第20話 「手動」の瞑想
文字数 1,050文字
お寺では、ブッダのマインドフルネスと平行して、「手動」の瞑想も行なっている。
住職によると、プラユキさんという日本人が赤十字か何かでそういう国に行った際、労働密度のあまりの濃さに「このままでは自分がダメになる」と思い、この「手動」の瞑想を発案したということだった。
マインドフルネスとの共通点は、「今」に集中するということ。
過去に対する後悔や、未来に対する不安は、頭が作り出した想念であって、それに捕われるのは苦しみである。「今」に集中できないというのは、苦しいものなんですね、と住職は言う。
NHKの「人生と宗教」(?)みたいな番組でもプラユキさんは取り上げられ、この瞑想法が放映されたらしい。you tubeでも見られる。ただ、ものすごいスピードでやっているので、「あんなに速くやらなくても、いいんじゃないかと思います」と住職。
要は、「自分の手が今ここにある、今ここにある、今そこにある」と実感・確認・集中することが大切なので、スピードにはこだわらなくていいのではないか、ということです。
この「手動瞑想」を言語化すれば、まずあぐらをかいて座る。この際、仙骨(背筋)を真っ直ぐに。
右の膝辺りに右手を置き、左の膝辺りに左手を置く。手の平は、膝の上。
それから、
1.右手を垂直に立てる(手刀をつくる形です)
2.そのまま肩の辺りまで右手をあげる
3.その右手を腹部(おへその辺り)に持って来て、お腹にあてる
4.右手はそのままの状態で、今度は左手を垂直に立てる(手刀の形)
5.左手を肩の辺りまであげる
6.左手を腹部(おへそ辺り)に持ってくる
今、腹部に両手が重なっている状態です。それから、
1.右手を胸の上に持っていく(胸にあてる)
以下、上記2からの動作をして戻ります。
つまり、
・肩の辺りまで右手をあげたところへ右手を持っていき
・その右手を右膝辺りに持っていき(手刀をつくる形で)
・右の手の平を右膝辺りに伏せる
左手も同じ順序で、
・左手を胸の上に持っていき
・そのまま肩の辺りまで持っていき
・膝辺りに置き
・手の平を膝に伏せる
そしてまた右手を膝上に垂直に立て…と繰り返します。この繰り返しを15~20分間やるのがいいらしいですが、お寺では10分だけやっています。
また、電車の中などで密かにできる「今に集中する」仕方として、ただ右手でも左手でも、片手の人差し指と親指を「こすり合わせる」だけでもいいそうです。
「静」の瞑想に対して「動」の瞑想ですが、さて、どうでしょう。
住職によると、プラユキさんという日本人が赤十字か何かでそういう国に行った際、労働密度のあまりの濃さに「このままでは自分がダメになる」と思い、この「手動」の瞑想を発案したということだった。
マインドフルネスとの共通点は、「今」に集中するということ。
過去に対する後悔や、未来に対する不安は、頭が作り出した想念であって、それに捕われるのは苦しみである。「今」に集中できないというのは、苦しいものなんですね、と住職は言う。
NHKの「人生と宗教」(?)みたいな番組でもプラユキさんは取り上げられ、この瞑想法が放映されたらしい。you tubeでも見られる。ただ、ものすごいスピードでやっているので、「あんなに速くやらなくても、いいんじゃないかと思います」と住職。
要は、「自分の手が今ここにある、今ここにある、今そこにある」と実感・確認・集中することが大切なので、スピードにはこだわらなくていいのではないか、ということです。
この「手動瞑想」を言語化すれば、まずあぐらをかいて座る。この際、仙骨(背筋)を真っ直ぐに。
右の膝辺りに右手を置き、左の膝辺りに左手を置く。手の平は、膝の上。
それから、
1.右手を垂直に立てる(手刀をつくる形です)
2.そのまま肩の辺りまで右手をあげる
3.その右手を腹部(おへその辺り)に持って来て、お腹にあてる
4.右手はそのままの状態で、今度は左手を垂直に立てる(手刀の形)
5.左手を肩の辺りまであげる
6.左手を腹部(おへそ辺り)に持ってくる
今、腹部に両手が重なっている状態です。それから、
1.右手を胸の上に持っていく(胸にあてる)
以下、上記2からの動作をして戻ります。
つまり、
・肩の辺りまで右手をあげたところへ右手を持っていき
・その右手を右膝辺りに持っていき(手刀をつくる形で)
・右の手の平を右膝辺りに伏せる
左手も同じ順序で、
・左手を胸の上に持っていき
・そのまま肩の辺りまで持っていき
・膝辺りに置き
・手の平を膝に伏せる
そしてまた右手を膝上に垂直に立て…と繰り返します。この繰り返しを15~20分間やるのがいいらしいですが、お寺では10分だけやっています。
また、電車の中などで密かにできる「今に集中する」仕方として、ただ右手でも左手でも、片手の人差し指と親指を「こすり合わせる」だけでもいいそうです。
「静」の瞑想に対して「動」の瞑想ですが、さて、どうでしょう。