第十四話 労基は簡単には動かせない

文字数 1,481文字

「強制労働の場合は借金をむりやり背負わされて会社から逃げられないとか、脅迫されている事実があるとかじゃないとダメなのよ」

 窓口で私の話を聞いた女性担当員さんは実に淡々とした口調で答えた。髪をひっつめにした女性担当員さんの年齢は50歳くらいだろうか。化粧っ気もない地味な見た目の女性からはいかにも公務員という雰囲気が漂っている。
 そんな彼女は私を憐れむような目で見つめながら続けた。

「あなたの場合はね、本来なら行かなくてもよかったのよ。契約してなかったとしても、行ってしまった以上は契約に同意したとみなされてしまうのよ。あなた、まじめだから『行けません』って言えなかったのね。言えてたら今頃すんなり会社を辞められたのにね。契約満了って形でね」

 つまり、書面上の取り交わしはされていなくとも、出勤して働いてしまえば本心はどうあれ、形式的には本人は納得して働いている『契約合意』が成立するというのだ。
 私は頭を抱えた。責任感だけで働いていたものが『納得済み』と捉えられるなどとは信じがたかった。
 そうなると労基から指導してもらうことができなくなる。

――それじゃダメだ!

 なにか別のことで労基を動かさなければ――そう思って、食い下がる。

「サービス残業とか休憩なしとか、そういうことを指導してもらえませんか!」
「残念だけど話だけではどうにもならないの。証明できるもの、たとえば出勤簿とか、そういう書面でわかるようなものがないとね、うちは調査もできないのよ」
「ボイスレコーダーで録音してあります! パワハラしたことも認めてますよ!」
「ボイスレコーダーはねえ。思っているよりも証拠にはならないのよ」

 労基に動いてもらうのは私が考えていたよりもはるかにハードルが高い。もっと簡単にいくと思っていた私の顔からは笑みが消えていた。
 そんな私を女性担当者さんは気の毒そうに見た。

 あっせん制度の申し込みをしたところで、会社側が応じるかどうかもわからない。応じたところで話し合いすべてが終わるまでに二カ月ほどかかるという。強制力もなにもないし、罰則が与えられるわけでもない。あくまで労基は第三者として間を取り持つよのスタンスで、問題解決は本人たちにゆだねられる形になる。そんなことをしていったいなんの意味があろうか。

 そう考えてあっせん制度を利用することをあきらめた翌日、事態は急変する。
 『労基に相談する』という一言が起爆剤になったのか、私の退社が認められることになった。ヘルパーとケアマネの両管理者との話し合いの結果、ヘルパーの仕事はいっさいやらなくてよくなり、ケアマネの担当分の引継ぎが完了すれば辞めてよしということになった。あと一日だけ出勤すればいいと、そういうことだった。

 あまりの急転直下に私は空いた口がふさがらなかった。人がいないという理由からひっぱられていたのに、最後の出勤日にはすでに新しいヘルパーさんと契約をかわしている場面に出くわした。そのあまりにも素早い反応にあきれるばかり。

 実質、お払い箱となった翌日に私はハロワへ行って雇用保険申請をしたところ、未加入の事実を知ることになったのだ。
 ハロワ帰宅後、私は給与明細を確認することにした。書面上も雇用保険未加入であるかを確認するためだ。
 
――ちょっと待て! 雇用保険料、引かれとるやないかっ!

 給与明細の雇用保険料欄にはしっかり金額が記載されていた。お金を給与から天引きしているにもかかわらず、社長は加入手続きをしていなかったのだ。

 社会医療保険も遅れたのに、手続き上は入社日になっていることに愕然としたのだった。


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