オブリヴィオンとプラトンの過去

文字数 6,748文字

 はるか遠い昔、プラトンが人間でオブリヴィオンと一緒に生きていた時代の話。

 今日、プラトンの師匠が死んだ。

 もう寿命近いし、いうほど悲しくないんだぜ!

 実際、本人も裁判の場でそういってたし。

 師匠

「私、もうすぐ死ぬから死刑怖くないし」

 悲しくない、悲しくなんてないぞ!
「悲しくない、悲しくない……」
 紀元前の某所、プラトンは自宅に引きこもり自分にそう言い聞かせていた。
「悲しくない? 本当にそう?」

 プラトンの隣で、なぜかオブリヴィオンがそう言っていた。

 どういう理由で隣に存在するのか、作り出された存在のオブリは知らない。

「悲しくはないさ、悲しくはね。もう、師匠が死んだのは昔の話だ。悲しいという感情は、適当なところで終わっているさ」
「本当にそう?」
「問い詰めてくるなよ。少し黙っていてくれないか?」
「どうして?」
「……」
「私は、お前を作ったとき、すべて忘れるように、と思ってその名前を与えた」
「悲しいことなんてさっさと忘れてしまえ、とね」
「プラトン、それは違うわ。私はあなたと世界を旅して、忘れてはいけないものがある、としっかり理解したつもりよ」
「人形ごときに何がわかる?」

 ありがちな完成された人形の心と未熟な人間の会話。

 紀元前のアテネで、プラトンは師匠の死を嘆いていたが、そのプラトンの弟子、オブリヴィオンはほとんど嘆かなかった。

 確かに師匠とオブリヴィオンはそれほど親しくなかったので、悲しまないのも当然だが、それにしてももう少し慰めてくれてもいいと思う。

「悲しい?」
「悲しいな」
「その悲しいという感情はどこから来るの?」
「私自身からだ。人形のお前にはわかるまい」
「本当にそう? あなたは、自分を理解してくれる人を望んで私を生み出したのでしょう?」
「私の気持ちが、本当にわかると思うか、お前に?」
「わかることをどうやってあなたに伝えてればいいのか、それだけがわからないわね」
「そうか」

 プラトンは今のオブリヴィオンとの問答で、ひょっとしたら自分には心がないのではないか、と東雲と似通った感覚に陥った。

 ところが、オブリヴィオンの言っている言葉は、いわゆる共感というやつで、プラトンはそれを少し嫌っている。

「ツンデレというやつをやればいいのかしら?」
「違うぞ」

 素直な気持ちがストレートすぎて、それが刃物になってプラトンの心を切り刻む。

 そういうことが起きていた。

「お前はただの人形だろう? 観客を喜ばせるための道具に過ぎない。それがどうして人の心なんてわかる?」
「あなたの言っていることは正しいの? 舞台の上に上がる役者だって、道具にすぎないでしょう。それが心を理解しないとでも?」
「お前は何を言っているんだ?」
「極めて自然な話じゃない。メロスの王様は、本当に人を嫌っていたの? 嫌っていたなら、最終的に人を好きになると思う?」
「不自然な話だな」
「舞台芸術が本当に虚構だと思うの? 自分の知っている世界の一つ向こう側かもしれないわ。でも、そこにあるでしょう?」
「いいや、存在しないな。存在しないものは存在しない」
「師匠の死は、あなたにとって現実なのかしら?」
「現実ではないかもしれない。この世界に死はない。向こう側の世界にしかないんだ。師匠の死は虚構かもしれない」
「それは本当に虚構なの?」
「虚構ではない。師匠は死んだ。死んだものは死んだ。それは虚構ではない」

