第二十七話 個人情報漏洩してますけど
文字数 1,771文字
あの社長になんとか一泡吹かせられないか――そう思ってギリギリと奥歯を噛む私のもとに、とあるメールが届いたのは、会社を辞めてから二週間後くらいのことだったと思う。
あまりにも突然のことゆえに驚いた。それとともに、あらためてずさんな事務処理をしていることを思い知ったのだった。
そのメールは業務に関わることだった。利用者さんの個人名と訪問にあたっての注意事項が記載されている。
登録されているヘルパーに一斉送信されたものなのはすぐにわかった。
しかし本来なら、辞めた時点で私のメールは抹消されていなければならないはずだ。個人情報保護の点からだけでなく、機密情報の漏洩という点からも問題であることは明白だ。
――これは報告しなければならないな。
会社にではない。行政に、だ。
これまでさんざん煮え湯を飲まされている。私はガッツポーズをして喜んだ。やっと反撃のチャンスをつかんだ。そう思った。
スマホを忘れずにカバンに入れて、私は市役所へ向かった。介護保険課の窓口で今回の件を伝える。
20代後半の女性職員さんは困惑した表情で「ちょっとお待ちください」と言って、奥にいる50代のベテラン女性職員さんに耳打ちした。耳打ちされたほうの職員さんがちらりと私を見たあと、ゆっくりと立ち上がった。
カウンターへやってくると、もう一度詳しく聞きたいと私を促した。
言われるまま、私は説明をした。そしてつけ加えた。
「事業所加算(ある一定の条件を満たしている場合、優良事業所として算定されて上乗せ分を請求できる)をもらっている事業所ですよ? それなのに、こんなずさんでいいものですか?」
すると女性職員さんたちはそろって眉を八の字に下げて小さく笑んだ。
「加算をつけなければやっていけない背景もあるし、どの事業所でもつけているのが現状だから」
苦い面持ちでベテランさんが言う。
介護業界の現状を分かっていれば、それも納得できる話だった。加算を取らない基礎金額では運営はできないのだ。介護報酬は安い。加算条件をどうにかうまくかいくぐって、たくさん設定しないことには儲けなんてないのである。
いや、そもそも福祉業で儲けるってなんなんだと言われるかもしれないが、介護だってビジネスだ。儲けがでなくては働いている人間はボランティア同然で仕事をしなければならない。命を預かる仕事であるにもかかわらず安く叩かれて使われるのは、そもそもの金額設定が低すぎるからでもあるのだ。
「それでもルールはルールです。そのルールを破っているんですよ?」
「しかし一回だけですよね。そうなると会社側のミスで、すぐに訂正してもらえばいいという話にもなります。複数回ならば問題ですけど、ミスをしない人間はいませんし」
「たしかに一回きりです。でも本来はその一回もあってはならないでしょう? そういうところが信用問題に発展すると思うんです。この業界は信用があってこそ成り立っているものと思います。それに労働時間だって問題のある会社です。ブラック企業とわかっていて、なんのお咎めもないんですか?」
食い下がる私に彼女らは顔を見合わせた。それから「ブラックなのは業界全体のことだから」とこぼした。
「私たちも実地指導(都道府県および市町村の担当者が介護サービス事業所へ出向き、適正な事業運営が行われているか確認するもの)のときに勤務簿を提示してもらうようにして確認作業はしているんです。指導もちゃんとしはじめました。社会の流れがそういうふうになってきているからです」
「でも勤務簿なんて、実地指導の日時が伝えられているかぎり、いくらだってごまかせますよ」
「そのとおりなの。わかっているのよ。でもどうやってもすべてをクリーンにすることは無理なの。そういう業界なの」
「私はもうそんなブラックな業界からは足を洗います。やっていられない」
「ケアマネの資格も持っているのにもったいないわ。探せばホワイトなところもあるから、そんなさみしいこと言わないで。ね!」
結局、こういう状況の事業所があるということを事業所の代表が集まる会議のときに伝えるようにしますということで話は終了した。私の訴えは見事なまでに空振りだったのだ。
