第23話 半年を振り返って

文字数 1,092文字

「呼吸によるマインドフルネス」ブッダダーサ(タイ語ではプッタダート)著の、中古本をアマゾンで注文。
 お寺でやる瞑想、それはそれとして、自分ひとりでもしっかりやって行きたいと思って。
 去年の夏の終わり頃だったか、通りすがりに「マインドフルネスだって」と、私の恋人がお寺の壁の掲示板を見て立ち止まった。「胡散臭そう」と私は言ったが、参加して以来半年近く、毎日瞑想を続けることになった。恋人は参加もせず、何もしていない。彼女は整体に興味があるようだ。

 さしあたって約半年、この間に「マインド…」の影響かと思われる、私の心身に起こったことを書いてみたい。

・姿勢が良くなった。歩く時、これは顕著に意識できている。
・腰痛が改善した。以前、介護職をしていた時、腰にコルセットを付けなければ働けなかったのが、今は同様の動きをしても大丈夫になっている。
・霊感?みたいなのが強くなった。気のせいかもしれない。この詳細は自分でもよく分からない。感受性、直観的な部分のようにも思える。
・性欲が強くなくなった。きっとこれはいいことなのだと思う(?)
・自暴自棄に陥り易かったが、なかなかそうなれなくなった。
・小鳥のさえずり、空の雲、木立などが、とてもとても愛しく感じられるようになった。
・少しずつだが、自分に自信らしきものが感じられる。微々と、微々と…

 ── こんなところか。もともとあった私の性質もあるけれど、毎日瞑想を続けたことと、無関係とも思えない。
 もともと、瞑想には興味があったが、その仕方が分からなかった。ブッダを好きになっていた自分と、この瞑想法が仏教に由来するということ、そしてその講座を無料で開くお寺が近くにあったこと…これらの要素が偶然重なったことも確かだ。

 最近は、どうもソクラテスの生き方が自分の中に強く入って来ている。これはたぶん、瞑想とは関係ないと思うが…
 ブッダにしてもソクラテスにしても、「強かった」印象がある。ホントウは強いも弱いもないということ、そんな二元論めいたものを越えた「強さ」が、どうも私の中に憧れのように芽生え始めているのを感じる。それは水を求めていて、その水も、自分自身の中にあるような気配を感じている。やや、確固とした「感じ」として。

 まったく、急いでも仕方がない。私は、私以外になれない。どうしてこんな生き方しかできないのだろうと思うことが、よくあるけれど、これも自分に課せられた運命と受け容れたい。
 どんな物語の終わりが準備されているのか、自分の人生だのに、私には分からない。ただ、生きている間に、生きているだけであることは、死ぬまで変わらないだろうと思う。
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