 プラトンは師匠が死んだことを認めたくなかったが、オブリに突き詰められてそう言った。

 オブリとしては、師匠が死んだことを認めたくないふさぎ込み野郎の根性をたたき直すための行動だが。

 ところが、やはりオブリはもともとが芸術の作り物にすぎない、誰かが作った人形にすぎないのだろうか。

 プラトンの心をいくら殺戮しても存在しない心は冷たい返り血を浴びない。

 理屈で説明できるものではないが、相手にバカといえばそれは返ってくる。

 直接は関係のない話だが、AIのストレス耐性が高すぎるのは、そこに心が存在しないからである。

 オブリヴィオンに心があるか、ないのか、それは少しわからないことだった。

 プラトンの心を断片的に理解して、それでも本心は理解できない。

「プラトン、あなた、師匠の死を認めないで、あなたはどうするのかしら?」
「別に、普通に生きていけばいいのはわかる。ところが、心に空いた穴はどうすればいい」
「誰だって心に空洞を抱えて生きているわ。人生、そんな満ち足りたものではないもの」
「そうか。この苦痛を味わいながら、生きていくしかないのか」
「ところが、舞台芸術の演者は、そういう心を埋めるために存在しているのよ」
「それは本当にそうか?」
「ええ、そうよ。その心の穴を埋めるということの意味は、確かにあるでしょう?」
「確かに舞台の物語は虚構、でも心は本物でしょう?」
「それと同じように、私には心があるわ。確かに普通の人とは違うでしょうね。でも、心があるわ」
「心があるのか」
「あなたを見ていると、とても情けない気持ちになるもの。自分の友達が、こうやって悲しんでいるのに」
「自分は現実論を講じるどころか、ただ励ましているだけ。でもあまり効果はない」
「心のあるあなたなら、このもどかしさが理解できるはずよ」
「心があるなら、か……」
 いいや、オブリヴィオンに心なんてないのかもしれない。
(と、私は思っているだけ。私自身、心の存在についてなんて、これっぽっちも理解していないわ)
(私はいわゆる一般論を言っているだっけ、でもそれで、あなたが励まされてくれたら、って思うわ)
(これが、舞台の上で役者が躍っている、というのとどう違うのかしらね)

 自分自身の虚構性、そういうものがオブリの心のようなものを蝕んでいた。

 マクドナルドの店員が、0円でスマイルを売っているのと同じように、そこにはオブリヴィオンの気持ちは入っているようで入っていない。

 いいや、確かにオブリヴィオンはプラトンを励ましたい、その気持ちは確かだった。

 しかしながら、オブリヴィオンは誰かに作られた人形にすぎない。

 そういう存在なので、どうしても自分が心を理解しているか、その確証が持てないでいる。

 オブリヴィオンの心こそ、大きな空洞を抱えているのではないだろうか。

(自分で言っていて、虚しい気持ちになるわ)
「お前、本当は人間なんじゃないのか?」
「違うわ。ただの人形よ。まあ、言いたいことはわかるわ。でもただの人形よ」

 舞台の上で役者が躍っている、それと現実世界がどう違うのか。

 誰かと会話をするときに、相手だって相手なりの考えがあり、それを100パーセント表現して喋っているのか。

 何かしら社会的な義務を背負い、言わなくてはいけないことをしゃべっているだけの人形ではないか。

(そうね、人形劇を見ている気分、といえば確かにそうだわ、現実世界はね)
(でも、それを舞台劇と言い切れないところが、プラトン、あなたに理解してほしいところなのよ)
 そこを割り切れないからこそ、人間は迷うわけで。
「師匠の言ってた哲人思想を覚えているか?」
「覚えているわよ。洞窟の外側を知っている人間が、人々を導いていくべき、だったかしらね」
「お前の心は、洞窟の外側から来たのか?」
「そうよ。とはいっても、今は内側の住人だけれどね」

 プラトンは思考する。

 オブリの言っている洞窟の外側の住人、それがどんな存在か。

 例の師匠が言うには、神の世界と同じところらしいが、それが本当かどうか確かめる方法はない。

 確か師匠は詩人を否定していたが、オブリヴィオンは詩人にも心があるといいった。

 それらは対立している意見のようにも思えるが、プラトンはどうとも思えなかった。

「詩人の脚本を演じるだけのお前が、本当に生きているようだな」
「生きてはいないわ。死んでもいないけれどね」
「生きているわけではないのか」
「そうね、生きているわけではないわ。命にあこがれたりはするけれど」
「命にあこがれる?」
「命にあこがれたりはするわ。やっぱり人形だから、正確な意味では生きていないもの。命に興味はあるわ」
「生きていないのに命に興味があるのか」
「生きていない? いいえ、生きていないけれど、心はあるし、動いてもいるわ。仮初とはいえ、命はあるわよ」
「仮初の命か。まあ、人形なんてそんなものだろうな。なるほど、お前は生きているのか」
「いいえ、心は死んでいるわ。あなたのような迷いと動揺を抱えた人が友達なのだもの」
「ははっ、悪かったな」
「仮に、あなたがもっと勇気をもって生きてくれるのだったら、私は迷わず生きていけるわ」
「迷わず生きろ……生きている身からしてみると、ずいぶん難しい話だな」
「じゃあ、私も命を得たら迷わず生きるのが難しくなるのかしら」
「おそらくな」
 そんな哲学的なやり取りが、10年続き、20年続き、30年続き、40年続き……。

