1991 今思えばあれがバブルだった

文字数 873文字


社会人になりました。

編集スタジオも個性的な人が多い所でした。

しかし、専門学校の仲間が外向きの変人だったのに対して、
ここは内向きの変人といった人が多かったです。

今でこそ編集ができる人はユーチューバーとか、
映像クリエイターとかカッコいい感じがしますが、
当時の編集マンは機械おたくみたいな雰囲気の人が多かった。

「やっていけるだろうか? 自分・・」

かなり不安でした。

深夜も仕事をしている人に憧れていた私は、
望み通り夜勤、徹夜が当たり前の日々。

朝10時から仕事開始で、
仕事終わりが朝10時なんて事もザラでした。

レベッカの「モータードライブ」という曲の中で、
「長い巻き毛はもう くたびれて始発の帰り道」
という歌詞があるのですが、
帰りの電車でいつもその歌が頭の中を回っていました。

20代前半まではそれでも少し寝れば回復できるくらい
体力があったので、徹夜もこなせていましたが、
編集スタジオを辞める26歳くらいの頃には
「徹夜はもう嫌だ」と思うようになりました。

当時から二十年以上経った今でも、
「終日シフト(24時間労働)」をつけられて
逃げ出そうとする夢を何度も見ます。
(今の仕事場に、偶然違う会社の元編集の人がいるのですが、
彼女も同じ夢を見るらしい・・・・。)

あの頃は辛くても「そういうものだ」と思ってやっていましたが、
厳しい先輩や、癖の強いお客達に囲まれる日々は、
結構なストレスがかかっていたのかもしれません。

入社した年にバブルがはじけたのですが、
確かに入社の年は数ヶ月に一度、金一封として一万円貰えたり、
社員旅行も北海道と豪華でした。

「会社ってすごいな」
と思ったのを覚えています。

今思えばあれがバブルだったんだろうと思います。

でもそれは一年目だけの話で、
その後はそんなに景気の良い恩恵は受けられませんでした。

ただ、それで良かったとも思っています。

あれが当たり前になってしまっていたら、
その後の金銭感覚は確実におかしくなっていたと思います。

お金をかける所はそれなりに余裕があり、
でも必要ないものは買わない。

我慢も無駄遣いもなくバランス良い感覚が育ったと思います。

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