第31話 自力と他力

文字数 555文字

 老荘思想の相方、荘子の「呼吸は深く安らかである。真人はかかとの先から呼吸する。凡人はのどの先で呼吸する」…
「荘子」の訳者は、その解説に「これを後世の神仙説は、文字通りに受け取り、養生術として実行するようになった。すなわち、呼吸法として採用されることになった」と記している。

「荘子」に、「坐忘」( ざぼう)問答というのがある。
「私は坐忘ができるようになりました」と言う弟子に、師が「それはどういうものか」と訊く。
「自分の身体の手足の存在を忘れ去り、目や耳のはたらきをなくし、形のある肉体を離れ、心の知を捨て去り、あらゆる差別を越えた大道に同化することです」

 玄侑宗久という作家は、どこに行くにも荘子の本を携えるとか。禅宗のお坊さんでもあり、マインドフルネスもやっているそうである。

「自力」と「他力」というものについても考えてみたい。全く異なるもののようだが、実際はどうなのだろう?
 瞑想する時、自分の呼吸だけを見つめている。しかし、その呼吸は、呼吸しようとする意思によってあるものではない。呼吸は、「他」である。
 こちらとしては、それを調整することぐらいしか、それに対してはたらきかけられない。その「こちら」は「自」である。

 存在するということは、この身ひとつをもってしても、自と他が共存し、依存し合っている…
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