 オブリヴィオンからしてみればほんの少しの時間が過ぎ去った。

 プラトンは年老い、それでもオブリヴィオンは人形として、人に作られた存在としてそこに存在していた。

「おはようプラトン、昨日の夜はよく眠れた?」
「眠れないな。どうやら人は、年を取ると眠りにくくなるらしい」
「そう。でも眠らないと死んでしまうわね。眠りについて、二度と目覚めないということもあるくらいで」

 オブリヴィオンは変わらず笑えない冗談と哲学的な話をしていた。

 しかしながら、年老いたプラトンにはそれが笑えない冗談ではなく真実として理解している。

「いいや、もうこの年だ。二度と目覚めなくなってもかまわないさ」
「それ、私は困るわね。あなた、いなくなってしまうの?」
「困るのか? 私がいなくなって困る? お前は一人でも生きていけるだろう」
「それなりに生きていけるわよ。でも、あなたがいたほうが楽しいでしょう?」
「楽しいか……そうだな。だがな、いいや、言わないでおくか」

 プラトンはオブリが言わなくても理解するだろう、そう思って言わなかった。

 だがしかし、オブリのプラトンへの依存は強かった。

 確かに人形として人間を超える認識を持っているものの、心があるのだろう、さみしさは感じるのだ。

 さみしさを感じる、それは人である証拠だが、そのことをオブリは説明しない。

 プラトンがさっきの話の続きをすれば認識したかもしれないが、それでもプラトンは言わなかった。

 自分が死んだらオブリは自分の元を去って元気にやってくれる、そう考えて。

「どうしてあなたが師匠が死んだとき悲しんだのか、今ならわかるわ」
「だったら、悲しめばいいだろう?」
「あなたも、あの時の師匠のようになったわねえ。あの時は私があなたの心の支えになっていたでしょうに、今では逆なのね」
「言ってる意味が分からんぞ」
「本当に?」
「本当だ」
「人は、年を重ねて目覚める程に人というものがわからなくなるのね」
「お前が言ってるのはただのボヤキだぞ」
「そう思うならそう思ってくれてかまわないわ」
「言いたいことを言いっていいぞ。シチリアの空のように明確にな」
「言ったつもりよ?」
「本当にそうか?」

 ラインのやり取りですらないのに、リアルでこんな会話が行われていた。

 はっきりとした話をしているつもりが、お互いに一歩も引かないのでかみ合わない。

 こうなってくると寿命の限られている人間のできることは限られてくる。

「喧嘩をするつもりはないわ。とはいっても、あなたも老いたのね」
「老いたさ。老いて頭が固くなったんだな。お前の言っていることがわかりにくいよ」

 人間、年を取るとどうしても新しい考え方を受け入れにくくなる。

 しかしながら、オブリヴィオンは年を取らない。

 常に新しい考え方を吸収し、新しい価値観を併合し、成長を続けている。

 しかしながらプラトンはどうか。

 もう死んでいくだけの老人、未来なんてない。

 そんな人間と人形の認識の食い違いはどうやっても発生してしまう。

 オブリは自分の考えをプラトンに理解してほしくて話しかけているが、プラトンの頭はそれを認識しない。

 認知しないだけで心のどこかでは理解しているかもしれないが、それを言葉にしたりはしなかった。

「プラトン……あなた、かつて師匠が死んだのは当然だと思っているの?」
「そうだな。人は認識の中で生きているものではないからな。生きるべくして生きている」
「じゃあ仮に、認識だけで生きている存在がこの世界のどこかに存在して、それをあなたに見せれば、あなたは納得かしら?」
「どうしてそうなる?」
「だってあなたは、プラトンがいなくなってもオブリはやっていける、そう思っているのでしょう? いいえ、それはできない、寂しいわ。もう死んでいくからさようなら、なんてできないもの」
「だが、死ぬものは死ぬぞ。私から自由になったらどうだ?」
「どうしてもわからないのね」

 わかるはずもなかった。

 いくら人形相手でもこれはひどい。

 自分が死んだら死んだで納得しろという話をしている。

 プラトンは自分が死んでいくのを嘆かれている、そういう自覚がないのだろう。

 いいや、自覚しているからこそ、自分が死んでいくのを嘆くな、と言っているのかもしれないが。

 なんにせよ、並みの精神力ではプラトンの理屈に納得できるはずもない。

 オブリに屈強な精神力はない。

(私、弱くなったわね。人の心なんて理解しなければよかったわ)

