1984 絶賛中二病

文字数 1,066文字


中学になっても、父親は怖い存在でした。

学校の成績が振るわないと、延々と説教が始まります。

頑張らなかった時は怒られても仕方ないですが、
頑張って成績が落ちた時に責められるのは悲しかった。

私は特に数学が弱く、追試の常連でした。

中二の夏休みはついに補習組になり、
休み中も学校にいかなければならなくなりました。

ただでさえ学校が嫌いなのに、
夏休みにまで行かないといけないなんて・・。

ある日、私は「行って来ます」と家を出て、
学校とは反対側の方向の電車に乗って終点まで行きました。

そしてそのまま帰ってきました。

母は昼間パートに出ていたので、
私がいつ帰って来たのかは知りません。

そしてその手口で結局二週間の補習は
ほとんど行きませんでした。
それでも学校からは特に連絡はありませんでした。

二学期になり、学校の人間関係がうまく築けなかった私は、
学校に行きたくない気持ちが強まりました。

そしてまた夏休みと同じ手口で学校をサボりました。

今度は補習とは違い、学校の授業に何日も来ないという事で、
流石に担任から電話がかかって来ました。

「めちゃめちゃ怒られる!」と身構えましたが、
意外と両親とも怒ることはなく、
特に母親には「何か嫌な事があるのか?」と心配されました。

学校に馴染めない事が理由なんてちっぽけな気がして、
理由は言えませんでした。

それから仲が良かった子から
「待ってるからおいで」と電話が来た事で、
また学校に行き始めますが、
「とにかくもう、学校や家には帰りたくない〜(by尾崎)」って事で、
家出を試みた事もありました。

教会とかに行ったら、
神のご加護か何かで受け入れてくれるかな?とか思い、
地図で教会のある場所をチェックしたりしました。(アホすぎ)

結局教会はやめて、練馬の伯母の所を目指す事にしました。
練馬の伯母はその頃あまり顔を合わせる機会がなく、
そこなら足がつきにくいと思ったのです。
年賀状の住所を見て、地図でだいたいの場所を調べました。
でもその伯母も私に馴染みが薄いだけで
母とは普通に交流があったと思います。

中二の脳みそなんてそんなレベルなのだなと思います。
(あれ?私がアホすぎるのか!?)

ボストンバッグを抱えて、バス停に向かうと近所のおばちゃんに
「あら旅行?」とか言われ、ドキドキしました。

「もうここには帰らないかもしれない・・」

そんな事を内心思いながら

「はぁ、まぁ・・」

と曖昧に返事をしました。

バスと電車を乗り継ぎ、練馬までは行った記憶があります。

でも結局なにもせず帰りました。

親も気づいていないかもしれません。

中二病真っ只中を駆け抜けた思い出です。

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