1988 受験そして昭和が終わる

文字数 1,115文字

1988年も後半になると、
毎日のように天皇陛下のご容体のニュースが流れていました。

「もう長くはないのかな?」

誰しもがそんな予感を抱くのと同時に、
昭和という時代が終わり、新しい年号に切り替わる。
ほとんどの人が初めて経験する
重大な局面が間も無く訪れるのかもしれないと、
何とも言えない気持ちで過ごしていました。

そんな中、私は受験勉強の真っ最中でした。

うちの学校はエスカレーター式で、
周りの友達のほとんどは上の大学か
短大に進学する事になっていましたが、
私はこの学校が体質に合わないと常々ストレスを溜めていたので、
付属の大学短大には行かず、外部受験をする事にしました。

しかし、学校側の外部受験組への対応は
「勝手にどうぞ」と言ったスタンスで、
アドバイスやサポートなどは一切ありませんでした。

この学校は出て行く生徒の事はどうでも良いのです。

そして年が明けて間も無く、昭和は終わりを告げました。

のちの小渕総理(平成おじさんって言われてるんだっけ?)が、
「平成」と書かれた額を上げた時、

「へいせい~!!」

と、ぞわぞわした記憶があります。

昭和が重たい雰囲気だったから、
何だかひらひらと軽い感じがしました。

そしてテレビは全チャンネルが自粛モード。
白黒の昭和史ばかりが流れていた記憶があります。

ほとんどテレビしか娯楽がなかった時代、
テレビが何日もそんな状態になったので、
世の中の人々はレンタルビデオ屋に走りました。

そしてレンタルビデオ屋の棚が
スカスカになるという現象が起きました。

その頃、私は受験の追い込みでした。

勉強はしていたのですが、
今みたいにネットもなかった時代。

とりあえず予備校の講義を受けて、
過去問などをこなしていました。

当時は予備校の金ピカ先生が話題になっていましたが、
林修先生みたいな人に出会えていればなと今になって思います。

そもそも勉強のやり方みたいなものすらわからず、
教えてくれる人もいなく、ずっと手探り状態で勉強していました。

しかし、他校の子は死に物狂いで勉強している中、
そんな心構えでは受験に勝てる訳はないのでした。

私は受験に失敗しました。

昭和天皇崩御で世の中は暗かったですが、
私の気持ちも真っ暗でした。

友達が卒業旅行で海外に遊びに行っている中、
私は進路を決めなければならず、右往左往していました。

結局、浪人はせず、専門学校に行くことにしました。

当時はかなり落ち込み、先行きが不安でいっぱいでしたが、
今思うと、ここが私にとっての大きなターニングポイントでした。

受験に合格するのが一番良かったのかもしれないけど、
少なくともエスカレーターで同じ学校に行き続けるよりは
専門学校という選択はその後の人生にとって
はるかに良い結果となりました。
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