第12話 とにかくやってみる

文字数 1,030文字

 ステップ0(呼吸を追う、見つめる)→ステップ1(長い呼吸)→ステップ2(短い呼吸)→ステップ3(全身を感じる呼吸)→ステップ4(身体を静める呼吸)。トータル50分、やってみる。
 各ステップ、自分ができたと納得、感じてから進むのが本筋だが、仕事でもそうであるように「全体の流れ」を確認するために。1時間近くじっと座って、呼吸に集中するというのは実に修行だと思った。

 何も考えないではいられない。いろんな雑念、妄想が頭に浮かぶが、それもそのままにして放っておく。自然と意識がまた呼吸へ戻っていく。そんなことを繰り返した。
 これは「身体」に関する瞑想で、さらに「感受」「心」「法」にも、各4つずつのステップがある。4×4=16のステップを経て、やっと「マインドフルネス」のぜんぶを体験することになる。もはや荒行ではないかと思うが、先のことを考えても仕方ない。

 お寺で習ったことを、毎日できる限り実践していきたい。続けることが大事。続けるには、忍耐が要る。忍耐は、全ての煩悩を焼き尽くすそうだ。
 ところで、この修行の目的は、言葉でいえば「涅槃」に入ることだという。涅槃は、死を意味をするのではなく、おそらく言葉で言い表せない、一種の境地のように思う。私にはよく分からない。イメージとしては、「ただそこにある」「それはそれそのものである」ということを見つめることができるようになる、とでも言うのか。

 実際、あらゆるものはそれ自身がそこにあるだけである。いわば当たり前のこと。しかし、それがほんとうには、なかなか理解し得ない。いや、これは理解とか、頭で分かるという範疇ではない気がする。
 ヒトは、あまりにも頭で片づけようとし過ぎているとは思う。そこに、ほんとに大事なものがあるのだろうかと思う。

 自分が体験すること。自分の身、心、誰のものでもない自分の身心が体験すること以上に、どこに学びがあるかと思う。「学問の対象は、自分自身の中にある」とソクラテスは言う。しかし、この自分というのは何だ? 自分は、観念上の存在であるとブッダは言う。ああそうか、その観念が、ソクラテスの言う「自分自身」なのか。

 涅槃は、ビートルズの「Let it be」のようなものではないかとも思う。そのまま、あるがままに。自己自身と、その自己から見えるまわりの世界を、ほんとうにそのままのままに受容すること。それを体験した暁に、自然におのずから、自分の内に生まれるものであるような感じもしている。
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