第36話 その後

文字数 866文字

 その後のテキストの要点を書こうとして、この章はまだ現在進行形で、お寺で続いている最中であることに気づいた。
 住職からの解説も聞いていないから、このまま迂闊に進めることはできない。
 ただ、ざっと読んだ限り、基本的なことは今まで書いてきたことに違いなく、この後は、より実践的な内容になっていくようである。

 自分のことを書けば、1日10分のこの瞑想をずっと続けているけれど、気持ちとしてはかなり楽になっている。
 歩いていても自分の呼吸に気をかけているから、

〈体裁のことばかりに気をかけて、自分自身の魂に気をかけず、恥ずかしくないのか〉

 とアテナイ人たちを叱咤したソクラテスにも、少しは足を向けて眠れる気がする。呼吸が、生命の源、魂のように思えたりしているのだ。

 しかし、こうしてブッダの瞑想法、説いてきたことを書いていると、やはりソクラテスのことが思い出される。どう見ても、接点が多いのだ。このふたりの視線の先には、どうしても真実・真理・道理といったものがある。
 そこに行き着く方法は、ブッダとソクラテス、全く違うのだが、

〈人間はさまざまな手段を使って同じ結果に辿り着く〉

 というモンテーニュの言葉に行き当たる。

「徳」というものを、ブッダとソクラテスは重んじている。善、というものではあるが、もっといろんな意味合いがあるらしい。徳は、このふたりの大哲学者が自分を向上させるために向かった、ひとつの座標点のように思う。
 しかしほんとうに、このふたりについて書くのはドキドキする。間違ったことは書けない。自分なりに分かっていても、それを正確に書くことだけに努めることになる。

 でも、そういう努めをして、やっと近づけるのかな、という手ごたえもあって、書いていて面白い。書いて初めて「わかる」ような気もした。
 何か表現しないと、「わかる」ということにはならないのか、とも思った。また、「責任」のようなものを感じて、重かった。
 どうでもいいことなら、もっと軽く書けるのに。やっぱりブッダとソクラテスは自分にとって大切な存在なんだ、と気づいた次第。
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