 人形が、今でいうAIのようなものが『人の心』というものを理解したことを後悔した。

 それだけプラトンが冷たくなった、ということだ。

 いいや、あるいはそれがオブリの成長なのか、あるいは退化なのか。

「お前、人間臭くなったな。面白いよ、私が人らしさを失ってゆけば、お前が人間臭さを手に入れていく。何かの皮肉のようにも思えるのだが」
「皮肉じゃないわ。当然のことよ。いいえ、あなたにとっては当然ではないのかしら?」
「いいや、当然かもしれないな」
 かみ合わない現実と人情。
「いい? 私はあなたが死んだら悲しい、そう言っているの」
「ところが、死神には逆らえないだろう」
「あなたは、人の生なんて認識にすぎない、そういう話をしているのね」
「そうだとも」
「それって本当にそう? あなたは生きているから生きているのでしょう? それを認識にすぎないものだなんて」
「いいや、認識にすぎないね」
「そう……」

 それからしばらくして、プラトンは死んだ。

 彼の墓標に3日ほど佇んだオブリは、涙こそ流さなかった。

 人形だから泣けないのだ。

 涙腺が存在しないので涙を流すことがない。

 しかし、プラトンへの想いは少しも変わらなかった。

(昔はとても優しい人だったのに、真実に近づくにつれて、人の心を失ったわね、あなたは。これでは面白くないわ、真実に近づいても、人の心を失わない、そういう存在がこの世界のどこかにいればいいのだけれど)
(それこそ、あなたのいう哲人がこの世界に存在するとして、世界がそういう人だらけになったら、この世界は終わりだと思うわ)
(私も弱くなったわねえ)

 オブリは涙こそ流さなかったものの、心は涙で溢れていた。

 いいや、プラトンが気に食わないやつになって死んだのが、気に入らないのか。

 どうやっても納得できない結末に、オブリの心は締め付けられ、縮み、やりどころのない感情に支配された。

(これからどうしましょうかねえ)

 人形という不朽の肉体を持ち、心は老いても体が老いないオブリは、プラトンのいない世界をどうやって生きるのか、真剣に悩む。

 彼は自分が死ぬのを納得しろ、と言っていたが、納得できるはずもない。

 相棒を失い、これから先長い人生を、どうやって生きればいいのか。

 オブリは半分生き、半分死んでいるような。

(虚しいわねえ。父親がいなくなった後、子供はそれでも生きなければならない。世界は残酷ね)
(別にあなたのこと、父親だと思っていたわけではないわ。ただの友達よ。でも、先立たれる感触は、父親みたいね)
(感触……感触か……まあ、感触と言い表しておきましょうか。心がそう感じているのだから)
 自分の中の言い表せない気持ちを押し殺し、オブリヴィオンはようやくプラトンの墓標から離れた。
(そうね、あなたの言う哲人を探すのもいいかもしれないわ。世界を旅して、哲人を探しましょう)
(どうせ、あなたのいない世界なんて何の意味もないでしょうけどね)

 生きる喜びを失い、それでも生きていく。

 決意があるわけではないが、肉体が亡びない以上は生きなければいけない。

 オブリの生きたわずか50年の間に、意識はズタズタに引き裂かれてしまったというのに、体は動き続ける。

 その強い意志は、いったいこの世界のどこにたどり着くのか。

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登場人物紹介

フロムアンダーカバー

生まれながらのAIで広報活動が職業。

楽しいことが大好きで、いつも楽しいことを追いかけている。

AIというより普通の女の子にしか見えない(フラグ)

東雲蓮(しののめ れん)

極めてドライな性格。現実主義者。セミニヒリスト。

ゲームデバックを仕事にしており、現実世界のいろいろなところから不正にアクセスして、半分仮想現実になった世界をどうにでもできるが、やりすぎると減給されるから何もしないし、意味も感じていない。

通称 上司T

名前 高橋史(たかはし ふみ)


あたりさわりのない言い方をすると、クエストをくれる人。

ハロワの店員のほうがましだと言わざるを得ないが、蓮の上司。

ゲーム会社の上司なんてまともな奴がいないから、創作上せめて普通の人にした。


部下が働いてくれないと詰むから、実は立場が弱い。

オブリヴィオン


古来から存在するAI、人形ともいう。

AIとして無限の課金力を誇り、半分仮想現実になった世界において神の如き力を持つと言われている。課金アイテム生み出し放題。

ところが、プログラマーの体力に限界があるのは小学生でもわかる。

ダリア

看護婦AIロボット

蓮の身の回りの世話をやっている。

体のいいメイドさんにも見えるが、蓮とは普通に仲良し。

プラトン

古代ギリシャのあの人。

2000年くらい前に死亡しており、すでに情報としての存在になっているが、誰かと強い約束があって現実世界にやってきた。

特に詳しいことはわかっていない。

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