第5話 生かされているということ

文字数 1,532文字

 正直なところ、なかなか筆(キーボード)が進まない。何故だろう? 書きたい事柄ではあるのだが…。
 テキストに多少の反感があるのかもしれぬ。ちょっと宗教的だと思える箇所もあるからだ。また、ここで私は「説明文」のように書いているので、妙な責任めいたものも感じている。
 マインドフルネスは精神的なものも大きいと思われる。その精神とは、ひとりひとり異なったものであると思うし、それを一筋の道のように舗装したくない気持ちもある。ひとりひとりが、イイと思ったことをやるのがイイ生き方なわけで、何もこの瞑想が絶対的なものではないのだ。

 私はブッダを、ソクラテスと同等に見ている。ただ、ブッダが好きなだけなのだ。そのブッダがやっていた瞑想法であるというだけで、マインドフルネスをやっている。何も、人のためにやっているわけではない。
 だが、ここに書くという時、どうしても「人のお役に立てるのでは?」という期待が自分自身にあったのだった。私が文を書くのは自分が愉しみたいためであって、人のためではない。これを読んだ人が、多少でも気持ちが楽になった、そんな結果になれば私も心から嬉しいだけで、ほかには何の他意もない。

「人のために」が自分の中で少し大きかった気がする。これでは、自分は楽ではない。それで筆が進まない。今までの、自分の生き方のようだ…
 です・ます調も、どうもしっくり来ない。手紙ならいいけれど、ネットは不特定の人に向かうわけで、雲に向けて手紙を書いている気分になる。ものを書くというのはそういうことかもしれないけれど、私と雲の間にマインドフルネスを媒介させることで、雲の層がいっそう厚くなっている。

 どうしたらよかんべかな、と思いつつ、こりずに続けてみよう── 書きたいから書こう。読みたい方は、読んで下さい。投稿サイトって、そんなスタンスでいいんじゃないかな?

 続き、やります。
 今までも、実感としては親や周囲の人、忘れがちなところで植物や陽、雨、広く言えば地球、宇宙によって生かされてきたわけですが、まず自分の身体に生かされている、ということを、マインドフルネスでは最も重要視します。
 自分がいなくても世界はあるでしょうが、自分の世界はありません。自分が生まれたということは、紛れもなく特別なことです。
 そしてこの身体は、生まれた時からずっと呼吸をしているということです。この「呼吸」を大事にすることは、自分の生命を大事にするということです。そのツールとして呼吸による瞑想がある、ということです。

 まず、楽な体勢で椅子に座ります。姿勢はなるべく真っ直ぐに。正しい姿勢は、呼吸を助けます。手は、どこに置いても構いません。自分が楽だと感じるところで。
 キッチンタイマーやスマホの目覚まし機能を使って、10分後アラームが鳴るようにセットします。眼は、上唇と鼻腔の間、鼻先を見つめます。鼻から息が出入するので、鼻先を「プールの監視員」、見張り番のようにするわけです。途中で眼を閉じても構いません。

 あとはただ、鼻から呼吸が入り、お腹、おへそに行くのを見つめます(へそまで実際には空気は行きませんが、そうイメージします)。呼吸を見守る、呼吸のあとを追う、というふうに、ゆっくり呼吸を見つめて下さい。
 おへそまで息が入ったら、今度はおへそからお腹、鼻へと出て行く息を見つめます。また鼻から息が入って、お腹、おへそ…見つめます。これをゆっくり繰り返して下さい。電車の中、バスの中でもOKです。
 いろんな雑念、想念が頭に浮かんできて、呼吸の道筋をたどることだけに集中するのは難しいですが、自分がどのように呼吸をしているのか、それだけを見つめるようにして下さい。
 10分経ったら終了です。
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