第90話 よどんだ空気
文字数 1,088文字
怒り出すか、何かもっともらしいことを言うのかと身構えたが、彼女はつぶやいた。
「じゃあ、いいじゃない」
そしてまた、葉菜の手を引いて、前を向いて歩き出す。あまりに強い力に、非力な葉菜はあらがえない。
泣きたい気持ちになりながら、葉菜は考える。
しかたがない。とりあえず、洋館まで行くことにしよう。
そうすれば、河合の気も済むかもしれないし、頃合いを見計らって、急いで帰ればいい。それ意外に、何も思いつかない。
葉菜は抵抗することをやめ、引かれるまま歩き始めたが、河合は手を離すつもりはないらしい。どうあっても、葉菜を洋館まで連れて行くつもりなのだ。
人気のない別荘地を過ぎ、やがて二人は、森の中へと入って行く。通い慣れた道は、佑紀乃に会いに行くときには、うきうきして足取りも軽かったけれど、今は不安と恐怖でいっぱいだ。
河合は、どんどん足を速め、葉菜は息が上がって来る。
やがて、舗装道路が終わり、土の道を進んで行くと、ついに洋館が見えて来た。
葉菜は思う。あそこに佑紀乃が待っていてくれたなら、どんなにいいだろう。
だが、そんなことはあり得ない。佑紀乃は今、葉菜たちの家にいて、つい数時間前に別れたばかりなのだから。
玄関にたどり着くと、河合は、葉菜の手を握ったまま、もう片方の手でポケットから鍵を出してドアを開けた。そして、葉菜を見て微笑む。
「さあ、入って」
ようやく手を離して、葉菜を先に中に入らせると、自らも入ってドアを閉め、内側からしっかりと鍵をかけ直す。ずっと握られていた手首がジンジンしている。
家の中は、家具に白布が掛けられ、空気は埃っぽくよどんでいる。それは、いつも佑紀乃と一緒に、お茶とお菓子を楽しんだ部屋も同様だ。
いつもきれいな花が生けられていた花瓶は、今は空のままで、棚の上や窓の桟には埃が積もっている。河合は、ここに滞在しているようなことを言っていたが、本当なのだろうか。
呆然と部屋を見回す葉菜に、河合が言った。
「今、お茶を淹れるわね。とてもおいしいお菓子があるの。でも、その前に」
そこで言葉が途切れた。どうしたのかと顔を向けると、河合の手にナイフが握られていた。
葉菜は、思わず目を見開く。あれは、たしか……。
ナイフを凝視していると、河合がふふっと笑った。
「これ、あのときのナイフよ。正確には、あのときのナイフと同じ形のもの。
あのナイフがどうなったのかは知らないけど、どっちもこの洋館で使っているものなの。あのときは、あなたを刺して、あの女に罪を着せようと思ったのに」
「……え?」
「じゃあ、いいじゃない」
そしてまた、葉菜の手を引いて、前を向いて歩き出す。あまりに強い力に、非力な葉菜はあらがえない。
泣きたい気持ちになりながら、葉菜は考える。
しかたがない。とりあえず、洋館まで行くことにしよう。
そうすれば、河合の気も済むかもしれないし、頃合いを見計らって、急いで帰ればいい。それ意外に、何も思いつかない。
葉菜は抵抗することをやめ、引かれるまま歩き始めたが、河合は手を離すつもりはないらしい。どうあっても、葉菜を洋館まで連れて行くつもりなのだ。
人気のない別荘地を過ぎ、やがて二人は、森の中へと入って行く。通い慣れた道は、佑紀乃に会いに行くときには、うきうきして足取りも軽かったけれど、今は不安と恐怖でいっぱいだ。
河合は、どんどん足を速め、葉菜は息が上がって来る。
やがて、舗装道路が終わり、土の道を進んで行くと、ついに洋館が見えて来た。
葉菜は思う。あそこに佑紀乃が待っていてくれたなら、どんなにいいだろう。
だが、そんなことはあり得ない。佑紀乃は今、葉菜たちの家にいて、つい数時間前に別れたばかりなのだから。
玄関にたどり着くと、河合は、葉菜の手を握ったまま、もう片方の手でポケットから鍵を出してドアを開けた。そして、葉菜を見て微笑む。
「さあ、入って」
ようやく手を離して、葉菜を先に中に入らせると、自らも入ってドアを閉め、内側からしっかりと鍵をかけ直す。ずっと握られていた手首がジンジンしている。
家の中は、家具に白布が掛けられ、空気は埃っぽくよどんでいる。それは、いつも佑紀乃と一緒に、お茶とお菓子を楽しんだ部屋も同様だ。
いつもきれいな花が生けられていた花瓶は、今は空のままで、棚の上や窓の桟には埃が積もっている。河合は、ここに滞在しているようなことを言っていたが、本当なのだろうか。
呆然と部屋を見回す葉菜に、河合が言った。
「今、お茶を淹れるわね。とてもおいしいお菓子があるの。でも、その前に」
そこで言葉が途切れた。どうしたのかと顔を向けると、河合の手にナイフが握られていた。
葉菜は、思わず目を見開く。あれは、たしか……。
ナイフを凝視していると、河合がふふっと笑った。
「これ、あのときのナイフよ。正確には、あのときのナイフと同じ形のもの。
あのナイフがどうなったのかは知らないけど、どっちもこの洋館で使っているものなの。あのときは、あなたを刺して、あの女に罪を着せようと思ったのに」
「……え?」