1989 バイトと専門学校

文字数 1,353文字

平成が幕開けし、
巷ではドリカムの「笑顔の行方」が流行っていた頃、
私の気持ちもその歌のように、生活の全てが一新されました。

6年間着ていたセーラー服を脱ぎ、
ウェーブヘアをなびかせ、バイトと教習所に通う。

春休みだけの短期のバイトは経験ありでしたが、
長期のバイト、しかも接客なんて初めて。

車の運転ももちろん初めて。

息が詰まるような閉鎖的な場所から、
バッと開けた世界に出た気がしました。

そして学校では教室の半分が男子で埋まっている事が
かなり違和感でした。

初めての事、久しぶりの感覚。
戸惑いも沢山ありましたが、
今となってはそれも良い思い出だなとしみじみ思います。

バイト先はいつの間にか父親が決めた、
親戚のお姉さんがバイトしていたパン屋でした。
(私が入った時はそのお姉さんはもう辞めてていなかった)

バイト先を勝手に親に決められてかなり嫌でしたが、
このお店はみんなの雰囲気がよく、
バイトの子やパン職人の兄ちゃんともすぐに仲良くなりました。
入ってそんなに経ってないのにみんなで飲み会をやったりもしました。
(未成年では?という所は深く突っ込まないで下さい・・)

高校までは外に出たり、人との交流が億劫で仕方なかったのですが、
「あぁ、仲間と遊ぶのって楽しいんだ!」と初めて思いました。

この頃バイトが楽しすぎて、
母親に「バイトが楽しい!」と言ったら、
「仕事が楽しいと思えるなんて、良かったね」
と笑っていました。

お店ではJ-POPの有線がかかっていて、当時やたら流れていたのは、
米米クラブ「浪漫飛行」、ユニコーン「大迷惑」、
ブルーハーツ「人にやさしく」、パーソンズ「ディアフレンズ」、
たま「さよなら人類」、Wink「愛が止まらない」などなど。
(懐かしい)

この店でいろんなバンドや曲を覚えました。

専門学校はどこにしようかガイド本を見ながら悩みましたが、
高校ではまぁまぁ英語の成績が良かったので
(今は全然ダメですよ!)語学系の学校か、
憧れていたマスコミ系の学校に絞り、いくつか学校見学をして、
新しくて雰囲気の良さそうなマスコミ系の学校に決めました。
(私で二期生でした)

学校は音楽科、デザイン科、広報科があり、私は広報科に入学。

広報科はさらにCMプランナー、広報秘書、
雑誌編集、ジャーナリストの4つのコースに分かれていて、
CMプランナーコースが一番テレビ業界への就職に近かったのですが、
この頃はまだ自分ががっつりテレビ業界でやっていける自信がなく、
手堅い広報秘書コースに入りました。
広報秘書コースは企業の広報科に入る人材を養成するコースです。

このコースなら地に足がついた感じだし、
親も了承してくれるだろうと考えたからです。

秘書コースは11人しかおらず、そのうち10人は女子で、
一部の子は女子校のノリを引きずったような子たちでした。
腹に一物を抱えていそうなのに言わない・・みたいな。

話しかけても「えー」みたいな感じでニヤニヤしてる。
感じ悪い。

また授業の内容も秘書検定を取るための勉強だったりで
「なんか違うな」と思っていました。

CMプランナーと広報秘書は合同の授業も多かったのですが、
こちらが座学の時、CMの子達はカメラを抱えて
外に出て行ったりしていて、楽しそうでした。

気づけばいつも「羨ましいな・・」と思いながら
CMの子たちを眺めていました。

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