――行政もやっぱり味方にならない。
これを思い知った私はしばらく失意のどん底に沈むことになった。
【おまけ】
あまりにも突然のことゆえに驚いた。それとともに、あらためてずさんな事務処理をしていることを思い知ったのだった。
そのメールは業務に関わることだった。利用者さんの個人名と訪問にあたっての注意事項が記載されている。
登録されているヘルパーに一斉送信されたものなのはすぐにわかった。
しかし本来なら、辞めた時点で私のメールは抹消されていなければならないはずだ。個人情報保護の点からだけでなく、機密情報の漏洩という点からも問題であることは明白だ。
――これは報告しなければならないな。
会社にではない。行政に、だ。
これまでさんざん煮え湯を飲まされている。私はガッツポーズをして喜んだ。やっと反撃のチャンスをつかんだ。そう思った。
スマホを忘れずにカバンに入れて、私は市役所へ向かった。介護保険課の窓口で今回の件を伝える。
20代後半の女性職員さんは困惑した表情で「ちょっとお待ちください」と言って、奥にいる50代のベテラン女性職員さんに耳打ちした。耳打ちされたほうの職員さんがちらりと私を見たあと、ゆっくりと立ち上がった。
カウンターへやってくると、もう一度詳しく聞きたいと私を促した。
言われるまま、私は説明をした。そしてつけ加えた。
「事業所加算(ある一定の条件を満たしている場合、優良事業所として算定されて上乗せ分を請求できる)をもらっている事業所ですよ? それなのに、こんなずさんでいいものですか?」
すると女性職員さんたちはそろって眉を八の字に下げて小さく笑んだ。
「加算をつけなければやっていけない背景もあるし、どの事業所でもつけているのが現状だから」
苦い面持ちでベテランさんが言う。
介護業界の現状を分かっていれば、それも納得できる話だった。加算を取らない基礎金額では運営はできないのだ。介護報酬は安い。加算条件をどうにかうまくかいくぐって、たくさん設定しないことには儲けなんてないのである。
いや、そもそも福祉業で儲けるってなんなんだと言われるかもしれないが、介護だってビジネスだ。儲けがでなくては働いている人間はボランティア同然で仕事をしなければならない。命を預かる仕事であるにもかかわらず安く叩かれて使われるのは、そもそもの金額設定が低すぎるからでもあるのだ。
「それでもルールはルールです。そのルールを破っているんですよ?」
「しかし一回だけですよね。そうなると会社側のミスで、すぐに訂正してもらえばいいという話にもなります。複数回ならば問題ですけど、ミスをしない人間はいませんし」
「たしかに一回きりです。でも本来はその一回もあってはならないでしょう? そういうところが信用問題に発展すると思うんです。この業界は信用があってこそ成り立っているものと思います。それに労働時間だって問題のある会社です。ブラック企業とわかっていて、なんのお咎めもないんですか?」
食い下がる私に彼女らは顔を見合わせた。それから「ブラックなのは業界全体のことだから」とこぼした。
「私たちも実地指導(都道府県および市町村の担当者が介護サービス事業所へ出向き、適正な事業運営が行われているか確認するもの)のときに勤務簿を提示してもらうようにして確認作業はしているんです。指導もちゃんとしはじめました。社会の流れがそういうふうになってきているからです」
「でも勤務簿なんて、実地指導の日時が伝えられているかぎり、いくらだってごまかせますよ」
「そのとおりなの。わかっているのよ。でもどうやってもすべてをクリーンにすることは無理なの。そういう業界なの」
「私はもうそんなブラックな業界からは足を洗います。やっていられない」
「ケアマネの資格も持っているのにもったいないわ。探せばホワイトなところもあるから、そんなさみしいこと言わないで。ね!」
結局、こういう状況の事業所があるということを事業所の代表が集まる会議のときに伝えるようにしますということで話は終了した。私の訴えは見事なまでに空振りだったのだ。
――行政もやっぱり味方にならない。
これを思い知った私はしばらく失意のどん底に沈むことになった。
【おまけ】