第1話 はじめに〜ダンマについて

文字数 1,443文字

 近所の、どこにでもありそうなお寺さんの年中行事として開かれている、毎月2回の「マインドフルネス」。そのテキストや住職のお話から、私が私なりに学んだ事柄を、こちらに記していこうと思います。

 マインドフルネスは、Google、intelといった欧米企業でも能力向上のためにこのトレーニングが行なわれているとのことですが、もともとこれは、かのブッダが日常的に行なっていた瞑想法でした。ただ仕事に関してのみならず、生きていく上で有効な、自分による自分のための、自分が自分に「気づく」時間であると考えられます。

 まず、ブッダが説いた重要なことのひとつに、ダンマ(dhamma)というものがあります。
 これを理解することは、非常に大切なことに思えますので、少し長めに書いていきます。
 日本語に訳される「法」というものですが、実に様々な意味を持つ、とワールポラ・ラーフラさんは書いています(「ブッダの説いたこと」岩波文庫)。

 これは、端的に言って「ものそのもの」が、それ自身の中に存在し、それ自身によって存在し、それそのものが自身の秩序・法則を持っているということを意味する、と解釈してよろしいかと思います。
 この「もの」には、生命、物、物事といった、可視・不可視の万物全てが含まれます。

 ことに、「生命」には、
 1) 自然そのもの
 2) 自然の法則
 3) 自然の法則によって行なう務め
 4) 務めを果たすことによって生まれる結果
 が、相互に関係しているということです。
 このことを確かめるために、瞑想をすると言っていいかもしれません。

 私の想像ですが、ブッダは心を静め、自分自身を観じ、吟味していく時間の中で、呼吸というものに「気づかざるを得なかった」のではないかと思います。
 呼吸が呼吸をしている→呼吸することによって、この身体が生かされている。
 苦しい時、呼吸が苦しくなる→ 楽に呼吸すると、楽になる。
 ∴ 呼吸を調整することができれば、苦しみも和らぐのではないか。
 そのように考えて、現代の「マインドフルネス」の礎を、2500年前に説いていたのではないか、と。

  ブッダは、とにかく人間が苦しまぬよう、その一点だけに生涯を捧げた人だったと思います。男女差別も、身分による差別も、習わしのように行なわれていた占いや祈祷といったものにも、否定的でした。
 この呼吸による瞑想も、ブッダの、人間ひとりひとりの自己というようなものが、苦しまぬように、自分で自分を苦しめぬように、との思いの一環であったように思えます。

 マインドフルネスに連関しての「ダンマ」とは、「ひとりひとりの身体・ひとつひとつの物事には自然の法則があり、その自然を調整し、その法則に従って正しく果たされる仕事をし、最後にその仕事の結果があるということ」を呼吸を通じて気づいていく、と考えてよろしいかと思います。

 「正しく」とは、ブッダは八正道を説いていますが(正しい理解、正しい考え、正しい言葉、正しい行ない、正しい生活、正しい努力、正しい注意、正しい精神統一)、これは周囲に迷惑を掛けない=自分自身に迷惑を掛けない、というごく平素な感じで私はとらえています。

 8つ目の「正しい精神統一」が瞑想にあたります。この呼吸による瞑想の時間の中では、おのずと努力・注意も払われます。
 しかし、やはりなぜ瞑想をするのかを理解することが、大切でありましょう。その理解のために欠くべからざる「ダンマ」について、引き続き書いていきたいと思います。
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