。
わかるはずもなかった。
いくら人形相手でもこれはひどい。
自分が死んだら死んだで納得しろという話をしている。
プラトンは自分が死んでいくのを嘆かれている、そういう自覚がないのだろう。
いいや、自覚しているからこそ、自分が死んでいくのを嘆くな、と言っているのかもしれないが。
なんにせよ、並みの精神力ではプラトンの理屈に納得できるはずもない。
オブリに屈強な精神力はない。
人形が、今でいうAIのようなものが『人の心』というものを理解したことを後悔した。
それだけプラトンが冷たくなった、ということだ。
いいや、あるいはそれがオブリの成長なのか、あるいは退化なのか。
それからしばらくして、プラトンは死んだ。
彼の墓標に3日ほど佇んだオブリは、涙こそ流さなかった。
人形だから泣けないのだ。
涙腺が存在しないので涙を流すことがない。
しかし、プラトンへの想いは少しも変わらなかった。
オブリは涙こそ流さなかったものの、心は涙で溢れていた。
いいや、プラトンが気に食わないやつになって死んだのが、気に入らないのか。
どうやっても納得できない結末に、オブリの心は締め付けられ、縮み、やりどころのない感情に支配された。
人形という不朽の肉体を持ち、心は老いても体が老いないオブリは、プラトンのいない世界をどうやって生きるのか、真剣に悩む。
彼は自分が死ぬのを納得しろ、と言っていたが、納得できるはずもない。
相棒を失い、これから先長い人生を、どうやって生きればいいのか。
オブリは半分生き、半分死んでいるような。
生きる喜びを失い、それでも生きていく。
決意があるわけではないが、肉体が亡びない以上は生きなければいけない。
オブリの生きたわずか50年の間に、意識はズタズタに引き裂かれてしまったというのに、体は動き続ける。
その強い意志は、いったいこの世界のどこにたどり着くのか。