1995 阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件

文字数 900文字


この年は、今でも「過去の重大事件」として
取り上げられるような事が起きた年でした。

一月には阪神淡路大震災がありました。

私が生まれてから、こんなに大きな地震はなかったので、
朝起きてテレビのニュースを見て驚愕したのを覚えています。

住宅地から立ち上る炎、横倒しになった高速道路。

「これは現実か!?」と、目を疑いました。

復興とかボランティアとか、今ほど確立されていない頃、
神戸の人々を助けようと日本全体が応援ムードになり、
JR西日本のCMでも「We love Kobe」という
キャッチフレーズで関西を盛り上げていました。

ちなみにうちの旦那は京都に近い大阪出身ですが、
結構揺れたそうです。

数日後に神戸に行き、街も見たそうです。
ビルが根元から折れて倒れている光景を見て
呆然と立ち尽くすしかなかったようです。

数ヶ月後には東京で想像を絶する事件が起きました。

地下鉄サリン事件です。

私はこの日の前日、
仕事で深夜帰宅になったため遅くまで寝ていました。

のそのそと昼頃起きると家の電話が鳴り
(この頃はまだ携帯電話は持ってなかった)、
出ると友達からでした。

「なんか地下鉄で毒物が撒かれて、
まみの会社近いから大丈夫かなと思って!」

と言っています。

「何それ?」とテレビをつけると、
地下鉄の駅から運び出された人が、救急搬送されています。

その駅の中には、会社の最寄駅も含まれていました。

「は! か、会社!!」

慌てて会社に電話をすると、
事件はうちの会社の始業より少し早い時間帯だったので、
みんな無事との事。
(後輩が一人、隣の駅で足止めになり、
歩いて出社したため遅刻したそうです)

この会社では被害者はいませんでしたが、
後に派遣で行った会社の先輩はこの時巻きこまれたらしく、
目の前がチカチカしてそのまま運ばれ、
三日間くらい入院したそうです。
(今は元気にしています。)

自分の身近な所でこんな事件が起き、命を落としたりするのだ。

そしてもし、少し時間がずれていたら、徹夜明けじゃなかったら、
私も巻き込まれていたかもしれないんだ。

無事で生きていられる事は当たり前ではないのだと痛感し、
無事でいられることに感謝しないといけないと
肝に命じた出来事でした。

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