1977  家庭でのこと

文字数 1,392文字

小学校に上がると、学校で教わった算数や国語を
妹たちにドヤ顔で教えたりしていました。
それは妹たちを可愛がるというより
「こんな事知ってるアタシ」アピールでした。

まぁでもその事は今となっては妹に
「あの時勉強教えてもらったから、
同級生より知識があって有利だった」と
感謝されたりしていますが・・。

その頃の私は、外では大人しい女の子でしたが、
家では女王様のような振る舞いで、
母にも「えばるな!」と書かれた何かのお菓子のおまけシールを
「あんた自分に貼っときなさい!」と言われるくらいでした。

大人になって押入れの片付けをしていた時に、
小学校一年生の頃学校で書かされた日記が出て来たのですが、
「わー、何が書いてあるんだろう!!」と、
わくわくして読みました。

そこには、

「今日は妹とお姫様ごっこをしました。
お姫様役は私で、一人の妹は召使いで、
もう一人の妹は犬でした。」

と書いてありました。

ひどい・・。

しかし、こんな横暴な姉でも
妹たちは反発する事もなく、従順でした。
私が一方的に怒る事はあっても、
喧嘩はした事ありません。

ここまで平和に見える我が家ですが、
子供時代の家庭は嫌な事も沢山ありました。

昭和時代は「地震、雷、火事、おやじ」といわれるくらい、
父親は怖い存在でしたが、
うちの父親も子供にとっては怖い存在でした。

怖いにも種類があると思うのですが、
うちの父親は子供たちのためを思って厳しいと言うよりは、
自分のストレスを家族にぶつけるような人でした。

女の子だったけど容赦なく機嫌の悪い時は
往復ビンタで張り倒されたりもしました。

当時のしつけとして、子供が言う事を聞かない時は、
体罰、押入れに入れる、外に出す
なんていうのは普通の事ではありましたが。
(近所でも出されて「あけてーー!」と泣き叫びながら
玄関のドアを叩いている子がよくいました。)

今はどうなんでしょうね?
外に出したら児相に通報されそうですよね。

持論ですが、体罰も使い方を間違えなければ
あってもいいとは思っています。
口で言ってもわからない時や、
痛みを知る事で他人にそれをやってはいけなんだと
わかる事もある。
(それでもその子の性格にもよるけど、
そんなしょっちゅうやるべきではないと思いますが)

逆にそれをせず、なあなあにしてしまった事により、
大人をナメきった子供になる可能性もある。

ただ、それを理由に暴力を正当化する輩もいるので、
今は本当に難しい時代だなとは思いますが。

我が家の話に戻り、
父親も子供達に愛情がない訳ではなかったと思いますが、
とにかく、自分の感情がコントロールできない未熟さがあり、
且つ人の気持ちを汲み取る事のできない人でした。

父親が気分次第で荒れるのは、
子供からするといつどこで地雷を踏むかわからず、
いつも顔色を伺っていないといけない状態でした。

また、何が正解かわからなくなるので、
対人関係や情緒にも支障が出ます。

そんなこんなで父親が家にいる時は
戦々恐々とした家庭内でしたが、
父親が理不尽な言動をとると、
いつも母が子供の側に立って戦ってくれていました。

父は母に怒鳴ったり泣かせる事はあっても、
実際に殴ったりすることはありませんでした。

もし、それがあったら私の心の傷は
もっと深いものになっていたかもしれません。

そんな家庭環境のせいか、
私はわりと大人になるまで難しい不安定な人間でしたが、
母のおかげで何とかここまで道を外れる事なくやってこれました。

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