第30話 約1時間の瞑想

文字数 1,050文字

 私のマインドフルネス。
 やっと、約1時間、なるべく集中して実践することができるようになりました(以前は余裕だったのが、腰を痛めて以来滞り気味)。
 自分の場合、いきなり「長い呼吸」に入るのでなく、「ただ呼吸を追う・見つめる」をしてからの方が、落ち着いて入れるようです。
 アーナ(入息)パーナ(出息)を見つめ、サティ(気づき)を、ゆっくり呼吸に添えて、沿っていく。それを11分やって、「これから長い呼吸をします」と心で言い、長い呼吸に入る…

「無理をしない」ようにしても、ある程度の無理には目をつむり、「楽に」といわれても、無理に楽にすることもなく…
 腰が痛くなれば、そこでやめますが、1日のうちに「身体を落ち着かせる呼吸」まではやりたいから、夜に再びチャレンジしたりして、これは修行なんだなあ、と実感の連続。

 以前は気持ち良かった「長い呼吸」が、あまり心地良くなく、「完璧」を求め過ぎていることを自覚。気持ちが良かろうが悪かろうが、長い呼吸を意識し、長い呼吸だけに気持ちを集中させようとする。呼吸に、ひたすら沿っていく。
 長い呼吸を終え、「短い呼吸をします」と心で言い、短い呼吸。長い呼吸があんな感じだったから、それより短くすればいい。その「感じ」で、短い呼吸のあとを追い、ついていく。

「身体全体を感じる呼吸」。これが、いちばんやり甲斐を感じる。「呼吸する身体」と「生身の身体」の2つを意識する。呼吸する身体が、自分の分身のように眼前にあって、肉体の身体も同時に呼吸をしている。それを体感できる。
 白状すると、ここで涙ぐみます。「呼吸する身体」これは自分の身体ではない。それが、とても実感できて。「私」は、私のものではない。「私」というものは、ない。それを、実感して。

 ブッダは、最終的に「この世に返すのだ」という言い方をした、その意味が体感できる気がします。

 いちばんつかめない、難しいのが「身体を落ち着かせる呼吸」。
(集中しよう、禅定に入るのだ)と、意識しすぎて、逆に落ち着かず、彷徨ってしまう。落ち着かせようとすることは、もうその時点で、落ち着いていないということを自覚する。

 ここを体験しないと、次の「感受」に移行できない。「こつ」として、まず呼吸に「沿う」。鼻の下、上唇の上に小さな「点」をつくり、そこに意識を集中しようとする。
「考える」ことによって、心がつくられるから、その心のイメージをつくる。それを観じて、身体を静める…呼吸の調整装置を静める…
 ここら辺りで、つまずいています。難しい。
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